第555話 因果の螺旋樹

 眼前に広がるその巨大な構造物を敢えて表現するとすれば、「樹木」だ――


 樹木と言っても、その辺に生えている街路樹の類ではない。その枝葉は気の遠くなるほどの高さにまで生い繁っていて、根っこの部分もそれに比例するかのように、想像を絶するほど裾野が広がっている。

 当然その幹も途轍もなく太いのだが、その形状は少し普通と違っていた。一言でいえば二重螺旋構造なのだ。根元の方は太く、その径は恐らく大人が数十人その手を繋いでも囲いきれないほどだ。


 そんな巨大な幹が二本――お互いに絡みあって、そして真っ直ぐ天に向かって螺旋状に伸びている。恐らく上の方に行くにしたがって、その幹は少しずつ細くなっているのだろう。ある程度まで伸びた先にはところどころ枝がやや斜め上向きに伸びていて、そうした枝が上に行けば行くほど繁茂していた。


 そもそも、ここに至るまでにいったいどういうルートを辿って来たのか、それすらも分からない。

 士郎たちは、道案内役の広美にただ連れられて、気が付いたらここにいただけなのだ。


 ここが『黄泉国』なのか――!?


 さっきまでいた地下空間の、その中空にぽっかりと開いたゲートのようなものをくぐってきた士郎たちは、ここがそもそも地上なのか地下なのか、あるいはもっと別の空間なのかさえ分かっていないのだ。


 辺りにはなぜだか、霧のようなかすみのような、あるいはもやのようなものがかかっていた。そのせいで、遠くまで見通すことができない。当然、今が昼間なのか夜なのかも全然分からないでいた。


「――あの……広美ちゃん?」

「驚くのも無理はありません。私も驚いてくるくらいですから――」


 広美が恐ろしいことを言う。


「え? 広美ちゃんも驚いてるって、じゃあここはいったい――」

「あ、いえいえ……ここがいわゆる『黄泉国』であることは、間違いありません。はぁ――でもよかった! 最初の関門は、ここに無事に入れるかどうかということでしたから……」


 そうなんだ……!?

 そういえば、さっき彼女は確かに言っていた気がする。


(――ここはハッキリ言って私たち神でも制御が効きません……)


 じゃあ、今士郎たちが無事にここ『黄泉国』に到達できたのは、結構幸運なことだったのだろう。


「――それにしても、この大きな樹はいったい……」


 誰もが思っていることを士郎が口にすると、一緒にいたオメガたちも興味深そうに広美を見つめた。


「あぁ――そうですね……仰る通り、これこそが『黄泉国』のシンボルです。人間界ではこれを『世界樹』などと呼んでいる者もいるようですね」

「世界樹――?」

「あ、それってもしかして、ユグドラシルって奴?」


 唐突にゆずりはが割って入る。なんだか目がキラキラしていた。


「ユグ……なんだって?」

「ユグドラシル――あのね、前やってたゲームに出てきた」

「ゲーム?」


 士郎には何のことだかさっぱりわからない。まぁ楪はこう見えてゲーマーだから、大方その中に出てきた設定か何かなのだろう。しかし、そんなゲームに出てくるほど、これって有名なのか……


「ゆずさんの言っているのは、北欧神話に出てくるお話ですね。ちなみにそのユグドラシルというのは、この世界全体を体現するものとされており、その中に天界や人間界、そして死者の国など九つの世界を内包しているとされています」

「じゃ、じゃあこれも――」

「いえ、ここにあるのはそういう類のモノではありません。私たち神の世界では、これを『因果の螺旋樹』と呼んでいます」

「因果の……螺旋樹……?」

「そうです。どう言えばいいのか……そう――これは、世界が辿って来た運命の道筋を具現化したものです」

「……よく……分からないです……」


 士郎が申し訳なさそうに白旗を上げる。だが同時に、これをキチンと理解しなければいけないということも、士郎にはハッキリと分かっていた。これが『黄泉国』のシンボル――つまりこの空間の本質なのだとすれば、それを理解せず未来みくを助け出すなど、到底不可能なのだ。


「端的に言えば、あの幹は、今まで世界が辿って来たいわば歴史です。途中で枝分かれしているのは、そこで選択が行われたことを指しています……」

「あ、だから上に行くほど枝葉が多いのか――」


 久遠が感心したように呟いた。


「えっと、でも……あんなに枝が繁茂しているのは……」

「あぁ……あれはこれから起こる未来みらいの可能性です。根っこの方の太い幹は、既に確定したルート。確定して、それを前提にその先の未来みらいが次々に積み重ねられていったからこそ、あれほどしっかりとした太い幹のように見えるのです」

