エピローグ
月日は
天地はすべての
興奮冷めやらぬまま日本への飛行機へ乗ってしまえばあとはそれぞれの
「――四夏はねぇ、どこで何してるのかなぁ」
彼女たちがまだ幼い時分にワタシと出会い別れ、そしてまた一つの大きな節目に再会したように。もとより他の方々より
例えば今。あの熱く
「――えぇ憶えてますよ、もちろん。あの戦いでわれわれモンアルバンは優れた騎士を失った。さらに二度の遠征をしましたが、あれほど
日本アーマードバトルの中心。
入れ替わり指導を受ける子供たちの合間をぬってお話を聴けたのはインストラクターのヨコさんと、さらに同じ指導員証をつけた杏樹ちゃん。
「――週末一日だけ手伝ってて。タダで顔を出す
「いやぁ実際助かってるよ。クラスが明るくなるし子供の気持ちにもよく気付いてくれて。特に小さい子やレッスンについてこれない子のフォローは指導員一人じゃ至らないところもあるから」
<三つ編み騎士団>の中でもっとも経験が浅く、かつ競技へのモチベーションも特殊だった彼女だけがお城へ残ったのはどういう心境の変化でしょうか。
「べつに大した理由はなくて。高校でまた部活を探すよりラクでいいなぁって。みんな優しいし。それに――」
こなれた
「ときどきフラッと来るやつもいるから。毎回ド暗い顔できて人のことサンドバッグみたいに斬りつけて勝手にスッキリした顔で帰ってくのはムカつくけど。まあアイツだけじゃなくていろいろ。悩んだときや目標がかなったとき、みんなここに来るから」
それぞれの進路や節目の交差点。モンアルバン城はどうやらそういう場所でもあるようで。岐路にかかわり続ける杏樹ちゃんもまた進むべき道を探しているように見えました。
「――そういえば大学の先輩が
「さあ、何のことかな。三木田さんの話はここじゃ
そらとぼけたヨコさんの視線は壁の貼り紙へ。そこには<城内での勧誘厳禁>の文字。
「ただ
「そっかぁよかったぁ、あれじゃ友だちってよりヒモだもん」
インタビューは終始和やかに、しかしどこか当時の熱を思い
「そういえば、
◇
バカヤロー、がらばたがっしゃん。
崎田
「――
「バカ野郎、この歳で娘に仕事の世話してもらえるか」
「あの子が誰のために頑張ってると思ってるんだ」
「美人の記者さんだからって生意気言うなよ」
一触即発の二人はしかし、実力派のアクション事務所として名を上げている最中。離れていたアクターも半分以上が戻り、他のメンバーも香耶乃さんの求職アプリに登録する運びとなったそう。
一見おなじ
話を聞いていると、扉が開いてスーツ姿の二人が戻ってきました。
「
「お久しぶりです、
まるで毎日顔を合わせている友達のようにフランクな香耶乃さんと、折り目正しい
一見して理知的にエネルギッシュに正統進化した香耶乃さんに比べて、朔さんは何というかこう、大人っぽくなりましたね。トレードマークだった二つ結びは淡く染めたセミショートに変わりふんわりした雰囲気に。
「――こーいう子がシャキッと
「ついで人の休日を潰さないで欲しいんですけど」
「うそうそ、心強いよほんと」
互いに別の大学へ通いながらアプリの運営としても活動するふたり。今の関係はちょうど騎士団の解散と同時に始まったといいます。
「――結局、他人になにかしてもらうのが苦手なんだよね。でもこういうことするなら絶対
「何回降りようと思ったか……勘弁してほしいですよまったく」
「ゴメンね、悪いと思ってる。でも……私には」
「ぁ、わ、分かってますから、今はもう諦めてますよっ」
「ううぅ、朔っちゃぁん」
話のネタにと手元で開いた
『うわ、私の後輩、可愛すぎ……!?』と題された
「――将来の夢とかは、特に。まあ普通に会社
「んー? いけんじゃない、プロデュースするよー私」
「だから、どこから湧くんですその自信」
「したでしょ、優勝」
三年前と何も変わらない不敵な笑み。
「……過去の栄光ですよ、それにあれは」
「あと、飲み込みが早くて超努力家な私の親友がやってできないことは無い、みたいな?」
その
「ここまで支えてもらったんだ、夢のひとつくらい叶えさせてよ。あの時みたいにさ」
「あ、アタシは」
「それにほら、私たぶん二人分くらいヨユーで稼ぐし? イザとなったら永久就職、みたいなさぶっ!?」
「フザけた
「もふぇん、ほふぇんっへは」
アゴを掴まれたまま両手を上げた香耶乃さんを見て、朔さんは離した手をハンカチで
いいですねえ、ウチの
