第三章 怨讐と聖剣

第1話 百魔剣物語を、ご存知ですか?

「……一体、何からお伺いしたらよいのか、まだ要領を得ませんこと、お許しいただきたい」


 ダキニ城攻略戦から三日後、漸く起き上がることが出来るようになったラインハルトは『沈黙を告げる騎士団』に用意されたダキニ城の一角にある会議室で、長机に向かって座っていた。オード王国との『防衛戦争』は未だ続いていて、エルロン侯率いる神聖王国カレリアの正規騎士団、神聖騎士団の先見隊は、既に次の要衝の攻略に乗り出し、進軍を開始していた。だが、先の戦いで指揮官であるラインハルトは意識を失うほど疲弊し、補佐であるアルスミットは重傷を負った『沈黙を告げる騎士団』は、騎士団として機能することが出来ず、このダキニ城に留まっていた。


 木製の机越しには四人の男女がいる。ラインハルトは主にその中心人物である、唯一の女性に言葉を向けていた。


「いえ、構いません。どんなことでも、お答えしたいと思っています。あなたにはその権利がある」

「義務もな」


 四人の男女の内、三人は席につき、ラインハルトと向き合っている。あとのひとりは後ろに立ち、部屋の石壁に背を預けて立っていた。低い声で付け足したのは、その立ったままの男だった。腰まである長い黒髪と、同じ色の外套に身を包んだ細身の男。中性的に整ってはいるが、鋭すぎる印象を放つ白い顔は、男の異名である死神を、確かに想起させる。伝説的な傭兵として知られる『紅い死神』リディア・クレイ。彼らの中心人物である女性は、彼をそうラインハルトに紹介していた。


「……義務」

「ラインハルト殿にも、知っておいていただきたい。いま、世界の裏側で、何が起きているのか。あなたには、もはや無関係な話ではない」


 今度は女性の隣に座った、長身の男が話した。ダキニ城攻略戦時、誰よりも速く、遊撃部隊の先頭を駆けた、あの僧兵だ。見えないという両の目は閉ざされたままだが、それでも彼が纏う殺気に近い剣呑な威圧感は、十分ラインハルトに伝わる。


「二人とも……」

「まあ、順を追ってご説明しますよ。まずは、我々が何を調査しに来たのか、ですかね?」


 女性の声が低くなったところを引き取ったのが、女性を挟んで僧兵とは反対に座った、浅黒い肌を持つ男だった。現状、神殿騎士団の一部隊である彼ら『聖女近衛騎士隊』を取り仕切る地位にある男で、名前はルディ・ハヴィオ。どこか斜に構えたような、いい加減のような人物像を想像させる話し方をする男だった。だが、その実、常に周囲の状況を読み取り、先回りしている様子もあった。かなり仕事の出来る男だ、とラインハルトは判断した。


「そうですね。順を追いましょう。まずは」


 緩く波打つ陽光色の髪を揺らして、女性は机に両肘を着いた。今日は彼ら教会が信奉する、神々の装身具を模した鎧兜は身に付けていない。全身を包むのは、金に縁取られた真っ白な司祭服である。ゆったりとした作りのそれは、天空神教会の最高位にあるものを示すものでもあった。貞淑を絵に描いて示した白であるはずなのだが、非の打ち所がないほど整った顔立ちのこの女性が身に付けていると、扇情的ですらあるとラインハルトは秘かに息を呑んだ。


「百魔剣物語を、ご存知ですか?」


 女性……天空神教会最高司祭の一人、『聖女』シホ・リリシアは、掌を組み合わせ、その上に線の細い顎を乗せるような仕草で話し始めた。


「百魔剣物語、とは、あの……」

「ええ、、百魔剣物語です」


 それは、この神聖王国カレリアに住むものならば、いや、このアヴァロニア大陸に住むものならば、誰もが知っているであろう、有名なおとぎ話だった。同時に史実を子どもに教える教養も含んでいる。かつてこの大陸は、ひとつの王国であったこと。その時代には、万能なる力『魔法』が存在していたこと。王国が権威の象徴として、その魔法の力を宿した百の剣を鋳造したこと。百の魔剣たちには、それぞれに様々な物語があり、子どもたちは大人から聞かされるそれらの物語に夢中になった。物語に個性があるように、子どもたちもそれぞれ興味のある話が異なり、わたしはあの話が好きだ、ぼくはあの戦いが好きだ、と言い合い、戦記ものの物語の真似をして、木の枝や木剣を打ち合わせてみたり、話によっては飯事の種になりもした。それほど百魔剣物語に納められている物語は広く、多様であり、それゆえに全てを知っている人間はいない、とラインハルトは聞かされて育った。


