第3話 わたしを殺そうとしたか?
「……仰っているお言葉の意味が分かりません」
「そのままの意味だ。さあ、剣を取ってくれ」
侵攻したオード王国戦士団を、ルートクルス城から撃退して三日後の早朝。まだ夜も明けきらない時間に、レネクルス領公子ラインハルト・パーシバルは、自身の右腕である『銀の騎士』アルスミット・アイヒマンを呼び出した。場所はルートクルス城の地下。騎士団の訓練闘技場だ。
撃退後、オードから再度の侵攻の動きはなく、奪還したルートクルス城に留まったラインハルト以下『沈黙を告げる
「わたしに、貴方を斬れ、と、そう仰っているのですか?」
床も壁も天井も、暗灰色の堅牢な石造りである訓練闘技場に、アルスミットの声はよく響いた。アルスミットの声は落ち着いたものだったが、彼の動揺は、明け方の静寂も手伝ってか、ラインハルトに、より顕著に伝わった。無理もない。確かに、自分はそう言ったのだ。
「わたしの命を奪うつもりで、斬りかかって欲しい。その言葉以上でも、以下でもない。それぐらいのつもりで、打ち込んで欲しいのだ。もし、わたしが手傷を負ったとしても、それはわたしが未熟だった、というだけの事だ」
ラインハルトは、確かめたかったのだ。
先の戦いで見た、予知の様な映像。あれが何だったのか。
実戦経験は浅いとはいえ、ラインハルトとて、これまでも真剣の斬り合いは経験しているし、実際に人も斬っている。自慢する様な事ではないが、そうした経験の中でも、あの映像に近いものを見た経験はなかった。さらに度合いを増す映像の現実味は、終には自身の身体にも、痛みや疲弊を齎した。今後もあの映像を見続ける事になるのであれば、それは戦いに支障を来す事にもなり兼ねない。あの映像が何だったのか。それを確かめるために、アルスミットを相手として呼んだのだ。
だが、果たして、未熟だった、というだけで済むだろうか。躊躇は、ラインハルトの心の中にもあった。
アルスミットは、神聖王国カレリアの中でも屈指の剣豪である。本気のアルスミットが、真剣で打ち込んで来た時、ラインハルトにそれを躱す事が出来るかと言えば、確実とは言い難い。あの幻覚の様な、予知の映像が現れれば可能になるかもしれないが、それが起こるかどうかを調べる相手としては、危険が大きすぎる使い手だった。
「理由を、お聞かせください。そうでなければこの剣、振るう訳には参りません」
そうだろう。そう言うだろう。ラインハルトは予想していたアルスミットの言葉に頷いた。だが、それは、ラインハルトもまた、知りたい事だった。
「それを知る為に、そなたの一撃が必要なのだ、アルスミット。どうか、信じてその剣、わたしに向けてはくれぬか」
本来ならば、その様な曖昧な理由で、剣を取らせる事等、出来はしない。だが、これは真実、ラインハルトの中にある、いまの答えだった。それを話す以外、いまのラインハルトには、何もなかった。
アルスミットは長い間、沈黙していた。様々な想いが、彼の頭の中で渦を巻いているだろう事を、ラインハルトは彼の無表情の下に見た気がした。
「……分かりました」
アルスミットの、真っ直ぐな銀色の髪が、ゆらりと揺れた。腰に佩いた騎士剣を抜く。
ラインハルトはアルスミットが中段に構えたその姿を確認し、自分も剣を抜いた。
父から託された剣。パーシバル家に伝わる聖剣、シルヴァルフである。
ラインハルトは、ひとつの仮説を立てていた。これまで経験した実戦と、今回の戦いで、異なる物事は何か。自分の年齢、父が不在という状況、一軍を率いての集団戦。対オード王国ルートクルス奪還戦は、数え上げれば、確かにこれまでの自分とは異なる点が幾つもあった。ただ、その中でも、ラインハルトがどうしても引っかかる物を感じていたのが、この剣だった。
いや、この剣、というよりは、この剣を手渡した時の父、バラートの瞳が、自身の心に、疑問を抱かせているのだろう。
あの、詫びる様な瞳。
あれが意味するものは、果たして何だったのか。
それは、ラインハルトが戦場で見た、白昼夢と関係する物なのだろうか。
確かめてみる必要があった。だから、アルスミット相手に、この剣を選んだのだ。