「えっと梢さん。あらためて確認したんですが、センパイの連絡先」
朔さんが薄く上気した首元をあおぎながら告げ、香耶乃さんがそれを引き継ぐことには。
「繋がらないんだよねえ、やっぱし。どうもスマホをどうにかしちゃったらしくてさ。その少し前に実家とお城経由で手紙が来たんだけど、そこの住所はもう引き払ってると思うんだ」
ただ、と。
「
「
「いやー半分は心配で呼び出したんだよ。ずっと引き
香耶乃さんの倫理観はともかく。引き篭り、というおよそ不似合いな……いえ、思えば昔から自分一人で世界を作っているタイプの子ではありましたが、さて。
一応、と渡された四夏さんの古い住所を見たワタシは驚きと、同時にどこか
――Piastowska ##, ##-## Kraków, Polska
◇
ワンルームマンションのエントランス。
二重ロックの自動ドア前にあるインターホンを押します。長いコールの後、硬質なノイズとともにそれが途切れます。
『……見た顔』
「あ、覚えてくださいましたか。突然すみません」
『何の用』
「じつは<三つ編み騎士団>のその後を取ざ」
『他を当たって』
ぶつっ。ポチポチ、ピンポーンピンポーン……。
『……くどい』
「もう一つの用件だけでも。四夏さんと連絡がとりたくて。あなたしか知らないということでしたので」
長い沈黙の後スピーカーが途切れ自動ドアが開きます。おそるおそるワタシは彼女の領域へ足を踏み入れました。
「――ちょっと喋らないで」
カーテンの引かれた暗く生活感の薄い部屋。ワンルームにはベッドとクローゼット。部屋の
招き入れるなりワタシをベッドに座らせると、モニターにむかいコントローラーを操作する凛さん。色白な横顔に
時おり漏れる舌打ちと
「…………四夏とはゲーム用チャットのアカウントでやり取りして、た。最近はあまりないけど、メッセージも送れる」
「お二人ともゲームとかするんですね。それもパソコンで」
「最近はクロスプラットフォームが常識。こっちはPCでも四夏は携帯機から遊べ、る」
三つのモニターのうち一つを操作し、ボイスチャット用のソフトを起動する凛さん。
「……最終ログインは三日前。トラブルがあったならたぶん、こっちで連絡できるのを忘れてるんだと思う」
リストされた無数のプレイヤー名に混じってシンプルな本名もじりのアカウントがあります。実写のアイコンに映りこんだ金髪を
「これ全部お友達ですか、ゲームの?」
「まだ
ウィンドウに表示されたゲーム名はワタシでも聞いたことのあるもの。隣のブラウザには動画サイトにユーザーコミュニティページとランキング。素人目に見てもこなれているのが分かります。
ふと、横目に見上げる凛さんと目が合いました。
「……小鳩は結婚し、た?」
「はっ?」
突拍子もない質問に思わず間抜けな声。
「いやっしてませんが?」
「じゃあいい」
「別に相手がいないわけじゃなく時期とか切っ掛けとかそういう問題ですからね!?」
何を心外げに主張しているのでしょうかワタシは。
「というか何ですかいきなり」
「今度プロチームに入るか、ら」
なんでもないふうに言った彼女とモニターを交互にみます。
「
「ちょちょ、ちょっと待ってください。プロってeスポーツですか!?」
「そう」
タブが切り替わるとLIVE配信らしい動画が開きます。ちょうど発表されたトーナメントの最上位にはこちらのメイン画面と同じプレイヤー名。
「優勝したんですか!? 今!?」
「ただの選抜戦。ランク下相手に順当に勝っただ、け。チーム入りの話自体は前からあった」
いやいや。数千万のプレイヤーを抱えるゲームでそれがどれだけ狭き門か。思わずごくりと喉が鳴ります。
「せ、戦績とか……いえ、フワッとでいいんですが差し支えなければ」
「家賃と学費はソロ大会の賞金で払っ、た」
「ひぇ」
「でも、限界はある」
かくんと目の前で長い黒髪の流れる頭が落ちます。
「ゲームすることはい、い。どれだけ競っても上がいる環境は
たしかに
「そんなものですか」
「……一年中脳でインターバルを走るようなもの。試合と試合の間もずっと考えて練習して苦にならない、そうせずにいられない人間がプロにな、る。でも、その中でトップに立つのはゲームから離れることができる人間」
それは矛盾でしょうか。
「それで結婚、ですか。なんとまあ」
「……私は一人じゃ周りが見えなくなりが、ち」
まるでヒモを欲しがるキャリアウーマンのよう、などとは口が裂けても言いません。柱の一本しかない建物は倒れやすいのも事実ですし。
