第70話 恥ずかしがると男女差別らしい。

 その日の放課後、僕は上佐うわさ先輩の自室である204にーまるよん号室に直接伺う事になった。


 天ノ川さんが根回しして予約を入れてくれたそうだ。お願いした当日に、後輩の都合に合わせて時間を空けてくれるとは、なんて心の広い先輩なのだろう。


 僕は101号室に戻ってシャワーを浴び、髪を洗ってから、失礼のないように制服を着て部屋を出た。


 先輩の許可をもらっているとはいえ、寮の2階に上がるのはとても緊張する。

 もちろん、この寮に来てから初めてのことだ。


 それに、101号室うちのへやに誰かが遊びに来たことはあっても、僕が自室うち以外の生徒の部屋に遊びに行ったことは、同じフロアの部屋ですら今までに一度もない。


 食堂の手前のロビーにある階段を上り、2階の廊下を静かに歩く。


 途中で誰ともすれ違わずに、無事204号室の前までたどり着けたようだ。

 念のため、表札を確認する。


【204号室】

【上佐  花】 【乙入  誓】 

【杉田 流行】 【尾中 胡桃】


 間違いなく上佐ハナ先輩の部屋だ。


 101号室のトイレを借りに来た尾中おなかクルミさんと、手芸部の杉田すぎたハヤリさんも同じ部屋のようだ。


「トン、トン、トン……」


 ノックをすると、奥から「は~い!」という元気な返事と軽やかな足音がして、ドアが開いた。


 出迎えてくれたのは、見覚えのある顔。手芸部の2年生、杉田ハヤリさんだ。


 上は長そで前開き、下はショートパンツの部屋着姿で、髪は今日もウェーブヘア。

 部屋着も髪型もオシャレな感じだ。


「わあ、ダビデ先輩がホントに来た! お姉ちゃ~ん!」


 杉田さんが部屋の奥に向かって叫ぶと、お姉さまはすぐに出てきた。

 上はTシャツ、下はロングパンツ、こちらはすっきりした感じの部屋着姿だ。


 僕はその先輩の顔にも見覚えがあった。


 美術部を見学した後、トイレの中で見た3人組の中の1人だったと思う。体育や音楽では5年生との合同授業があるが、そのときにも何度か見かけた顔だった。


 そうか、この人が上佐ハナ先輩だ。杉田さんのお姉さまだったのか。


「いらっしゃい。ミユキちゃんから話は聞いてるよ。まあ、中に入ってよ」


「あっ、はい。お邪魔します」


 スリッパを脱いで部屋に上がる。


 部屋に入って最初に感じたのは独特なにおいだ。自分達の部屋には自分の匂いが含まれているからか、その匂いに慣れてしまっているからか、全く気にならないのだが、やはり女の子4人が暮らしている部屋なので、それなりの匂いがする。


