第46話 リコーダーは在庫が無いらしい。

 今日の1時間目は音楽。昨日の体育と同様に3年生との合同授業だ。


 芸術の科目は美術、音楽、書道などから1科目選択という高校が多いらしいが、この学園では選択肢が音楽しかない。書道と美術の授業は3年生までで、4年生以降は音楽のみなのだそうだ。


 音楽の授業は週に2回あり、3年生と合同の授業では笛を習い、5年生と合同の授業では歌を習う事になっている。


 今日は3年生との合同授業なのでアルトリコーダーが必要となるのだが、僕は中学の時に使っていたアルトリコーダーを持ってこなかったので、授業が始まる前に売店で買う事にした。


 いつもより早めに制服に着替えてから、「それじゃ、僕は売店に用があるので、先に出ますね」と言って部屋を出ようとしたところ、


「売店に行くの? ならボクも一緒に行くよ」とネネコさんにつかまり、


「ネコちゃん、ポロリも行くから待ってよう」とポロリちゃんも仲間に加わり、


「ふふふ、そういえば、甘井さんには案内役が必要でしたね」と天ノ川さんも同行し、結局4人で売店に行くことになった。


 売店は校舎の1階。昇降口の奥にあり、コンビニのようになっているが、品揃しなぞろえはかなり偏っている。


 常温の食べ物は、パンとお弁当に、おにぎりが少々。これらは、いつもお昼前には売り切れてしまうらしい。コンビニとは違って完売が前提なのだろう。


 早速ネネコさんがおにぎりを買ってカバンに忍ばせている。お昼におにぎり1つでは足りないと思うのだが、早弁(早おにぎり?)でもするつもりなのだろうか。


 冷蔵ケースにはプリン、ヨーグルト、シュークリームなどのデザートと、日持ちするゼリー飲料、およびペットボトル飲料。どこにでもあるような定番の商品しかない。


 あとはカップ麺とお菓子。こちらも定番の商品ばかりだが、カロリーは控えめなものが多い気がする。


 料理用の食材は注文すれば取り寄せてもらえるそうだが、店頭には並んでいない。


 雑誌に関しては、ファッション誌と料理関係の雑誌が充実している。ファッション誌を読んでおしゃれをするのではなく、服を作るときの参考にするらしい。


 少女漫画や少年漫画も少々置いてあるようだが、少なくとも同室の3人は誰も読んでいない。小説や実用書のたぐいは図書室にあるためか、ここには新刊が数冊あるだけで専用の棚すらなかった。


 雑貨は文具と裁縫道具に特化している。女の子専用のファンシーなものも多く、僕でも違和感なく使えそうなものとなると、選択肢はぐっと狭まる。


 シャンプー、リンス、トリートメント、洗顔料、ハミガキ等、洗面所や風呂場で使うものはある程度充実している。もちろん男性専用のものは全く置いていない。


 そして、最も売り場が広いのが衣料品だ。一番奥にあって、僕は近寄らないようにしているが、女の子用の下着や部屋着も充実しているようだ。


 ポロリちゃんは、その下着売り場のあたりで服を見ているようだった。


 もちろん、手前側には体操着や柔道着、ジャージなどのほか割烹着かっぽうぎやエプロンの品揃えもある。ここに置いていないものも注文さえすれば後日入荷するらしい。


「ところで、アルトリコーダーって、どこにあるんですか?」


 探しても見つからなかったので、僕は天ノ川さんに尋ねてみた。


「おかしいですね。先週はアルトリコーダーがたくさん入った箱が、目立つ位置にあったはずなのですが……、管理部の先輩に聞いてみましょうか。――足利あしかが先輩、すみませーん!」


