5.剣の柔剛

 次の日、掃除の時間。

 青くさえわたった空から5月らしからぬぴりっと冷えた空気が降りてくるようです。

 給食の片づけが終わるなり飛び出してきた四夏。なんだかやたらに剣を振りたい気分でした。


 お姉さん、ブラダマンテはやっぱりお父さんの知り合いでした。が、お父さんもその素性や本名を知らないとのこと。

 ――そんなハズないんですが、素直な四夏さんはそれで誤魔化されてしまったんですね。

 お父さんのタブレットやJABLの情報誌などでも探したもののやはり分からず。

 そんなことに時間を使うなら練習して彼女を見返すほうがいいと思い直したのが今日の授業中。

 裏庭に到着しまずは掃除を終わらせるぞと腕まくりをしたとき。


「しーなつっ」


 ひょこっと校舎の影から天使の輪っかがのぞきました。その輝きに負けない満面の笑みも。


「パティ?」

「遊び、きたわ!」


 なんと臆面のないサボリ宣言でしょうか。四夏は思わず感心します。


「今日も戦ってくれるっ?」

「ちょ、ちょ、待っ……!」


 外国人というのは皆こんなに距離が近いのでしょうか。また抱きつかれそうな位置まで詰め寄られて四夏は後ずさります。

 かかとが昔の花壇らしき段差にひっかかり、気付いたときには空を見上げていました。


「きゃっ」

「うっぐぅふ……っ」


 重なるように倒れたパティの下敷きになった四夏は呻き。


「ごめんなさいシナツ、だいじょうぶ?」


 目を開けるとたいそう異国風エキゾチックな顔がすぐそこに。

 上体をもたげた彼女とのスキマで、垂れ下がった金髪の奥、ロザリオが微光を宿しています。


(……冒険だ……)


 わずか数センチの隙間に、四夏は大きな水と空を幻視しました。それはきっと二人が生まれた場所の距離。

 パティが越えてきたはずの深く広い二つの世界の溝は、近付くほどに埋まるどころか凝縮ぎょうしゅくされ深まっていくようでした。

 互いが互いの瞳へ落ちていくような一瞬。


「シナツ、同じ匂い! ウチで飼ってる犬と!」

「ぇえっ!?」

 