「じゃ……じゃあ、途中の細い枝は……もしかして選択されなかった未来……?」

「えぇ、その通りです。枝については、その太さに注目してください。結構しっかりした枝ぶりのものもあるでしょう?」

「あ、うん。あるね……上に行けば行くほど、リンゴの木みたいに結構太い枝分かれが……」

「あれはまだ、確定していない未来です。Aという枝を選んだ世界と、Bという枝を選んだ世界が、未だに相争っている状態、とでも言いましょうか……」

「え? じゃあ、もしもAが勝ったら――」

「そうです。Aが主幹となり、Bはやがて細くなり、朽ちて落ちていく……」


 なんということだ――


 こんなところに、世界が選択してきた道筋を形作るものが存在していたなんて……


「じゃあ、あの一番上の、細い枝が無数に枝分かれしている部分は……」

「先ほども言いましたが、あの枝の一本一本が、未来の可能性です。私たちの未来は、あれだけの選択肢によってどこにでも進んでいけるようになっているのです」

「ほぇー……」


 皆が、あんぐりと口を開けて上の方を見上げていた。その先端は、本当に雲を突くような高さにまで達している。もっとも、雲が本当にあるわけではないが……


「――みなさん、上の方をよく観察してください。もしも未来みくさんが本当にこの世界に転移してきているのなら、恐らくどこかに彼女の痕跡があるはずです」


 ――!?

 突然未来みくのことに触れた広美は、目をしょぼしょぼさせながら、必死で上を見つめていた。


「え――!?」

「痕跡って……」

「この螺旋樹は、外から見た時に、その人にゆかりのある事象が明確に分かるように見えるのです。皆さんと未来さんは強い絆で結ばれていましたから、必ず見えるはずなんです」


 それを聞いた士郎は、必死になって目を凝らした。未来みくの痕跡――それっていったい……


 だが、次の瞬間、士郎は恐らくそれを見つけ出した。あれってもしかして――!


「ひ……広美ちゃん! もしかして俺、見つけたかもしれません……」

「え……あ! ホントだ!! あれだよねッ!!」

「わ――私も見つけました!」


 士郎が見つけたと思った途端、オメガたちも口々にそれを見つけたと言い始めた。そうか――みんなだって、未来みくとは強い絆で結ばれているから……


 士郎が見つけたのは、赤い小さな点だった。それは地上から見たら、本当にごく僅かな点だ。だがそれは、実にハッキリと見えたのだ。


「――あの、上の方の……枝がいっぱい繁っているところに……」

「うん、見えるね――あの赤い点でしょ!?」


 間違いない――

 そのチカチカと小さく光る赤い点は、無数に分かれた細い枝の、さらにその先の分かれ目の先に見え隠れしている。


「やっぱりありましたね! 良かった……」


 広美も少し遅れて見つけたようだ。これでようやく、未来のが裏付けられたことになる。最初にその可能性に言及した広美も、ホッとしているようだった。


 その時士郎は何気なく思った。なんだ……未来みくそのものが、生前の姿のままで見えるわけじゃないんだ……

 だって、イザナギは『黄泉国』ですっかり変わり果てた妻のイザナミを見て恐怖したというから……こんなに可愛らしい小さな赤い光なら、何も恐れる必要はない。


「――そ……それで俺たちは――」

「当然ですが、あそこまで未来さんを迎えに行きます」

「え……迎えに行くって、この樹を登るんですか?」

「他に何か方法が?」


 広美は平然と言い放った。


「――あの赤い点は、未来さんのいわば魂のようなものです。それがあの細い枝にあった……その直近の枝は、何本にも分かれているでしょう?」

「あ、はい……」

「つまり、未来みくさんが死ななかった未来みらいも、そこにはあったということです」


 ――!!!!


