第20話 ただより高いものはないらしい。
「しばらく中断だ。悪いが、代役が見つかるまでこれで我慢してくれ」
「すまないな。疑って悪かった」
「そうだよ! ミチノリ先輩は何もしてないもん!」
ネネコさんは隣で、僕の無罪を主張し続けてくれている。とても心強い。
「それで、柔肌さんは大丈夫なんですか?」
「甘井クンは、サラとは知り合いだったのか。私もサラのあんな姿は初めて見たからな。いつもはもっと堂々としているから、大丈夫だと思っていたのだが……心配かけて申し訳ない」
長身の先輩が、こちらに頭を下げる。
背は明らかに僕より高い。170センチくらいあるのだろうか。
3年生である柔肌さんの「お姉さま」ということは、おそらく6年生だろう。
サラというのは柔肌さんの下の名前だ。身体測定のときに僕が本人から一時的に預かった健康手帳には「
「自己紹介が遅れたな。私が美術部部長の
モエ! ちょっといいか?」
部長さんは、モデルの柔肌さんが立っていた場所を挟んで、こちら向きに座っていた部員の子に声をかける。
「なんですか部長?」
モエと呼ばれた子は、すぐに立ち上がって近くまで来て、ちらりと僕の顔を見てから部長さんのほうに向きなおる。
僕はモエという名前に聞き覚えがあったし、顔にも見覚えがあった。
昨日のホームルームでの質疑応答の際に、真っ先に手を挙げて僕に質問してくれた子だ。妙にオトナっぽいというか色気があるというか、他のクラスメイトとは違うオーラをまとっていたので印象に残っていた。
同じクラスの、僕から一番遠い席、後列廊下側の席の子だ。
「モデルの代役頼む!」
「私に、ですか?」
脇谷さんは部長さんと会話をしながら、僕のほうをチラチラと見ている。
「そうだ。2年連続で悪いが、頼む」
「そんなの無理に決まっているじゃないですか!」
「なぜだ?」
「私にクラスメイトの男子の前で脱げっていうのですか?」
クラスメイトとしてちゃんと認識されていたのは嬉しかったが、脇谷さんは僕に向かってペロっと舌を見せて、逃げるように元の席に戻ってしまった。
「う~ん、モエもダメか。
他に『絵になる』子は……おっ、そうだ! キミはどうだ?」
部長さんは握手を求めるように右手を広げて差し出しながら、僕のとなりに座るネネコさんに声をかけた。
「ボク? ボクがモデルさんやるの?」
「そうだよ、蟻塚クン! キミならかわいいし、きっと甘井クンも大喜びだ!」
「え~っ! ボクにモデルさんなんて無理だよ~。さっきの先輩みたいにおっぱいもないし~」
「おっぱいなんて、ただの脂肪の塊だよ。大丈夫、キミにはキミの魅力がある!」
「べつに恥ずかしいわけじゃないんだけどさ~、同じ格好で固まってるなんてボクには絶対無理だよ~」
僕も、ネネコさんが長時間、大人しくじっとしていられるとは思えなかった。
それにヌードモデルはやはり、ある程度ふっくらした感じの人のほうが似合う気がする。ネネコさんは美少女ではあるけれど、柔肌さんと比べると手も足も体も細すぎてかわいそう、というか痛々しい感じの絵になりそうだ。
ネネコさんのハダカに興味がないというわけではないのだが、友達としてネネコさんの事を思うと、僕は素直に喜べない。
「……となると残るはキミしかいないわけか」
部長さんは僕の顔をじっと見ている。
「僕ですか? いや、それはさすがにまずいでしょう。僕、オトコですし」
「何を言っているのだ。キミがハダカの絵を描くとしたら、モデルは男子と女子、どちらがいいと思う?」
「それは……女子のほうがいいに決まっているじゃないですか」
男の僕が女の子の
これは天と地ほどの差で、悩むまでもない話だ。
「だろう? 男女問わず異性を描きたくなるのは当然の事じゃないか。
――なあ蟻塚クン、キミだってそう思うだろ?」
そうは思わないですよね? ネネコさんはおっぱい大好きだし。
「う~ん、ボクは別にどっちでもいいけど……ミチノリ先輩のハダカだったら見てみたいかも!」
ネネコさんの爆弾発言に、僕は一瞬耳を疑った。ネネコさんは、僕の味方じゃなかったのか? ここで寝返るというのか?
