Ⅱ-110 サンドスターは『調味料』です、異物混入じゃありません!

「…ってな訳で来たぜ、祝明」

「いらっしゃい、神依君」


 森の図書館からはるばる…という程でもない距離を渡って神依君一行が到着した。


 朝も早くてまだまだ寒い。

 来たばかりだけど、お疲れさまと言いたくなる程神依君たちは疲れた様子だった。



 今日の日に備えて、宿には雰囲気を出すための和風な装飾が施されている。

 

 発注はギンギツネ、デザインはイヅナ、作ったのはラッキービースト。

 

 中々に素晴らしい出来だと僕は思っているけど、それを見た神依君たちの反応は三者三様だった。


 「おぉ…いい感じだな」と神依君が言えば、「私にはよく分かりませんね、もっと派手でいいのでは?」と博士が。


 「まあ、こんなものでしょうね」と助手が何方とも捉えかねる感想を口にすると、イヅナはあまり肯定的な反応が無いことに頬を膨らませた。


 唯一褒めてくれた神依君に関しても、イヅナはあんまり親しくしようとはしない。


 それについては、仕方ないと思う他ない。


「まあまあの出来ですが…素材は最上ですね」

「博士ったら、自分が関わった所だけ褒めちゃってさ…」

「僕は素敵だと思うよ、この建物にとっても合ってると思う」

「あ…えへへ…!」


 ファサファサと大きく揺れる尻尾。


 こうも大袈裟に喜ばれると、僕の方が気恥ずかしくなってしまう。

 

「はいはい、じゃれつくなら奥に行くのです」

「別にいいじゃん。それとも…博士にはじゃれつく相手がいないから妬いてるの?」

「…ありえないのです」


 オーバーに首を振り、あからさまに肩を竦め、これ見よがしに呆れた笑みを浮かべる。

 

 どことなく、図星を突かれたような反応に思えるのは僕の気のせいだろうか?


「寂しいなら、私が相手をしましょうか?」

「なっ…はぁ…助手も、コイツの口車に乗ることはないのですよ?」

「いえ、博士があまりに分かりやすいものでしたから」

「…本当に必要ないのです」


 すごすごと博士は柱に背を預ける。

 

 博士って、こんなに打たれ弱かったっけ?


「ありゃ、早朝からショッキングなものを見たせいで参ってるのかもな」

「…ショッキングなもの?」

「ああ、この下にな――」


 パチパチ。

 

 ギンギツネの手拍子が会話を遮る。


「さあ、三人とも早く荷物を置いてきたら?」

「…おっと、そうするか。じゃ、この話は後でな」

「…うん」


 神依君たちはギンギツネに案内されて寝泊まりする部屋へと向かう。


 博士と助手は相部屋で、神依君は一人用の別室が用意されている。


 二つの部屋にはそれぞれギンギツネが独自の施しを加えていて、彼女曰く”最高の演出をするため”らしい。


「『最高の演出』かぁ…やっぱり、気合入ってるんだね」


 しかしここまで丁寧にするのなら、雪山に興味がある子も連れてきて良かったのではないかと思う。

 

 …なんで神依君たちだけなのだろう。


「まあ…その子なりの事情でもあるのかな」


 あるいは博士たちかギンギツネの事情か。

 どうでもいいか、どの道詮索するつもりはないもの。


 僕は僕の仕事をしよう。


 並ぶ沢山の稲荷寿司、その一つ一つに作業を……!




―――――――――




「…だけど、さ」

「ノリくん、どうかしたの?」


 流れるような手捌きで油揚げにご飯を詰めるイヅナ。

 

 その瞳に一切の迷いは無く、この状況への疑問もない。


 だけど、僕は不思議に思うのだ。


 果たしてこの稲荷寿司に大層な祈りが必要なのかどうかと。


「これって神依君たちに出すものじゃないよね…?」

「そうだけど…それが?」

「じゃあ、イヅナが食べるの?」

「ボクも食べる…!」


 机の下からひょこっとキタキツネ。

 

「いや、まあ、それは良いんだけどさ…」


 彼らに出す分はギンギツネがせっせと作っている。

 

 僕に料理は手伝えないけど、それにしてもこんなに時間を費やしていて良いのかと思う。



 ちなみに気になるの中身は大したことじゃなくて、僕の体から取り出したサンドスターを振りかけるだけだ。


「おいしくなーれ、おいしくなーれ……はぁ…」


 サンドスターは辛うじて風味付けになるかどうかの境界で、しかも完成品は二人が食べる。


「えへへ…美味しそう…」


 …完全に趣味だ。

 

