第18話 死神と雷神

 背後に立った紅い気配は、ゆっくりと振り向いた。それに合わせて、クラウスも振り返る。そこには、。腰に達するほど長く、艶やかな黒髪。中性的な優男の顔立ち。髪の色と同じ、漆黒の外套の嵩は長く、踝までを覆い隠している。そして、何より特徴的なのが、この男の持つ剣。簡素な十字型の鍔に、黒革を巻き付けた柄を持つ、どこにでもあるような片手剣だが、その異様は刃にあった。血のように紅く、血のように粘度のある光沢を見せる、刃。人の血が全面に塗られているようにも見えるが、そうではないことをクラウスは知っていた。この剣の刃は、刃そのものが紅く輝くのだ。懐かしくもあり、自身の過去の過ちの象徴でもある剣と、その持ち主の姿を、クラウスはその両眼で


 次の瞬間、紅い剣が光の帯を引いて翻った。同時に強烈な殺気が、クラウスに叩き付けられる。クラウスは反射の領域で魔剣雷切を持ち上げた。そこへ紅い光が、鋭い輝きとなって飛来する。頭部を狙った上段からの一撃、弾かれるや否や切り返し、逆袈裟への一撃、これもカタナと剣がぶつかり合って火花を散らす。その火花が消える前に、胴を払う一撃が返ってくる。クラウスはこれを身体を反らすことで避ける。二年前と変わらない、いや、二年前よりも鋭くなった剣技は、男もまたクラウスと同様に、この二年という時間を自己研鑽と戦いの中に置いてきたのだと知れた。


「……なぜ貴様が魔剣を握っている」


 巧みに刃を捌くクラウスに、紅い刃の持ち主が、剣を振るう手は止めることなく言った。息も上がらず、ただ、囁くように話す様は、男の人間離れした身体能力を示している。


「久しいな『紅い死神』」

「……リディアだ」


『紅い死神』の異名を持つ伝説の傭兵、リディア・クレイは、小さなため息と共に踏み込み、上段からの一刀を振り下ろした。クラウスはこれを大きく後方に跳躍して避ける。着地したクラウスの靴底で、石造りのダキニ城の灰色の床が、がりがりと削り取られる音を立てた。


「……お前なら、百魔剣を握るということがどういうことか、わかるだろうと思ったが」


 二人の間に、十歩近い距離が開いていた。リディアがゆっくりとした動作で紅い剣を下段に構える。クラウスはそれを、同じように下段に構えを取った。


「そうだな」


 クラウスは思い出していた。かつて、百魔剣の力に呑み込まれた自分を。


 二年前のことだ。百魔剣の中でも特に力のある十振り、位階にして『領主』として位置付けられるものの一振りを巡る事件があった。その中でクラウスは『領主』の一振りを手にし、自我を魔剣に乗っ取られた。そしていま、目の前にいるこの男と戦うことで、魔剣の呪縛から自我を取り戻し、シホが起こしたある奇跡によって生還したのだった。命までは取られなかったが、結果としてクラウスは視力を失った。


「ならばなぜ……!」


 憤り、苛立ち、リディアの感情が波打つ様が見てとれる。この男にしては珍しい。確かに、この男が魔剣をひどく憎んでいることはシホから聞かされていた。その理由も。だから、こうして憤る意味もわかりはする。だが、クラウスからすれば、自分が新たに百魔剣を手にした理由は、あまりにも単純で、それがどんな苦痛を伴うにしろ、どんな結果をもたらすにしろ、何よりも優先されるべきことだった。


「守るためだ。シホ様を。それ以上の理由はない」

「……そうだったな」


 お前はそうだったな、とその答えが返って来ることを、予想していたような反応だった。リディアの口角が僅かにだが緩んでいた。クラウスも自然と笑みにはならない程度に顔が綻ぶ。


「ちょっとちょっと二人とも!」


 二つの気配が動きを、それぞれクラウスと、リディアの前に短刀を振り上げて迫った。魔剣夢幻の力を使い、分身を作り出したアザミ・キョウスケだ。


「ぼくがいることを忘れてませんか!」

「……忘れてなどいない」


 クラウスは目の前に突然現れたキョウスケに、特に驚きはしなかった。素早い動きで、飛び掛かって来るキョウスケの手を狙うと、雷切の切っ先で夢幻を払い落とした。そして、返す刃で繰り出した突きは、雷光の如く速く、鋭く、キョウスケの胸板を貫いた。キョウスケは一度、強く四肢を硬直させると、直後、ぐったりと全身を弛緩させた。その瞬間、クラウスが雷切越しに感じていたキョウスケの身体の重みが消え、風に吹かれた霧のように濃度を薄めて消えた。


「……凄いなあ。本当に見えてるみたいだ」


 幻影を使った奇襲をあっさりと迎撃されたキョウスケの声が、部屋の遠く、出入口付近で聞こえた。本物のキョウスケは、言葉ほどの動揺はない様子でそこに立ち、新たに二人のキョウスケを作り出す。その全てが、クラウスには