「ほら。キミのかわいい連れもこう言っているじゃないか! ここで『絵になる』のはキミしかいないのだ! 頼むよ!」
「いやいや、柔肌さんは綺麗でしたけど僕なんか描いても汚いだけですし、それに僕をモデルにしたのを顧問の先生に知られたらまずいんじゃないですか?」
「それはどうだろう? 先生に知られてまずいのはキミのほうじゃないのかな? うちのサラはキミにハダカを見られて精神的に苦痛を受けたのだ。見たほうが無罪で見られたほうが有罪とはならないだろう? それに、キミがここで引き下がったら、ここにいるみんなはどう思う? キミがサラの代役を果たすのが筋だとは思わないか?」
たしかに僕がいなければ柔肌さんは泣き崩れたりはしなかっただろう。柔肌さんにも、ほかの部員の皆さんにも、とても申し訳ないとは思う。返す言葉もない。
「いまここでキミが辞退したら、キミの評判は地に落ちてしまうだろう。そんなことになったら3年間大変だぞ! 逆に、キミが引き受けてくれれば、きっと評判はうなぎのぼりだ。そうなればキミにハダカを見られたサラも浮かばれる事になる」
そうだった。僕は柔肌さんに綺麗なハダカを見せてもらったのに、何のお礼もしていないどころか泣かせてしまったんだ。僕のハダカ程度ではとても釣り合わないけど、それで許してもらえるのなら安いものかもしれない……。
「頼む! キミしかいないのだ! これは美術部部長としてのお願いだ」
部長さんは深々と僕に頭を下げた――
「……わかりました……僕なんかでよければ……」
僕は承諾した。断ることが出来なかったのだ。
「おお、引き受けてくれるか! それでこそオトコだ! 心から
「マジで? ミチノリ先輩、意外と度胸あるじゃん。ボクちょっと見直したよ!」
――というわけで、僕が代役でヌードデッサンのモデルを務めることになった。
制服を脱ぎ、ワイシャツを脱ぎ、シャツも靴下もパンツも脱いで全裸になる。
決して口車に乗せられたわけではない。これは僕の意思だ。
ものすごく恥ずかしいけれど「恥じらう心が無ければ人は成長しません」と寮長の子守先生もおっしゃっていた。
これはきっと、今まで逃げ続けてきた僕に、女神様が与えてくれた試練なのだ。
部長さんは仮モデルの石膏像を回収し、そこに僕を立たせる。
もう逃げる事も隠れる事もできない。
「みんな、待たせたな。交渉は成立だ。モデルはサラに代わって、甘井クンだ!」
「きゃ~~~~~っ‼」
黄色い歓声が一斉に美術室に響き渡る。
中学のときに、みんなの前で無理やり服を脱がされたときの
僕の決断は間違っていなかったのだ――そう自分の心に言い聞かせる。
「ポーズはこう。そうそう、いい感じ」
部長さんから渡されたタオルの両端を左右の手で持ち、タオルで背中を洗うように左手を肩に充て、右手は下げる。休めの姿勢で左足はやや前。重心は右足にのせて、顔は左に向けて遠くを見る――
「じゃ、そのまま20分。たのむよ!」
部外者の僕ですら知っている有名な彫刻――ミケランジェロの「ダビデ」と全く同じポーズだ。たしか本物はタオルではなく投石用の武器だったはずだが。
「デッサン開始!」
部長さんの号令とともに、ざわついていた会場が静かになり、みな一斉にデッサンを開始する。お陰であまり恥ずかしさを感じることはない。
異変を感じたのは数分後の事だった。入り口から、ぞろぞろと新入生の女の子が入ってくる。中にはとても1年生には見えない子も交じっている。まだ名前を憶えていないが、顔に見覚えのあるクラスメイトも何人か含まれているようだ。
いつの間にか美術室は「満員御礼」状態。50人以上いるのだろうか? これって全校生徒の半分くらいだと思うのだが――。
20分で少し休憩を挟み、さらに20分。今度は体のほうが
ずっと同じポーズを保つことは予想以上に大変だ。
おならが出そうになったらどうしよう――ふと、そんな不安が頭をよぎったが、もしそうなってしまっても笑ってごまかすしか方法はなさそうだ。
大勢の女の子におならを聞かれる恐怖――そうなったらもう、僕はお婿に行けないだろう――考えれば考えるほど、ここは恐ろしい場所だった。
「はい! 終了! お疲れ様でした!」
「お疲れ様でーす!」
部長さんの合図でデッサンは終了。とたんに緊張感がなくなり、急に恥ずかしくなって急いで服を着る。柔肌さんが泣いてしまったのも分かる気がする。
「いや~、よかったよ! リアルなダビデだった! また機会があれば頼むよ!」
部長さんに喜んでもらえるのは悪い気分ではなかった。
「すごいね、甘井くん。いいもの見せてくれてありがとう。さっきはごめんね!」
脇谷さんは、そういって僕をデッサンしたスケッチブックを見せてくれた。
たったの40分でここまで描けるというのにも驚いたが、誰が見ても僕だと分かるほど上手に描かれていたので、とても驚いたと同時に非常に恥ずかしかった。
「ありがとうございます。甘井先輩のお陰で入部希望者が増えました」
受付担当の子も喜んでくれて。
「なかなかやるじゃん! カッコよかったよ。ポーズも決まってたし」
ネネコさんもご機嫌だった。
「結構時間かかっちゃったね。どうしようか? 他の部も、見てみる?」
時間は短いようで長く、体験会が終わるともう夕方になっていた。
まさかモデルのほうまで体験するとは思ってなかったのだが。
「今日はもう帰ろうよ。きっとミユキお姉さまとロリが待ってるよ」
僕はネネコさんと一緒に美術室を後にした。
とても疲れたけど、誰かの役に立てたということが、僕には嬉しかった。
今日はいい1日だった――とそのときの僕は思っていたのだった。
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