第238話 熱がある訳ではなかったらしい。

 今日は2月28日の月曜日。

 補習期間につき、期末試験の成績が悪かった人以外は試験休みだ。


 朝食の時間は普段と同じなので、僕はいつものようにネネコさんを起こしてあげる為に、お隣の2段ベッドの上段に掛けられている梯子はしごを上る。


 かわいいカノジョの寝顔を観察できる事は「カレシの特権」であり、その特権を毎日のように行使できる事は「ルームメイトの特権」だ。


 ネネコさんが起きたら、どんな会話をしようか。――そんな事を考えながら梯子を上り、カノジョの寝顔が視界に入ったところで、僕は異変に気付いた。


 かわいい寝息をたてて眠っているはずのネネコさんが、少し口を開けて、まるで悪夢にうなされているような荒い息をしている。顔も少し赤いようだ。


 もしかして、熱でもあるのだろうか。


「――天ノ川さん、大変です! ちょっと来てください!」


 僕は急いで梯子を下り、ネネコさんのお姉さまである天ノ川さんに報告する。


 もし、ネネコさんが新型コロナウイルスに感染していたら、生娘寮でクラスターが発生してしまう可能性もあるし、僕も既に感染している可能性がある。


「甘井さん、ネネコさんが、どうかしたのですか?」

「ネネコさんの様子が変なんです。確認してもらってもいいですか?」

「それは心配ですね。分かりました」


 パジャマ姿の天ノ川さんは、すぐに梯子を上り、ネネコさんの様子を見る。

 僕は子守こもり先生をすぐに呼べるように、ベッドの横で待機する。


「うわっ! ちょっと、ネネコさん! ――甘井さん、助けて下さい!」


 今度は天ノ川さんが僕に助けを求めている。いったい何があったのだろうか。


 僕は大急ぎで、ポロリちゃんのベッドに掛かっている梯子を外して、天ノ川さんが上った梯子の隣に掛ける。梯子を上ると、天ノ川さんの上半身はネネコさんに下から抱きつかれていて、身動きが取れなくなっていた。


 美しい姉妹愛である。

 これが百合ゆりというヤツか。――なんて、見蕩みとれている場合ではない。


 もし、ネネコさんが本当に新型コロナウイルスに感染していたら、これは間違いなく濃厚接触。天ノ川さんが助けを求めているなら引き離してあげなければ。


「ネーちゃん、朝だぞー!」


 僕は大きな声で「覚醒の呪文」を唱えた。

 この場合は観察など後回し。ネネコさんを起こす事が最優先だ。


「……あれ? ……お姉さま? ……ミチノリ先輩はどこ?」


 ネネコさんは、すぐに目を覚まし、抱きしめていた天ノ川さんを解放する。


「僕はここだよ。ネネコさんは大丈夫? うなされていたみたいだけど」

「熱は……、ないようですね」


 天ノ川さんは、自分のおでこをネネコさんのおでこにくっつけて、ネネコさんに熱が無い事を確認する。美しい姉妹愛は、ビジュアル的にも最高である。


「ごめん。ボク、ちょっと寝ぼけてたみたい」

「ネネコさんは、いったい、どんな夢を見ていたのですか?」

「ミチノリ先輩とエッチな事してた。ミッチー、チョーエロかった」


 ネネコさん、お姉さまの前で何て事を!

 それに「ミッチー」って悪の組織の名前だったのでは? (第230話参照)


「ふふふ……、どうやら私はお邪魔だったようですね」

「すみません。僕の勘違いで、お騒がせしてしまって」


 冷静になってから考えると、僕と「仲良し」している時のネネコさんの表情は、いつも、あんな感じだったかもしれない。


 ネネコさんが僕の事をどのくらい好きなのかは分からないが、夢に見てしまうほど僕の事を想ってくれているのなら、それは、とても嬉しい事だ。


「ミチノリ先輩は、どう勘違いしてたの?」

「ネネコさんが悪夢にうなされているのかと思って、心配したよ」

「そんなわけないじゃん」

「熱がなくて何よりです。それでは、食堂へ行きましょうか」

「はい。お姉さま」




 猫耳の着ぐるみパジャマを着たネネコさんは、まだ寝ぼけているのか、廊下で僕の左手に指を絡ませてきた。朝っぱらから、お姉さまの前でこんなことをするような人ではなかったはずだが、もしかして、欲求不満なのだろうか。


