第561話 比翼連理
「――タイムリープだと……!?」
エヴァンスと
タイムリープ――
それは、時間という次元の中を、意識だけが自在に行き来するものだ。肉体そのものが時間旅行をする、いわゆるタイムトラベルとは違って、物理的な転移を伴わない分、その実現可能性は遥かに高いとされている。
だが実際問題、我々四次元世界の住人にとってそれは、絶対に実現することのないフィクションの世界であることに変わりはなかった。我々にとって『時間』とは、絶対不可侵の次元だからだ。
それをあの二人が……いや、ここにいるオメガ5人全員が経験したのだという。
「……そんなことが……あるわけ――」
「だが事実だ――」
思わず否定しようとしたエヴァンスを、叶が遮った。
「――彼らは
だが、最後の言葉に
「……ううん……覚えてたんじゃなくて、思い出したの。
「……私たちは、そんな大事なことを忘れていたのです……その間、中尉はたった一人でそのことを背負い込み、戦っていたのです……」
亜紀乃が呻くように呟いた。
それからオメガたちは、口々に一度目の出来事をエヴァンスと秀英に語って聞かせた。もはや戦闘は終結している。時間はたっぷりあった――
「……じゃあ一度目はこの私が……李軍を……」
「はい……
「あの男は狡猾にも我々を欺き、未来ちゃんと強制的に同期を図って異次元に転移しようとした……往生際悪く、逃走を図ったんだ……」
叶が言葉を継ぐ。
「そしてその後の混戦で、中尉がついに李軍を仕留めたの……でもその時、誤って未来ちゃんにも致命傷を負わせてしまって……」
その後、オメガたちは『黄泉国』のことも必死で語ってきかせた。その部分については叶も足を踏み入れていないから、彼にとってもすべて初めて聞く話である。特に『因果の螺旋樹』のくだりについては、身を乗り出すようにしてオメガたちの話に聞き入った。
「……僕は今回、何度もデジャヴに襲われたんだ。ようやくその理由が分かったよ……僕の無意識が、一度目の経験を記憶していたんだ……」
「それなら私も、さっき似たような経験をしました――」
秀英が口を挟む。
「似たような経験?」
「えぇ……戦車兵の、
「なるほどね……」
叶は沈思黙考する。その代わり、今度は久遠が口を開いた。
「士郎は――」
すると、なぜだかオメガたちが、一斉に久遠に注目する。みな同じことを言いたかったのかもしれない。
「――士郎は、
「えぇ、久遠ちゃんの言う通りだわ。士郎さんはさっき、大和の砲弾が一発撃ち損じて落ちてくる時、『逃げる』と仰ったんです。みんなで力を合わせて、この空間そのものをここから転移させると……」
「――その時、私たちはてっきりみんなで転移するんだと思ってた……でも本当は自分だけ、砲弾と李軍ごと転移しようとしてた……」
「そして多分――」
文が皆を見回す。
「――多分その時、未来ちゃんだけが中尉の真意に気付いてた……」
その瞬間、叶の胸に再び何かが込み上げてくる。
「……あぁ……その通りだ。未来ちゃんはあの直前、僕に最期のお別れの言葉をくれたんだ……彼女がその時、既に覚悟を決めていたことは間違いない……」
叶の脳裏に、再びあの時の未来の言葉が浮かぶ。彼女はその時、優しげに微笑んでいた。
(――もちろんですよ少佐……いろいろありがとうございました……)
その時、オメガたちが一様に、何かを必死でこらえているのが分かった。
「――あーあ……敵わないなぁ……」
「うむ……ちょっと妬けるけど……未来ちゃんはやっぱりすごいな……」
「私は……悔しい……士郎さんの役に立てなかったことが……」
くるみの辛そうな言葉に、だが叶は優しくフォローを入れる。
「くるみちゃん……それはしょうがないよ……だって、あの中で転移のための能力を行使できたのは、未来ちゃんだけだったんだ――」