「それで言うならワタシなんかは外へ連れ出す側ですが。好きという気持ちありきな気がしますよ。どちらにとっても」
かまって欲しいという思いも愛なら、渋りながらもそれに
「……好き……」
くりかえしたきり壁をみつめて黙り込んでしまう凛さん。石をのんだような表情はおよそ色恋話でするものとも思えませんが。
インターホンが新たな来客を告げたのはそのとき。
「――あぁー! また缶詰ばっかり食べてるぅ、あたしの持ってきたおかずはぁ!?」
誰も迎えに出ないドアを開けて上がり込んできた杏樹ちゃんは部屋を見回して目を三角からまん丸にします。
「あれぇ、小鳩ちゃん? ちょっとりんち、あたしには住所教えるなとか言ってなかった!?」
「……勝手に来、た」
「本当ぉ? だったら電気くらいつけなって」
パタパタとリビングキッチンを行き来して冷蔵庫をチェックする彼女をスルーして凛さんはモニターに向き直ります。
「……四夏には小鳩の連絡先を送っておく。運がよければ気付くは、ず」
「えっ、四夏どこ!?」
駆け寄ってきてのぞきこむ杏樹ちゃんをうっとうしげに押しのけ。
「違、う、メッセージ。今いるわけじゃない」
「そっかぁ、ってあれ、もしかして勝った、大会?」
小さくうなずいたその頭が抱きこまれます。
「えぇーすごい! やったじゃんおめでとう!」
されるがままの彼女とワタシの目が合うと。
「はしゃぐな、当然、だから」
「やぁだ、ねーだから言ったじゃん向いてるって! この調子でプレイ配信とかしようよ、りんちはブアイソだけど顔良いんだから――」
「やめて、髪がクシャクシャになる」
「あっごめん、ブラシするね!」
洗面所にとんでいく杏樹ちゃんを見送ってまた壁を凝視します。心なしか渋面が深まっている気が。
「……好き……」
「いや、あの、そう深刻にならずとも。それぞれの積み重ねた関係というものがありますし。ただ……」
なんとなく察せられてフォローを入れつつ付け加えます。
「もし相手が自分にとって新しい世界や価値観をくれるなら。それを自分がすんなりと受け入れられるなら、充分
それを恋と呼ぶかはまあ、別として。
「……小鳩も、そう?」
「えぇ。折に触れて運命には感謝していますよ」
少しの沈黙。けれど戻ってくるスリッパの音に、
「……考える」
とだけ答えてモニターへ向かう彼女。
それから一緒にお昼をいただいたり意外とすぐにメールの返事があったりなどしたのですが
◇
◇
◇
ポーランドはクラクフ、
歴史あるレストランやマーケット、アートギャラリーが立ち並ぶ石畳のプラザ。
一望できる角地のオープンカフェに背の高い影が差し込みました。
「梢さん、おひさしぶりです」
キャスケット帽にベルト付きのジャケット、ジーンズ。大学生らしい装いの四夏さんは人懐っこい笑みを浮かべました。
「おや、眼鏡にしたんですね」
「あはは……夜勉強したりメールしたりするからですかね、急にきちゃって。あ、メールと言えばごめんなさい、少し前にスマホ水没させちゃって。買いなおしたんですけどクラウドの連携が切れちゃったんですよね。手紙を出そうと思ってたんですけど」
メイクは堂に入っていますが目の下に薄いクマが浮かんで見えます。
「お気になさらず。パトリツィアさんは?」
「さぁ、まだ来てません?」
あたりを見回す四夏さん。てっきり一緒に来られると思っていたので意外。
「わたしも久々に会うんですよ。三か月ぶりくらいかな」
「は」
二重の驚き。だって二人でマンションを出たとき杏樹ちゃんがコッソリ教えてくれたところによれば。
「お二人は恋人同士だとうかがいましたが」
「へ、ええまぁ」
「遠距離なんですか?」
「いえ、市内ではあるんですけど。大学も休みの日も違うので。あ、でもときどき電話はしますよ」
「それは……」
ごく一般的な感想を代弁するならよく続くな、といったところ。むろんあの激戦の中心で結ばれたお二人の
「お忙しそうですね。授業のない日はなにを?」
「留学生むけにポーランド語の教室があるんです。今は英語でごまかしてますけど将来的には必要なので。あとはアパートのオーナーさんのところでバイトしたり」
ナイショですけどね、と含み笑う様子はとても恋人に月単位で会っていないとは思えません。充実しているとはいえ不安になったりしないものでしょうか。
「全然。パティも頑張ってるの、わかってるから。今は二人の将来のためにって感じですかね」
