第33話
翌朝、朝食前にリリナネの部屋に行った。引き戸の前に座り、ノックして声をかけた。「あの……アオイです」
返事はない。いないのかな、と思ったが、どちらとも言えない。会いたくないから顔を出さないのかも知れない。
勇気を出して言った。
「あの……、昨日はすみませんでした。手紙を置いていきます。読んでください」静まり返った戸の前に手紙を置いた。
扉は開かない。アオイはあきらめて自分の部屋に戻った。
いつものようにユタと朝ご飯を食べた。食べながら話した。
「もう元気になったんだから、俺も何か手伝うよ。掃除とか」
ユタは目を丸くしたけれど嬉しそうに笑った。「いいですよ、そんな……。悪いですから……」
断ったけれど顔を見れば一緒に掃除をやりたそうだった。
「気にするな。ご飯の後はどこの掃除をするんだ?」
「お庭だけど……悪いですから」
断っているが顔がにやけていた。俺と掃除をするのがそんなに嬉しいのか、と思った。
●
大きな箒を手に、アオイとユタは庭に出た。二人だけだった。
「二人だけなのか。他の子は?」
「分担があるから。お風呂掃除とか、食器洗いとか」
「じゃあ、いつもこの庭を一人で掃除してたのか?」
「ううん。交代制だよ。みんなと食器洗いをすることもあれば、マアシナさまのお部屋を掃除することもあるよ。庭は掃くだけだからみんな大抵一人でやるよ」
「そうか。タパ様に言って、俺も当番に入れてもらうよ」
「うん。僕はアオイさまと一緒の当番がいいな」
「頼んでみるよ」
「ほんとに?」
そんなことを話していると。
浴堂の方からリリナネがやって来た。物凄い勢いで、つかつかと。着物がびしょ濡れだった。ズボンは勿論、上衣の袖口も。
アオイは女の人のそんな表情を何と言うか憶えていた。確か、柳眉を逆立てて、だった。けれど、龍眉を逆立てて、が正しい気がした。
アオイの前に立ち、キッと睨み据えた。紅鳶の眸を炯炯と光らせ。
「返すわ」ずぶ濡れの手紙を突き出した。彼の書いた手紙だった。
「こんな嘘八百で誤魔化そうなんて」怒気を孕み冷たく言った。
「いえ、あの、本当です……けど」
「無かったわよ」
「え……?」
「種なんて何処にも無かったわ」
ずぶ濡れの理由が分かった。
「いや、でも……」
「返してくれる?」
「え……何を?」
「私の赤い石」
龍翅に附けてくれた石のことだと分かった。
「これは戦場で死なないようにとかのおまじないの石じゃ……」
「死になさい」
冷凍呪を喰らったかと思った。
アオイは手を差し出した。それを見てリリナネはムッと眉をしかめた。綺麗な眉がとんがった。しかし唇を固く結ぶと、手を伸ばし紐を解いた。自分の石を取り戻し、残りの石をアオイの手に突き返した。無言でくるりと背を向けた。
「あ……リリナネさん、紐」
ふり向いてもくれなかった。肩を怒らせて疾風の如く立ち去った。
紐を結ん……結んでくれるわけないな……。
ユタが怯えた目をして言った。「怖かった……」息が出来なかった様子。
「ああ……」廟堂の入り口へ消える後ろ姿を見送りながらアオイは答えた。「怖かったな」
ユタは申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさい。手紙、あんまり効果なかったね」
「そんなことないさ。それより、これ結んでくれるか」龍翅と石を通した紐を手渡した。
「うん」
紐を結びながらユタは言った。
「きっと男湯の方に流れていっちゃったんじゃないかな。だからリリナネさんが捜してもなかったんだよ」
「そうかもな……」
「今から浴堂に行って僕たちで捜してみようよ。今日のお風呂掃除の当番にはリュウもいるから」
しかし無駄だった。浴堂にいたリュウ少年は言った。
「浴槽のお湯を抜こうとしていたら、リリナネさまが慌てて飛び込んできて「待って、待って」とおっしゃるのです。そのままお湯に飛び込んで一生懸命何かを捜してました。種だとおっしゃってました。君は見なかった? と何度も訊かれました。けど結局見つからなかったみたいで、男湯の方まで……」
「え? じゃあ、男湯の方も捜したの?」
ユタが訊くとリュウ少年は頷いた。
「そのあとお湯を抜きながら僕も気を附けて見てたんだけど……何もなかったよ」
種みたいな小さな物が簡単に見つかるとは思えなかったが、全く影も形も消えてなくなるのは不思議だった。
「誰かが踏んづけて割れちゃったのかな」
「でも、それだと欠片がないとおかしいじゃない」
二人の少年はしきりに不思議がっていた。アオイは、種はもうどうでも良かった。それよりも、リュウ少年が話したリリナネの様子が少し嬉しかった。一生懸命捜してくれたという。
きっと一生懸命信じようとしてくれたんだ、そう思うことにした。
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