 それを聞いた瞬間、士郎の心臓はドクンと跳ね上がった。

 そうか――あの枝の一本一本は、未来みらいの選択肢だったのだ。今、未来みくの魂がいる枝から少しだけ元に戻ると、何本もの枝分かれが別方向に伸びているところに返ってくる。そこから伸びるそれぞれの枝はすべて、本当はあったかもしれない、別の未来みらい……


「さぁ、あそこまで行きましょう。そして、未来さんの小さな赤い魂を、もっと手前の枝に誘導するのです」

「手前に……誘導……?」

「そうです。そのために私たちは来たのですから――」

「……そんなことが――」

「よく見てください。別の枝は、まだまだしっかりと伸びています。もっと下の方の枝は、もうすっかり枯れて朽ちていますけどね。枝が元気なら、もう一度別の枝に乗り移ることができます」


 そうか――

 要するに、この螺旋樹の根元の方にすっかり横枝がなくなっているのは、それがもはや確定した道筋――つまり過去の歴史だからだ。

 それに対して、樹の上の方には枝がまだまだ多数繁茂していて、しかもそのどれもがまだ瑞々しいままだった。

 これはつまり、既に選択してしまった道筋でも、別の枝――すなわち異なる選択肢、異なる未来みらい――がまだ枯れていない限り、やり直せるということだ――!

 だからこの巨木のことを『因果の螺旋樹』と呼ぶのか……士郎は広美をまじまじと見つめ返す。


「――驚きました……死者の国である『黄泉国』に、こんなものが……」

「……歴史というのは、生物の意思によって造られてきたものです。この世界はその生物が、選択という役割を終え、また世界の一部に戻るための一時的な休息の場所なのです。ですから個体によっては、再度選択をするために、元の世界に戻っていきます」


 それはつまり――この世界の中では、『時間』という概念があまり意味を持たないということだ。だからAからBへ、枝を乗り移らせることができるということか――


「ちなみに、この世界を科学的に説明すると、事象の地平シュバルツシルト面とも言い換えることができます」


 叶が聞いたら、きっと驚喜するんだろうな……と士郎は思った。そして再度、巨木の先端をキッと見上げる。


 未来みくが死なずに済んだ世界――


 それはまだ、青々と繁っている!


  ***


「――ひとつだけ、注意点があります」


 あれからいったいどれだけの時間が経ったのかはわからないが、士郎たちは『螺旋樹』のかなり高いところにまで登っていた。未来みくの魂である赤い点は、今ではすっかり目の前にあって、そしてそれなりに大きな赤い光球となって、枝の中に透き通って見えていた。


「――ご覧の通り、枝はいくつも分岐しています。今未来さんの魂がある枝から、隣の枝に移らせるには、今の枝の先端を切るだけでいい。そうすれば、この赤い点は勝手に一番近い分岐まで戻って、それから隣の枝に移ります。ここまではよろしいですか?」

「は、はい……」

「ですがこの場合、たとえ隣の枝に乗り移ったとしても、その選択もまた“死”である可能性があります」

「ど……どういうことです!?」

「選択肢のやり直しがあまりにも直近だと、ただ単に死に方が異なるだけ、という可能性があるのです」


 そうなのか――!?

 じゃあ、適切な分岐はどうやって見極めればいい……?


「――ですから、未来さんの死という運命を確実に回避するには、もっとずっと前の選択肢にまで戻った方がいいということになります」

「なるほど……じゃあ直近の枝分かれはキチンと切り落としておいて、もっと下の方まで戻った方が――」

「ですが、あまり前に戻り過ぎると、今度はせっかく選んだ歴史をリセットすることになりかねません」

「それってどういう……」

「敵将李軍リージュンが死なない、あるいは李軍にそもそも会えない……どころか、あまりにも元に戻り過ぎると、下手したら日本軍がもっと以前の戦闘で敗北する選択肢に流れてしまいかねないということです」


 ――!!


「そ……それは……困る……」


 ようやくここまで来たのだ。中国軍司令部の位置を特定し、李軍をついに追い詰めるまで、いったいどれだけの犠牲を払ってきたか――

 うっかり戻り過ぎたら、それらがすべて水の泡になるということか――!?


「じゃ、じゃあ……どのあたりを切ればいいのか、広美ちゃん教えてくれ」

「それは無理です……」

「そんな……いじわるしないで教えてよ」

「別にいじわるじゃありません。分からないんですよ……だって、見てくださいこの枝分かれの数を……この枝のどれがどの選択に該当していたかなんて、私にだって分かりませんよ……」


 確かに……そう言われたらその通りだ。この世界は、そもそも神の制御が効かないのだと、何度も言われていたし……

 ええい――


「じゃ、じゃあ……俺が……決めるしかない……のか――」

「そういうことです中尉……覚悟を決めてください」


 士郎は、周囲をぐるりと見回すと、そこに繁茂する無数の枝をじっと見つめる。周囲のオメガたちも、固唾を呑んでその様子を見つめた。


 いったいどれが……適切なんだ――!?

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