6.難物

「おはいり」


 ドアの向こうから落ち着いた応えがありました。

 朔がノブに手をかけます。その目が四夏をちらり。


「ちょっと横によけといた方がいいですよ」

「え?」


 反応する間もなくドアが開けられました。同時に。


ガラコロカラッ!


 大きな音と共に飛び掛かってきたのは長くにょろにょろとした何か。


「ふぎっ!?」


 驚きに身を固くしその直撃を受ける四夏。

 それは鳴子なるこのように連結されて吊るされた竹製のヘビのおもちゃでした。


「お爺ちゃん、お客さん」

「くっくっ、あぁ、よう来なさった、いひひひッ」


 ドアの向こうでは座布団の上で腹を抱えて震えるスーツ姿のおじいさん。


「祖父は人をおどかすのが趣味なんです。仕事を辞めてからわりとテンションが高めですがまあ、お気になさらず」


 振り向いた朔はわずかに口端をにやつかせて言いました。


(わざとだ、ぜったいわざと急に開けた!)


 四夏が抗議がわりににらむも素知らぬ顔。

 そんな彼女について部屋に入ると、四角く切り取られていた風景がぱっと広がります。


「ふわぁ」


 四夏はぐるり全景を見回さずにはいられませんでした。

 壁にかかるいくつもの和甲冑かっちゅう。タンスや棚の上には鎧兜が所狭しと並べられ、いかめしい面頬めんぽおがこちらをのぞき込んでいます。

 畳の上には新聞紙が広げられ、見たこともない工具や金属板、色とりどりの糸などが散らばっていました。

 机にはぎゅうぎゅうに詰まった本棚からあふれたノートやファイル。


「とりあえず挨拶だけでも済ませてください」

「あっごめん、なさい!」


 座布団をしいた朔と花山翁かざんおうにぺこりと腰を折ってから正座します。

 痩せぎすで小柄な体に真っ白な髪がちょんと乗ったような翁は、一転して静かな目を四夏へ向けていました。


「あの、瀬戸四夏です! お願いがあってきました」


 膝の前へ指をついたその顔の先にぬっと翁の手が突きつけられます。テカテカ光る磨いたような手のひら。


「話は聞いてるよ。女物のガントレットを一組。軟鋼のゴシック式、納期はひと月、と」

「はいっ!」

「けっこう、やらしていただきますよ」


 え、と四夏は思わず花山翁の顔を凝視しました。

 どんな恐いおじいさんだろうと身構えていたのでちょっと拍子抜け。


「い、いいんですか?」

「もちろん。聞けば前に使っていたものがあるらしいね。見せてもらえるかい」


 背負ってきたリュックサックから、借りてきたお姉さんの手甲を取り出します。

 ていねいな手つきで受け取った花山翁はそれを回し見て。


「なるほど大層使われた。ふむ、」


 感心か呆れかわからない溜め息をもらすと卓上のカレンダーを引き寄せます。

 赤鉛筆を取り出すと、書き入れようとしてシパシパとまばたき。


「お爺ちゃん、今日は22日だよ」

「あぁ、そうかい」


 シュッと今日の日付に丸をつけました。 


「年寄りの一日なんざお天道てんとう様みたいなもんでね。決められた場所にいさえすりゃあとは暇なもんさ。図面をひくのに一日、小札こざねの切り出しに二日……」


 最初の丸からするすると月末へむけて線が伸びていきます。


「リベット(鋲)用の穴あけ・打ち出し・緩衝材パッディングとレザーの切り出し、リベット打ち。最後にひと穴あけておくから受け取りにきたとき打つといい」

「え、あの」


 どうも肝心なところで齟齬そごがあることに気付いた四夏は口を挟みました。


「自分でやりたいんです。初めから。そのやり方を教わりたくて来たんです」


 柔和な笑みを浮かべていた花山翁がふ、と真顔で四夏を見返します。


「さて、それは……んん?」


 じぃ、とその目が四夏の足元、かかとの方を凝視しました。つられてそちらを振りかえる四夏。


「ひっ」


 その数十センチ先にウゾウゾとこちらへ向かってくる大ムカデがいました。