 もしくは何か理由を付けて僕を拘束していたいのか。


 寿司を握りながら涎を垂らす姿を見ると、果たしてどっちか分からない。


 考えるのは止めよう。

 僕はただ祈るだけ、なにも考えずにサンドスターを振り掛けるだけ。


 …あとは頑張って、ギンギツネ。



「ん……」


 虫の羽音のように小さな声が漏れる。

 別段辛くは無いけど、体内のサンドスターが減っていくのは少しむず痒い気分だ。


 今、丁度1割くらいが稲荷寿司に消えている。


 だけどサンドスターを掛けていないお寿司も残りわずか。

 ほんの少し頑張ればすぐに終わらせられるはず。


「あれ、ノリくん疲れてる? 何だか輝きが弱いよ」

「え…そうかな」


 イヅナの言う通り少し疲れてはいる。

 だけど振りかけている自分の輝きを見ても、特段弱まっているようには見えない。


「疲れたなら遠慮しないで言って? ふふ、休憩しよっか」

「…そうするよ」


 下手をしたらイヅナは、僕よりも僕について詳しいのかも。


 もしかして、毎日のように僕の体から採った輝きを食べてるからなのかな?


 サンドスターの掛かっていない稲荷寿司を口にして、僕は思った。

 

 …流石に、自分を食べたくはない。




―――――――――




 太陽は昇り、大体お昼時。

 昼食の用意を調えたギンギツネが、手伝いを呼びにやって来た。


 真っすぐキッチンへ向かうと、神依君のお昼ご飯が載った盆を渡される。


 零さないように慎重に、神依君が待っているであろう部屋へと向かった。


 …コンコン。


「お、昼ご飯か? 入っていいぞ」

「こちら、昼食でございます…みたいな」

「ハハ、様になってるな」


 料理を隠す蓋を取って、部屋を後にする。

 襖に手を掛けた時、後ろから呼び止められた。


「まあ待てって、久しぶりだしちょっとは話そうぜ?」

「…そういうことなら」


 ちゃぶ台を挟んで向かい側に腰を下ろした。

 みそ汁にぷかぷかと浮く豆腐を眺め、中々食べ始めない神依君を妙に思った。


「…そうジロジロ見られると、食べ辛いな」

「あぁ…ごめん」

「気にしてないぞ。…これ、お前か?」

「ううん、ギンギツネが作った」

「そうか…うん、美味しいな」


 神依君はモグモグと食べ進めていく。


「祝明は腹減ってないのか?」

「さっき食べてきたからね」


 僕がそう答えると、彼は箸でつまんだ玉子焼きを残念そうに引っ込めた。


 少し考え込んで何か思い付いたのか、口の端を上げながら僕に尋ねる。


「…最近どうだ?」

「…わざとなの?」


 真剣に考えてだとしたら、彼は恐らく食べ物に夢中だ。


「どうどう、そう睨むなって。相変わらず二人とやってるんだろ」

「神依君、無理は良くない。 そういうの、辛い話題でしょ?」


 ピクッと、口の端が反射的に動く。

 

「…やっぱ、まだ辛いな」


 おどけた調子も、何とか痛みを和らげられないか苦心した結果の産物。

 時間も、彼の心の傷を癒すには無力だ。


 みそ汁を飲み干して、部屋の隅っこに向けて彼は語り掛ける。


「祝明もだろ? 悪いな、あんな思い出残しちまって」

「やめて、神依君は悪くないよ」

「…へへ、ありがとな」


 神依君はフッと微笑んで、人参の煮物を口に運んだ。



―――――――――



「そうだ、何かして遊ぼうぜ。 暗くなってても仕方ないしな」

「…ごめん、食器を下ろさなきゃだから」

「な、なんだって……!?」


 神依君は崩れ、打ちのめされたように床に這いつくばる。

 まあ、芝居ができるなら十分に元気だろう。


「それじゃ、また後でね」

「おい、無視かっ!?」


 驚く彼の声を襖の向こうに仕舞い、キッチンを目指す。


 その途中、博士たちのいる部屋から何やら騒ぐ声が聞こえてきた。

 

「ギャー!?」

「…相変わらず元気みたいだね」


 構うことなく歩き続ける。

 気になる気持ちもあるけど、食器を片づけるのが先だ。


 …だけど、ちょっとくらいならいいかな。


 ものの数秒も経たぬ内に僕は好奇心に負けて、襖の隙間からそっと部屋を覗き込む。


 なんと襖の向こうでは、博士が見るも無残な姿で倒れ伏していたのだった――!




