Ⅷ-199 カミは内、神は外。


「祝明、どうしてここに…?」

を追いかけて来たんだよ。色々と、好き勝手やってくれたからさ」


 俺の隣に指を突き出し、続けてスッと刀を抜く。

 おいおい、まさか戦うつもりなのか…?


「やめとけ、勝てねぇって…!」


 俺は戦いを止めるべく、大きく声を張り上げた。


 他のフレンズだったら、もう少し穏便に割って入れたかもな。


 だが今回は祝明だ、下手をすれば――十中八九あのキツネたちのせいで――騒ぎがもっと大きくなる。

 何があろうと傷つけさせるわけにはいかない。


「神依君…」


 祝明と目が合う。


 悲しげな顔で、かなり思い詰めている様子だ。

 らしくない先走った行動も、余裕が無かったせいかもな。


 しかし、説得の効果は有ったようだ。


 祝明は首を振って、心を落ち着かせるべく深呼吸をして、ゆっくりと…刀を収めてくれた。

 そして、静かに声を出す。


「ねぇ、早くイヅナの居場所を教えて。どこに居るの? ここには見えないけど」

「…イヅナの?」


 オウム返しに聞き返す。

 拳を胸の前で固く握りしめて、祝明は俯いた。


「…コイツに攫われたんだよ」


 ……そういうことか。


 俺は、ついさっきコイツとオイナリサマとの間で交わされた会話の意味を、ようやく理解できた。


 この黒イナリが利用したとやら。

 それは詰まるところ、のことだったんだ。


 ……アイツが、結界に関わってたのか?


 ふむ…その辺の話は分からない。


 オイナリサマは、俺に内緒で色々好き勝手やってくれてるからな。


 とにかく、コイツはイヅナを攫った。

 祝明はそれを追って、この結界に入ってしまった。



 ―――やっとこさ、話が掴めてきたな。



「あら、彼女を探して……うふふ、残念でしたね」

「それ、どういう意味?」

「彼女は途中で置いてきましたので、この結界の外側にいます」

「……え、結界?」


 キョロキョロ。


 戸惑うように、祝明は辺りを見回す。


 いきなりそんなことを言われて混乱する気持ちは分かるが、横を見たって何も分かんないんじゃないか……?


「見てください、ワタシたちの頭上……ほら、キラキラと光っているでしょう?」

 

 呆れたようにアハハと笑って、黒いイナリは空を指す。

 祝明も、指につられて上を見た。


 束の間の平穏。


 しばらく上を見ていた祝明は地上へ視線を戻し……自信無げに、俺に尋ねる。


「まさかここ…結界の中?」

「……そうだ」

「あら、お気づきになられませんでした?」


 黒イナリはそう言うが、多分気が付かないだろうな。


 俺の普段の生活でも、意識してないと結界があるのを忘れちまうし。


「でも、結界を通った覚えなんて無いよ」

「張り直されたんだよ、一回破られた後にな」

「……そういうこと」


 ようやく腑に落ちたように、祝明は何度も首を振った。


 しかし、今回ばかりは祝明も不運だったな。


 破られてから張り直すまでの間に入っちまうなんて、黒いイナリも予想してなかっただろ。


「でも、むしろ良かったかもな」

「……え?」


 祝明は俺の言葉に首を傾げている。

 だが、この状況はきっとラッキーだ。


 祝明はイヅナを追ってきた。

 

 イヅナは結界の外にいる。


 対立する理由なんて無い、結界から脱出さえしてしまえばその足でイヅナを迎えに行くことが出来る。


 その通りだ。結界に残るのは俺一人でいい。


 コイツらを巻き込む理由なんて、どこにも在りはしないんだから。


「…なぁ、祝明を外に出してくれないか?」

「え、どういった理由でですか?」


 ハテナを浮かべた黒イナリ。

 だがその反応も織り込み済みだ、気にすることは無い。


 論理的な利は、俺の方にあるんだからな。


「お前も、もうイヅナに用は無いんだろ? 祝明を外に出してくれさえすれば、全部丸く解決するじゃないか」

「それが、案外そうもいかないんですよね……」


 そう思っていたが、実情は違っていた。


「な、なんでだ?」

「率直に言ってしまえば…イナリの奴がいるからですよ」

「それならお前、勝ったばっかりじゃないか」


 コイツは…オイナリサマよりも強い。

 腹の中に異物が残る不本意な結果だが、それは事実だ。

 

 だからこそ俺は奇妙に思う、どこに不安がる要素があるって言うんだ?


