第241話 ひな祭りの準備が始まるらしい。

「ネネコさん、今日は、お昼も一緒にどう?」


 朝食を食べ終えたばかりだというのに、僕はかわいいカノジョを昼食に誘う。

 今日は水曜日。ネネコさんと2人きりで遊ぶことを許されている日である。

 これは、断られるリスクがほぼゼロである事を確信した上での行動だ。


「べつにいいけどさ。お姉さまとロリはどうするの?」


「ふふふ……、私は遠慮させてもらいます。試験が終わったのですから、いつもより長い時間、カレシに甘えるのもいいと思いますよ」


「ポロリはね、今日は、お昼ご飯を作るの。お昼は2人で食堂に食べに来てね」


 この話は昨日ポロリちゃんから聞いていたし、僕がネネコさんを昼食に誘う事は前もって天ノ川さんに許可を取っておいた。我ながら完璧な作戦だと思う。


「マジ? ミチノリ先輩と2人きりって事じゃん!」

「もちろん、僕は、そのつもりで誘ったんだけどね」


 ネネコさんは切れ長の目を丸くした後、少し恥ずかしそうに目を細くする。

 僕の言動に対する反応が、以前よりもカノジョっぽくなってきたようだ。


「えへへ、ネコちゃん、前よりも、かわいくなったの」

「ふふふ……、最近は、カレシの夢まで見るそうですよ」


 お昼の約束もしたし、これで午後からは、ネネコさんとゆっくり遊べる。

 自分の用事は、午前中に全て済ませておくことにしよう。






 自室でスウェットから制服に着替えて、校舎内の売店へ向かう。


 昨日、値下げした商品は、どのくらい売れただろうか。そんな事を考えながら売店に行くと、副店長のカンナさんが「管理部」と書かれた腕章を着けて、せっせと売り場を整えてくれていた。