「2人は、本当に仲がよろしいのですね。少しうらやましいです」

「もしかして、お姉さまも、カレシが欲しかったりするの?」

「そうではありません。私は妹が姉から離れてしまうのが寂しいだけです」

「ボクがお姉さまから離れるわけないじゃん」


 ネネコさんは、僕と手を繋いだまま、反対側の手を天ノ川さんと繋ぐ。

 3人で廊下を塞いでしまうくらいの幅であるが、もうロビーの入口だ。


「ふふふ……、これでは甘井さんと私が夫婦で、ネネコさんが娘みたいですね」

「マジ? ボクは、別にそれでもいいけど。パパもママも若い方がいいし」

「ネネコさんがそれでいいなら、僕も、その設定で全然構わないよ」


 こんなに綺麗きれいな女性と結婚して、こんなにかわいい娘を産んでもらう為には、年収1000万円は楽に稼げる男性じゃないと、全く釣り合いがとれない気がする。


 僕がこんな風に楽しんでいられるのは、きっと、この寮にいる今の内だけだ。


「じゃあ、ロリはボクの妹ね」

「ふふふ……そうですね。鬼灯ほおずきさんだけ仲間外れにする訳にはいきませんね」




 食堂前のロビーには、早朝から各学年の成績上位者が発表されていた。

 成績の悪かった人は、後でこっそりと呼び出されるらしい。


 4年生成績上位者


 1位 甘井 道程 

 2位 大石 御茶

 3位 天ノ川深雪

 4位 横島 黒江


 4年生の総合成績で、僕は学年1位だった。


 大石おおいしさんとの約束は果たせたので、これで一安心だ。

 食堂にいるポロリちゃんも、きっと喜んでくれるだろう。


「甘井さん、学年1位確定、おめでとうございます」

「ありがとうございます。皆さんが力を貸してくれたお陰です」


 学年3位だった天ノ川さんから、祝福の言葉をいただく。

 僕が、この環境に馴染なじめたのは、間違いなく天ノ川さんのお陰だ。


「ミチノリ先輩って、実は、チョー頭いいんじゃね?」

「そんな事はないよ。ネネコさんのお陰で、賢者モードは維持できたけどね」


 試験の前日に、煩悩を全て吐き出させてもらえた事も大きかったと思う。

 ネネコさんのお陰で、今回の試験期間中は最高のコンディションだった。


 1年生成績上位者


 1位 畑中 果菜

 2位 真瀬垣里稲

 3位 蟻塚 子猫

 4位 大間 名子


 1年生の総合成績は、ハテナさんがトップだった。

 体調にムラがあるリーネさんよりも、安定性で優位に立てたようだ。


「ふふふ……、ネネコさんは私と同じ3位でしたね」

「ボクは別に何位でも良かったけどね」


 ネネコさんは総合3位。いつも昼寝ばかりしている印象なのに、なぜか成績が良いのは、お姉さまが天ノ川さんだからかもしれない。


 ポロリちゃんは残念ながらランク外だが、きっと真ん中よりは上だろう。


 2年生成績上位者


 1位 浅田 千奏

 2位 安井 愛守

 3位 大場 迎夢

 4位 尾中 胡桃


 2年生の上位2名は固定されているようだ。学年トップの浅田あさださんは、来年度から管理部に協力してくれるそうなので、とても楽しみだ。


 3年生成績上位者


 1位 羽生嵐 葵

 2位 搦手 環奈

 3位 信楽  鼓

 4位 高木 初心


 3年生のトップは、1学期からずっと羽生嵐はぶらしさん。

 2位から4位は多少入れ替わっているが、カンナさんが総合2位らしい。


 5年生成績上位者


 1位 升田 知衣

 2位 古田 織冷

 3位 交合 生初

 4位 足利 芽吹


 順位変動の激しい5年生は、升田ますだ先輩が総合でトップ。

 茶道部部長のオリビヤ先輩が2位だったようだ。


 6年生成績上位者


 1位 下高 音奈

 2位 草津  照 

 3位 相田 美魚 

 4位 心野 智代


 6年生は予定調和で、1学期の中間試験から、ずっとこの順位である。

 天ノ川さんの話によると、3年前から、ずっと同じ序列だったらしい。


「甘井さん、そろそろ食堂へ行かないと、鬼灯さんを待たせてしまいますよ」

「そうですね。そろそろ行きましょうか」






「お兄ちゃん、学年トップおめでとー!」


 食堂に到着すると、僕のかわいい妹が満面の笑みで迎えてくれた。


「ありがとう。ポロリちゃんが、ずっと応援してくれていたお陰だよ」


 僕はお礼を言いながら、かわいい妹の頭を優しくでる。


「えへへっ」


 今までポロリちゃんに何かしてあげた事よりも、してもらった事のほうが、ずっと多かった気もするが、これで兄の威厳を保つことは出来ただろうか。


 いや、そもそも僕には最初から兄の威厳などはなかったはずだ。


 すべての事を「しかたない」「まあいいか」で済ませていた僕が、ポロリちゃんのお陰で、こんなにも変わる事ができた。


 やはりオトコという生き物は、女の子に期待されることによって努力し、女の子に褒められることによって自信をつける生き物なのだろう。


 僕は、この寮でポロリちゃんやネネコさん、そして天ノ川さんと一緒に暮らすことができて、本当に良かったと思う。


『今しかできない事、大人になったら出来なくなってしまう事も沢山あるのよ』


 中学の時の担任だった佐藤先生の言葉が、心に思い浮かぶ。


 アマアマ部屋の解散まで、あと1か月。

 僕は「今しかできない事」を今の内に、もっと経験しておくべきなのだろう。

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