14.
幹人は、後ろを〝お母さん〟に、前をフミに挟まれ、導かれるままに台所のテーブル席、その最奥の位置に座らされた。
フミ、卓治、それから後ろにいた〝お母さん〟も各々席に着く。
『さあ、みんな揃ったわね』
幹人は身体の自由が利かなかった。物理的な拘束によってではない。不可視の精神的な拘束によって、である。
彼は眼球だけを動かし、周囲を窺った。
台所の流し横。
そこには、手引き臼が置かれている。
彼はその臼を見た瞬間、あの悪夢にも出て来た奇怪な音の発生源は、この臼であったのだと確信した。そして、よくよく目を凝らせば、その臼には白や黒、灰の色をした粒子がこびり付いていた。
(――ああ、あれで……。あの臼で遺骨を……)
――ごりっ、がっ、がりり、ごり。
『さあ、それじゃあいただきましょうか』
テーブルの中央に置かれているのは、灰汁巻きである。
九州南部に伝わる郷土菓子。古くは戦国時代に保存食として考案されたものとも言われている。しかし、その起源は諸説あり、そのチマキ様の形状からは、中国や台湾から伝播した可能性も示唆されている。
『学人さんが還ってくることを祈って』
(――灰汁に。灰汁に臼で引いたものを……人骨や人灰を用いて……灰汁を……。人骨に含まれる主成分は炭酸カルシウム。それ以外には……カリウムやマグネシウム……。それらの化合物も遺体の燃え殻には含まれていて。だから……それらを使って灰汁を……)
灰汁巻きは、灰汁に漬けたもち米を竹の皮で包み、灰汁で二、三時間煮たチマキ様のお菓子である。澱粉が糊化しており粘り気が強く、見た目はわらび餅に似ているが、灰汁独特の臭気がある。
『いただきます』
言うなり、三人はおもむろに竹の包みに手を伸ばした。
(――ああ、昨晩の夕食に出された
灰汁は、木灰や藁灰を水に漬けその上澄みを取ったアルカリ溶液である。
(――故人を導く地蔵……ああ、あの地蔵の着ていた袈裟。あれにあった文字……仄……いや、違う。あれは灰。灰と書かれていたんだ……。ああ思えば、村の名前からそうではないか。入出塚村……はいづかむら……灰塚村)
しかし、近年は上質な藁灰などが安易に手に入らないことなどから、代替として、重曹が利用されることもある。
(――代替……いや、これは代替なんて生易しいものではない。積極的に故人を体内に摂取するための……そう、儀式に他ならない。)
『美味いな』
茶色い餅様のものを器用に糸で切り、彼らは次々に口に運んでいく。
『ええ、とっても美味しいわ』
(――どれだけ一般常識的な灰汁巻きを並び立てても、今、目の前にあるものは、私の知るそれとは似て非なるものだ。だって、これには父が……父の遺骨からとった灰汁が使われて……。)
幹人は口許を抑えた。喉の奥からは吐き気が込み上げていた。
(――ダメだ。もう……何も……考えては……いけない。)
出来事を客観的に捉える。
ただ知る限りの知識と照らし合わせていく。
そうした作業によって、平静を保とうとしたが、それも限界だった。冷静に事を傍観できるだけの精神は破壊されていた。
『幹人さん、どうしたの?』
フミの色のない声が耳に届く。
『どうした? 気分でも悪いのか?』
この村において、灰汁巻きは郷土を懐かしむ味でも、まして保存食などでも、ない。
作り方、製法こそ同じなのだろうが、その存在意義は極めて異質である。これは一種の――。
『そんな険しい顔をしないで。ぜんぶ学人さんのため。彼が正しく還ってくるために必要なことなんだから』
「これは……」
(――食人文化だ。)
『さあ、幹人さん食べて』『食べるんだ』『だぁげぇれ』
「いえ、……私は……」
『そんなこと言わないで。お母さんがせっかく作ったんだから』
「本当に、私はいりません」
『お父さんが悲しむわ』『さあ、口に入れろ』『食げぇレ』
三者の口から様々に声が飛ぶ。
『一口だけもいいから』『早く』『食ベレ』
そのどれもが〝食べろ〟と彼を苛む。
(――嫌だ嫌だ嫌だイヤだイヤだイヤだイヤダイヤダイヤダ……)
心は最大限の抵抗をしていた。
けれど、身体はまったく言うことを利かなかった。
それは恐怖ゆえにだったのだろう。
まるで金縛りにでもあったかのように身体は硬く動かなくなり、唯一最後まで抵抗を続けた口も遂には開いてしまい……。
「…………っんぐ」
口許にまで運ばれた一切れ。
それが喉を滑り落ちていく感覚。
「――あああああぁぁ」
その後の出来事の一切を、彼は覚えていない。
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