第242話 小豆はあずきと読まないらしい。

 調理室用の靴に履き替え、望田もちださんと一緒に調理室から倉庫へ向かう。

 ここは、常温保存が可能な調理用の食材が置いてある倉庫である。


「使う材料は、しょうず2袋と砂糖3袋だよ。一緒に運ぼう!」

「すみません。砂糖は分かりますけど、『しょうず』ってどれでしたっけ?」


 醤油しょうゆとお酢でしょうず? 「餃子ぎょうざのタレ」のようなものだろうか。


「ダビデさん、『しょうず』っていうのは、これの事だよ」


 望田さんは、砂糖の袋の隣にある小豆あずきの袋を指差す。


 たしかに、小豆は普通に読めば「こまめ」か「しょうず」で、「あずき」と読ませるには無理があるような気がする。


 なぜこれで、みんな「あずき」と読めるのだろうか。


「『しょうず』が正解でしたか。僕は、ずっと『あずき』だと思っていました」

「『あずき』で正解だよ。『しょうず』って呼ぶのは、職人さんだけだから」


 なるほど。「しょうず」というのは、職人さんが使う専門用語なのか。


「専門用語をさらっと使えるなんて、望田さんはカッコイイですね」

「恥ずかしいからやめて~! やっぱり、これは『あずき』ねっ!」


 僕は思った事を口に出しただけで、からかうつもりは全く無かったのだが、望田さんは、僕にからかわれたと思っているらしい。まあいいか。


 小豆と砂糖は、どちらも1キロの袋なので、全部で5キロ。

 お米だと5キロで1袋だから、それに比べたら楽に運べそうだ。


「小豆と砂糖って事は、もしかして、お汁粉を作るんですか?」


「お汁粉も作れるよ! 今から作るのは、お汁粉じゃなくて餡子あんこなんだけどね。前日に餡子を作っておいて、当日は、それを材料にして桜餅さくらもち草餅くさもちを作るんだよ」


「桜餅と草餅ですか、いいですねー。それでは、僕が4袋持ちますから、望田さんは1袋お願いします」


 僕が全部運んであげてもいいのだが、それだと「一緒に運ぶ」という条件を満たせないので、ここは「1袋だけ持ってもらう」というのが正解な気がする。


「さすがダビデさん、頼りになるね!」

「このくらいなら楽勝ですから、どんどん頼って下さい!」


 4キロくらいなら、オトコにとっては、たいした重さではない。

 報酬が望田さんの笑顔なら、僕の方がずっとお得だ。






「まず、ざるに小豆を入れて、水で洗います。こんな感じね」


「えーと、こんな感じですか?」

「そうそう。上手、上手!」


 僕は、望田さんの隣で、望田さんのマネをする。

 小豆の殻は、けっこう硬いようで、シャラシャラと、いい音だ。


「洗い終わったら、この2つのなべに1袋分ずつ入れるよ」

「つまり、全部入れちゃっていいって事ですね」


 コンロに載せられた2つの鍋に、洗った小豆を流し込む。

 鍋は、どちらも大容量の両手鍋だ。


「小豆を全部入れたら、水をたっぷり入れて、強火ででます」


 望田さんの鍋を見ながら、僕も同じように作業する。

 今のところ、特に難しい事はないようだ。


「この後しばらくは、鍋を見守っているだけだよ」


「時間は、どのくらいですか?」

「30分くらいかな? ぐつぐつ煮込んでも平気だから」


「それまでに、何かする事は?」

「鍋を見ているだけだとヒマだから、ダビデさんが、何かお話してよ」


「お話ですか? それは困りましたね」

「なんで? ダビデさん、いつも、私達と普通にしゃべってるよね?」


「僕は普段、みんなの話を聞いて感想を返しているだけなので、自分から話を振ることは、ほとんどないですから。望田さんは、どんな話が聞きたいですか?」


「じゃあ、部活の話とかは? 管理部では、どんな事をしてるの?」

「そうですね。昨日は、売店でセールの準備をしていました」


「そっか、もう3月だもんね。セール品って、どんなのがあるの?」

「主に衣料品と文具です。なんと、ブラジャーが半額ですよ!」


「ホント? サイズは、いろいろあるの?」


「たしか、ほとんどが【B65】サイズのものだったと思います。まだ、いくつか残っていますよ」


「いいねー! それなら私にも合うよ。後で見に行くね!」


 つまり、望田さんのバストは約78センチという事か。 (第96話参照)

 これは、花戸はなどさんやリボンさんと同じサイズだ。 (第183話参照)


