第34話 食堂の女将はカッコイイらしい。

 食堂は6時のチャイムとともにオープンする。


 現在時刻は5時45分、まだ開店まで少し時間があるが、カウンターの外側からこちらに向かって1人の生徒が近づいてくるのが見えた。


 制服姿で、長めの髪を綺麗に編んで後ろで丸く束ねている。

 上品で隙が無い雰囲気。間違いなく上級生だ。おそらく6年生だろう。


「おはようございます。ソーコさん、そろそろ準備はできましたか?」

「おはようございます、オカミ先輩。少々お待ちを……」


 その上品な先輩が、カウンター越しに上田うえださんに挨拶あいさつすると、上田さんが僕にその人を紹介してくれた。


「……甘井先輩、この方が女将おかみっす」


 オカミ? 運動部で部長の事を「主将」というのは聞いたことがあるが、料理部では部長のことを「女将」と呼ぶのだろうか?


 一目で先輩だと分かる、完成されたお嬢様だ。百川ももかわさんや天ノ川さんも貫禄かんろくがあるが、さらに上のレベルの先輩としての貫禄がある。天ノ川さんよりも胸が大きいというわけではない。


「お、おはようございます。は、初めまして4年生に編入しました甘井道程あまいみちのりです」


 僕は初対面の先輩に対して必要以上に緊張してしまった。


 第一印象は一言で表すと「高貴な女性」だ。なんだか恐れ多いというか、ちょっと近寄りがたい感じがする。僕が勝手に恐縮しているだけなのかもしれないが。


「おはようございます、甘井さん。わたくしが料理部部長、6年の百川肚身ももかわはらみです。どうぞお見知りおき下さい。今日はご協力ありがとうございます」


 部長さんは背筋をまっすぐに伸ばしたまま腰だけを折り、丁寧に頭を下げる。話し方はゆっくりで、言葉ははっきりしている。


 すべてのお嬢様のお手本となるような、とても優雅な立ち居振る舞いだった。


 自分のことを「ワタクシ」なんていう人と会話するのは初めだったので、僕はますます緊張する。


「こ、こ、こちらこそ、よ、よ、よろしくお願いします」


 僕は極度に緊張するとこんなふうになってしまう。これは、僕がスクールカーストの最下層から抜けられなかった要因のひとつでもある。


「ふふっ、そんなに緊張なさらないでください。検食をしに来ただけですから」


 あれ? この笑顔は、ついさっき見たような……。


 不思議な事に、初めて見たはずの部長さんの笑顔が、僕の記憶と重なった。


 そういえば、僕が百川さんを部長さんと勘違いしたときに――


『ううん、よく似ているけど違うの。今の人はツクネ先輩』


 ――ああ、そういう事か。なるほど、ポロリちゃんが言っていた通りだ。


「部長さん、おはようございます。準備はできています」


 ポロリちゃんが、すぐに僕の隣まで来て部長さんに挨拶する。どうやら僕を心配して見に来てくれたようだ。


「ポロリちゃん、おはようございます。今日は2人で来てくれて、ありがとう」


「お兄ちゃん、部長さんにご飯よそってあげて!」


 僕は言われた通りご飯を茶碗によそって、ポロリちゃんが持ってきたトレイに乗せた。みそ汁、焼き魚、玉子焼き、煮物、おしんこ、一通りそろっている。僕がすりおろした大根おろしも焼き魚のとなりに添えられていた。