「いらっしゃいませーっ! ――なんだ、ダビデ店長かぁ」


「おはようございます、カンナ副店長。素晴らしい接客だと思ったのに、そこで、がっかりしないで下さいよ」


「だって、先輩は半額のブラとか、買わないでしょ?」

「残念ながら、僕に女装の趣味はないですからね」


 半額セールのブラジャーは、どれも標準的なサイズなので、ルームメイトに勧めようにも、約1名にはサイズが全然足りないし、残る2名には逆に大きすぎる。


「じゃあ、何しに来たの?」


「カンナさんと同じですよ。セール品の売れ具合を確認しようかと。あと、発注業務は、午前中に終わらせておきたいので」


「ふーん。午後からは、またサボるんだ?」

「外せない用事がありますから。カンナさんこそ、今日はどうしたんですか?」

「ブーちゃんが補習に行っちゃって、ヒマだったから」


 ブーちゃんとは、カンナさんのルームメイトである高木たかぎ初心うぶさん。カンナさんと高木さんは、うちのロリ猫コンビと同じように、とても仲がいいようだ。


「高木さんって、そんなに成績が悪いんですか?」

「そんなに悪くはないんだけど、理科は特に苦手みたい」

「理科が苦手な人は、結構、多いみたいですね」


「そうそう。3年生で補習を受ける子は、5~6人くらいかなぁ」

「4年生も、多分、そのくらいです」


「そんな事より、私も発注業務をやりたいんだけど、やってもいい?」

「それは助かります。カンナさんには、雑貨の発注をお願いします」

「やった! かわいいのを発注しちゃおっ!」


 ここで言う「雑貨」とは、衣料品や文具などを含んだ食品以外の商品である。


 基本的には売れた分を補充するように発注すれば良いのだが、新商品を発注するときは、売れるものかどうかの見極めが必要となってくる。


 そのあたりのセンスは、カンナさんのほうが僕よりもずっと上なので、僕がやるよりも、発注の精度は高くなるはずだ。


 カンナさんに雑貨の発注を任せ、僕は食品や飲料の発注を終わらせる。

 お陰様で、所要時間は、いつもの半分くらいだった。






 その後、しばらくカンナさんと部室で休憩していると、防犯カメラのモニターにクラスメイトの百川ももかわつくねさんの姿が見えた。


「あっ、ツクネ先輩だ」

「何か買ってくれますかね?」


 百川さんは、店内をキョロキョロと見回しており、誰かを捜しているようだ。


「もしかして、ダビデ先輩を捜してるんじゃない?」

「そうかもしれません。ちょっと、見てきますね」


 僕はカンナさんに声を掛けて、すぐに売り場へ出る。

 百川さんは僕に気付くと、こちらへ向かって、すたすたと歩いてきた。


「甘井さん、ごきげんよう。よかった。こちらにいらしたのですね」

「百川さん、ごきげんよう。何かあったのですか?」


「はい。もし、お時間がございましたら、今から、ひな祭りの準備に協力して欲しいのですけれど、いかがですか?」


「ひな祭りの準備ですか。午前中だけでもよろしければ、構いませんよ」


「ありがとうございます。ツクネは今日、ヨモギと約束をしていたのですが、お恥ずかしい事に補習の呼び出しを受けてしまいまして、今から行かなくてはなりません。それで、甘井さんに、ツクネの代わりに調理室へ行って欲しいのです」


 百川捏さんと望田もちだよもぎさんは、共に料理部員。百川さんのいう調理室とは、調理実習用の教室ではなく、寮の食堂の厨房ちゅうぼうの事である。


「分かりました。僕は百川さんの代理として、望田さんのお手伝いをすればいいのですね?」


「そうです。詳しい事はヨモギに聞いて下さい。ツクネは補習が終わり次第、調理室へ向かいますので、よろしくお願い致します」


「はい。百川さんは、補習、頑張って下さい」

「では、また調理室で」

「いってらっしゃい」


 僕が百川さんに呼ばれたのは、料理部の協力者として登録されているからで、普段は、生理休暇を取る人の代わりを務める事が多いのだが、急に先生から呼び出しを受けたのなら、これも似たようなものだろう。




「――という訳なので、お先に失礼します」

「そっか、明日は、ひな祭りだもんね。お手伝い頑張ってね!」


 百川さんを見送った後、僕はカンナさんに事情を説明し、調理室へ向かった。

 カンナさんは、売店で高木さんの帰りを待つらしい。






「ダビデさーん! 来てくれたんですねー!」


 料理部の部室に入ると、割烹着かっぽうぎ姿の望田さんが笑顔で迎えてくれた。

 望田さんは、4年生の教室では僕の斜め前の席に座る、明るくて面白い人だ。


「お待たせしました。今日は、僕が望田さんの助手を務めさせていただきます」


「ありがとう! ツクネもマキもツミレも補習になっちゃってさぁ、107イチマルナナ号室で無事だったのは、私だけだよ。私って、エライでしょう?」


 百川さんだけでなく、1年生の磯辺いそべ真姫まきさんと丸井まるい摘入つみれさんも補習らしい。


 ちなみに、磯辺さんは望田さんの妹で、丸井さんは百川さんの妹だ。百川捏さんは3姉妹の末っ子なので、丸井さんは「百川6姉妹の末っ子」とも呼ばれている。


「料理部員は大変ですよね。勉強する暇も、あんまりなさそうですし」

「ツクネは、英語が極端に苦手なだけなんだけどね。他は私よりも成績いいし」

「そうでしたか」


 百川さんは、和服が似合うタイプなので、英語は似合わないのかもしれない。

 僕も英語はあまり得意ではないので、偉そうなことは言えないのだが。


「じゃあ、チャッチャとこれに着替えちゃって! さっきまで、ナコちゃんが着てたやつだけど、いいよね?」


「僕は構いませんけど、このサイズの白衣は、もう1着ありませんでしたっけ?」


 大きいサイズの白衣が少ないので、大間おおまさんと共用になってしまうのは仕方がないが、僕が着た後に、また大間さんが着るのであれば、申し訳ない気がする。


「洗濯当番の子がサボってて、もう1着は、まだ乾いてないみたい。ごめんね」

「分かりました。ちょっと待ってて下さい。すぐに着替えますから」


 上着をハンガーに掛け、代わりに白衣を着る。

 続いて、白衣とセットの白い帽子をかぶれば、着替えは完了だ。


「はやっ!」

「オトコの着替えなんて、こんなもんですよ」


 女子はセーラー服の上から着るので、もっと速かったりしないのだろうか。

 まあいいか。


「それで、僕は何をすればいいんですか?」


「じゃあ、まずは倉庫まで一緒に行こっ! あっ、2人きりだからって、倉庫の中でエッチな事は、しちゃダメだからねっ!」


「分かりました。倉庫の外でなら、エッチな事をしてもいいのですね?」

「それは、もっとダメだよっ!」

「あははは、もちろん冗談ですよ」


 ひな祭りの準備は、午前中の暇つぶし程度に考えていたのだが、望田さんと一緒なら、けっこう楽しめそうだ。

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