第67話 カレシの定義が僕と違うらしい。

 クラスメイトの脇谷萌わきたにもえさんが、午後4時半のバスで寮を出て、研修に行ってしまった。脇谷さんの妹である畑中果菜はたなかはてなさんは、脇谷さんの代理人である僕に預けられ、今日から僕たちと一緒に101号室で3泊することになっている。


 僕は畑中さんと一緒にバス停で脇谷さんを見送った後、先に部屋に戻って制服から部屋着に着替える。今日は着替えてばかりだが、制服を着ないと門から出られない決まりなので、これは仕方がない。


 天ノ川さんはジャイアン先輩に呼び出されていて不在。

 ネネコさんは校舎の掃除で疲れたらしく、ベッドでお昼寝している。


 部屋着のスウェットに着替えて、しばらくすると、トン、トン、トン……とゆっくりで控えめなノックの音がした。


 僕はすぐにドアを開けて、緊張した面持ちの畑中さんを迎え入れる。


「どうぞ。しばらくはここが畑中さんの部屋だから、遠慮しないでね」


 畑中さんの部屋着は、丈の長い長袖シャツのようなワンピース。色は僕の着ているスウェットとほぼ同じ明るさのグレーだ。脚は太ももまで見えていて、むっちりしている。手に持った大きめの手提げ袋には着替えが入っているようだ。


「よろしくお願いします。ダビデお兄様」


 ダビデ……お兄様? 畑中さんからダビデ先輩と呼ばれたことは何度かあるが、この呼ばれ方には違和感しかない。


「すいません、それはちょっと勘弁してほしいんですけど……」


「ご、ごめんなさい。……えーと、どのあたりがまずかったですか?」


「みんなが僕の事を持ち上げて楽しんでくれるのは嬉しいし、有難いとも思っているけど……しばらく妹になってくれる子からダビデとは呼ばれたくないし、お兄様っていうのも僕には似合わないでしょ?」


「そうですか。では、お兄さんって呼んでもいいですか?」


「僕はそのほうが嬉しいかな。畑中さんは何か希望はありますか?」

「それなら、私の事も名前でお願いします」


「じゃあ、ハテナさん……でいいですか?」

「はい。これから3日間、よろしくお願いします」


 ハテナさんは恭しく僕に頭を下げた。


「僕はこれから洗濯物を取り込みますから、少し待っていて下さい」

「お兄さん、それなら私も手伝います」


 暖簾のれんをくぐって脱衣所に入ると、ハテナさんも後についてきた。


「もしかして、いつもお兄さんがお洗濯しているのですか?」


「いや、僕は物干しと取り込み担当。洗うのは3人に任せてあるから」


「そうですか。ポロリちゃんは恥ずかしがったりしないのですか?」


「ポロリちゃんから『お願いしてもいいでしょうか?』ってパンツを手渡されてね、僕が驚いて広げたまま固まっていたら『ジロジロ見ちゃダメ』ってしかられたよ」


「男子って、女子のパンツが好きですよね」


「ははは……、そうかもしれないね。ポロリちゃんは、すごく恥ずかしそうだったけど、それでも僕を頼ってくれて……それからいつも僕が干しているから、もうお互いに慣れたけどね」