「なるほど……いや、立派ですね」
水を差すようなことを言えば立派すぎるきらいはあるものの。まあそこはもう一人の主役をむかえて答え合わせをすればいい、と思った矢先。
「あ、ちょっとごめんなさい」
四夏さんのスマホが鳴動します。耳に当てた四夏さんは
「――え、うそ。わたしちゃんとやったよ? 関係ないって……わかった、修正しにいくけど。……はあっ、今日まで!?」
あたふたとやり取りした後ワタシに向けて頭を下げます。
「ごめんなさいっ、大学の
「それは……大変じゃないですか。急いで行ってください」
「はい、あの、パティには連絡しとくんで! あの子に何でも聞いてください、本当にすみません!」
何度も頭を下げつつあとずさりしていく四夏さんを見送ります。さて。
「――コバト?」
入れ違うように現れたブロンドとコットンの涼風に目を奪われました。
「あ、あの、いま」
「シナツが来てたのね。急な用事でもできた?」
トリシャは遠く
「たまにあるのよ、あの子ったら」
まるで先のやりとりを見ていたように笑うとコーヒーを注文。そこにもワタシが下劣にも期待したような影はなく。
「会うのは久しぶりだと聞きましたが」
「えぇでも仕方がないわ。ただでさえシナツは勉強することが多いもの」
「日本と連絡がとれなくなっても手紙を書く
「そう……それはよくないわね。ワタシも頑張らなきゃ」
良くないといいつつ
「トリシャは、大学では何を?」
「農学部で動物科学をやってるわ。祖父がザリピエで牧場をもっててね。長期休暇は泊まり込みで手伝いにいってたの」
「
これまた意外さが顔に出ていたのかトリシャが言葉を継ぎます。
「ワタシ、足を痛めてたでしょう。リハビリ施設の催しで行ったホースセラピーに感動して。ヒトを思いやれる動物と、傷ついた人たちの
――あとになって思えばそれは新しい世界への関わり方だったのでしょう。一人の少女の献身と引き替えに、
けれどこのときのワタシにはそれが
「トリシャは、四夏さんを愛していないんですか?」
「愛したわ。一度だけね。それに応えてくれたあの子がやりたがったことを今はしてる。お互いの未来のために努力して、ときどきそれを報告してあぁ、ワタシを思って頑張ってるんだって。そういうのも、悪くないわ」
くすくすと笑うトリシャは本当に穏やかで。一瞬こういう形もあるのかと納得しかけます。でもそれはかの戦場で四夏さんが、何もかもを
「不安になったりしないんですか。言葉を選びませんがその、浮気とか……?」
「ワタシたちの関係はとても
格好いいでしょうシナツは、とドヤ顔。うーむ。
「……いえ! それは若さゆえの
「別に無理してまで続けようと思わないわ。ワタシは約束を守るけどそれがシナツの負担になるなら」
「
まるで関係性そのものが互いに立てた
「今日び教会にだって
「難しいことを言われてもわからないわ、コバト」
「えぇい黙らっしゃい。こんな
たかだか再放送のおまけ分にチケット代なんて出るわけもなく。公私にわたって契機となってくれた方々へのお礼回りもかねての休暇というわけで。
「ポーランドの飲酒年齢は……十八歳から? 飲めるじゃないですかもう今晩空けてください!」
「えぇ……」
困惑するトリシャを押し切って四夏さんにも一方的に連絡を入れます。『来ないと二人でデートになっちゃいますよ☆(ゝω・)』と我ながらキッツい煽り文も付け加えて。まあご両人のためこれくらいの恥はかぶりましょうとも。
◇
そんなわけで。
「――こんばんはー、ってなんでもう出来あがってるんですか?」
「あ~四夏さん、ポーランドビールはスキッとしてて美味しいですねえ~」
今夜泊まるホテルの地下にあるダイニングバルにお二人をお誘いしたところ快くOKをいただきまして。
時間は午後六時。大丈夫です、普段使うヒマのない残業代で飲食とタクシー代くらいはお姉さん
「シナツ、いい感じね。飲み物は?」
「うん、じゃあわたしもビール」
遅れてやってきた四夏さんの服装を一
「あ、これ二人にどうぞ。来る途中でキレイだったので」
四夏さんは
「可愛い、ありがとう。ふふ」
「梢さんはごめんなさい。
「これは
それからようやく席に着くと運ばれてきたビールを愛想よく受け取ります。
「パティも、いい感じ」
「そう? よかった」
コツンと合わせられるふたつのグラス。何ですかねこれは、かつてのワタシが掴めたかもしれない王子様との日常ですか? いや別にウチの先輩に文句があるわけではないのですがね?
