第2話 魔剣プレシアン

「剣を、見せていただけますか」


 シホが席を立った。正面に座ったラインハルトも、釣られて立ち上がると、言われるまま、腰に提げた聖剣シルヴァルフを、鞘ごと取り上げ、長卓の上に置いた。


「この剣は、我がパーシバル家に、家宝として代々伝えられてきた、と聞いています。父、バラートが、東方遠征に赴く際、わたしに託して行きました」

「……いまも、魔法の力を放ち続けています。強い……」


 シホがシルヴァルフに手を伸ばした。ラインハルトには何も感じることは出来なかったが、シホは目を閉じ、何かを、翳したその手のひらで感じ取っているようだった。と、


『懐かしいな、光の魔導師、か』


 どこからともなく、声が聞こえた。老齢な、男の低い声。その場にいる三人の男のものではない。ラインハルトは思わず周囲を見回したが、自分たち以外の誰かが、この部屋に入ってきた訳でもない。声は自分にしか聞こえていないのか、シホに付き従った男たちからは、何の反応もない。


「無礼を承知でお伺いします。偉大なる魔剣よ」


 シホの陽光色の髪が、風に煽られている様に靡き始める。ラインハルトは驚き、目を見張ったが、やはり他の男たちは何の反応も示さない。それでラインハルトは、彼らについて、二つのことに気が付いた。ひとつは、彼らがこうした場に直面したのは、今回が初めてではないであろうこと。そして、もうひとつは、自分にしか聞こえていない、と思った声は、おそらく彼らにも聞こえているのだろう、ということだった。聞こえていて、体験したことのある現象だからこそ、彼らは何の反応も示さなかったのだ。彼らは、こうして、これまでも魔剣と対峙して来たのだ。


「あなたの、名は」

『わかっているのだろう、光の魔導師』


 声は、風格すら感じさせる、落ち着いた、芯の太いもので、シホの問いかけに、まるで見守る親のような微笑まじりで言った。


『お前の力は本物だ。お前の思うところが、そのまま答えとなる』

「では、やはりあなたは……」


 そこで、不可視の力に揺れていたシホの髪が、綺麗に波打ちながら、元に戻った。何かを理解したように、シルヴァルフに翳していた手を、シホは引いた。


「……魔剣プレシアン」

「位階『領主』のひと振り、ですか」


 ルディがシホに問う。シホは小さく頷いた。そして、視線はシルヴァルフに落としたまま、言葉を続けた。


「ラインハルト様。この剣で戦いに臨むとき、何が見えましたか?」


 ラインハルトはシホの俯いた顔を見た。それは、答えを知っているものの問いかけだった。


「……全てお話すれば、長くなります」

「構いません。この剣を手に取ってから、おそらくは、ルートクルス城を取り返した、あの戦いから、ラインハルト様に何があったのか、話していただけますか?」


 聞く用意がある、とばかりに、シホは席についた。視線を上げ、ラインハルトを見た彼女は微笑む。誰もを安心させる笑顔がそこにはあった。だが、それだけではない、有無を言わせぬ硬質な何かを、ラインハルトは感じた。ラインハルトもまた席につき、シホの言う通り、ルートクルスでの戦いから、このダキニ城での戦闘まで、自分に起こった全てを、ひとつひとつ、シホに伝えて行った。




「間違いありません。伝承の通り、それは百魔剣、位階『領主』のひとつ、魔剣プレシアンの力です」

「戦いの、先が見える力、か」


 ラインハルトが順を追って、ダキニまでの戦いの全てを話し終えると、シホが口を開いた。シホの背後に立つ黒ずくめの傭兵が、舌打ちの代わりのように、言葉を吐き捨てた。


「厄介だな」

「……魔剣プレシアンは、剣での戦闘に特化した魔剣と言われています」


 いったい、何がどう厄介なのか。まるで聖剣として伝わってきたこの魔剣と、戦うことを想定しているかのようなリディア・クレイの発言には触れず、シホは言葉を続けた。


「例えば、剣を長く修練したものが、相対した敵の次の挙動を、感覚的に先読みすることが出来るようになる、見切りであるとか、そういった言葉で表現される力を、魔剣プレシアンは魔法の力で、手にした全ての人間に与えると伝えられています」


