第35話 年功序列で根回しが重要らしい。

「今日から数学の授業があるんだけど、数学って算数とどう違うの?」


 食後の座談会、続く話題は今日から始まる授業について。1年生にとって数学とは未知の教科なのだ。ネネコさんも不安らしい。


「呼び方が違うだけで、たいして変わらないと思うよ。算数が得意だった人は数学も得意だろうし、算数が苦手だったら数学はもっと苦手だと思うけど」


「ボク算数が苦手で、XとかYとか出てきてから、よくわかんないんだけど」


「ふふふ……ネネコさん、それは小学校の低学年で使う△や□と同じですよ。見た目を変えてちょっとカッコつけているだけです」


「そっかあ、難しそうにしてカッコつけてるだけだったのか~」


 言われてみればⅩやYのほうがたしかにカッコいいのかもしれない。なぜ△や□だとカッコ悪いのだろうか。ネットだと△は「サン、かっけー」なのに。


「お兄ちゃんたちは、最初は何の授業なの?」


「4年生の1時間目は国語の授業だよ。小学校と違って現代文のほかに古文や漢文も教わるけど、今日は現代文のほう」


 時間割には「現国」と書いてあった。現代国語の略だ。


 国語にはもう一つ「言文」という授業もある。こちらは言語文化の略で、つまり古文の授業の事だ。どちらも担任の新妻にいづま先生に教わることになっている。


「古文って昔の言葉を教わるの?」


「そうだね。日本の古典文学のほかに漢文……中国の文も教わるよ。中国語を教わるわけじゃないけどね」


「ボク、昔の言葉知ってるよ。インモーのこと、モンドコロって言うんでしょ?」

「ちがうよネコちゃん! 見せびらかすのはインモーじゃなくて、インノーだよ」


 天ノ川さんがお茶を吹き出す寸前で、今回はどうにか堪えたようだ。

 お茶を口に含んでいたら僕も危なかった。


「ゴホン……、ちょっと、2人とも間違っていますよ。あれはインローです。それに、紋所というのは、その印籠いんろうに描かれている家紋のことです」


 お笑いコンビとしての息はぴったりのようだが、お嬢様としては残念な会話だ。周りに人がいなくてよかったと思う。そもそも、紋所って古語じゃないし、時代劇を古典文学とは言わないと思うのだが……まあいいか。


 ここは話題を変えよう。


「1年生は1時間目が数学なの?」

「1時間目は音楽なの。6年生と一緒なの」


「最初の授業が6年生と一緒なんだ」

「うん、6年生の先輩から校歌を教えてもらって、あと、笛の吹き方も教わるの」


 この学園は生徒数が少なく教員の数も他の学校と比べると極端に少ない為、合同授業も多いらしい。1学年に1クラスしかない為、合同授業は違う学年と一緒に授業を受ける事になる。上級生が下級生に1人ずつ付いて教える場合もあるようだ。


