第2話 信頼

「騎士長」


 厳格な天空神教神殿騎士団の面々とは毛色の異なる、陽気な空気を持った男の気配と声が背後から近づき、夜風に当たりに天幕を出ていたクラウス・タジティは、肩越しに顔を向けて、近づく気配に応じる姿勢を示した。


 いい夜だった。大きな月が天にあり、煌々と夜を照らしていた。そういう気配が、細かい粒子のようにクラウスの身体に降り注ぎ、辺りが仄かに青白い輝きに照らし出されている事を、クラウスは理解していた。理解し、想像する事で、辺りの光景は見えていた。実際に視力では捉えることは出来ないが、それは確かな光景のはずだった。


「イオリアが戻りました。やはりシホ様の懸念通りだったようですよ」


 言葉こそ硬質で、丁寧だったが、その声音にはどこか、肩の力を意識的に抜いた気配がある。意識的に斜に構える様な、悪ぶって見せる様な、そんな気配だ。二年以上前から、彼はそんな印象を周囲に与える男であったし、この二年、クラウスが騎士団を離れている間にも、それは変わらなかった。その印象こそ、彼を語る上で欠かせないもの、彼本人なのだろう、と一月前に再開した時に、クラウスは改めて理解した。


「なるほど」

「この二年で、シホ様の成長は著しいもんです。騎士長がそれまでされて来た教会内外の交渉や、王国の政治的な立場の人間たちとの折衝も、全て一人で熟している。平気で他人の相手の裏を掻く様な連中の言葉も、笑って受け流す強さを身に着けられました。今回みたいな読みの冴えも、そうした強さの一環でしょう。それに……」


 気配がすぐ隣に並び立つ。浅黒い肌に波を打った黒髪。短いが口髭と顎髭まである容姿は、およそ神殿騎士のそれではない。整ったその甘い容姿から、女性問題も多く抱える男だが、実力は確かで、騎士としては信用に足る男だとクラウスは思っていた。だからこそ、二年前、騎士団を離れる時に、彼を騎士団の副団長に据えたのだった。


「戦闘の方の成長も著しい。おそらく、騎士団の者でも、わたしら『聖女近衛騎士隊』の人間でさえ、いまのシホ様を相手に、楽に勝てる人間は、そうはいないでしょう。それに、あのルミエルの力が加われば、尚更勝ち目無しです。騎士長だって、早々簡単には勝たせて貰えないかもしれませんよ」

「だからこそお前も、それ相応の力を身に着けたのだろう、ルディ」


 声こそ無かったが、浅黒い頬に、にやり、とした笑みを刻んだルディ・ハヴィオの気配が伝わった。


「ええ、まあ。ルミエルの力を使ったシホ様と、ある程度やり合えないのなら、この先の戦いには向かない。わたしら『聖女近衛騎士隊』は、その為の部隊ですからね。そういう相手が出て来ることも想定して、準備をさせて貰っている訳ではありますよ」


 シホが作り上げた部隊。


 常軌を逸した力、超常の力を振り撒き、災厄そのものとなり得る過去の遺物『百魔剣』と戦い、その力を封じる事。その為に作り上げた騎士隊。


 それがまさか、クラウスが考えていた通りのものになっているとは、帰国後、驚かされた事の一つだった。そして、その騎士隊の創設を、シホがほとんど一人で行った、という事実を聞き、さらに驚いた。


 二年前のシホは、確かに内に秘めた芯の強さを持っていた。だが、それはあくまでも内に秘められたもので、前面に出される事はなかった。内気、という程ではなかったが、それでも天空神教の高司祭、という職にいなければ、どこにでもいる様な十五歳の少女だった。


 やはり、強くならなければならなかった。それは二年前のあの戦いを経験した者ならば、誰もが感じたことだったのだろう。その為に、クラウスも神殿騎士団を離れたのだ。


「そういう騎士長だって、その腰の剣、いわゆる『対策』だって聞いていますよ。武者修行に赴かれた、東の地の物だ、って話ですが」


 ルディの視線が、クラウスの腰に佩いた剣に向けられている気配がした。

 この剣を得るために、東へ向かった訳ではなかった。盲目という状況に負けず、これまで以上に戦える様にする為には、どうすべきなのか。どうすればシホを守れるのか。それを考えた時、出た答えが、アヴァロニア大陸の遥か東にあった、というだけの事だった。この腰に佩いたカタナは、その修行の最中に得た物である事は事実なので、一概に無関係という訳ではないのだが。


「今度、一度手合わせ、願えますか?」


 また、ルディがいたずらっぽく微笑んだ気配が伝わった。この男も、この二年の間に、相当の訓練を積み重ね、さらに対百魔剣の『対策』を使いこなせる様にもしたのだ。並々ならぬ努力がそこにはあったはずだが、ルディはおくびにも出さない。それがこの男の強さであり、クラウスが信頼した所なのだ。クラウスは頷くと、隣に立っているであろうルディの気配に顔を向けた。


「所で……一つ気になるのだが」

「何でしょう」

「おれはもう、騎士長ではない。その、騎士長、と呼ぶのは、止めてもらえないか」


 クラウスは神殿騎士団を離れる時、騎士団の騎士長職を辞していた。いまは騎士団に職責も、そもそも名簿に名前すら記されていない、例外的な存在だ。だが、ルディもエオリア、イオリア姉弟きょうだいも、現在の騎士団長であるカーシャ・オルビスさえも、クラウスを騎士長と呼ぶ。それが、クラウスには、身に合わぬ気がして、違和感を覚えていた。


「それは、無理でしょうな」

「無理?」


 ルディの気配が離れていく。声が遠のく。なのに、声の温もりだけは、温度を上げたように感じた。


「我々にとって、騎士長はクラウス、あんた以外にいないんだよ。つまり、まあ、あんたはそういう存在なんだよ。あんたは重く感じてもね」


 ルディはクラウスよりも四、五歳上のはずで、様々な経験も積んでいる男だ。カーシャも、エオリア、イオリア姉弟も、それぞれの人生を歩んできた上にいる。そんな彼らから寄せられる信頼の感情に、クラウスは擽ったい様な想いを抱いた。

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