 確かにその通りだ、とラインハルトは思った。確かに、ラインハルトが体験してきたのは、そうした光景だった。


「それは、時すらねじ曲げるほどの魔法の力だといいます。魔剣との親和性が高まれば、相手が動く前に、全てを予見出来てしまうのだそうです」


 ということは、ウファとの戦いの最中、ウファが殆ど止まって見えたあの現象は、その親和性とやらが高まったからなのだろう。だが……


「その強力な魔法の力ゆえに、魔剣プレシアンは、百魔剣の中でも特に強力な力を有する十本とされる、位階『領主』のひと振りに該当します。但し……」


 シホはそこで言葉を切って俯いた。そして立ち上がる前と同じ、机の上に肘を着くと、両手を組んで、今度はその両手を額に当てた。手庇の下から、シホの眼差しがラインハルトを真っ直ぐに見ていた。


「この魔剣プレシアンには、その力が強すぎるゆえに、重大な欠陥があります」


 シホの眼差しが冷たい。だが、その奥に困惑の色があった。冷たく、硬質に見せることで、伝えるべきことを無理をしてでも伝えようとしている。ラインハルトにはそれがわかった。


「未来は、千々に分かれるもの。それが戦いの中の一瞬であったとしても同じです。魔剣プレシアンは、それら千々に起こりうる挙動の可能性の全てを、同時に所持者に見せるのです。親和性が高まれば高まるほど」


 やはり、とラインハルトは得心した。ウファとの戦い、その最後に見た、ウファが分裂したようなあの光景。分裂したウファに、ラインハルトは幾度も斬られ、突かれ、幾度も死んでいた。


「その中には、当然自分が斬られ、命を落とす『可能性』も含まれます。そして、この剣が魔法の力で伝えた全ては、使用者の精神には、全て現実として捉えられます。つまり……」

「実際に、斬られ、突かれ、命を落とすほどの痛みを、この身体が感じることになる……」


 それは、既に体験済みのことであった。シホの言葉の先を取ったラインハルトは、確認する視線をシホに送る。シホは小さく頷いた。


「ラインハルト様が意識を失ったのは、そのせいですね。どれほど強靭な精神を持ったものでも、そうそう堪えられるものではない、と伝えられています。それゆえに、魔剣プレシアンは位階『領主』でありながら、統一王国崩壊後の世界で、他の魔剣に比べ、伝承が残されなかった剣でもあります。……扱えるものがいなかったのです」

「そんな剣が、なぜ我が家の家宝として……」


 伝えられてきたのか。父は知っていたようだが、ラインハルトはこの戦いが始まるまで、こんな宝剣が自分の家に存在していること自体、知らなかった。詮ない問いだと思いながらも口にしてしまった言葉を、シホが受け止めた。


「わたしが知り得る限り、魔剣プレシアンを使いこなせた人物は、ひとりだけです。王国最盛期に、統一王から魔剣プレシアンを授かった、統一王国の領主のひとり。当時でも珍しい、女性領主だったそうです。名はミネルバ・パーシバル」

「パーシバル……!」

「ええ。……いや、旧統一王国が崩壊したのは、太古といっていい時間の彼方の話です。ラインハルト様のお家柄と直接の関わりがあるのかは、わたしには分かりかねます」


 しかし、同じ姓を持つものが、初めて手にした剣であった。無論、シホの語る百魔剣物語を信じるのならば、ではあるが、少なくともいまのラインハルトには、シホの話を疑う気持ちは、微塵もなかった。


「女性、ですか」


 シホの話を、身を乗り出して聞いていたルディが訊いた。確かに珍しいが、興味が沸いた部分がラインハルトとは違うらしい。


「ええ。概して苦痛に堪える精神や、何かを貫徹しようとする精神は、女性のほうが強いものですよ、ルディ」


 手庇を解いたシホが、にこりと笑った。

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