Ⅱ-107 それは、青空を飛び回るような青

「ん…よっ、と…こっちだよ…!」


 ボクは旅館から離れて、小高い丘の上までセルリアンをおびき寄せた。

 とりあえず、これで旅館が壊される心配は無くなったかな。


「ふふ、セルリアンって単純…」


 ボクが動けば、ついてくる。

 ひょいと隠れれば見失う。


 ゲームの中のキャラクターだってちゃんと考えて動いてるのに、セルリアンったら情けない。


 …でも、あのキャラたちはどうやってモノを考えてるのかな。

 

「後でノリアキに聞いてみよ…っと、わわ」


 むぅ、風も雪も邪魔。 

 セルリアンよりこっちの方がずっと厄介。


 ゲームでもあるよね、敵よりギミックの方が面倒なステージ。


 でも、吹雪はいつ止むか分からないしギミックじゃないから攻略法もない。

 あーあ、天気を変える魔法の機械でもあればいいのに。


「だけど…ラッキー♪」


 四本足のセルリアンは目と鼻の先にいるボクを見失っちゃったみたい。

 ボクはを感じられるからこの視界でも居場所が分かる。


 変なことが起きる前に倒しちゃおう。

 

 ボクは雪の上からいつものように大きく跳ねて、上空からセルリアンの体へと爪を振るった――




―――――――――




「ん…あれ…ギンギツネ?」


 僕を包み込む温もりは、いつの間にか布団だけになっていた。

 吹き込む寒さに震えながら、未だ覚めない目を覚まそうと光の方へと這い出した。


 …吹雪はもう止まっていた。


 後から思えば、寝惚けて馬鹿なことをしたものだ。

 吹雪が吹いたままだったら、僕はまた雪の底へ沈んでいたかもしれないのに。


 でもまあ、今回は無事だったしいいか。


「穴の中には…まあ、いないよね」


 吹雪が止まってからしばらく経ったのだろうか、ギンギツネはイヅナたちを探しに行ったのだろうか。


 だけど、何となく嫌な予感がしていた。

 ううん、予感なんかじゃなかった。


 だって今この瞬間も、んだもの。


「…! セルリアン、かな?」


 響く地ならし、揺れる空気。

 前から後ろへと吹き抜ける寒風が、横から殴られたように不自然に震えていた。


 何となく身の危険を感じて、僕は少し体を浮き上がらせた。

 

 空からなら辺りの様子も確かめやすいし、何よりまた雪崩に巻き込まれてちゃかなわないから。



「音の方向は…あっち!」


 自分の聴覚に従って飛んでいく。  

 へ近づくほどに、大きな揺れが身体を襲う。

 

 少し盛り上がった丘を越えると、そこには広い広い雪原がある。

 白いキャンバスの真ん中で、銀と青の点が飛び交っているのが見えた。


「ギンギツネと、セルリアン…!」


 銀色の点はやや大きな青色の周りをピョンピョンと跳ねている。

 彼女が翻弄しているようにも見えるけど、体力が保つかどうか心配だ。


 対してセルリアンは大きく動くことはなく、時折ギンギツネの爪を軽く弾くのにとどまっている。

 

 姿は胴体らしき球にそこから伸びる四本の剛健な脚。

 脚は蜘蛛のように伸びてはいるが、少ない本数も相まっていびつなコピーに見えて仕方ない。

 

 その時、セルリアンが大きく雪を蹴って跳び上がった。

 

「あ…!」


 見慣れた攻撃なのかギンギツネは落ち着いた様子で避けて、飛んできた雪を軽く払った。

 セルリアンが着地すると同時にドカンと雪山が揺れて、沢山の結晶が辺りに飛び散ったのだ。


 …って、呑気に眺めてる場合じゃない。セルリアンを早く倒さなきゃ。


 そう思い至って飛び出しかけた僕の腕を、誰かが後ろから引っ張った。

 

