15.

 気がつけば、車の中にいた。

 車外の様子を窺うと、トンネルとバス停があった。

 バス停には、『入出塚村前』と表記がある。

 辺りには相変わらず霧が蔓延っている。


「どうやって、ここまで戻ってきたんだ」


(――夢……。村での出来事はすべて夢……。)


 覚えている限り最後の記憶は……。

 喉の奥を通り抜けていったあのぬるりとした感触。

 それを思い出し、慌てて口を押さえた。


「……あ、ああ!」


 押さえた手。それが触れた唇の端。

 そこに粘っこい〝それ〟があった。

 茶色いゼリー状の固形物。


(――夢なんかじゃあない。あの村であったことは……。これまでのことすべてすべて!! 何もかも現実だった!)


 彼はもう訳がわからなくなっていた。


(死人を食べる村の慣習も、それによって父を食べたことも、佐山親子と話をしたことも、寺の墓場に行ったも、村に泊まったことも、遺骨を挽く音を聞いたことも、空き家からの視線も、古い鉄橋も、意思を持った灰地蔵も、トンネルも、赤く脈動する空も、九十九折の山道も、逃げ去るテールランプも、海面に落ちたレンブラントも、母の病室も、電話も。父の死だって!)


 ハンドルにもたれかかり、嗚咽混じりの息を吐く。


(――なんで!)


 流れ出る涙と鼻水によって、顔はぐちゃぐちゃになっていく。

 視界はひどく歪み、膝にぽたぽたと滴が落ちる。


(――どうして!)


 もう何年も流れていなかった涙が、止めどなく溢れてきた。

 子どものように胸を引き攣かせて、泣きじゃくる。


(――こんなにも早く!)


 流れる液体は目頭を灼き、頬をひりつかせた。

 口は大声で叫び出さんと、息を吸い込む。


「――ああああああああああああああああああああああああああああ」



 ――がんっ、だ、ばんっ!



 唐突に車内に鳴り響いた音。

 続いて、激しく揺れる後部座席。


 何が起こったかわからず、身体が硬直し、収縮する。

 荒れるに荒れていた息も、叫んでいた口も。

 すべてが緊張ですっとなりを潜める。


 耳の奥で、心臓の鼓動だけが聞こえた。


(――これは。)


 微かに香る匂いがあった。

 鼻をつくのは消毒用アルコールの匂い。

 それに混じった汗の匂い。


 彼はゆっくりと、後部座席を振り返った――。


                     霧煙りの灰色 了

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四夜の迷霧 知和知和 @tomokazu-chiwa

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