この剣を握って、本気で打ち込んで来る手練れを相手にした時、あの映像を見ることがあれば、何らかの関係があるのかも知れないと考える。それが一体何を示すのか、ラインハルトには分からなかったが、少なくとも、使い続ける事に対する危険性については、考えることが出来る。シルヴァルフを使え、といった父の言葉に反するとしても、あれ程の疲労、疲弊を生む物を、使い続ける事は、危険と判断するしかなかった。
さあ、どうなる。
ラインハルトがシルヴァルフを中段に構える。それを待っていた様に、アルスミットが動いた。
音もなく、しかし素早く間合いを詰めて来た『銀の騎士』が、ラインハルトの左側頭部目掛けて剣を振り上げる。ラインハルトはそれをしっかりと見て対処する。剣と剣がぶつかり合った、と思った瞬間には、アルスミットの剣はラインハルトの目前で半円を描き、今度は左足を狙う。これもラインハルトはしっかりとその万目で見た。剣が衝突した反動を利用し、素早く半円を描いたシルヴァルフが、再びアルスミットの剣を止める。と、アルスミットの剣はさらに、今度は大きな円を描いて回り、逆の足を狙う下段斬りを繰り出した。
違う。これではない。
ラインハルトはシルヴァルフを振るい、右足を狙われた一撃も、弾き返す。アルスミットの剣がどこを狙って来るのか、分かった気がしたが、それは恐らく鍛錬と、相手の剣の型の問題、一般に『先読み』と言われる物でしかなく、ラインハルトがあの日見た、『映像』とは異なる。
アルスミットが一度引き、再び間合いを詰めて来る。今度は騎士剣を真横に倒して、中段を狙った横薙ぎの一閃。ラインハルトはシルヴァルフを立てて、その剣を受ける。アルスミットの剣は、足取りも優雅で、一見、羽の様に軽く見える。だが、実際には速く、重い。シルヴァルフを握る手が、たった一撃で痺れる程の衝撃が走る。
と、その剛剣が、突如として生き物の様に動いた。アルスミットの手首が返り、受けたシルヴァルフの刃の奥に、剣の先端が僅かに滑り込んだかと思った時には、その切っ先が手前に引かれ、真横に立てていたシルヴァルフが跳ね上がった。まずい、と思うよりも早く、ラインハルトはその場から大きく飛び退いたが、次いで振るわれたアルスミットの再度の横薙ぎを、避け切る事は出来なかった。アルスミットに跳ね上げられたシルヴァルフだけが手前に残る様な格好で飛び退いた為、シルヴァルフが真横からアルスミットの剛剣を受けたのだ。構えも取れず、手の先で受けた衝撃に、ラインハルトはシルヴァルフを取り落とした。弾かれた聖剣が闘技場の石床に転がり、乾いた金属音を立てた。
「……参った」
「腕を上げられましたね、公子」
アルスミットが騎士剣を納める。
「わたしの剣が、よく見えている様でした。最後に退いた判断もお見事です」
そう。見えていたのだ。この目で。
恐らく、アルスミットはラインハルトが指示した通り、全力で対峙してくれたのだろう。彼の剣の速さ、重さは本物であり、手加減を感じなかった。だからこそ、ラインハルトは防戦一方で、ただの一度も、返す刃を繰り出すことが出来なかった。彼との間には、それ程の実力の開きがある。その剣線を目で追う事も、以前は出来なかったのだから、確かにアルスミットが言う通り、自分は強くなっているのかも知れない。ラインハルトは呆然と立ち尽くしたまま思ったが、この一戦で望んだのは、そうした自分の強さの評価ではない。
見えていたのだ。アルスミットの剣線が。この目で。
自身の身体にすら作用する、あの『映像』を見た訳ではなかった。
アルスミットが床に転がるシルヴァルフに歩み寄り、拾い上げた。刃を持ち、ラインハルトに歩み寄ると、片膝を付いて掲げる。ラインハルトはそれを無言のまま受け取った。
この剣では、なかったのか?
ラインハルトはシルヴァルフを腰に納めた。判然としない思いが頭の中で渦巻き、では他に、何の要因が考えられる、と思考を巡らそうとしたが、父の瞳の色が思い出され、思考が止まる。本当に、この剣ではなかったのだろうか。
「アルスミット……」
お前は、わたしを殺そうとしたか?
その言葉がラインハルトの口から紡がれる直前だった。激しく鎧が鳴る、複数の音が闘技場に近づいてきたのは。走って来る、とラインハルトが音の方へ顔を上げたのと、複数の『沈黙を告げる騎士団』の騎士が、闘技場に駆け込んで来たのは、ほぼ同時だった。
「公子、騎士団が!」
一人目の騎士が取り乱した様子で叫んだ。
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