置いてけぼりをくったワタシにも
「それで、誰と誰がデート?」
じとりと
「さあ、コバト、何か知ってる?」
「い、え、そのぅ。ちょっとしたジョークでですね……」
「そういえばコバトとは本当にデートしたわよね、何年か前」
喉を
ワタシくらいの齢になればまだ記憶に新しい、二人が戦う一年前のIMCF大会。
「な、なんでこの流れでバラすんです!?」
「パティ、どういうこと?」
「うふ、内緒」
「すみません、ビールとピエロギ追加で」
楽しそうにはぐらかすトリシャを
「アナタが来る前の話だわ。シナツこそ、最近仲のいいアジア人がいるみたいじゃない」
サラダのプチトマトを突きさしてトリシャが言うと。
「
「
カン、とテーブルを叩くジョッキの底。
「あ、あの……」
「梢さんも!」「コバトも!」
「ひぇっあ、赤ワインと串肉を……!」
かたや暴力的な美しさ、かたや凄みのある凛々しさに詰められてイスごとのけぞるワタシ。
「武術の話はしないでって言ったでしょう。無神経なんだから」
「カンフー映画とかだよ。ちょっと自意識
奪い合われるように無くなっていく料理たち。ピエロギを飲みこんだトリシャがふんと鼻をならしました。
「どうだか。また記憶をなくしてキスしたのかどうかも分からなくなってるんじゃない?」
「それ、いいかげん根にもたないでよ! 思い出したんだからいいでしょ、第一パティが遠慮なしで殴るからじゃん! ――ピスタチオ!」
「最低の記憶だわ一生忘れない! 首を鍛えてないからそういうことになるのよ! ――カットオレンジ!」
けんけんと交わされる皮肉と非難とオーダーの応酬。
左右から発せられるそれがお腹に満ちたアルコールとまじってふつふつと沸き上がってきます。
「っふ、くくっ、うふふふふ」
「うん?」「なに?」
「いやっ、あのっあはは、ワタシの取り越し苦労だったと思いまして、くくっ」
それはあまりにもどこにでもある光景すぎて。
相手を
「でも、意地を張るのもほどほどにした方がいいですよ。大人になるともっと
人生の先輩ぶって飲むワインはたいへん美味しく、ワタシは一息にそれを飲み干します。二人はどちらともなく顔を見合わせて。
「……だ、そうだけど。シナツはどう、甘えたい?」
「パ、ティこそわたしを困らせて楽しんでるクセに」
ぱっと両腕を広げるトリシャと身を引く四夏さん。
「それはシナツが優しいから。一度くらい無理って言わせてみたくて」
「……言わないよ」
「言わせたいわ」
ふわっと漂う桜のようなウォッカの香り。酒気に耳を染めた四夏さんはついと目を
「知らない、梢さんにやってあげたら」
「は、え」
「……そうね」
やおら立ち上がったトリシャが腕を広げたまま近づいてきます。その目に妖しい光をみてワタシは逃れようとしましたが。
「ふぐ」
「コバトの部屋へ行きましょうか」
耳元で囁かれる声。急激な
「へ、えっ、ちょっとパティ!」
「シナツも来る? コバトってね、すごく押しに弱いのよ」
「どういう……ッ」
あぁ、と
捕虜のように引き立てられ地上へ出ると、丸い月が街を照らしていました。
「――ねえシナツ、日本では月に神様がいるんでしょう?」
「んー? どうかな、たぶん」
ふわふわとした会話。
「あんなに綺麗で優しい光を壊して独り占めにしようなんて、愚かな考えでしょうね」
「罰が当たるかもね」
「そう、でも。……もしワタシがそう思ったとしたら、一緒に罰を受けてくれる?」
うなだれた頭の上で交わされる言葉の一つ一つに大きな意味がある気がして、けれど聞くべきではないという思いが頭に
「もちろん」
「そう、なら――」
例えるなら、年の始まりを告げる朝日のような厳粛さ。誰もがじっとそれを待ち、
「――ワタシは一生、それを願わずに生きていけると思うわ。アナタが好きなこの世界を、二度と乱したくないから」
いきかう吐息と熱。
「
「ありがとう、おかげさまで」
ワタシはいよいよ目を閉じました。
――鉄火の章・おわり
――園児からはじめる! 中世武術がよくわかる本・完
園児からはじめる! 中世武術がよくわかる本 みやこ留芽 @deckpalko
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