「それが悔しいんです……私にもし同じ力があったなら、絶対に……」
言いかけて、くるみは遂に
叶が口を開く。
「――未来ちゃんは、自分の持てる力を、中尉のために惜しみなく使っただけなんだ。でも、みんなだって中尉の作戦が成功するために、最期の瞬間まで力を尽くしてくれたじゃないか!? その結果として、今がある……言うなれば……
「ひよく……れんり……?」
「あぁ……」
その言葉を横で聞いていた秀英は、フッと穏やかな笑みを浮かべた。
「そうだな……まったく……叶先生の言う通りだ……私は、君たちと中尉の仲が羨ましいよ。生涯に一度でいいから、私もそんな相手を見つけたいものだ……」
それは、中国の古い漢詩に出てくる言葉だ。だから中国人の秀英には、教養のひとつでもある。
「えと……それってどういう……」
オメガたちが、揃って秀英をじっと見つめた。「ふむ――」と頷き、秀英が皆に向き直る。
「比翼連理――それは、男女の情愛が深いことのたとえだ。『比翼』も『連理』も、中国の想像上の生物だが、聞いたことあるかな?」
「い……いえ……」
「……いいだろう。『比翼』とは、オスとメス、それぞれ目と翼がひとつずつしかない鳥のことだ。この鳥は、地上ではそれぞれ歩くことができるが、空を飛ぶときはお互いに助け合い、一体となって飛ばなければならない」
「…………」
「そして『連理』――これはもともと別々の二本の木だが、途中で幹や枝が寄り添うようにくっつき、一本の木となる。最後は木目まで一体化すると言われている」
「つがいで飛ばないと飛べない鳥……」
「やがて一本になる別々の木……」
「あぁ――これは中国の古い漢詩……白居易という人物が著した『
“――天に在りては比翼の鳥となり、地に在りては連理の枝とならん――”
まさに君たちオメガと、石動中尉の関係そのものだと私は思う――」
オメガたちは言葉を発することなく、ただ黙って秀英の話を聞いていた。叶が言葉を継ぐ。
「――特にその『連理』の枝の、切なくも哀しい由来のことも含めてね……」
「何か……辛いお話なんですか……?」
泣きはらしたくるみが少しだけ顔を上げる。ふと気づくと、オメガたちは軒並み頬を濡らしていた。そうか……ならば――
「……あぁ、詳しく言うと長くなるから適当に端折るが……この連理というのは、愛し合いながらも理不尽に引き裂かれた夫婦が、最後亡くなってまでも一緒になることを許されず、隣り合った墓に埋められた時に生えてきた木なんだ……」
「死んでも同じお墓に入れなかった……?」
「うむ、もともとこの夫婦の仲を引き裂いたのは、悪い王様だったんだ。そのせいで妻は絶望してその身を投げ、それを知った夫の方も自害して果てた……でもその王様は、そのことにすら激怒して、二人をすぐ傍に、ただし別々に埋葬するよう命じたんだ」
「――それって、お互いすぐ傍にいるのに、いつまでも一緒になれないんじゃ……」
次第にオメガたちが、その顔を上げつつあるのを叶は感じ取った。
「あぁ――どこまでも酷い話だろ……? だけど二人を埋葬して数日後、その隣り合った二つの墓から、同時に二本の木が生えてきたんだ。その木はすぐに枝と葉が抱き合うように絡み合い、やがてその根すら絡み合った。そして成長したその木の上ではその後、つがいの鳥がなんとも物悲しい声でさえずっていたという……」
気が付くと、オメガたちは酷くしゃくりあげていた。だがその顔は、まっすぐ前を向いていた。
「私――士郎さんを最後まで必死で支えてたって胸を張りたい……一緒に大空を飛んでたって……」
くるみが震える声で言い切った。酷い鼻声なのは、この際目を瞑ってあげるべきだろうな――と秀英は密かに思う。
「――私たち、みんな最初は独りだった……だけど、最後はみんな一心同体だったよ。別々の根っこから生えたけど、幹も枝も葉っぱも……そう――途中から、私はみんなで、みんなは私になった……」