「きえぁあっ!?」


 ぞわっと鳥肌が立ち、正座からそのままの姿勢で飛び上がる四夏。

 着地と同時にその悪夢から離れるべく這うように部屋から飛びだします。

 バタンとドアを閉めたとたん、


「……祖父は半端な気持ちの人に技を教えたりしません」

「ひぇあばっ」


 耳元でささやく声。弾き払うように振り向くと、部屋にいたはずの朔が立っていました。


「な、なんっ、いつから」

「『自分でやりたいんです』あたりです。先が読めたので待ってました」

「む、ムカデが……!」

「クモもいますよ、ほら」

「ひきっ」


 ポケットから取り出された八本足のわさわさにあとずさる四夏。でもすぐそれが本物でないと分かります。


「あれも祖父のイタズラです。作りものを釣り糸で引き寄せたんですよ」


 言われてみれば足が動いていなかった気がします。それにしてもリアルでした。

 背後の扉の向こうからは大笑する声が聞こえてきます。


『くくくっ、きえぇあ、たぁ、いっひっひクキカカッ!』


「あぁなると長いですよ。似たような罠を仕掛けてしばらく立て篭りです」

「……なんでそんなこと」


 半端な気持ちには応じない、という朔の言葉を思いだします。


「わたし、本気なのに」

「それを伝える相手はアタシじゃないんじゃないですか?」


 言われ、はっとしました。試すような朔の目が四夏のまけん気を呼び起こします。


「うん、そうだね」


 四夏はうなずいて再度ドアへ向かいます。大きく一度深呼吸してそっとノブを引き。

 降ってきたおもちゃのヘビを今度はかわして、部屋へ。


「あのっ、お話を――ひにゃあああっ」


 ぶにょ、と何かを踏んづけた感触に悲鳴。

 上を注視した四夏の死角へ滑り込むようにして踏まれたそれはネコでした。白とぶちのふてぶてしい大猫。

 ぶみゃあ~ァア、と鳴いたそれは四夏のズボンをよじのぼろうとまとわりついてきます。


「わ、わ、わ!」


 思わず部屋の外まであとずさると、大猫はダルそうに引きあげていきました。

 ペッ、とその口が四夏の足元へ虫っぽい何かを吐き出します。


「ひぅ」


 ストレートな拒絶感に心が折れそうです。扉の向こうからは再び大笑いする声。


「しっかりしてくださいセンパイ」

「う、あ、赤根谷さぁん」


 ついヘタッた声を出してしまう四夏。その背中をぽんぽんとなでながら朔。


「祖父は若いとき日本の伝統芸能をいろいろやってたんです。忍術も、まぁ半分はカルチャースクールの手品ですけど」

「なんでムカデとか虫とかばっかり……」

虫獣遁ちゅうじゅうとんっていうらしいです。得意技で、無形文化財の申請がとおってたらそっちで食べていくつもりだったと」


 わりとシャレにならない一家の分岐点にふれて他人ながら背筋が寒くなります。が、おかげでちょっとだけ平静が戻ってきました。

 顔をあげると勇気付けるような朔の顔。


「頑張ってください。罠はだんだんエグくなってきますけど、無限じゃないです」


 まるで以前にもこんなことをしたかのような朔の口ぶり。

 いえ、一緒に暮らしているならそれもあるかもしれませんが、そもそも。


「どうして赤根谷さんがわたしを応援してくれるの?」


 彼女流に表すならライバル同士。事実、ここまでもそう好意的ではなかったはず。

 朔は若干気まずそうに頬をかきました。


「まあ、ダメもとで期待ですかね。あわよくばアタシも教われますから」

「赤根谷さんも教わりたいのっ?」


 驚いてたずねると、こくり。


「けど祖父は、女の子は料理や化粧を習いなさいって。頼みにいくたびにあの調子で話にならないんです。でもセンパイならもしかしたら、って」

「ちょっと待って」


 四夏は順序立てて考えます。

てっきり原因は四夏にあるとばかり考えていました。けれど前提としてまず『朔に教えない』という考えが花山翁のなかにあるとしたら。


「わたし、っていうか赤根谷さんがいるからダメなんじゃない?」