 引かれた勢いそのままに、柔らかい感触が僕を抱き締める。


「わっ…!?」

「ノリくん、大丈夫だった…?」

「イヅナ…僕は大丈夫。でも、ギンギツネがそこで…」


 突然引っ張られたのはびっくりしたけど、イヅナであることには驚かなかった。


 まあ…今飛んでるしさ。イヅナじゃなきゃ届かないから。

 ともあれ、合流出来てよかった。


 …だけど、黙りこくるのは勘弁してほしいかも。


「…イヅナ?」

「そうだねノリくん…ギンちゃんも、助けなきゃだね…」


 イヅナは気だるそうに、どこか上の空な様子で、セルリアンへと向かっていく。


 …出来ればキタキツネの様子を聞きたかったけど、それを聞ける雰囲気じゃなかった。


 軽く声を掛けることすら躊躇うような、危うい冷たさ。

 イヅナの体は雪で底冷え、抱かれた腕に凍えが移る。


 イヅナは何か別のものを見ているかのようで、得体の知れぬ不安が募る。


 それを何とか引き剥がし、僕も刀を手にセルリアンのもとへと飛んで行った。




―――――――――




「ギンちゃん、調子はどう?」

「まあ…ぼちぼちって所ね。イヅナちゃんこそ寒そうだけど、大丈夫?」

「…アハハ、全然」


 脱力した視線をギンギツネに向ける。

 一瞬イヅナがギンギツネに何かするかもと思ったけど、杞憂だった。


 僕の方を振り向いて、イヅナは手を伸ばす。


「ノリくん、一本貸して?」

「あぁ、うん…」


 刀は二本持っている。

 白黒の一対のうち、白い方をイヅナに渡した。


「ありがと、早く片付けちゃおっか」


 そう言い終わる前に駆け出したイヅナ。

 アレくらいのセルリアンなら、もしかしたら僕の仕事は無いかもしれない。


 …一応、構えてはおくけど。


「よーし…えいっ」


 ある程度セルリアンと近づいたイヅナは、止まって目の前に狐火を灯した。


 イヅナがひらりと手の平を返せば、青い炎が横へ揺らめく。

 スッと動き出した青白い光に、セルリアンの視線は釘付けになる。

 

 そしてイヅナは、狐火と逆の方向に走り出した。


 さらに距離を詰めても、光に釣られたセルリアンは気づかない。

 