「まあ、確かに勝ちはしました。ですが、があの程度で諦める筈も無いでしょう。もしも彼を外に出すため、結界を緩めてしまえば、もしくは―――」


 そこまで口にして言葉を切る。


 セルリアンの黒い肌には、鈍色の汗が滲んでいた。


 黒イナリが危惧しているのは、そうか……オイナリサマが諦めずに仕掛けてくるって訳だ。


 その考えは俺にも良く分かる。

 絶対に諦めないよな、あの神様は。


「じゃあ、ずっと閉じ込めておくつもりか?」

「いえ、ほとぼりが冷めた頃に出してあげますよ」


 なんだ。

 結局、黒イナリも結局俺と同じ腹積もりじゃないか。


 そう思ってしまった俺は、直後の言動に不意を突かれることとなる。


「ですから…少しだけ、いただけませんこと?」


 危ない。


 そう叫ぼうと振り返って……声が出る前に、俺は口を抑える。自分の心配が、全くの無用だと気づいたからだ。


 祝明は事前に殺気を察知し、遠くの方に飛び退いていた。


「お、おいっ!?」

「あはは…やっぱり、こうなっちゃう?」


 祝明が浮かべた満面の笑みは、野生動物さながらの威嚇。


 対して黒イナリが向ける威圧は、神のように重々しく厳かなものであった。


 示威するように出した黒い球。

 膨大なエネルギーを内包し、不用意につっつけば刹那のうちに弾けて辺りを吹き飛ばすだろう。


「どうせ勝ち目は無いのです、痛い目を見ない内に降伏なさってはいかがでしょう?」

「えー、どうしようかなぁ……?」


 祝明は円を描くように足を踏み、黒イナリの動きを注視する。


 いっそう冷たい緊張が場を支配する中。

 一瞬だけこちらに目を向けて、こっそり俺にアイコンタクトを送って来た。


「えっと、ええと……?」


 わからない。

 祝明は何を伝えたいんだ?


「ちょっと、神依君……あぁっ!?」

「ワタシを差し置いてカムくんに話しかけるなんて、いい度胸ですね…?」


 急速な接近からの腹パン。

 速度の籠った一撃は、祝明の身体を数メートルに渡って吹き飛ばす。


 これは、内臓が心配だな…


「だ、大丈夫か…?」

「げほ、ごほっ……やるしか、ないみたいだね…!」


 笑う膝を叩き、すぐに立ち上がった祝明。

 毛の逆立った尻尾を垂らし、耳を逆立て二刀の構え。


 対峙するのは黒イナリ。

 本物のオイナリサマを自らの策に掛けた、恐らくは最強のセルリアン。


 祝明にとっては勝ち目のない……そして、何の意味も無い戦い。



「結局、こうなっちまうのか……!」



 その始まりを俺は、立ち尽くしながら眺めているだけ。


 頭に昇った熱も血も、握りしめた拳の痛みも。

 きっと持たない、何も無い。


 意味なんて、ない。





―――――――――





 チュンチュン。

 小鳥が囀る。


 ひゅうひゅう。

 風が囁く。


「ん、あうぅ……こ、ここは…」


 がさがさ。

 寝惚けたまま、周りの草をかき乱しながら、私は目を覚ました。


「…森の中?」


 緑だ。森だ。静かだなあ。


 心安らぐ自然…ううん、全然休まらない。


 何か欠けてる、忘れてる。思い出さなきゃ、今すぐに。


「ノリくんと…鬼ごっこ…」


 そう、鬼ごっこ。

 それと、まだあるよね。


 どうして私は、こんなところに……


「そうだ、イナリアン…」


 私を気絶させたセルリアンの名前。

 ノリくんが頭の中でそう呼んでいたのを、テレパシーで読み取ったんだ。


「もしかして私、見逃されたのかな…」


 イナリアンは私に用があった。

 だから私をおびき寄せるために、ノリくんを捕まえた。


 そして私は捕まって……きっとその後、彼女は目的を果たした。


 だから私は用済みになって、ここで寝ていた。


「目的ね…何なんだろう」


 私はこうやって無事だし、食べる目的じゃないのは明らか。

 オイナリサマの姿から色々と憶測こそ出来るけど、ハッキリ信じられる証拠が欲しいな。


 そのために、今すべきこと。


「やっぱり、ノリくんを探さないとね」


 たくさん心配を掛けちゃってると思うし、早く姿を見せて安心させてあげないと。


 今回の件の調査はその後。

 お話の流れ次第では、手出しをしないことに決めるかも。


 兎にも角にも、まず探さなきゃ。



「ノリくん、どこにいるの……?」



 テレパシーの力を全開放。

 持てる能力を全て使って、ノリくんの居場所を検索する。


 結果が出るまで、およそ十秒。


 探り当てた事実に、私の頭は真っ白になる。


「……嘘、どうして」


 ノリくんは、結界の中にいた。

 この島を覆う結界じゃなくて、神社を守る結界の中。


 私が寝ていたここは、結界のすぐ近くの森。

 

 ノリくんは私の目の前、絶対に手が出せない聖域の中にいる。


「まさか、運悪く結界の中に入っちゃったの…?」


 理由は全然分かんないし、私は結界に入れない。


 だから、この話は一旦後で。


 彼の居場所を探る間に私は、周囲の奇妙さにも気付いていた。


 ところどころ、木の幹にみられる裂傷。

 開けた場所でもないのに剥げている地面の苔や草。


 ……私には分かる、コレは戦闘の跡だ。


「くんくん…でも、ノリくんの匂いはないね」


 じゃあ、ここの周囲で戦ったのはオイナリサマとイナリアン。そう考えるのが最も妥当かな。


 問題は、その戦いの結果がどうなったか。


 よもやオイナリサマが負けるなんて、実際に彼女と戦った私からしたら考えられない話なんだけど。


 でもイナリアンも一応、オイナリサマと同じ形してるし…


 それに……あ。


「そう言えば火山って、があったような…」


 まさか…ね。

 