 朔の視線が一瞬あさっての方へ逃がれたのを四夏は見逃しませんでした。


「いえ、そんなことは……センパイだって女の子ですし一応」

「だとしても目的がいっしょってことでしょ? 私ばっかりおどかされるのは不公平じゃない?」


 目的が同じ、言いかえれば朔は四夏をけしかけることで自分の目的をも達しようとしていることになります。

 チッ、と小さな舌打ちが目の前から聞こえました。


「今さら気付いても遅いですよ、さあ」

「何がおそいの?」

「あいたたたたたっ!」


 無理やり四夏を反転させてドアへ押しやろうとしてきた腕を軽くひねりあげます。身をよじった朔が悲鳴をあげました。


「赤根谷さんってさ、雰囲気で人を押しきろうとすることあるけどさ。わかるからね?」

「やっ、だっ、そんなことあるワケないじゃないですか、ド天然なセンパイがそんなフクザツな痛いいたいイタイ!」


 言い訳と悪態がごっちゃになっているのを冷たい目で見下ろす四夏。体よく使われていたと気付いてなお愚直に突撃するほどお人よしではありません。

 分かりました、と朔が壁をタップしました。


「分かりましたよっ次はアタシがいきます」


 ねじられた肩を戻すように回しつつ、すごすごとドアへ向かいます。のぞきこみながら半ばまで開けて、停止。


「……センパイ」


 その手がちょいちょいと手招きしました。つられて部屋をのぞいた瞬間。


「やっぱり怖いんでお願いしますっ!」

「えっ、あ、ぬああっ!?」


 くるりと体を入れ替えるように押し出され、部屋の中へ。

ぷつん、と中空に張られた何かをつんのめった体が押し切った感触。

 直後、両サイドから射出されたヤモリのような何かが半袖の腕にぺたりと張りつきました。それはシュルシュルとオモチャとは思えないリアルさで足元へ這いおりていきます。


「本物ぅぃやあっ!」


 気付いた瞬間ぞわっと肌が波打つように総毛立ちました。ペンギンが羽ばたこうとするみたいに四肢をバタつかせながら退散する四夏。


『ひやっ、ひゃっ、ひーっひっひ!』


 翁の爆笑を背に受けながら、逃げようとする朔の首根っこを押さえます。


「許してくださいセンパイ! そんなつもりじゃなかったんです!」

「うるさい」


 ヤモリの這ったあとを朔のワンピースになすりつけながらアームロック。それを凧型盾カイトシールドのように前へ押したてて再度ドアをあけます。

 三度めであれなら四度めなんて絶対に自分ではやりたくありませんでした。


「きああぁっホンモノーッ!」

「カカカッ、うひゃひゃはっ、はーっはっは!」


 何かがぼとぼとと降ってくる音と、朔の悲鳴。固めた朔の腕がぶわっと鳥肌で埋まるのだけが分かります。

 しばらく頭を低くしてやりすごすと、次第に上が静かになってきました。


「はぅ、ぁあ、ぅ……お、おじいちゃ、ん?」


 急にトーンダウンした声に四夏は前をのぞきこみます。

 花山翁はこれまで同じように座布団の上で背を丸めて震えていました。けれど大きく響いていた笑い声は鳴りをひそめ、小さな痙攣のような息遣いだけがもれていました。


「おじいちゃんっ!?」


 小さなタコ型のスライムが散らばる中を二人は駆け寄ります。

 うずくまった花山翁はひぃひぃとぜんそくみたいに浅い呼吸を繰り返していました。

 のぞきこんだ二人を目だけがきろりと動いて捉えます。


「えっえっおじいちゃんどうしちゃったんですか、きゅっ救急車……?」

「これたぶん過呼吸! 落ち着くようにさすって、何でもいいから話させてあげて」


 保健の知識をひっぱりだしつつ四夏は念のため子どもスマホを準備します。

 半泣きの朔のツインテをぺとぺとと伝い降りていくタコスライムを見て、もしかしたらヤモリもあんな作りものだったかなと思いなおしました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る