「よろしくお願いします。望田さんのブラのサイズは【B65】ですね。ちゃんと覚えましたから」


「そんなの覚えなくていいよー!」


 英単語や化学式は、覚えろと言われても、なかなか覚えられないのに、こういう事は、覚えなくていいと言われても、すぐに覚えてしまう。実に不思議だ。






「水が赤くなったら、一度火を止めて、水を入れ替えるよ。鍋が熱いから気を付けてね。鍋つかみは、好きなのを使っていいからね」


 30分程経過し、望田さんの指示に従い、鍋の水を入れ替える。

 この作業は、鍋が大きいと1人では難しいので、2人掛かりだ。


「水を入れ替えたら、また強火にして、もう一度沸騰させるよ。沸騰したら、今度は弱火にして1時間くらいかな?」


「1時間ですか。けっこう大変ですね」


 望田さんが鍋に入れた水の量は、豆が丁度浸るくらい。

 蒸発して水が減ってしまったら、その都度、水を補充する必要があるらしい。




「じゃあ、鍋を見ながら、また何かお話しようよ!」


 鍋の様子を見守りながら、望田さんとの会話を続行する。話題に乏しい僕が会話を繋ぐには、やはり、こちらから質問するのが良さそうだ。


「小豆の袋は、倉庫にまだありましたけど、和菓子以外の料理にも使ったりするんですか?」


「もちろん使うよ。良く作るのは、お赤飯かな?」


「お赤飯ですか。たしかに小豆が入っていますね。僕も、食堂で1回だけ食べた事があります。あれは、裏メニューなんですか?」


「寮の自主ルールで、妹のお祝いに、姉が4人分まとめて注文する事になってるんだけど、あれは人によって時期がまちまちだからね」


「本人は恥ずかしがっていましたけど、あれって、どうなんですか?」


 僕が食堂で赤飯を食べたのは、去年の10月。

 ネネコさんの、お祝いの時だった。 (第146話参照)


「中には嫌がる子もいるけど、部屋のみんなでお祝いする事によって、あれは悪い事じゃないんだよ――って教えてあげる意味合いもあるし、他のルームメイトも知っていた方が、サポートしてあげやすいでしょ?」


「なるほど。そういう意味があったんですね」


「――あっ、水が減ってるから、そっちの鍋にも、少し水を足した方がいいよ」 

「分かりました」


 会話を続けながらも、望田さんはしっかりと鍋を見張ってくれている。

 僕も、会話に夢中にならないように気を付けなければ。


「そういえば、ダビデさん、カノジョとは上手くいってるの?」


「お陰様で、今日は、お昼を一緒に食べる約束をしていますし、その後も、2人で一緒に遊ぶ予定です」


「今は私と2人きりだけど、いいの? カノジョに怒られちゃったりしない?」


「それは、全く問題ないですよ。僕のカノジョは心が広いですし、そもそも、他の女の子と会話しちゃダメなんて言われても、ここでは不可能ですから」


「そうだね。それならいいんだけど」


 望田さんは、鍋の中だけでなく、僕の事まで気遣ってくれるいい人だ。

 今日は、ここに来て良かった。


「望田さん、小豆が割れて来たみたいですけど、これは、いいんですか?」

「うん、このまま全部割れるまで、弱火でじっくりだよ」






「そろそろいいかな。ダビデさんも試してみて!」


 再沸騰させてから、約1時間後。

 望田さんは網杓子あみじゃくしですくった小豆を、フーフーと冷ましてから口に入れる。


「はい、僕も食べてみます。……これは、苦い粒餡つぶあんって感じですね」

しんが残っていないかどうか、いくつか試してみてね」

「分かりました」


 いくつか試食してみた結果、どれも同じような感じだった。

 特に芯が残っているという事もないようだ。


「大丈夫なら火を止めて。鍋に水を足して冷やすから、協力してね」

「分かりました。お鍋を流しに運べばいいんですね?」


 水の入った重い鍋を持ち上げるのは、僕の仕事だ。

 先程より水は少ないが、鍋はまだ熱いので、鍋つかみは必要である。


「ありがとう。じゃあ、水を足すよ。崩れないように、ゆっくりとね」

「崩れないように、ゆっくりと――ですね」


「ある程度冷えたら、中身を笊に移すから、また協力してね」

「分かりました」 


 望田さんの指示に従い、今度は笊の上に静かに鍋を傾ける。

 1キロだった小豆が、水を吸って、だいぶ重くなっているようだ。


 2つの鍋から2つの笊に移して、そのまま水を切る。


「水を切ったら、また鍋に戻すよ」

「水を切ったのに、また、お鍋に戻すんですか?」

「このままじゃ、甘くないでしょ?」

「そうか。今度は、お砂糖を入れるんですね」


 2つの笊に載った茹で小豆を、再び2つの鍋に戻す。

 そして、望田さんは得意げに砂糖の袋に穴を開けた。


「1袋、全部入れちゃうよっ!」

「いいんですか? そんなに入れちゃって」


「小豆と砂糖の割合は、2:3っていうのが、生娘寮の伝統だからねっ!」

「……って事は、あと500グラムですね」


 僕も望田さんと同じように、1袋分の砂糖を自分の前の鍋に入れ、最後の1袋は均等に分けて両方の鍋に加える。これが生娘寮伝統のレシピらしい。


 それで、砂糖は3袋だったのか。小豆よりも砂糖の方が多いなんて驚きだ。


「桜餅も草餅も、甘いほうがおいしいでしょ?」

「そうですね。僕も、そう思います」


 小豆に砂糖をまぶして鍋を再び火に掛けると、甘いにおいがする。


 しばらく煮込んで水分がなくなったら火を止め、後は、しゃもじで小豆をひたすらつぶすだけだった。


「ありがとう。ダビデさんが作ってくれた餡子だから、きっとアマアマだよね!」

「あははは、どういたしまして。これだけ砂糖を入れたら、そうなりますよね!」


 ようやく餡子が完成し、望田さんと笑顔を交換する。この後、2人で味見をしたのだが、この餡子が僕の予想以上にアマアマだった事は言うまでもないだろう。


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