「見えている」


 クラウスは、ゆっくりと目を開く。



 この双眸が光を感じ始めたのは、丁度リディアが現れた辺りからだ。リディアと剣を交える内に、雷切の力は蓄積され、そして光は戻った。


「……なるほど、そういうことですか」


 キョウスケはクラウスの両の目を見、そして何が起きているのかを理解したのだろう。瞳のない、青い目。時折、稲光の様に瞬く、それがいま、クラウスの目があるべき場所にあるはずだった。 

 魔剣雷切との親和性が高まるほど、この現象は起こる。つまり、戦闘中だけ、クラウスは光を取り戻すのだった。いま、眼球があるべき場所に蟠っている青い光は、おそらく雷切に宿された雷の力であり、それがどのように作用して自分にいま一度、光を見せているのかはわからない。ただ、この眼は、生身の眼と同じように見え、そして生身の眼よりもより鋭く、不可視の力まで可視化する。例えば、いま、キョウスケが言葉と共に夢幻の力を解き放ち、クラウスの背後に自分の分身を放った力の動きも、はっきりと見えるのだ。

 クラウスは素早く雷切を納刀した。腰に佩いた鞘へ戻された雷切が、仄かに青い輝きを放つ。それを確認したクラウスは、振り返り様に、再び雷切を抜き放った。鞘の内側に刃を押し付ける様に全力で抜き打つことで、抜き身で振るうよりも剣速が格段に速くなる、大陸東方諸島群の民族たちの戦士、サムライが使う剣技のひとつ『イアイ』である。しかし、雷切を使った場合は、単に素早く刃を振るうことが出来るだけではなくなる。

 抜き放った雷切の刃から、無数の青い稲妻が迸る。背後に迫ったキョウスケの幻影を斬り倒してなお消えない稲妻を、クラウスは全身に纏い、巧みに制御して、自身の後方へ力の向きを変えた。爆発的な推進力を生む力となった稲妻に押されるように、クラウスはキョウスケ目掛けて一直線に突進する。これにはキョウスケも眼を見開く。慌てて元々いた幻影をクラウスにけしかけて来るが、クラウスが全身に纏った青い稲妻に撃たれて、それらは一瞬で霧散した。


 意識を向ける必要すらない。見えずとも敵を捉えられる超感覚『心眼』の技術に、不可視の力まで可視化する『雷切の眼』そして、それら感覚に追随して、迫る敵を自動迎撃する『雷撃』を纏ういまのクラウスに、死角はない。


「くっ!」


 キョウスケの口から漏れたのは、手の打ち様のない、絶望的状況を初めて体験したキョウスケの、それまでに聞いたことのない動揺の声。そして歪んだ表情がクラウスの眼に映った。クラウスは一切の迷いなく邁進し、下段に構えた雷切を横に薙いだ。


 一刀必殺。


 だが、雷切の刃は、キョウスケには届かなかった。届く直前、クラウスは慌てて雷切を退き、全身に制動をかけて、その場から飛び退ることで、を避けた。

 クラウスが一瞬前までいた場所が、唐突に凍り付く。氷は着氷した石床を砕いて突き進み、直線上の石壁をも青白く塗り固めた。


「……来たか」


 そう呟いた声は、クラウスの背後から聞こえた。音もなく、再びクラウスの背中を守るように立った、影のような死神は、が現れることを始めから予想していたような口振りだった。そして、クラウスもまた、が現れることは予想していた。だからこそ、突然膨らんだ力の気配に、瞬時に反応することが出来たのだ。

 そもそも、この城に足を踏み入れた時に感じた気配は三つあった。ひとつはキョウスケであり、ひとつはリディアであった。その二つが何者であるかがわかったのは、クラウスがその二つの気配を元々知っていたからだった。あともうひとつの気配は、知っているような、しかし、面と向かったことはないような、曖昧な色合いを持つ何者かの気配だった。

 クラウスは、気配が現れた方に視線を向けた。一時的にではあるが、見える景色は、この広間のような空間が、戦士たちの詰所のような場所であることを理解させた。武骨な石造りの床や壁のそこかしこに、戦士たちが使うであろう得物が用意されてあり、いま、クラウスとリディアはその中央の、舞台のように一段高くなった場所にいた。おそらくこの上で、戦士たちが実戦形式の修練を行うのだろう。気配は、この部屋に繋がる三つの通路の内、クラウスが立つ左手から感じられた。その通路の奥は暗く、何者がいるのかまではわからない。ただ、間違いなく何者かがそこにはいる。クラウスの『眼』には、それがわかった。通路から、猛烈な冷気を纏った気配が吹き出し、通路の壁や床を白く色づけている。気配が近づく程に表層の白い色は濃くなり、やがて氷となって通路の周囲を青白く染め上げた。


「この感じ……」

「奴だ。あれは」


 クラウスは少しずつ理解していた。知っているが、直接相対したことはない相手。かなり高度の力を宿した、おそらくは位階『騎士』以上、もしかすると『領主』に相当するかもしれない相手。


「おれの相手だ」


 リディアが言った時、通路の闇から、長身の男が姿を現した。

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