第107話 警備員は茶髪のお姉さんらしい。

 ――ドンドンドンドン。


「はーい」


 長内おさない先生が、返事をしながらすぐにドアを開けて、来客に対応する。

 僕は念の為に入り口から見えない位置にとどまり、様子を伺う。


「長内さん、もうちょっと静かにしてもらえませんか?」

「ごめんなさい」


 どうやら、僕たちの話し声が近所迷惑になってしまったようだ。


「アタシにとっては今が夜なんだから、頼みます」

「申し訳ありません。以後気を付けます」


 先生が謝罪すると、クレームの主は無事に帰ったようだ。


 僕の声に関しては何も言われなかったし、「長内先生」ではなく「長内さん」と呼んでいたようだが、いったい誰だろうか。


「……甘井さん、ちょっと場所を変えましょう」

「……そうですね」


 長内先生の小声の提案に、僕も小声で答える。


 先生は先に部屋を出て、入口のドアを開けたまま手招きしてくれたので、僕もスリッパを履いて廊下に出る。


 僕が先生の部屋のドアをそっと閉めると、先生は廊下を挟んで向かい側にある金属製のドアを開けた。


 階段1段分くらいの段差の上にあるそのドアは、屋上へ出るドアのようだ。


「屋上ですか? 僕、寮の屋上に出るのは初めてです」

「ここなら、多分誰もいないと思うの」


 この寮は3階建てだが、2階と3階はL字型になっており、南側と東側だけだ。1階の北西に位置する食堂は2階までが吹き抜けで、その上が屋上になっていた。


 まだ午前中なので、このドアの近くは日陰だが、とても日当たりがよさそうだ。


 北側の景色は、校庭の向こう側に見える高い山々。

 西側の景色は、校舎の向こう側に見える高い山々。

 いずれの方角も、学園の敷地と森を隔てる高い壁に囲まれている。


「本当に誰もいませんね。山奥のお城にいるみたいです」


 ここから対角の位置、301号室の前あたりにもドアがあり、そちらの近くにある物干し台には2部屋分くらいの洗濯物と布団が干してあるのが見えた。


 生徒が全く来ない場所――というわけではなさそうだ。


「それじゃ、ここで打ち合わせをしましょう」


「先ほどは僕も大きな声を出してしまったのに、隠れてしまっていてすみませんでした。先生の部屋では、演習は無理そうですね」


 僕たちの声が大きかったとは言え、わざわざ部屋まで文句を言いに来るなんて、かなり神経質な人なのではないだろうか。あの場面で僕が顔を出していたら、きっと火に油を注ぐことになっただろう。