「……未来ちゃんはきっと、私たちの代表として……中尉と比翼連理の仲を証明してみせてくれたのです」
いつも淡々と喋る亜紀乃が、これほど声を震わせているのも珍しかった。それだけ、彼女たちは自分自身にも必死で言い聞かせているのだろうな――と叶は思った。
「――二人は……絶対に無事だよね……? どこかの時空で、きっと今でも比翼連理してるよね!?」
「あぁ――そうだね……二人のことだ。そう簡単に、力尽きるとは思えない。そのうちひょっこり、また僕らの前に現れてくれるかもしれないよ……」
その時、ちょうど大和の主砲弾が貫通した大穴の、そのさらに上方に覗く大空から、太陽の光がサァ――ッと差し込んでくる。
オメガたちは黙って、そのキラキラと輝く白い光の筋を、眩しそうに見つめた――
***
三か月後――
日本は、戦後処理に明け暮れていた。
もちろん、上海には未だ異世界中国軍の残存兵力が駐留していて、各国との睨み合いが続いている。日本が中国東北部の軍閥をついに掃討し、ようやく北京派の武装勢力を壊滅させたと思ったら、その代わり上海に、それなりにまとまった軍事力が新たに出現してしまったというわけだ。
だが、これについては米国を中心とする日本以外の諸国家が、ようやく本格的な対応に乗り出したところである。もとより上海は、日本国の大陸における権益外の地だ。本土の侵略を受けて満身創痍の日本が、積極的にこれに首を突っ込む理由は今のところどこにもなかった。
そんな中、国防軍は大損害を受けた戦力の立て直しとともに、今回の一連の騒動を詳細に分析・検討することに全力を挙げていた。
中でも注目したのは、
当事者たちの大半は、もはや元の時代には戻れないものと諦めているようだが、異なる世界間の行き来のメカニズムを解明するのは、実は国防上極めて重要な意味を持つ。
今回現れたのがたまたま帝国陸海軍だったからよかったものの、こんご敵性国家の軍隊が突如国家の心臓部に現われでもしたら、また今回のように未曽有の大戦争になりかねない。この未知の現象を制御できるようにすることは、国家の存亡を賭けた極めて重要な課題であった。
そしてなにより、オメガという存在についての、さらに詳しい検討――
特に、人類が種の存続を賭けた崖っぷちにいることが今回の戦役を通して明らかになったことで、それは密かに国家の……いや、人類全体にとっての最重要にして最優先課題となった。
その中心にいるのはもちろん、この男である。
「――人類全体の最優先課題と言いながら、諸外国にはこれを一切秘匿するとはこれいかに……」
横須賀にあるオメガ特戦群司令部に隣接する市民病院。その軍専用棟の奥まった一室にずっと泊まり込んでいたのは、オメガ研究班長の叶だ。つい最近、中佐に昇進したばかりだというのに、その見た目はただの貧乏研究者のような風体だ。
さまざまなデータが表示されたモニターをじっと睨みながら、カップラーメンをすすっている。
そこに颯爽と現れたのは、案の定この人だ。
「元尚……貴様ようやく中佐になったというのに、まだそのような口の利き方をしているのか!? 困った奴だ」
「やぁ東子ちゃん。わざわざ僕に会いに来てくれたのかい? 嬉しいねぇ――」
「別に貴様に会いに来たわけではない。それに、東子ちゃんと呼ぶなと何度言えば……まぁいい。今日は別の用件だ」
その瞬間、国防軍最強の最精鋭統合任務部隊「オメガ特殊作戦群」を束ねる群長、四ノ宮東子大佐は真顔で叶をじっと見つめた。
「――貴様の言っていた現象を、僅かだが観測した。今から約6時間前のことだ……」
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