「女将、おはようございます。検食お願いします」


 百川さんは部長さんに挨拶して朝食をトレイごと渡した。


 この2人、実の姉妹なのだろう。向かい合う2人は顔も体形もよく似ていた。そして、笑ったときの顔と声は本当にそっくりだった。


「おはようございます。それでは、お先にいただきます」


 部長さんはトレイを持って窓際のテーブルにつくと1人で朝食を取り始めた。


 セーラー服を着たお嬢様が、1人ぼっちで食事をしているにも関わらず、上品で堂々としており、全く寂しそうには見えない。


 部長さんのその凛々りりしい姿が僕にはとてもカッコよく見えた。




「あとは、取りやすいように並べて任務完了っス」


 最後に出来上がった料理をカウンターの上に取りやすいように並べて、早番の任務は完了。すぐに6時のチャイムが寮内に響き渡る――食堂の開店時刻だ。


「お疲れ様でした。早番の3人はここまでで結構ですよ」


 百川さんから帰りの許可がでる。


「じゃ、私はお先に失礼します。みなさん、ごきげんよう」


 上田さんはみんなに挨拶すると部室兼更衣室のほうに去って行った。


「えっ? 百川さん、あと1人で大丈夫だいじなんですか?」


 さすがに100人分の朝食の管理を1人でやるのは無理があるだろう。


「ふふっ、だいじです。女将もいますし。甘井さん、すっかり馴染なじんでいますね」


 そうか、部長さんもいるのか。それに「大丈夫」という単語は僕の頭の中ですっかり馴染んだ「だいじ」という言葉に置き換わっていた。そして、この言葉はポロリちゃん以外にも、ここでは問題なく通じるようである。


「あっ、部長さん、戻ってきたよ」


 部長さんが朝食を終え、部室で割烹着を着てから戻ってきたようだ。百川さんと外見は似ているのだが、誰が見てもこちらが部長さんとわかるくらい貫禄がある。


「ごちそうさまでした。玉子焼きもお味噌汁も、とても美味しかったですよ。さすがポロリちゃんね。任せて正解でした」


「えへへ、ポロリはツクネさんに教えてもらった通りにやっただけなの」


「きっと舌がいいのでしょうね。同じレシピで作っても、最後にきちんと味見をして調整してもらうと、仕上げる人によって出来が違いますから」


「覚えるのも早いです。私が言ったことは全て1回で覚えてくれています」


 2人ともポロリちゃんをベタ褒めしている。ポロリちゃんが褒められているのを聞くと、僕も自分の事のように嬉しい。


「先輩方が卒業してしまい、どうなることかと心配していましたが、ポロリちゃんがいてくれれば、今年もなんとかなりそうですね」


「私たちも安心して卒業できます。料理部は少なくともあと5年は安泰でしょう」


 いや、さすがにそれは褒めすぎでしょう。それ以上褒めると――


「あの、あの。ポロリはお先に行ってみます。またよろしくお願いします」


 案の定、ポロリちゃんは顔を真っ赤にしてうろたえていた。


「すみません、では僕もお先に失礼します」


「ふふっ、お疲れ様。またよろしくお願いします」


 僕は百川姉妹に挨拶してポロリちゃんと2人で部室兼更衣室へ向かった。


「ポロリちゃん、お疲れ様」

「お兄ちゃんも、お疲れ様」


 白衣を脱ぎながらポロリちゃんと声を掛け合う。たったの1時間のお手伝いではあったが、とても勉強になった気がする。


「白衣は持ち帰って部屋で洗濯したほうがいいのかな?」


「ううん、夕方まとめて料理部の当番の人がお洗濯するから、こっちのかごにいれておくだけでいいの」


「なら、そうさせてもらうね」


「お兄ちゃん、今日はどうだった?」


「僕は上田さんに教わりながら、ご飯の準備と大根おろし。結構楽しかったよ。上田さんも料理部なの?」


「ソーコ先輩は茶道部なの。でも毎朝お手伝いに来てくれるって、ツクネさんが教えてくれたの」


「2年生であれだけ働けるんだから凄いよ。ポロリちゃんはもっと凄いけど」


「そんなことないよぉ、ポロリはまだ2回目だし……」


「人手が足りないときは呼んでくれれば僕も手伝うから、部長さんによろしく」


「うんっ、そう伝えておくね」


 2人で料理部の部室から外に出ると、ちょうど天ノ川さんとネネコさんが近づいてくるのが見えた。ネネコさんは今朝も眠そうな顔をしている。


「おはようございます。今、朝食準備のお手伝いが終わったところです」


「おはようございます。2人ともお疲れ様です」


「おはようございます、ミユキ先輩。

 ネコちゃん、おはよ。今日はちゃんと起きられた?」


「まあ、なんとかね。昨日はボクも早く寝たし」


 いつものようにカウンターで朝食を受け取る。


 カウンター越しに百川さんと目が合ったので、軽く会釈をしてから、いつもの席で当たり前のように4人で朝食をとる。座る席順もいつもと同じ、僕の左にネネコさん、その正面に天ノ川さん、そして僕の正面の席にポロリちゃんが最後に座る。


