第107話

九.[その人の生い立ち]



「何処から話したものかな……」イオワニは腕組みして、目を落とした。一寸考えたのち、こう切りだした。

「やはり、シュスのことから話すのが筋だろうな」


 なんの関係があるのかと、訝しく感じて顔をあげたアオイの目を真っ直ぐ見据え、イオワニはきっぱり言った。

「明日、シュスは助からん。町の人に言われて淡い期待を抱いているようだが、それは叶わぬ。覚悟しておけ」

 カタジニも頷いた。「我らも覚悟している。もう、何年も前から」

 イオワニは続けた。

「うむ。そしてもとより。シュスが扉の神を召喚すると聞いた時に、我らもシュスに殉ずる覚悟を決めた。明日、シュスが命がけで開いた扉、その扉の向こう側で、冥界で、俺たちもまた果てる所存だ」

 カタジニが頷いた。

「何事か障害あらば、俺たちが真っ先に命を捨てる」

 イオワニが承けて続けた。

「御子を連れ帰る役はアオイ、お前に任せる」

 目を見開いて、口を開けないでいるアオイに、イオワニとカタジニは交互に話した。

「もしも俺たちが悪魔に憑依されたときは、迷わず斬れ。お前の腕なら斬れるはずだ。俺たちがいくら本気で襲いかかっても」

「御子とリリナネを護ってやってくれ」


「け、けど……」アオイはようやく口を開くきっかけを得た。「石があるじゃないですか……」悪魔の憑依を防ぐ石。その石を身につけていれば憑依されないはず。どうして話が違うのか。


「石など」イオワニはフッと笑った。「気休めに過ぎぬ。要は強弱の問題だ。途轍もなく強い霊に襲われれば、石など砕かれる」

 アオイは慄然とし総毛だった。想定していた前提がまるで違う。となれば心構えも自ずと違ってくる。

 目を見開いている彼にカタジニは言った。磊落な笑みを浮かべ。少し困った口調で。

「問題は。リリナネも同じつもりでいることだ」

「そう」イオワニも頷いた。深く刻まれた眉間皺をさらに深く寄せ。


 そこから先は主にカタジニが話した。アオイはほとんど口を挟むことが出来ず、ただ、黙って聞いた。

「話したことないかも知れないが、俺はラエモミ出身だ。で、俺は当時八歳だった。その子の噂は聞いていた。八歳の俺でも。ラエモミ近郊の小さな町の神童と呼ばれた女の子。わずか九歳ながら、末は三都一の大魔導師になるだろうと、人々は噂していた」


 誰のことだ? アオイは一瞬混乱し戸惑った。カタジニは二十代後半。カタジニが八歳だったとき九歳なら、これはリリナネの話じゃない。

 カタジニは沈鬱な面持ちで続けた。

「よく憶えている。その子の噂も、そしてその子が神隠しに遭ったと聞いたことも」


 一瞬、何かが頭の中でつながった。しかし何がつながったのか、数秒の間、分からなかった。分かった時、思わず、

「え、まさか。あの」座していた腰が浮いた。

 その男は、多くの霊力ある人を浚い、闇の原理神召喚の生け贄としたという。

 イオワニが横から言った。

「うむ。神隠し事件の犠牲者の一人だ。リリナネの姉だ」

「な……」アオイは絶句した。「そ……そうだったんですか……」かろうじて呟いた。

 重い空気漂う中、口を開いたのはカタジニ。

「リリナネはその時三歳になるかならないかだったから、姉の記憶はない。姉のことは何一つ憶えていない。けれど」

 イオワニが承けて続けた。

「娘を失った両親が、残された次女をどう育てたか、容易に想像できるだろう? 二言目には、大魔導師となれ、姉の敵を討て、父親は言い、母親は言う。お姉ちゃんを早く助けてあげて」

「え……」

 母親の言葉の意味を分かりかね、怪訝な顔をしたアオイに、イオワニは言った。

「悪龍誕生の犠牲となった人々は、死んでいないという。蛇身に囚われて、成仏できないまま、苦しみ続けていると。一説にそう言われている」

「そんな……」

 目を見開き、次いでうなだれたアオイ。床の節目を睨み付けた。「そんな非道い話……」


「人々が想像で、そう噂しているだけだ。あまり深く考えるな。考えたところで俺たちには救えん。その話が本当だとしても。救えるのはマアシナの御子だけ。まだ十数年あとの話だ」

 あと、十数年、その人々は放っておくほかない。どうにもできない。それをアオイに教え、イオワニは続けた。

「で、ようやく話は戻る」

「うむ」とカタジニも頷いた。

「俺たちは、御子を人間界に連れ帰るため、命を捨てる。そのことになんの躊躇いもない。シュスに殉じ、シュス同様、喜んで定めの礎となろう」

「が、問題はリリナネも同じつもりでいることだ」

 口を挟んだカタジニの言葉に一つ頷き、イオワニは続けた。

「そう。俺たちが定めの爲に命を捨てる、そのことは良い。名誉ある死、男ならば、そのことを幸せな最後と言うこともできる。少なくとも人々は称えてくれるだろう。クムラギの英雄だと。だが、あいつは女の子だ。女の子の幸せはそうじゃない。俺の古くさい思い込みかも知れんが。愛する人により添い、その相手の子を成し、育て、その相手と一生添い遂げる。アオイ。お前があいつを愛しているならば、お前がその相手になってやってくれ」

「あいつは、簡単に命を捨てるつもりでいる。明日、何事かあれば真っ先に自分が犠牲になろうとするだろう。アオイ。させるな。お前に頼みたいこととは、それだ。御子とリリナネを護り、必ずクムラギへ連れ帰ってやってくれ」


 二人の男は、言いたいことを全て言い終わり、満足げに黙した。口の端に笑みを含み。息詰まる重い空気漂う中。


 アオイはうつむいたまま、右の拳を床についた。言いようのない想いを拳に込め、床を砕かんばかりに力込め。それは、殴りつけたと同様の行為。同じ思い。何か、絶対何か間違っている。心の底から生じた衝動。憤り、否、慟哭に近い思い。

 稲妻の如く奔った、それは、旧来の自我の発露。瞬間顕れた。しかし。

 現在の人格がのみ込んだ。ふっと拳にこめた力を抜いた。静かに問い返した。

「俺に出来るでしょうか……。彼女を、幸せに」


 二人の男は頷いた。笑みを浮かべ。

「お前以外にできぬ」

「頼むぞ。もっとも、今は猫をかぶっているが、結婚したら途端に豹変して劍竜みたいになるかも知れんがな」

 そう言って、カタジニはガハハと笑った。

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