 もちろん、僕にとっては心拍数が少し上がるような匂いだ。決して不快な匂いではない。むしろ、いい匂いと言っていいだろう。


 部屋の作りは同じだが、リビングのテーブルが高く、食堂のテーブルと同じように4つの椅子いすがある為、101号室のリビングより少し狭く感じた。


「さあ、座って、座って」


 勧められたまま椅子に座る。なんとなく場違いな感じがするのは、2人が部屋着で僕だけが制服を着ているからだろうか。


「はい、センパイ、どうぞ」


 杉田さんが紅茶をれてくれた。


「ありがとうございます。いただきます」


「一応改めて自己紹介するね。私がミユキちゃん推薦の上佐花うわさはなです」

「私が助手で、妹の杉田流行すぎたはやりでーす」


「101号室の甘井ミチノリです。今日はよろしくお願いします」


「いいえ、こちらこそ。――あれ? そういえばチカはどこ行ったの?」

「チカ先輩は校舎のトイレかなぁ? クルミも一緒だったみたいだし」


「あの姉妹は、ホントにトイレが好きだね」

「ずっとトイレで誰かとおしゃべりしてますからねー」


 残りの2人、乙入おといり先輩と尾中さんはトイレらしい。


「まっ、いいか。いない方がやりやすいし。戻ったら紹介するね」

「はい、よろしくお願いします」


「じゃあ、まず準備しないとね。上着は脱いでハヤリに渡しておいて」

「分かりました。――杉田さん、上着をお願いします」

「はーい」


 僕は言われた通りに上着を脱いで杉田さんに渡した。


「場所は、風呂場のほうがいいかな。ついてきて」


 上佐先輩はリビングの椅子をひとつ持って脱衣所に入っていく。

 僕はその後に続き、僕の後に杉田さんが続く。


 頭上には101号室と同じように、いや、それ以上にカラフルでバラエティに富んだ下着類が大量に干してあった。下着の量は、うちの部屋の倍くらいだ。


「きゃーっ! ちょっと、お姉ちゃ~ん!」


 背後から悲鳴が上がった。


 振り返ると杉田さんは真っ赤な顔で慌てている。どの下着が彼女のモノなのかは全く分からないが、僕に下着を見られた女の子としては、正しい反応だと思う。


「どうしたの、ハヤリ? 何か問題でもあった?」


「下着! みんなの下着! お姉ちゃんのも見られちゃってるよ。いいの?」


「もう、そんなくだらない事でいちいち騒がないの。見られたくなかったら、ハヤリのだけ先に自分で取り込めばいいじゃない」


「えーっ! じゃあ、そうするっ!」


 杉田さんは、大慌てで自分の下着を取り込んでいる。

 カラフルでオシャレな感じの下着は全て杉田さんのモノらしい。

 残された下着は、比較的地味なモノばかりだ。


「……でも今取り込んだら、それがハヤリのだって、ダビデ君に知られちゃうよ。それでもいいの?」


「お姉ちゃん! それは先に言ってよ!」


 杉田さんは涙目だ。これはイジメで、もしかして僕も共犯……いや、見たのは僕だから、これでは僕が主犯になってしまう。


「ごめんね、ダビデ君。失礼な妹で。――ハヤリ! アンタの態度は明らかに男女差別だよ。ダビデ君に謝って!」


「いや、上佐先輩、それはいくらなんでも――」


「えーっ! そんなの絶対おかしいよ! お姉ちゃんは男の人に下着を見られても恥ずかしくないの?」


 下着を見てしまった張本人が指摘するのも変な話だが、これは杉田さんの意見が正しいだろう。


 僕が女の子の下着を見慣れていたとしても、杉田さんは僕に下着を見られることに抵抗があるはずだ。悪いのは僕の方だ。


「上佐先輩、悪いのは配慮が足りなかった僕の方ですから。――ごめんなさい杉田さん、僕が無神経でした。この通りお詫びします」


 僕は上佐先輩をなだめて、杉田さんに頭を下げた。


「ダビデ君、それはちょっと甘すぎるよ。間違っているところは、ちゃんとしかってあげないと。


 ――ハヤリ! アンタは、異性に囲まれた中で全裸になってくれた彼の気持ちが分からないの? ダビデ君は私たちのためにタダで大事なところまで見せてくれたんだよ。


 アンタは手芸部員なのに、ちゃっかり美術室までのぞきに来てたくせに、自分はパンツすら見せたくないなんて、我がままにもほどがあるでしょ! 


