第66話 クムラギ防衛篇

第三章クムラギ篇

一.[盛夏]


 盛夏、である。廟堂の人々の上衣は麻素材の白無地。夏の装い。アオイも白い上衣を着ている。下はくすんだ青を合わせている。見るからに涼しげな装いだが、アオイは感じていた。


 何か無かったか―?


 真夏に暑いに任せて打つ手無し、ではなかったような気がした。窓辺で腕組みして考えていると、ユタが庭に打ち水をしていた。これかな? とも思ったが、これではないような気もした。


 しかし朧な記憶の夏の暑さに比べて、ずっと過ごしやすい暑さだった。ムッと立ちこめる澱んだ熱気、というものは全くなく、廟堂の何処にいても、あるいは道を歩いていても、風が心地よく吹き抜けて過ごし良い。クムラギの街路は大抵硬い土の道なので、打ち水をするとひんやりした冷気が立ちのぼる。粋だなあ、と感じた。


 しかし閉口していることもある。夏用の胴服が仕上がってきていた。夏用とは言え、羽織ると暑い。当然のことながら。なるべくなら着たくないが、着ずに外出しようとするとユタがうるさかった。


「アオイさま。立派な武人の方は、どんなに暑くても胴服を羽織られますよ」


「そう……」


 あきらめて羽織ると、ユタはアオイのその姿をいつも満足げに眺めた。アオイが立派な武人のいでたちをしていることが自慢で仕方ないらしい。


 注文では御納戸茶というくすんだ暗い青色単色のはずだったが、仕立屋が気を利かせて腰変わりの生地で仕立ててくれていた。つまり、腰から下が黒。そして、背中には注文通りのムカデの刺繍。いかにも武人好みの勇ましい図柄。羽織ると、アオイもすっかり、剛健、颯爽とした武人姿となる。


 が、彼は正確には武人ではない。ツフガ側の人間。ツフガ側とははっきりしているものの、魔導師に弟子入りしているわけでも巫術師に弟子入りしているわけでもないので、その身分はお廟のお手伝いの子供と同じ。形式だけ弟子になればいいと、そんな話があればありがたいが、そんな例外的な事柄が簡単に通るほど緩いしきたりではないらしい。以前タパからあった話は、正式に弟子入りして巫術師の修行をする、という話だった。巫術に興味はあったが、現状は魔導師と剣術家だけで手一杯。


 打ち水を済ませたユタに、アオイは言った。窓から声をかけた。


「何かあったんだけどな……」


「何がですか?」

 小首を傾げて問い返すユタに、アオイも首を捻りながら答えた。


「うん。もっと涼しくなる方法……」

「へえ。どうするんですか?」


 アオイは人差し指を額にあてて考え考え答えた。


「ええっと……。先ず窓を全部閉めて……」

「え? 窓を閉めるんですか?」

「うん。そう」


 半信半疑、というよりもあきらかに疑いの眼差しを向けてユタは立ち去った。廟堂の入り口から入ってきてアオイのいる部屋まで来て、バタバタと木窓を閉じた。「で? どうするんですか?」


 アオイははたと困惑した。「何か、あったんだけどな……ちっちゃな白い棒みたいな板みたいな奴……」


 風が遮られムッと空気が立ちこめ、二人とも汗ばんだ。ユタは口を尖らせて言った。

「滅茶苦茶暑いですけど」


「そうだな……。窓、開けようか……」



 彼、アオイセナが巫術師タパの廟堂に逗留して二ヶ月。今では、ここクムラギに、彼の名を知らない者はいない。あれからさらに二度、小規模な襲撃があり、そこでも彼は活躍し名を馳せた。


 円を基本としたその剣技、回転殺法、人々はそれを揶揄して「アオイセナの背中を見たら死ぬ」と噂した。ツバクロ殿というあだ名でもよく呼ばれた。


 そして本当にごく少数だが、彼が始めの頃やった失敗を知っていて、なおかつ彼をからかいたい者は、あの話をした。美貌の剣士が真っ赤になって困惑する様を楽しんだ。あれ以来アオイは、どんなに混雑していても、湯船の真ん中に入るようにしている。




2.[孤児院]


 少女の父が交通事故で帰らぬ人となって、二ヶ月が過ぎた。


 今、少女は施設にいる。


 始めは親戚の家に引き取られたが、そこで問題を起こし、結局ここに来ることになった。


 けれどここにも親戚の家同様、意地の悪い子がいて、いつも諍いになった。勿論、優しい大人の人もいるが、今では彼女も理解している。自分のことは自分で護らなければいけないこと。大人の味方は役に立たない。一度負けたら、終わり。


 意地悪な子達と口汚くやり合いながら、けれど彼女は思っていた。いつも。


 パパ、お願い。私を迎えに来て。私をこの嫌な世界から連れ出して。お父さんの所に行きたいよう。

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