「そうねー。寮の壁は思っていたよりも薄かったみたい。まさか、引っ越してきたばかりのお隣さんに叱られるとはね」


「さっきの人って、お隣の部屋の人ですか?」


 来るときに、311号室で人の気配がしたのは気のせいではなかったようだ。


「昨日から寮に住み込みらしいの。夏休み中の夜間警備の人で、夜起きている必要があるから、今の時間は寝ているみたい」


「そうだったんですか。でも、夜中のお仕事なら仕方がないですね」


 女性で夜勤だなんて、きっと大変な事なのだろう。


「演習、どこでやろうか? 私は体育倉庫がいいと思うんだけど」

「先生、もちろん冗談ですよね?」

「童貞と処女がこっそりヤルなら、普通は、非常階段か体育倉庫じゃない?」


 もしかして、処女の妄想も童貞の妄想とあまり変わらないのだろうか。

 それとも僕が知らないだけで、初体験の場所としてはメジャーなのだろうか。


「男子高校生としては憧れるシチュエーションではありますが、見つかったら言い逃れできませんし、体育倉庫であの着ぐるみは暑くて着ていられないと思います」


「じゃあ、柔道場はどう?」


「寝技の訓練という事にして柔道着でやれば誤魔化ごまかせそうではありますが、見晴らしがよすぎて、すぐに誰かに見つかりそうじゃありませんか?」


「じゃあ、どうしたらいいの?」

「演習なんですから、素直に演習室を使わせてもらうというのはどうですか?」


 介護演習でベッドを使わせてもらった事があるが、なかなか寝心地がよかった。

 少なくとも体育倉庫や柔道場よりはましだろう。


「そうね……でも昼間は校舎内に生徒も先生も結構いるのよねー」


 夏休み中であっても、まだ半数近くの生徒が寮に残っている。先生方も完全に休みというわけではないはずだ。しかも演習室の隣は被服室。手芸部の活動拠点だ。


「さすがに、あの着ぐるみ姿を誰かに見られたら、僕でも恥ずかしいですね」

「となると、夜しかないわねー」

「夜ですか」

「夜なら、校舎にはだれもいないでしょ?」

「教頭先生はいらっしゃらないのですか?」


 教頭先生は音楽の幸田こうだ先生で、地下の音楽準備室に住んでいるといううわさだ。


「教頭先生は教頭室から出てこないから平気よ」


 教頭室とは即ち音楽準備室。噂は本当らしい。


「夜間警備の人には見つかっても問題ないのですか?」

「事情を話せば多分平気よ。これでも私は教師ですから」


 いや、女性教師が男子生徒と2人きりなのがマズイのであって……。

 まあいいか。僕が理性を保ってさえいれば、何も問題は起こるまい。


 結局、今日の夜8時に演習室で待ち合わせという事になり、解散となった。




 夕方は、管理部の部活に参加。一通り掃除と品出しを終え、搦手からめてさん、安井やすいさんと一緒にバックルームでおしゃべりしていた。


「リーネしゃんがいないとしゃびしいでしゅね」

「先輩はまだ帰らなくていいの?」

「僕は、家に帰っても特にすることがないですから」


 リーネさんだけでなく、宇佐院うさいんさんも、ヨシノさんも、有馬城ありまじょうさんも……。寮でお隣の102号室は4人とも帰省してしまい、とても静かだ。寂しい限りである。


「アイシュもお盆までは帰りましぇんよ」

「安心して、私も寮に残っていてあげるから」


 こんな風に言ってもらえるなんて、管理部に入って本当に良かったと思う。


「それは心強いですね。ところで、足利あしかが先輩はどこへ行かれたんですか?」

「今日から夜間警備のお姉しゃんがお仕事を始めるので、ご案内だしょうでしゅ」

「へー、そうだったんだー、どんな人? アイシュちゃんは、もう会った?」

「ちょっと怖しょうな感じでした」

「女性の警備員さんなら、そのくらいの方が頼もしいんじゃないですか?」


 か弱い感じのお姉さんだったら、警備員には向かない気がする。


「あっ、来たみたいだよ」


 搦手さんが防犯カメラのディスプレイを指差す。

 間もなく足利先輩と茶髪の女性が2人で部室に入ってきた。


「甘井さん、ちょっといい?」

「はい」


 足利先輩に呼ばれたので、立ち上がって背筋を伸ばす。

 安井さんの言った通り、茶髪の女性警備員は少し怖そうな感じだった。


「こちらが、この学園でただ1人の男子生徒です」

「4年生の甘井道程みちのりです」


 足利先輩が紹介してくれたので、僕も挨拶あいさつして、お辞儀をする。


「この子以外の男性は不審者って事ね。ところで4年生って、どういう事?」


「あっ、すみません。高等部の1年生をここではそう呼びます。私は高2なので、この学園では5年生です」


「あー、そういう事ね」


 足利先輩が説明すると、警備員さんは納得してくれたようだ。


「こっちの子は?」


「搦手環奈かんな。3年生です。よろしくお願いしまーす」

「安井愛守あいしゅです。2年生です。よろしくお願いします」


 安井さんが普通にしゃべっている。

 それだけ怖がっているという事か。それとも、単に恥ずかしいのか。


「あと1年生が1人いるのですが、昨日のバスで帰省しました」


「了解。えー、足利さん、甘井さん、搦手さん、安井さん……と。

 困ったことがあったら、この管理部のメンバーに相談すればいいのね」


 警備員さんは、手帳にメモを取っているようだ。


「はい。何なりとお申し付けくださいませ」


 足利先輩はいつも通り丁寧な口調だ。


「お姉さんのお名前は?」


 搦手さんは年上の人に対してもフレンドリーだ。


「悪い、名乗るの忘れてたね。アタシは新家美晴しんやみはる。19歳。ここの警備を任されてるけど、派遣のアルバイトだから。昨日から寮の311号室を借りて寝泊まりしていて、今日は朝8時くらいに寝て、さっき起きたばっかり。用があるときは、それ以外の時間で頼みます」


 新家さんは警備会社の制服姿。夏仕様らしく上着はないようだが、それでもネクタイと帽子着用で、暑そうな感じだ。金髪に近い茶髪は帽子の下で1本に束ねられている。背格好は、僕とほぼ同じ。胸は結構ありそうな感じだ。


「分かりました。ミハルお姉さん、私は305号室です」

「搦手さんが、下高したたかさんと同じ305号室ね」


「私とアイシュも同じ部屋で、202号室です」

「足利さんと、安井さんが202号室……と」


「僕は101号室です」

「甘井さんが、101号室ね」


 新家さんは、メモに部屋番号を追加している。


「これからお盆休みまでは、毎週部屋割りに変更がありますので、寮の各部屋の状況につきましては、本日中にまとめて、改めてお伝えいたします」


「それじゃ、よろしく」


 部員全員の部屋を確認したところで、今日の部活は解散となったが、僕は夜8時に決行予定の「性交演習の予行演習」のことで頭の中が一杯だった。





 次回、第108話では演習室にて「性交演習の予行演習」が行われます。

「エロ注意」の話となりますので、下ネタが苦手な方と15歳未満の方は2話飛ばして第110話にお進みください。それでは、ごきげんよう。

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