 天ノ川さんが、近くで商品を並べていた先輩を呼んでくれた。「管理部」と書かれた腕章をつけた、一昨日バスで外出したときにスマホを返してくれた先輩だ。


「あら、ミユキちゃん、ごきげんよう。何かお探しですか?」

「お忙しいところすみません、アルトリコーダーを探しているのですが……」


「アルトリコーダーは昨日完売してしまったので、もう在庫が無いのですけど。お取り寄せしましょうか?」


 天ノ川さんが悲しそうな目でこちらを見ると、管理部の先輩も申し訳なさそうな顔で一緒にこちらを向く。


「甘井さん、ごめんなさいね。1年生の人数分しか発注しなかった私のミスです」


 1年生の人数分しか無かったということは、僕が先週のうちに買ってしまっていたら、1年生の子が1人だけ買えなくなっていたということか。


 そう考えると、僕が買ってしまわなくてよかったような気もする。


「いえ、そんな。僕が笛を家に忘れてきただけですから」

「すぐに発注すれば、今週中には届きますけど……」


 家に電話して送ってもらうという手もあったが、どこにしまったのか覚えていないし、親に心配をかけたくもないので、当初の予定通りここで買う事にした。


「では、予約させてもらいますので、取り寄せでお願いします」


「ありがとうございます。では入荷次第ご連絡いたします。お代は1500円になりますので、そのときにお願いします。管理部の足利が承りました」


 予約はできたが、差し当たっての問題は今日の授業だ。


「お兄ちゃん、笛は買えた?」


 ポロリちゃんが、いつの間にか僕の横にいた。

 心配して様子を見に来てくれたようだ。


「今ここには無いらしくて、予約しておいたよ。今週中には届くって」


「でも、それだと今日の授業は?」

「アルトリコーダーを買いそびれましたって、正直に話すよ」


「そんなのだめだよぉ! 音楽の先生は教頭先生でね、とってもおっかないの」

「いや、だめって言われても……」


 ポロリちゃんの様子から、音楽の先生がとても怖い先生だというのはよく分かったが、それはしかたないだろう。


「はいっ、ミチノリ先輩」


 売店から廊下に出たところで、ネネコさんからアルトリコーダーをケースごと渡された。


「えっ? これは?」

「アルトリコーダーに決まってるじゃん」


「いや、それは分かるけど」

「お姉さまから聞いたよ。買えなかったんでしょ? ボク、今日は使わないから」


「ネネコさんの笛を僕に貸してくれるの?」

「いつもドライヤー借りてるじゃん。そのお礼」


「よかった。お兄ちゃんが授業受けられて。ネコちゃん、ありがとう」

「いやいや、だって、笛だよ?」


 ポロリちゃんが、僕の代わりにネネコさんに礼を言ってくれているが、笛を他人に貸す人がいるという事自体が、僕には信じられなかった。


 誰かに笛を貸してくれと言われて僕は貸すことが出来るだろうか?


 ……少し考えると、結論が出た。ネネコさんに「笛を貸して」と言われたら、多少の気恥ずかしさはあるが、僕は喜んで貸してあげるだろう。


 それが逆の立場になっただけの事か。


 しかも、ネネコさんは僕が困っていることを知って、僕が頼んでもいないのに貸してくれたのだ。


「そんなにボクが吹いた笛を使うのがイヤなら、洗ってから使えばいいじゃん!」


 ネネコさんが露骨に嫌な顔をした。これはたしかに僕の態度が悪かったか。


「とんでもない。イヤだなんて全然思ってないし、もちろん洗わないで使わせてもらうから。……ありがとう、ネネコさん」


「ミチノリ先輩、なに言ってんの?」


 ネネコさんが冷めた目でこちらを見ていた。ポロリちゃんは隣でポカンと小さな口を開けている。


「あれ? 僕なにかヘンな事言った?」


「ふふふ、甘井さん、笛はうまく借りられましたね。さあ、行きましょう。早くしないと遅刻してしまいますよ」


「そうでしたね。――それじゃ、また後でね」


 僕は2人に合図をしてから、天ノ川さんと共に音楽室へ向かった。




 音楽室は理科室の真下の地下1階にある。となりの音楽準備室は教頭室とも呼ばれており、音楽の先生でもある教頭先生はそこに寝泊まりしているらしい。校舎内なのに風呂までついているというから驚きだ。


 音楽室の座席は12人横並びの席が3列で配置されており、各列は4人ごとに3つのブロックに分けられている。3年生、4年生の順に出席番号順に座るので、僕は2列目の右から6番目。ほぼ真ん中の席だ。それぞれの椅子いすには小さな机が付いており、そこには授業で使用する楽譜が既に置かれていた。


 右隣の席に天ノ川さんが座っているのは4年生の教室と同じだが、左隣は3年生の柔肌やわはださんだ。そして、柔肌さんの前の席に鯉沼こいぬまさん、僕の前の席には信楽しがらきさんが座っている。食堂で紹介してもらったイヌとタヌキの着ぐるみコンビだ。


 少しずつだが、顔見知りが着実に増えているのが分かり、この環境にも慣れつつあることを実感する。


「ツヅミの後ろがダビデさんだなんて感激です~」

「わー、ホントだー。ミユキ先輩も一緒だー。よろしくお願いしまーす」


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 前の席の2人が振り返って僕と天ノ川さんに挨拶あいさつしてくれた。

 セーラー服姿でも、着ぐるみのときと雰囲気は全く変わらない。


「あ、あの……私も……よろしく……お願いします……きゃっ!」


 左隣でそのやりとりを見ていた柔肌さんが恥ずかしそうに挨拶をしてくれたが、かわいい悲鳴をあげて、そのままこちらに倒れこんできた。


「大丈夫ですか?」

「はっ、はいっ! ごめんなさい。……もう! なんでそういうことをするの?」


 僕が柔肌さんを抱きとめると、柔肌さんは真っ赤な顔で振り返り、隣でニコニコしているジャイコさんに抗議している。


「私からのサービスだよ、サラちゃん。ねっ、ダビデ先輩」


 柔肌さんの左の席に座るジャイコさんこと藤屋ふじやいこさんが、わざと柔肌さんの体をこちらに押し付けたらしい。柔肌さんもそれほど怒ってはいないようだった。


「ふたりとも、よろしくお願いします」


 僕は柔肌さんとジャイコさんにも挨拶した。


 そのあとすぐにチャイムが鳴ったのだが、先生が来る様子はない。代わりに、あまり上手ではないリコーダーの音が、あちこちから聞こえてきた。


「音楽の幸田こうだ先生は厳しい先生ですから、甘井さんも楽譜を見て予習をしたほうがいいですよ。隣で音を聞いて、生徒の様子を確認してからいらっしゃいますから」


 天ノ川さんは既に譜面を広げ、アルトリコーダーも組み立て終わっている。


 僕も予習をしようと思い、ネネコさんから借りたアルトリコーダーを袋から取り出して組み立てたのだが――


「――――⁉」


 僕も驚いたが、左隣の柔肌さんは、わざわざ予習を中断して僕に質問してきた。


「あの……その笛に書いてある名前って……センパイといつも一緒にいる1年生の子の名前ですよね?」


 僕が手に持っているアルトリコーダーの左側面には、大きく平仮名で「ねねこ」と書いてあり、その横にはネネコさんのパンツにプリントされていた猫のキャラクターによく似た可愛らしい猫の絵が「お絵描き」されていたのであった……。

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