 質問に答えながら一緒に洗濯物を取り込む。ハテナさんの背は150センチを少し超えたくらいだろうか。手を伸ばせば、物干しには届く高さだ。


「そうか、ポロリちゃんの背だと届かないのですね」


「あと10センチくらいは必要なのかな。ネネコさんでも、まだ届かないからね」


「1年生だと、背の届かなそうな子は他にも何人かいますよ。ガジュや私くらいの背でやっとですから……はい。こっちは取り込めました」


「ありがとう。後は僕がやるから、ハテナさんは、先にこのシーツと枕カバーをどうぞ。奥のベッドの上の段ね」


「はい。ありがとうございます」

「お礼は後でポロリちゃんに言ってあげて」


 ハテナさんが上段でベッドメイクしている間に、僕は洗濯物をベッドの下の引き出しに仕舞う。


 アイロンがけが必要なものは天ノ川さんの担当なので、それ以外の取り込んだ洗濯物を畳んで、所有者ごとにベッドの下の引き出しに仕舞えば任務完了だ。


「ベッドの準備、終わりました」


 声がしたほうを見上げると、真っ白なパンツを履いた大きなお尻がゆっくりと梯子はしごを下りてくる。レギンスで完全防備なポロリちゃんと違って無防備すぎる。


 ネネコさんと同じで、あまり気にしないタイプなのかもしれない。


 とはいえ、ネネコさんは制服以外のスカートは穿かないので、ハテナさんのように梯子でパンツが丸見えになるようなことはない。指摘してあげたほうがいいのかもしれないが、それで気まずくなっても困るので、ここは見なかったことにしておこう。


「よかったら、この引き出しを使ってよ。僕はみんなより着替えが少なくて、引き出しがひとつ余っているから」


「ありがとうございます。お借りします」


 ハテナさんは空いている引き出しに自分の着替えを入れると、手提げ袋も畳んで一緒に引き出しに仕舞った。


「他に何か聞いておきたい事はある?」


「お食事とお風呂は、いつもどうしているのですか?」


「食事が先の方が多いかな。いつも4人で食堂へ行って一緒に食事して、戻ってからお風呂。お風呂はいつも僕が先に入らせてもらっているけどね」


「分かりました。今日もお食事が先ですか?」


「多分そうだね。ここに既に3人いるから、あとは天ノ川さん次第だけど」


「それまで、どうしましょうか?」


 時計を見ると、まだ7時まで2時間近くある。


「ハテナさんは、この時間いつも部屋で何をしているの?」


「部活のある日は6時まで部活ですけど、それ以外の日はお姉ちゃんと一緒に育児室に遊びに行くことが多いです。部屋がすぐ近くなので」


 ハテナさんの部屋は109イチマルキュー号室で、育児室は111イチイチイチ号室だから、すぐ近くだ。


「ここからだと、ちょっと歩くけど今から遊びに行ってみる?」


「いえ、マサルちゃんとミヤビちゃんは新妻にいづま先生と一緒に実家に帰りましたから、今は留守です」 


「そうなんだ。それは知らなかった」


 先生に赤ちゃんがいるという事は、ご結婚されていてご主人もどこかにいらっしゃる訳で、言われてみれば当然か。


「新妻先生は張り切っていらっしゃいましたよ。実家に赤ちゃんを預けて、ご主人と2人きりで3人目の子作りに励むって。それで来年また産休を取る計画らしいです」


 子作りに励むって……言うまでもなく、アレですよね。

 女の先生と女子生徒だとこんなに生々しい会話をするのか。


「ハテナさんは、先生とそんな話までするの?」


「いえ、話をするのはお姉ちゃんですよ。私は隣で聞いていただけです」


 なるほど。たしかに脇谷さんなら相手が先生でも、さらっと聞き出してしまいそうな気はする。


「脇谷さんは、今晩から研修なんでしょう?」


「そうなんです。お姉ちゃん、ああ見えて実はまだ処女なので、ちょっと怖がっていたみたいで、新妻先生に相談していたんですよ。


『あんな松茸みたいなのが本当に中まで入るんですか?』って。

 そうしたら、先生は何ておっしゃったと思います?