「おはようございます、101いちまるいち号室のみなさん」


 座談会の最中に、なぜか担任の新妻先生から声を掛けられた。まだ7時前だというのに驚きだ。先生はもちろんスーツ姿で、朝から颯爽さっそうとしている。


「あっ、先生、おはようございます」

「おはようございまーす」

「おはようございまーす」


 僕が挨拶を返すと1年生の2人も後に続く。


「新妻先生、おはようございます。どうかなさったのですか?」


 天ノ川さんが挨拶に加えて先生に要件を訪ねる。


「甘井さんに私の部屋まで来て欲しいのだけれど、いいかしら?」

「僕ですか?」


 僕は先生から呼び出しをくらうような事をしてしまったのだろうか。もしかして美術室での一件か、それとも他に何かまずいことがあったのか――


「そう。悪いけど教科書を運ぶのを手伝ってもらいたいの」


 どうやらおとがめを受ける訳ではないらしい。少し安心する。


「分かりました。制服に着替えてからのほうがいいですか?」


「そうしてもらえると助かるわね。8時過ぎに112いちいちに号室まで来てください」


「はい、では後ほど伺います」


 新妻先生は僕に要件を伝えると自室に戻っていった。


「ミチノリ先輩、今ちょっとビビってたでしょ?」


 早速ネネコさんにからかわれた。それは事実なのでしかたない。


「もしかして顔に出てた? 何かまずい事をしたのかと思ってヒヤヒヤしたよ」


 ネネコさんとの会話は、見栄を張ったりごまかしたりする必要も全くないので実に気楽だ。もちろん、あとの2人もこういう会話はさらっと聞き流してくれる。


「お兄ちゃん、新妻先生ってここに住んでいるの?」


「私の部屋って言っていたから、そうなんだろうね。

 もしかして他の先生方もここに住んでいるんですか?」


 ポロリちゃんの質問に答えつつ、疑問な点は天ノ川さんに尋ねる。


「そうですね、寮住まいの先生は3人です。新妻先生と長内おさない先生は今年からで、寮長の子守こもり先生は何年も前からずっとここに住んでいらっしゃいますよ」


「長内先生も一緒だったんだー」


「長内先生?」

「1年生の担任の先生だよ。体操の先生なの」


「体育じゃなくて、体操なの?」

「うんっ、保健体育の先生だけど、体操の選手だったって先生が言っていたの」


「強そうな先生でさー、背はボクとそんなにかわらないのに腕も脚も太いし、フトモモなんか腰より太そうだよね」


「そんなに太くないよぉ! ネコちゃんが細すぎなの。それでね、先生も1年生なんだって」


「新任の先生なんだ」


「そうですね。去年まで保健体育の先生だった方は定年退職されましたから」


「それだと、体操着の名札は全員必要なんじゃないですか?」


「たしかにそうかもしれませんね。私たちから提案してみましょうか? 甘井さんは賛成ってことでよろしいですか?」


「僕はそのほうが、ありがたいですけど」

「長内先生も『みんなの名前を覚えるのが大変』って言っていたの」


「お姉さま、提案って、どこにするんですか? 生徒会とか?」


「そういえば、ここの生徒会ってどうなっているんですか? 僕は生徒会長どころか4年生のクラス委員の名前すら知らないんですけど」


「ふふふ……、この学園に生徒会長やクラス委員は存在しませんよ」


「え~っ! そんな学校聞いたことないよ~」


 ネネコさんが驚いている。もちろん僕もそんな学校聞いたことがない。


 特に漫画やアニメの世界などでは、生徒会が絶大な権限を持ち、生徒会長は独裁的な権力者として君臨していることの方が多いような気がする。


「それで、どうやって問題を解決するんですか?」


「料理部の部長さんは『年功序列』って言っていたの」


 ――年功序列か。大人の世界では崩壊してしまったらしいが、学校での年功序列は当然と言えば当然だ。高校生までは浪人も留年もほぼ無いので1年の差はとても大きい。下級生が上級生の判断に従うのは合理的だ。


「ここでは、すべて『年功序列』に基づいた『根回し』で問題を解決します。先輩のいう事に後輩は従いますし、すでに結果が分かっていることに対して、多数決をとるためだけに集まっても無駄なだけですから」


「それだと提案というのは、誰にするんですか?」


「全生徒です。例えば4年生だけでしたら、私が『長内先生に名前を覚えてもらうために体操服に名札を付けてください』と言って、さらに『甘井さんにも早く名前を覚えてもらいたい人は名札をつけましょう』と一言添えれば誰にも反対はされないと思います。付けたくない人がいたとしても数人でしょう」


「ほかの学年はどうするんですか?」


「誰かにお願いします。例えば6年生でしたら、私なら科学部部長のジャイアン先輩にお願いしますし、女将おかみ先輩にお願いしても同じ結果になるでしょう。5年生なら升田ますだ先輩か上佐うわさ先輩あたりにお願いすればいいですし、3年生や2年生に対しては『上級生からのお願い』となるので誰にお願いしても全員に届きます」


 なるほど、「命令」とか「決まり」ではなく、あくまでも「お願い」なのか。それで、従いたくない場合は従わなくてもいいわけか。


「不思議なシステムですね。年功序列というのは、ほかにも何かあるんですか?」


「ありますよ。私は2月生まれですが、甘井さんは何月生まれですか?」

「えっ? 僕は10月生まれですけど」

「ボクは8月生まれだよ」

「ポロリはね、3月なの」


「ここでは甘井さんが最年長ですから、室長は甘井さんということになります」


 天ノ川さんが僕より4か月も遅く生まれていたとは驚きだ。名前が深雪みゆきさんなのだから冬に生まれていて当然といえば当然なのだが……。


「そうだったんですか。僕は出席番号順だと思っていました」


「ふふふ……お隣の102号室の室長は、出席番号3番のヨシノさんではなくて、出席番号4番のチハヤさんですよ」


「えへへ、お兄ちゃんは、みんなのお兄ちゃんなの」

「僕自身は、全然そんな感じはしないんだけどね」

「ロリはボクより半年も年下だったのかぁ」


「えへへ、ポロリはね、みんなの妹なの」

「ロリはボクのこと『ネーちゃん』って呼んでくれてもいいよ!」


 ネネコさんはポロリちゃんからもネーちゃんと呼ばれたいらしい。


「ダメだよぉ、ネコちゃんはネコちゃんなの!」


 どうやら即却下されたようだ。


「ふふふ……、それじゃあ、そろそろ戻りましょうか」

「そうですね。湯呑ゆのみは僕が片付けます」


 僕が4つの湯呑を両手に2つずつ持って食器返却棚に返そうとすると――


「お兄ちゃん、お盆なしで4つも持てるの? すごーい!」

「ミチノリ先輩、意外と指長いよね」


 手の小さな2人のルームメイトから、僕の予想外なところで驚かれたのだった。

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