第12話

「一緒にお手伝いしてる同い年のリュウミチモリ(龍・道守)だよ」


「こんにちは」リュウ少年はペコンと頭をさげた。


 ユタの目は綺麗な二重だったが、こっちの少年は切れ長の一重だった。ユタと違って口数が少なく物静かな感じの少年だった。

「お風呂から上がったらこちらにお召しかえ下さい」と着物を差し出した。


 広げてみると、くすんだ暗い灰緑色の着物で、花をつけた桃の樹に山鳩を配した図柄が描かれていた。

「しゅごい渋ひな。こえってタピャしゃまがくえ……くれゆのら?」


 二人とも噴出して笑った。ユタ少年が言った。


「まだ口が廻らないんだね。この着物も、アオイさまが今着ている着物も、近所の人が不用品を持ち寄った物なんだ。はい。これは肌着と手拭。石鹸や木桶は浴堂にあるからね」


 肌着と手拭を渡された。見ると二人の少年も着替えと手拭を持っていた。


「いっひょに入ゆのか?」

「みんなで入った方が楽しいでしょ」少年は笑顔で答えた。


 廟堂の廊下を、二人の少年が先を歩き、アオイは後からついて行った。やがてお廟の玄関らしき場所に着いた。大きな両開きの木戸が開け放たれ、下足置き場がある。


「浴堂ってお廟のしょと(外)にあるのか」少し呂律が戻ってきた。

「うん。そうだよ。同じ敷地の中だけど」ユタ少年が説明した。


 土間に見覚えのある靴があった。


「これは、……俺の……」

 ユタ少年が笑顔で言った。

「そうだよ。アオイさまが履いていた靴。洗って干しておいたんだ。変わった靴だね」

「うん。オニツカって言うんだ……」

「へえ……」


 靴を見て懐かしい思いがした。目に馴染みのある物体。何故こんなに懐かしく感じるのか自分でも分らなかったが。


 処が自分の靴は見覚えあったが、二人の少年がそれぞれ下足箱から取り出して履いた靴はまったく目に馴染みのない物だった。短めのブーツのようであり、しかし筒部分がぶかぶかで、キレイな毛皮で飾られている。


「それは……?」

半靴ほうかだよ」

「ふーん……」


 履いてみると、今着ている服に自分の靴は似合わなかった。少年達が履いている靴の方が似合っていた。俺はどんな服を着ていたんだろう。少し考えたがそれもまた霞の向こうだった。


 それから、オニツカ。見た瞬間これはオニツカだと思ったが、ほんとにそんな名前だったのか。


 靴がオニツカって意味が分らないじゃないか––。勿論、靴がホウカの意味も分からなかったが。


 外に出ると掃除の行き届いた広い庭だった。玉砂利が敷かれていた。その向こうは白い塀。そして屋根のある立派な門。


 二人の少年は左手へ向かった。


 廟堂と軒を並べて、高い瓦屋根の大きな建物があった。それが浴堂だった。木の格子がはまった窓から、湯気と人々の楽しげな声が漏れ聞こえていた。


 白い土壁に沿って進むと、壁が途切れた。そこは吹き抜けの広い板の間だった。沢山の湯上りの人で賑わっていた。飲み物を飲んだり歓談したりして涼んでいた。


 そこを通り過ぎると広い入り口。廟堂と同じ、大きな両開きの木戸。開け放たれていた。広い土間に乱雑に靴が並んでいて、それを見たユタ少年は口を尖らせ、ちょっと生意気に言った。


「まったく。今日の下足番は誰だい? さぼってるよ」

 リュウ少年が首を傾げて答えた。

「年上の子達じゃなかったかな」

 二人の少年は散らかっていた靴を手早く両脇の棚に並べた。

「さあ。アオイさま、上がってください」

 ユタ少年はちょっと得意げだった。


 その後も先頭に立って休憩所を横切り脱衣所へ案内してくれた。籠を持ってきて「これに着替えと脱いだ服を入れて棚に置いておくのです」と、物知り顔で説明してくれた。そのくらい憶えているつもりだったが、何も言わず笑って頷いた。


 アオイは何となくこの少年の気持ちが分るような気がした。もし自分の想像が正しくて、この少年に家族がいないのなら。


 湯殿は広かったが想像していたほど広くはなかった。一体俺は何を基準にして想像していたのかな、訝しく思った。


 大きな湯船がひとつ、と言うのも物足りなかった。しかし、風呂に湯船があれば他に何が必要なのか、今ひとつ自分の期待していたものが自分でつかめなかった。


 広い湯船の周りで皆体を洗っている、そのスタイルも違うような気がした。しかし、なら体は何処で洗うんだ? と自問自答してもよく分らなかった。



 三人並んで湯船に浸かった。ユタ少年はほんとに話し好きで色んなことを話した。リュウ少年は口数が少なくておとなしかった。けれど楽しそうだった。暫らく浸かるとユタ少年はこまっしゃくれた口調でアオイを促した。