 

 マサルちゃんとミヤビちゃんを指差して『この子たちの頭が通るのだから松茸くらいなら全然問題ないわよ』っておっしゃったんですよ!」


 話の内容がアダルトすぎて、僕には理解できない。

 それに、この話を聞いて、なんとも言えない恐怖心がいてきた。


 僕はハテナさんの事を「大人しい子」だと思っていたが、どうやらそれは間違っていたようだ。ネネコさんが「強そう」と言っていたのはこういう事だったのか。


 ハテナさんは笑い話のつもりで楽しそうに話してくれてはいるが、少なくとも僕が聞いて喜べる話ではない。正直なところドン引きである。


「ハテナさん、他人の会話を聞いて関係ない人にばらすのは、やめておいたほうがいいと思うよ」


「他人じゃないですよ。先生とお姉ちゃんの会話を、お兄さんに教えてあげただけですし、お兄さんも知りたかったでしょう?」


 これもコミュニケーション能力なのだろうが、どこか普通じゃない気がする。


「どうして、僕が知りたがっていると思ったの?」


「お姉ちゃんが、オトコの人はみんなエッチな話が好きだって教えてくれました」


 さすが脇谷さんだ。たしかにそうなので、間違った事は言っていない。

 ならば問題はそこではないはずだ。ここはどう治めるべきか。


「まあ、たしかにそうだね。それじゃ、こういう話は脇谷さんや僕にはしてもいいけど、聞きたくない人もいるだろうから、気を付けたほうがいいと思うよ」


「それくらい、分かっていますよ。『お兄さんがホーケー』だとか言いふらしちゃだめだって、お姉ちゃんから言われましたから」


 ハテナさんは包茎の意味が分かっていて言っているのだろうか。


 これはヌードモデルを引き受けてしまった僕の自業自得ではあるが、髪の薄い人に「このハゲー!」なんて言ってはいけないのと同じで、望ましくないのはたしかだ。


「僕はもうちゃんとけたから包茎じゃないけど、言いふらしたりはしないでよ」


 こう言ったところで、この子を止めるのは無理な気もする。

 だが、この子から包茎と思われているよりは、よっぽどマシだ。


「ホントですか? おめでとうございます。でも、それでしたら、みんなにもそう伝えたほうが、よくないですか?」


「いや、そんなことを発表されても困るんだけど……」


「どう困るんですか? 剥けていたほうがいいに決まっているのに」


 どうやらハテナさんは、包茎という言葉の意味を完全に理解しているようだ。


「それは、そうかもしれないけど、お嬢様に相応ふさわしい話題じゃないでしょ?」


「いいじゃないですか、妹なんですから。それに、私、もうカレシいますよ」


 ハテナさんはこちらを見ながら、自慢げにこう言い放った。


「えっ? ここって僕以外みんな女の子なのに?」


「小学校の3年生のときに6年生のセンパイから告白されて、それから3年半くらい付き合っています。お兄さんと同じ学年ですよ」


 なるほど、ここではなくハテナさんの地元にいるのか。しかも僕と同学年か。


「そうなんだ。ゴールデンウィークは会いに行かなくてよかったの?」


「いいんです。最初はやさしいお兄ちゃんだったのに、最近は会うたびに、エッチなことをしようとしてくるんです。だから、そろそろ別れようと思っています」


 こちらも話の内容がアダルトすぎて、僕には理解できない。

 中学1年生にして、3年半付き合っていたカレシと別れる?


 そもそも「カレシ」という言葉の定義が僕には分からない。


 エッチなことをする相手が「カレシ」や「カノジョ」なのであって、そうでなければただの異性の友人ではないかと思ってしまうのは、ひょっとして僕が童貞だからなのだろうか。


 こんなにかわいいカノジョがいるにもかかわらず、エッチな事を何もさせてもらえないカレシというのは、ただの生殺しではあるまいか……などと考えてしまうのは、ハテナさんのお尻がとても大きく、中学生には見えないからかもしれない。


 冷静に考えれば、ハテナさんも2か月ほど前までは小学生だったのだから、何もしないほうが健全だ。何もさせないハテナさんのほうが正しいに決まっている。


 けしからんのは、そのカレシのほうだ。


 それなのに、その見ず知らずのカレシの気持ちのほうがよく分かってしまうのは、僕が同性で同学年だからだろうか。


「そうなんだ。いろいろあるんだね」


 まあ、今の僕にとってはどうでもいい話だ。

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