 唐突に髪の生えぎわへ鼻をうずめようとしたパティから、四夏は脱兎だっとのごとく抜け出します。


「ごめん、イヤだった……?」

「いやっ、そっ、そりゃそっ」


 そりゃそうだと言いたいのに動揺して上手く声が出ません。まったく何て間合いの近さでしょう。


「だ、大丈夫。さきに掃除するから待っててくれる?」

「ワタシ、手伝うわ!」


 動悸を鎮めながら、パティの笑顔にもようやく慣れてきたなと思う四夏。



 裏庭の端っこから、草を抜き石を拾ってホウキで掃きます。

 そういえば“Fort du Mont Albanフォーデュ モンアルバン”の中庭も、砂利ひとつない綺麗な地面だったなと四夏は思いだしました。

 同時に、悔しさも。


「……パティはさ」


 もやもやを振り払い、隣でチリトリを構える彼女にたずねます。


「カミサマってなんだと思う?」

「?」


 不思議そうに見開かれた目がこちらを見上げました。


「神様?」

「あっ、ごめんね、急に変なこと聞いて」

「どうして? 神様のこと、考える、いいことだわ」


 パティは朗らかに言うと、ンーとあごに手を当てます。

 ややあって。


「……お父さん?」


 小さくつぶやいて、怪訝な顔の四夏へ慌てたように手を振ります。


「Ahn...違うの、本当なお父さんじゃなくて、大きな……みんなのお父さん?」


 パティはときどき舌の上で言葉を転がすように言い淀みます。日常会話ならまだしも、難しい話は日本語にしにくいのでしょう。

 分からないなりに四夏がうなずくと、ホッとした様子で言葉を続けました。


「やること、キチンとする人のそばに、いつも居てくれるお父さん。ワタシのやること、強い騎士になること、だから」


 一言一言たしかめるようなそれが、じょじょに確信的に変わっていきます。


「だからケガ、こわくないわ。全部、神様がここにいて、ワタシにくださるものだから」

「……怪我も?」

「シレン、ていうの」


 その意味するところを四夏はどこか遠い国の呪文のように感じました。

 けれどパティが何か途方もなく大きな力にまもられていることだけは分かります。だから彼女はあんなにも奔放に、少しのかげりもなく戦うのでしょう。


「ヘン、だと思う?」

「ううん格好いい! わたしもそんなふうに思えたらな……」


 四夏にとって神様はお話の中の存在になりつつあります。物語の騎士のように奇跡やその声を聞くことが、現実にはそうないんだと周りを見てなんとなく察しています。

 けれど――


「来て、シナツ!」


 けれどそんなのは気の持ちようなのかもしれません。

 不意に繋がれたパティの手は暖かく、まるで彼女だけが陽だまりの中にあるようでした。


「神様、ここにいるわ。戦うワタシとあなた、二人ともにシレンと愛をくださる」


 かすようにホウキを構えるパティを、四夏はそっちこそ犬みたいだと苦笑します。

 ふしぎと、負けたくないとは思いませんでした。


「――マイレディ」

「マイレディ!」


 上段上向の【屋根】へ、剣を構えるや否や四夏はまっすぐに踏み込みました。パティが目を見開きます。

 ばちぃっとパティの頭上で衝突する剣。


「ッ」


 昨日、四夏は受けとめた剣をバインドできませんでした。

 ならこっちから先に攻撃しよう、というのが作戦ひとつめ。


 しゅるん、と。


 押し合ったはずの剣がその拮抗を失います。同時にパティの姿も剣の下から消えていました。 


(! また……!)


 バインドをすかされた身体は前に泳ぎます。その脇を抜けるようにして半回転したパティが横薙ぎを振りかぶっていました。


「んぃいっ!」


 無理やり背中側へ剣をかざして辛くも防ぐ四夏。すれ違うままに二人の間合いは離れます。


「っふ」

「アハっ」


 数秒ぶりに視線を交わして、どちらともなく浮かべたのは笑みでした。


「パティ、わたしも感じてる、かも」


 なにか暖かいものが二人の間を満たしていて、湧き上がるよろこびが体じゅうを鋭敏にしています。

 恐怖は興奮にすりかわり、楽しくてたまらないこの打ち合いがずっと続いていくような気すらします。


「まだよ!」


 上段前向、【雄牛】に構えたパティが踏み込みと共に頭上で剣をひと回りさせます。

 【はたき打ち】。剣を後ろへ回すぶん予備動作が大きくリーチも短いその技をどうして初撃に使うのか。

 よくよくパティを観察すれば明白でした。


「んぐっ!」


 バチン、と強烈な衝撃に受けた腕がしびれます。

 パティは打ちこみと同時に上体を強くひねりこんで、威力を上げていました。

 四夏はひじから手首までを固めてそれを受け止めねばなりません。そこへ。


「よく見て、シナツ!」

「――ッ!?」


 一瞬の硬直に差し込むように振るわれる、逆回転の【はたき打ち】。

 初撃でねじり込んだ上体がバネのように戻る勢いを、さらなる加速へ換えての二撃目。体幹の反発を活かした連撃が彼女のフィニッシュムーブ。

 昨日は寸止めでした。ですが今まさに迫るこれは。


寸止とめる気がない――!?)