 昨日、宇佐院さんから「101号室って、みんな仲いいよね」と言われたが、もしかしたら他の部屋では4人で朝食をとる事が当たり前ではないのかもしれない。


 今日はポロリちゃんも僕も早番で、すぐにあがらせてもらえたが、百川姉妹はそのまま仕事を続けている。2人は6年生と4年生なので、部屋も違うし、それだけで同じ部屋の子は4人揃わなくなるのだ。


 そんな状態でも、朝食は毎日誰かが必ず作らなければならないのだから、料理部もたいへんだ。


「お兄ちゃん、何か考え事?」


 ポロリちゃんが心配して声を掛けてくれた。どうやら顔に出ていたようだ。


「いや、毎日食事の準備をするのは大変だろうなと思って。まさか生徒しかいないとは思わなかったから」


「え~っ! これみんな先輩が作ってるの? マジで!?」


「うんっ、献立は料理部で考えて、部長さんが担当を決めるの」


「そうだよ。今日の玉子焼きとみそ汁は先輩じゃないけどね」


「ふふふ……どちらも、とってもおいしいですよ」


 天ノ川さんは僕の一言だけのヒントですぐに誰が作ったのかが分かり、ポロリちゃんに笑顔を向けた。


「えへへ」


 ポロリちゃんは素直に喜んでいるようだ。






「料理部の部長さんって、オカミっていうんですね。初めて知りました」


「そうですね。たしかに百川ハラミ先輩は『女将』と呼ばれています。でも、それは料理部の部長を指す言葉というわけではありませんよ」


 おいしく朝食をいただき、その席でお茶を飲みながらの座談会。

 天ノ川さんと僕の会話をネネコさんとポロリちゃんも一緒に聞いてくれている。


「違うんですか?」


「『女将』というのはハラミ先輩の持つ『個人の称号』ですから、例えば運動部の部長が『主将』と呼ばれるようなのとはちょっと意味合いが違います。ハラミ先輩は去年も『女将』と呼ばれていましたし、去年の料理部の部長さんは単に部長と呼ばれていました」


「称号? そんなのがあるんですか?」


「本人がそう名乗っていないのに自然にそう呼ばれるのが『称号』です。料理部のハラミ先輩は『食堂の女将』または『女将』とか『女将先輩』と呼ばれています」


 なるほど、役職ではなく、あの上品で威厳のある雰囲気が『女将』なわけか。


「ポロリちゃんは部長さんって呼んでいたみたいだけど……」


「……ポロリも部長さんじゃなくて、おかみさんって呼んだ方がいいのかなぁ?」


「私が女将先輩と話すときはハラミ先輩って呼んでいますけど、それは本人に直接聞いてみたらどうかしら?」


「称号って他にもあるんですか?」


科学部うちの部長は『ジャイアン先輩』って呼ばれていますよ。


「すげ~っ! チョー強そうじゃん!」


 ネネコさんが目を輝かせている。科学部の部長は『ジャイアン先輩』か。いったいどんな人なのだろう。


「いいんですか? お嬢様学校の先輩がそんな称号で?」


「本人は結構気に入っているみたいですよ」


「どんな先輩なんですか? 体が大きくてけんかが強いとか?」


「けんかは強いかもしれませんが、小柄でかわいい感じの先輩です。元声楽部員なので歌も上手ですよ」


「それで、なんで『ジャイアン先輩』と呼ばれているんですか?」


「ふふふ……、それはナイショです。本人にお会いすれば、すぐに分かります」


「会えばすぐに分かるんですか。それは気になりますね」


「ちなみに『ジャイアン先輩』の妹はジャイコさんと呼ばれています。校内新聞での表記はジヤイコさん。『ヤ』は小さい字ではなく大きい字です」


「え~っ? そんな名前の人ホントにいるの?」


 ネネコさんがさらに驚いている。さすがに本名ではないだろう。「ヤ」が大きい字というのはカメラやプリンターを製造している有名な会社みたいだ。


「ジャイコさんの場合、称号というよりは愛称ですね。ジャイコさんには、甘井さんもすでにお会いしていますよ」


「そうなんですか?」


「ふふふ……、ジャイコさんには、また今日お会いできると思います。『ジャイアン先輩』のほうは明日の放課後に紹介しますから、期待していて下さい」


 ジャイアン先輩とジャイコさんか……それっぽいイメージの人を見かけた覚えはないのだが……まあいいか。人は見かけによらないっていうし、2人とも近いうちにお会いできるようなので楽しみにしておこう。

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