「勝っててよね、オイナリサマ…!」


 色々可能性はある。

 だけど、一番良いのはそのパターンだよ。


 オイナリサマは神依君にしか興味ないもんね、言えばノリくんも返してもらえる。


 …って、なんか癪だ。


「だーけど、なんか雰囲気変わってる気もするんだよね…」


 なんだろう。

 この辺に漂ってるサンドスターの質…って言うのかな。

 どちらかと言うと『ロウ』の方に近いような、そんなイメージ。



「本当、余計な邪魔ばっかり……あ」


 結界の外周沿いに歩いていた私。

 とうとう森の中に、よく目立つ真っ白な影を見つけた。 


「……オイナリサマ」


 呟くように、呼び掛ける。


 元気よく話しかけようと思ってたけどね、オイナリサマが思ったよりどんよりしてたから流されちゃった。


「えっと、あぁ……イヅナさん」

「どうしたの、元気ないじゃん」


 本当に落ち込んでいる様子。

 返事にも、普段のような覇気や自信は見受けられない。


「あ、えへへ、はい…」


 コイツ、本当にオイナリサマ?


 ”イナリアンが化けてる”って説明された方が私は納得するよ。


「本当に大丈夫? 何があったの?」

「いえ、別に、私、そんな…」


 暖簾に腕押し、糠に釘。尋ねてみても、返事は曖昧。


 ならばと、私は直接要求をぶつけることにした。

 多分だけど、今の精神状態なら割とあっさり聞いてくれるでしょ。


「ねぇ、ノリくん返してくれない? この結界の中にいるんだけど」

「え、結界……?」


 いや、そこで首を傾げられても困る。

 結界と言えばオイナリサマ、そういうイメージだった。


「なに困ってるの、オイナリサマの結界だよ」


 だから私は補足する。

 何を当たり前のことを疑問に思っているんだと感じながら。


 そしてオイナリサマの答えとは、度肝を抜く意外な事実だった。


「そんな、結界は、筈じゃ…」

「…破られた?」


 あはは、今日はエイプリルフールかな。

 常識じゃ考えられないことばっかり起こってるよ。


「じゃあ、イナリアンは……貴女の姿をした黒いセルリアンは? 戦ったんでしょ、どうなったの…!?」

「……負けて、しまいました」

「あーあ……そう」


 正直、予想は付いていた。

 ここまで話を聞けば嫌でも…ね。


「で、何を呑気に座り込んでるわけ? 神依君を迎えに行かなくて良いの? 中で好き勝手されてるかもしれないのに…」


 でも、それでも理解できないことはある。


「迎えに…そうですね…」


 それはオイナリサマがこうやって、大人しく座っていること。


 何かをされたら、ましてや神依君に何かあったら。

 全力を以て、されたことの十倍くらいで返すような性格をしているというのに。


『訳が分からない』

 

 未だ往生際悪く、私にそう思わせる言葉を、オイナリサマは紡ぎ続ける。


「でも私…大丈夫でしょうか? もし、神依さんに拒絶されてしまったら…」

「……は?」


 ああもう、ムカつく。

 どうして貴女が、オイナリサマが。



 ……こんなに弱気なの?



「もしかして貴女……を、取られちゃったの?」

「あ、あはは…そうかも、しれませんね……」


 恐ろしい、なんてこと。

 オイナリサマの輝きが奪われた?



 ―――最悪だ。



 考え得る限り最悪のビジョンが……私の頭の中でカチカチと、音を立てながら組み上がりつつあった。




―――――――――




「がっ、あ…ぁ……」


 祝明が倒れ伏す。

 黒イナリはその体を踏みつけ、適当に蹴飛ばす。


「の、祝明…!」

「ふぅ、これで静かになりましたね」


 急いで駆け寄ったが…ダメだ。

 完全に気を失っている。


 俺は無力だ、苦しいな…


 だけど一つだけ、黒イナリには確認しておきたいことがある。


「なぁ、さっきの戦いで使った、あの武器って…」


 黒イナリが祝明に向けて投げつけた、虹色の苦無。


 オイナリサマが、先の戦いで使っていたものと同じに見えた。


「うふふ、気付きました? ええ、彼女から…輝きごと頂いたんですよ」


 ペロリ。

 舌を指でなぞって、黒イナリは艶やかに扇子をあおぐ。


「…完璧、ですね」


 文字通り、完成された黒イナリの強さ。

 俺は、どうすればこの状況を打開できるのだろうか。


 ……ま、何したって無理だな、考えるのも嫌だ。


 俺は気を失った祝明の身体を背負って、神社の中へと運んでいく。



「羨ましいな、お前は……外に出られるなんて」 



 恐ろしい嫉妬で、止めどない本心。

 想いだけが先走る、俺の身体を置いていって、生霊のように。

 

 一歩、また一歩。

 そしてついには、一センチ。


 歩みは重く、重く、重く。

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