「さあ。アオイさまは長湯をしちゃいけないってお医者さまに言われてるんですから、そろそろあがらないと駄目ですよ」


 アオイは苦笑いして、黙って従った。


 それから三人湯船の側に並んで、体を洗い、髪を洗った。額にお湯がかかると、やはりまだ痛んだ。泡が沁みて痛かった。


 髪を洗い終わり隣りを見ると、二人の少年はまだ髪を洗っていた。リュウ少年は上手に自分の髪を洗っていたが、ユタ少年はへたくそだった。不器用に手を動かしていた。


 アオイは笑って言った。


「かしてみな」

「え……?」

「頭をこっちに出しな」


 少年は意味が分ったのか、おとなしく自分の頭を差し出した。アオイは石鹸を泡立て、少年の髪を洗ってやった。


 それよりも。さっきから彼は気になっていた。髪を石鹸で洗ってたかどうか。


 しかし石鹸で洗わなければ何で洗うんだ? と自問自答しても、なにやら不思議なクチバシ附きの瓶が頭に浮かんだだけで、結局分らなかった。


 髪を洗い終わりお湯で流してやると、ユタ少年は照れくさそうに「ありがとう」と言った。


 風呂をあがって休憩所で涼んだ。


 そこは正式には飲食所と言うらしい。気持ちよい風が吹きぬけていた。裏手の井戸の側に飲み物を用意した露店があり、水を張った桶に綺麗なラベルの瓶を沢山冷やしていた。


「僕達はお金を払わなくても貰えるんだよ」


 ユタ少年はそう言って瓶を三本持ってきて、一本を彼に渡した。見慣れないラベルの瓶の中身はレモンジュースだった。


 三人でジュースを飲み涼んでいると、近所のおばさんらしき人がユタ少年を手招きして呼んだ。何か頼み事をしているようだった。


 戻って来たユタ少年は言った。

「ちょっと用事を頼まれちゃったから僕は行くね。アオイ様はゆっくり涼んで行ってね」

 それから浴堂を出て庭を走って行き、見えなくなった。


 うまい具合にリュウ少年と二人残されたので、気になっていた事を訊いてみようとアオイは思った。


「君とユタは仲が良いの?」

 リュウ少年はにっこり笑って答えた。

「はい。ずっと以前から、同じ先生の所で剣の稽古をしてました」

「へえ。剣道やってるんだ」

「剣ど……?」

「あれ。何だっけ……。剣法? 剣術? いや、いいや。それより、君もここで暮らしてるの?」

「いえ。僕は家に帰ります」

「じゃあ、ユタは……? 家族がいないの……?」


 リュウ少年は顔を曇らせた。口ごもりながら言った言葉はアオイを心底驚かせた。ある意味予想していた通りだったが、その実、まったく想像できなかった答え。


「ユタは……二年前。お父さんもお母さんも……、妹も、蠻族に殺されて……。ユタも殺されそうだったところを、駆けつけた人々に助けられたのです」


 アオイは目を見開いたまま暫らく口が聞けなかった。リュウ少年は目を伏せて黙っていた。


「バン族……。バン族って? どんな奴等……?」


小鬼族しょうきぞく蜥人せきじんです……」


 教えてくれてもまったく分らなかった。そいつ等がどんな奴等でもどうでもよかった。関係なかった。糞野郎に違いなかった。


 ユタの事を思った。明るいその口調や笑顔を思い出し、見開いた目に涙が滲んだ。


「それ以来ユタは剣がまったく駄目で……。足が竦んでしまうそうなのです……。二年経つ今でも、剣を握ることが出来ません……」


 あまりにも悪意ある暴力の経験は、人の心を破壊する。怒りも憤りも奪い、生きる本能さえ萎えさせる。恐怖は、一度人の心を捕えると容易には解放してくれない。


 アオイは少年の心に刻まれた傷を思い、言葉を失った。何も言えなかった。膝頭を抱えて、顔を伏せた。膝で目を擦って、滲んだモノを誤魔化した。


 家族のいない少年が、記憶を失った旅人に親近感を感じ、世話を焼いてくれている、そう思っていた。ほぼそうだったけれど、まったく違っていた。


 甘かった。こんなこと想像できなかった。

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