―――――――――


―――――――――



 時は少し遡って。


 ノリアキさんにカムイさんの元へご飯を運んでもらった後、私は博士と助手の部屋に向かった。



「二人とも、待たせたわね」

「ようやくですか、待ちくたびれました」

「じゅるり、我々はこれだけを楽しみに…コホン。さあ、早くするのです」


 何が出来たとも言っていないのに、博士たちは気が早い。

 まあ、その予想は全然外れてなんていないけどね。


「ええ。キタキツネ、イヅナちゃん、持って来て」


 私が二人に声を掛けると、料理を乗せたお盆を持って二人が現れた。


 揃いも揃って無愛想な表情。

 渋々やっているのは分かるけど、これじゃお客さんなんて寄り付かないわ。


「…どうぞ」

「くふふ、まさかイヅナお前がギンギツネに顎で使われるとは、世の中何が起こるか分からないものですね」

「…っ!」

「えぇっ!?」


 ボウッと狐火が燃え上がる。

 博士(とを食らった助手)が震え上がって、落とした箸は音を立てる。


「て、撤回するのです! ですから、それを早く消すのです…」


 博士が懇願するも、イヅナちゃんは狐火を引っ込める気配が無い。

 むしろ、歯の隙間から漏れる威嚇の声が大きくなっている。


 対応を思案していると博士と目が合った。さっきまでの態度が見る影もないくらいに怯え切っている。

 

 流石に声を掛けようと一歩踏み出したとき、意外にもキタキツネが声を上げた。



「…イヅナちゃん、やめよ? 脅しても仕方ないよ」

「こ、こんなの…!?」

「そうよ、やめなさい、イヅナちゃん」

「”そう”って、ギンギツネも我々のことを…?」

「…分かったよ」

「待つのですお前たち、一体我々を誰と――!」

「落ち着きましょう博士、争いは不毛です」


 助手に窘められ、炎の恐怖に縛られ、博士はぎこちなく正して座った。

 なんだ、博士も偶には可愛く振舞えるんじゃない。


「いただきます、なのです…」

「どうぞ、召し上がれ」


 博士は目に付いた卵焼きを一口。

 一噛みする前に、叫んだ。


「し、しょっぱいッ!?」


 …もしかして、塩と砂糖を間違えちゃった?




―――――――――




「お、思わぬ伏兵だったのです…」

「あはは、ごめんなさいね」


 だけど妙ね、どうして間違えちゃったのかしら。


 わざわざ瓶に『しお』『さとう』とシールを貼って、穴が開くくらい凝視して間違いないと確信してたんだけど。


「うぅ…まだ口の中に味が残っているのです。これでは砂糖でも甘すぎになるのですよ…?」

「それは、これから調整するわ…」


 ともあれ、気持ちを切り替えましょう。

 引き摺っても良いことなんて無いもの…ね?



「時にギンギツネ、お前は暮らしにくくないのですか?」

「あら、どうして?」

「いえ…だって、がいるのですよ」

「博士は変なことを聞くのね。別にそう感じたことなんて無いわ」


 私だって時には悲しくなったり、辛くなったりもする。


 だけど、この宿から出て行こうなんて一度たりとも思ったことはない。

 もとより、私がいるべき場所はここの他には無い。


「そうですか…私には分からないのです」

「あら、時々は寒いけど快適な気候じゃないかしら」

「それも含めて、理解しかねますね」

「…そう、それは残念だわ」


 そう答えた私の声は雪のように冷たかった。

 自分でも知覚できる冷たさに、改めて私は身震いした。


 そう、やっぱり、そうなのね。


 納得で頭の中が一杯になる。振れる尻尾に指を通し、スッと通って蟠りが解ける。ああ、気持ちが良くてやめられないわ。


 なのに、博士が邪魔をする。


「ギンギツネ、私はそろそろ口直しが欲しいのです」


 渋々私は手を止めて、の接待へと戻った。


「じゃあ、お茶でも入れましょう」


 部屋の隅に置かれた

 熱々のお湯を温泉以外から持ってこられて、しかも熱さを保ったまま持ち運べる魔法みたいな機械。


 ノリアキさんに聞くと、魔法瓶と呼ぶこともあったみたい。

 名は体を表す…とは少し違うかしら、不思議なものね。


 まあ、手頃な紅茶でいいかしら。

 ノリアキさんが気に入ってるからか、この旅館は至る所に紅茶のバッグが備えられている。

 特に多いのがアップルティー。うふふ、よっぽど好きなんでしょうね。


「さあ、どうぞ」


 赤々と染まった液体を博士に差し出す。

 フーフーと冷まして大きな一口を飲み込んだ。


「……」


 ビチャッ。

 

 転がるティーカップ。零れる紅茶。

 硬直した博士は痺れるように痙攣して、痺れるように一言。


「ギャー!?」


 バタリ、鉄砲で撃たれた鳥のように博士は倒れ伏す。

 

 何故なのかを確かめるべく、私も紅茶を入れて飲んでみる。


「…あら、とっても酸っぱいわね」


 強烈に酸っぱい紅茶もなんだか懐かしいわね。

 だけど、私はこういう味も結構好みだわ。


「ぎ、ギンギツネ…」

「助手も一杯いかがかしら?」

「勿論、遠慮させていただくのです」 


 助手は博士へ憐れむような視線を向ける。博士、起きたら犯人探しでも始めちゃうかしら。


 まあ、どうせ落ち着けないって分かっていたもの、精々愉快だといいわね。


 やがて待ち受ける楽しい未来を想像して、私は一人で微笑んでいた。

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