 とっさに四夏は膝の力を抜きました。同時に首をめいっぱい傾けます。

 心臓が持ちあげれらたような浮遊感。ガラスに息を吐いたように白んだ視界の中で、パティのロザリオがスローモーションのごとく何度もきらめきます。

 ボッ、とこめかみの上を剣が横切った感触がありました。


「どう、見えたっ?」


 遅れて全身からふき出る冷たい汗。避けなければ確実に頭をはじかれていました。

 無我夢中で転がり逃れて顔を上げると、パティの無邪気な笑顔。


「……こっ、のぉ」


 怒る気にもなれません。彼女の『神様』にたしかに触れた気がしました。

 四夏もまた、ひきつったような口端をそのままに地を蹴ります。

 やみくもに斬り込んでもすかされるのは先の一合が証明済み。

 防御には二種類あるのだと四夏はイメージします。腕を固め体幹と直結させる『かたい』防御と、攻撃をすかすように誘導する『柔らかい』防御。

 『柔らかい』防御には足の動きも絡むようで、四夏にとってはまるでタネのわからない手品のようです。


(なら、もっと剛く――!)


 四夏は腰の高さ【愚者】に剣を構えると、右手を想定するつばより前へすべらせました。

 ――刃の中ほどへ片手を添える【ハーフソード】という持ち方。幼稚園のとき凜ちゃんが使っていましたね。

 上半身めがけて打ちこまれるパティの【はたき切り】を、剣を持つ両手の間でかちあげるように防御。

 いくぶん軽いしびれが両腕に伝わり、パティの剣が跳ね上がります。


が……ほどけた!)


 一撃目で溜まったバネの反発力が、上に泳いだ切っ先と共に抜けるのを四夏はみました。

 固めた腕をそのままに四夏は逆面を襲う二撃目をとらえます。即座にバインドして剣を押し逸らし。

 その重みが消失。


(三回目!?)


 剣が離れる早さが尋常じんじょうではありません。絶対に捕まらないという意思すら感じます。

 瞬間、四夏は飛び込んでいました。身を低く、相手のふところへ。

 途中、唐竹割からたけわりへ変化した剣が落ちてきます。


「ゃあああッ!」


 咆哮。交錯のさなか、二人はお互いの目をたしかに見ました。

 強烈な突きがパティののどにねじ込まれ――寸前で停止。


「ッケホっ」

「あっご、ごめん! 大丈夫!?」


 はっと我に返った四夏は、よろめいたパティが喉を押さえたのをみて青くなります。

 ホウキを捨てて駆け寄ると、うるんだ目がこちらを見上げ。


「シナツ!」

「あわあっ!?」


 カウンターぎみに首にとびつかれて四夏は目を白黒させました。またか!


「シナツの剣、特別よ、神様がくださった、ワタシと同じ!」

「え、え?」


 おそらく天与の才だと言いたいのでしょうが、四夏はそんなことよりパティが無事なことに胸をなでおろします。

 ほんの一瞬、寸止めのルールを忘れていました。戦いに夢中になるあまり。


「不安だったの、クラスに、まざれなくて」


 ぎゅうっと抱きつかれ、囁かれた言葉にはっとします。とくんとくんと自分とは違う心臓の音が服ごしに伝わってくるようでした。


「ワタシ、お客さんみたいで。テストも、みんなと違うし。体育は、好き、だけど」

「……ちょっと分かるかも」


 四夏もときどき、クラスのみんなが知っているものを知らないことがあります。テレビの有名人や、服の名前。そんな時は少しだけ、仲の良いみんなが遠くに感じられてしまいます。


「わたしはずっとパティと話してみたいって思ってたよ。皆もそうじゃない?」

「本当に?」

「パティはすごくキレイだし、教室でも静かだから、話しかけづらいんだと思う」

「だ、だってワタシ、下手だから、日本語」


 充分上手だけどなぁと思いつつ、疑問。


「わたしには結構グイッときてたけど?」

「すごく勇気、出したの! 話したかったから……シナツと」

「そ、れは、ドウモアリガト」


 金髪からのぞくピンクの耳をアップで見ていると、自分までそうなってしまいそうで四夏はあさっての方向へ目を逸らします。


「よかった、シナツと話して、シナツと、会えて」

「……うん、わたしも、パティと会えてよかった」


 パティからはかすかに汗とホコリっぽい匂いがしました。たぶん自分も同じ匂いがするんだろうなと思うと、四夏はなんとなく嬉しい気分になるのでした。


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