第42話

 その時泰佑の携帯が鳴った。失礼と言って席をはずす泰佑。

 テレサは、大切にしていた『やりたくなる薬』をハンドバックから取り出すと、泰佑のグラスに混ぜ込んだ。希久美とちがって罪悪感が無い分、その動きはあまりにも自然で、今回はバーテンの目を引くことができなかった。やがて、なにも知らず席にもどる泰佑。


「すみません。会社で待つ同僚からの電話でした。申し訳ありませんがそろそろで失礼します」

「わかりました。無理に引き止めませんよ」


 テレサが、あやしく笑いながらグラスを差し出す。


「最後にグラスをぐっと空けちゃってください」


 泰佑の胸の嫌な予感が強まった。しかし、会社で待つ希久美の文句を聞くのもつらい。はやく店を出ようと、残ったカクテルを一気に飲みほした。わずかながら異物の味がしたが、気にしなかった。


「それでは…」

「ちょっと待って、タイアップで言い忘れたことがあった」

「えっ?」

「財団への取材の日程なんだけど…」

「そんなこと、今ここで詰めなくても…」


 テレサは、時間を計りながら、どうでもいいことをグチグチと言い始める。5分を経過したことを確認して、いらつく泰佑にテレサが仕掛けていった。


「私の目を見て、何か感じる?」

「突然、なんですか?」

「だから、私の目を見て何か感じる?」

「いいえ、別に…」


 しばらくの間をとってから、またテレサが泰佑に問いかける。


「わたしの唇を見て、何か感じる?」

「いいえ、別に…」


 そんなやりとりの繰り返しに、いよいよテレサも焦れて、最後の仕掛けを放つ。自らのブラウスの上のボタンを外すと、首元を大きくはだけて言った。


「私の鎖骨を見て、何か感じる?」


 泰佑はしばらくテレサの鎖骨を見ていたが、何の変化もなく平然としている。


「どんな答えを期待されているかわかりませんが、別になにも感じません」


 なによ、この薬効かないじゃない。サービス品はこれだから嫌になる。最後の仕掛けも空振りして、さすがのテレサも諦めるしかなかった。


「引きとめてごめんなさい。仕事がんばってね。石津先輩」


 テレサからやっと解放された泰佑は、クラブラウンジを飛び出して入った。

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