「全てではありませんが、存じております。しかし、あれは子どもの……」

、百魔剣物語が」


 シホの眼光が鋭くなる。威圧的ではないものの、その瞬間だけは、他者に有無を言わせぬ力があった。


「おとぎ話ではなく、全て現実の物語だとしたら、どのように思われますか?」


 おとぎ話ではないとしたら。


 ラインハルトはシホを見た。シホは微笑を浮かべてはいるが、冗談を言っているようには見えない。勿論、こんなところで冗談を言う女性ではないことはわかっているが、それでも、ラインハルトは一瞬、シホの言葉を疑った。『百魔剣物語が現実のこと』という言葉は、それほど突飛な発言なのだ。物語の中で語られるのは、超常的な力や、それを扱う人物たちの戦いの話が主であり、子どもの時分は疑うことなく呑み込めていたとしても、実際に魔法の力を見たことのない、いまの時代に生きる人間にとっては、眉唾ものの、到底理解出来ない話ばかりなのだ。

 

「……つまり、旧統一王国時代に、魔法の力を宿した剣が百作られたことは事実で、それらは王国崩壊後も、魔法の力を宿したまま存在し続け、歴史に残るような事件や、語り継がれる物語の中心に置かれて来た、と?」

「ええ。それがおとぎ話として、人々の間に定着したのだとしたら、どのように思われますか?」


 百魔剣物語が現実のことだとしたら。


 そう考えると、ルートクルス奪還戦からこれまでの、敵の、そして自身の異常、超常に、説明が付くことが多く出てくる。確かに、ラインハルトが体験した戦いは、幼い頃に聞いた百魔剣物語に酷似していた。


「シホ様が先日話されていた、関所砦を『斬った』というお話、炎を自在に操る、いや、炎そのもののような剣士、そして……」


 僅かに未来が垣間見える、自分。ラインハルトは言い淀んだ。先の戦いの中で、ラインハルトは確かに感じた。父から託され、いまは自分の腰にある、パーシバル家に伝わる宝剣、シルヴァルフから流れ出てくる力を。そして、ラインハルトは何度も体験した。僅かに先の戦いを、垣間見る体験を。それでもラインハルトが言い淀んだのは、未だに完璧には信じることが出来ないからである。あの感覚は本物だった。それは間違いない。しかし、あれが百魔剣物語に語られるような、魔法の力だった、とは言うことができない。魔法はこの世に存在しないはずであるし、それゆえにラインハルトは、魔法とはどのようなものであるのかを知らない。


「ラインハルト殿のその剣も、ではありませんか?」


 俯いたまま、僧兵が口を開く。そう言えば、この男の名前は聞かなかった。本人も名乗らなかったし、シホも話さなかった。ラインハルトはかつてのシホに保護者のように付き従った、クラウスという騎士ではないか、と推察したが、目の前の僧兵の容姿に、神殿騎士の長を勤めた、勤勉実直が服を着て歩いているかのような、クラウスという男の印象は微塵もなかった。鋭く、的確に指摘するその声は、相対した敵を逃すことはない、研ぎ澄ました戦士の感性を強く感じる。


「……確信はありませんでしたので、申し上げられませんでしたが、おそらく、ラインハルト様がお持ちのその剣……」

「ええ……シホ様。シホ様がおっしゃる魔剣だと、わたしも思います」


 ラインハルトが体験した全てが、この剣から流れ込んできていた力によって引き起こされたものだとすれば、まず間違いない。この聖剣として伝えられてきた剣は、魔剣だ。

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