 私はアンタにそんな心の狭い子になって欲しくないの。分かってくれるよね?」


「うわーん、ごめんなさいっ、ダビデ先輩。ハヤリは悪い子でしたぁ!」


 杉田さんは泣きながら脱衣所を出て、部屋に戻ってしまった。


 かわいそうではあるが、もう何が正しいのか僕には判断できないので、上佐先輩の教育方針に口出しするのはやめておこう。


「ありがとう、ハヤリ。分かってくれて。――さあ、ダビデ君、ここに座って」


 僕は言われた通りに風呂場に運びこまれた椅子に座る。上佐先輩は大きなポリ袋をハサミで切って広げ、中央に穴をあけて僕の首に掛けた。


「準備オーケーかな? 苦しかったりしない?」

「はい、特に問題ありません」


「髪型のリクエストは?」

「暑いので短めで、お願いします。後はお任せします」


「分かった。じゃ、始めるよ」


 上佐先輩は、用意してあった霧吹きで、シュッ、シュッ、と僕の髪をらすと、軽く手櫛てぐしを入れてくれる。


 今まで家の近くにある床屋のオジサンに髪を切ってもらっていた僕にとって、年の近いお姉さんに頭をでられるのは、とても新鮮だった。


「髪、綺麗きれいだね。サラサラで」

「一応、部屋で洗ってから来ました」


「そうなんだ。今日は来てくれてありがとう」

「いえ、とんでもない。こちらこそ、ありがとうございます」


 シャキ、シャキ、シャキ、シャキ……。上佐先輩は、慣れた手つきで僕の髪を切り始めた。風呂場なので音にエコーが掛かっていて、不思議な感じだ。


「私たち3人とも、ダビデ君には嫌われちゃったのかと思ってた……」


「3人って、あのときトイレでうわさしていた3人のことですか?」


「そう。まさか本人に聞かれているとは思わなくて……。ごめんね、イヤな思いをさせちゃって。すぐに反省して、この噂は自粛しようって3人で決めたんだけど、今度は新聞にモエちゃんが描いた絵がそのまま載っちゃって……」


「いえ、僕も指摘されるまで気にしたことが無くて、あの後部屋で倒れて……」


「そんなに思い詰めちゃったんだ……。でも、ずっとそのままだったら手術しないといけないんでしょう?」


「あっ、それはお陰様で解決しました」


「ちゃんとけたの? よかったー! よかったねー。ホントによかったよー」


 上佐先輩は、まるで自分のことのように喜んでくれた。天ノ川さんが、上佐先輩を紹介してくれた理由が、なんとなく分かったような気がした。


「あとの2人も美術部員なんですか?」


「そうだよ。1人はこの部屋の乙入誓おといりちか。もう1人が隣の部屋の影口優奈かげぐちゆうな。3人とも美術部の5年生。……ユウナと私は入寮式の前、一緒のバスに乗ってたんだけど、覚えてる?」


「あーっ、たしか僕は一番後ろに座っていて、新入生はみんな私服なのに、なんで学ランを着ているのか? みたいな話を聞いたような……」


「そうそう、よく覚えてたねー。……っていうか、聞こえてたなら返事してよ」


「すみません、気が利かなくて。あのときの正解は『持ってくると荷物が増えるから着てきた』です」


「あはっ、それはそうだねー。でもあの時は今と違って、なんか暗かったよ。今の方がずっと明るいね」


「お陰様で、一皮剥けましたから」


「ダビデ君も、いろいろ苦労してたんだねー。……って、ダビデ君はもう卒業か」


「それは、ナイショにしておいてもらえると助かります。次号の優嬢新聞の見出しが『ダビデ卒業』だったら笑えませんから」


「えーっ、面白そうなのに」


 シャキ、シャキ、シャキ、シャキ……。おしゃべりしながらも、上佐先輩の手の動きは止まらなかった。当然会話中は全く目を合わせてはいない。それでも、先輩の優しさが声や手から伝わってくるようだった。


「ところで、ミユキちゃんは元気?」


「天ノ川さんでしたら、特に変わりありませんけど……何かあったんですか?」


「そっか、そこから説明しないと分からないよね。……卒業式だよ」


「卒業式ですか? 中高一貫だから中等部の卒業式は無いって聞きましたが……」


「でも6年生の卒業式があるでしょ? これが毎年大変で……」


「どう大変なんですか?」


「3年生がね……。それはもう、この世の終わりみたいな……阿鼻叫喚あびきょうかんなんだよ」


「そうか……3年生にとっては、お姉さまが卒業してしまうわけですね」


 3年間ずっと一緒だった大切なお姉さまがいなくなってしまうのだから、それは想像を絶するほどつらい事なのだろう。


「そう。3年生は卒業式の後も涙が枯れるまで泣き続けるし、立ち直るまでに何日もかかる子もいるよ。3年間ずっと同じベッドで一緒に寝ていた人が、連絡すら取れなくなるわけだからね」


 僕は今まで卒業式で涙を流す人の気持ちが全く分からなかった。会えなくなると悲しくなるような人は存在しなかったし、仮にいたとしても、卒業後に会えばいいだけなのではないかと思っていたからだ。


 しかし、この寮で暮らしていて考え方が変わった。こんな僕でも卒業式には号泣してしまうかもしれない。ルームメイトとはそれほどの、家族以上の存在なのだ。


「天ノ川さんのお姉さまって、どんな先輩だったんですか?」


「天文部の部長さんでね、厳しくて優しい人だったよ。ミユキちゃんは泣き虫で、いつもお姉さまにベッタリだった」


「そうだったんですか」


「もっと聞きたい?」


「もちろんです」


「じゃあ、もっと教えてあげるね。ミユキちゃんが1年生だったころのお話」


「3年前の話ですね」

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