「…それっ!」


 ジャンプでクルっと一回転。

 回りながらセルリアンの胴体を斬り付けた。


 だけど…何も起きない。


「…あれ、浅かったかな」

「あら、ピンピンしてるわね」


 思いっきり斬られたはずのセルリアンは相も変わらず狐火を追っている。


 一瞬痛がるように飛び上がったら、イヅナの姿を捉えて吼えた。

 やっぱり、傷が浅くてすぐには気づかなかったみたい。


 セルリアンにもようやく怒りが湧いてきたのかな、地団太を踏んで威嚇している。


「ノリくん、助けてー!」

「あはは…僕の出番みたいだね」


 黒い方の刀を構えて一直線。

 イヅナに夢中なセルリアンの腕を細いところから斬り裂いた。


「どーん!」


 斬り落とした腕を、何故かイヅナが蹴り飛ばす。


「えっと…何で?」

「えへへ、何となく…」

「…そっか!」


 腕はもう空の青と同化して見えない。


 遠くに飛んでいきはしたけど、どうせすぐ消えるものだしいいか。

 もう腕のことは忘れた。


「そしたら…あんまり長引かせても仕方ないね」

「そうだね、さっさとやっちゃお!」




―――――――――




「ふー…終わった…」


 程なくしてセルリアンは跡形もなく解体され、雪山のセルリアン騒動は終わりを告げた。


 というか終わりにしてほしい。

 今日はあまりにも事件が起きすぎた。


 普段ほとんど事件が無い反動と思えばそれでもいいけど、ポジティブに思えない程疲れてしまった。

 主にセルリアン以外の部分で。


「帰ろう…もう寝たいよ…」

「コカムイさん、さっきまでたっぷり寝てたのに…ふふ」

「寝てたの…? ギンちゃんの近くで…?」


 鋭い疑問が突いて刺される。

 反応までにコンマ一秒、早い。


「洞穴でグッスリ寝ているのを見掛けただけよ、すぐセルリアンを退治しに行ったから近寄ってはいないわ」


「…本当?」

「え、えっと…?」


 どう答えるのが正解か分からなくて、とりあえず言い淀んだ。

 一応、を装って。


 ギンギツネの言葉を正しいとするなら、僕は彼女が立ち寄ったことを知らないことになるから。


「…まあ、そういうことにしとくね」


 若干の疑念を浮かべつつも、どうにかその場は収まった。

 でもそれも、イヅナが別のことを気にしているからだろう。


 さっきからイヅナは落ち着かない様子で、多分ココに居ない誰かキタキツネのことを考えている。


「イヅナ、どうしたの…?」

「ううん…何でもないから」


 目を合わせずにそう言って、彼女は頭に手をやった。

 痛む所をさするように。




―――――――――




 案の定というか何というか、宿は至っていつも通りの様子だった。


 何が起きても変わらない場所というのは、底知れぬ安心感を与えてくれる。


 キタキツネはゲームでもしているのかな。


 今更ながら黙ってセルリアン退治に飛び出したことが後ろめたくなってきた。

 例えるなら、試合中の擦り傷が後から痛んできたような感じで。


 それでも途中で歩みを止めることは叶わず、宿の敷居を跨ぐのだ。


「ただいまー…」


 返事はない。

 代わりに、奥の方から何か作業をする音が聞こえる。


「キタキツネ、いる…?」

「ノリアキ…お願い、手伝って…!」

「だ、大丈夫!? ………え?」


 絞り出すようなキタキツネの声に焦って向かうと、息も絶え絶えに瓦礫を運ぶ彼女の姿があった。

 混乱しながらも周りの様子を見ると…大体分かった。



 まず最初に、屋根が突き破られている。


 綺麗な青空が建物の中からも覗けて、露天風呂でもないのに解放感にあふれている。

 勿論、こんな解放感は願い下げであるのだが。



 そして屋根を突き破ったもの。

 

 それもとても分かりやすかった。

 頭を抱えたくなるほどに明瞭な原因が、今そこで


 ああ、僕達はちょっと前にそれを見た。

 というか、斬り落とした。


 青くて半透明なセルリアンの腕。

 僕たちが最後に対峙した化け物の一部。

 イヅナが何気なく蹴り飛ばした青い彗星。



 考えれば考えるほどに納得がいく。

 

 今日の雪山に、屋根を突き破るほどの勢いで落ちてくるものなんてこれくらいしかない。


 まさか、今になって後ろめたいことが増えるなんて思いもしなかった。

 


「……ノリアキ?」

「なんか…ごめんね」

「え、どうして?」

「あのね、イヅナが――」

「わー、わー! キタちゃん、ほら、片付けよっか!」


 イヅナが分かりやすく焦っている。


 この感じなら、わざわざ僕が説明しなくても大体分かってくれそう。



「そっか…イヅナちゃんのせいなんだね」


 もう分かったみたい、すごい。


「あ…えっと…!」

「ちゃんと倒したはずなのにって思ってたけど、そういえば今日ってだった」

「キタキツネの所にもセルリアンが?」

「うん…蜘蛛みたいなのが」

「こっちのも、似た奴だったよ」


 ええと、つまり…


・雪山にセルリアンがいっぱい出てきた

・よく似たセルリアンが別々の場所に二体出てきた

・イヅナが斬った腕を蹴飛ばした

・その腕が宿の屋根を壊した


 ってことになるのかな。

 …何気なく箇条書きにしたけど、きっと前半にある二つは要らない。


 それはさておき、今回に関してはイヅナは謝った方がいいのかもしれない。 


 そんな風に考えながら二人の会話を聞いていると、話は予想外の方向へと流れ始めた。


「イヅナちゃん…もうちょっとでボクに当たるところだったんだよ? 危ないよ」

「でも…キタちゃんだって、私を危ない目に遭わせたじゃん! 自業自得だよ」


 真っ向からの言い争い。

 イヅナが言い返しているのことがよく分からなくて、簡単に口を挟めない。


 躊躇う間にも、言葉の応酬は段々と熱を帯びてゆく。


「そんなこと、それっていつの話?」

「いつって、つい――」

「…まあまあ、二人とも落ち着いて? 今はこれを片づけるのが先だと思うわ」


「でも、イヅナちゃんが…」

「き、キタちゃんだって…!」


「はいはい、その話は後にしましょ。ほら、片づけるわよ」


 ギンギツネにぐいぐいと促されて、二人の言い合いは有耶無耶に終わった。

 

 でも珍しいな、ギンギツネがヒートアップした二人の間に入るなんて。

 普段なら止めるにしても落ち着いてからなのに。


 まあ、今日は普段より苛烈になりそうだから早めに止めたのかな。



「あはは…僕も手伝わなきゃだね」


 瓦礫の片付けに屋根の修理に、今日の騒動はまだまだ尾を引きそうな気配だ。

 

 でも偶にだったら、こういう刺激があっても悪くないのかもしれない。

 

 穴から覗く空を眺めて、僕はその眩しさに目を覆った。




―――――――――



 きっかけは、全く関係のないセルリアン騒ぎ。

 

 でも、始まりなんて終わりには気にされない。

 残るのは、過程の記憶と結果だけ。


 噛み合っているように見えた歯車は、いとも容易く狂わされる。


 まるで、新しい歯車を押し付けて組み込むようにして。


 いいや、違う。

 もうその歯車は組み込まれていたんだ。


 それに気づいたのは、気付かされたのは、変わってしまった後だったけど。



 …凪は終わった。

 また停滞が訪れるその時まで、僕達は変わり続けるしかない。


 望まなくても、変えられてしまう。


 そうでしょ?


 だってからそうだった。

 

 全部変えられて生まれたのが僕だから、また変えられるしかないんだ。


 でも大丈夫。


 全然、怖くないから。

 むしろ…嬉しいんだから。

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