第551話 命の価値

 士郎はその長刀を、まっすぐ李軍リージュンに突き付けた。


 もはや、コイツを生かしておく価値はない。既にその精神は錯乱し、その姿形は人間ですらなくなっている。その存在は極めて危険であり、このまま生かしておけば、次に何が起きるか分からない――


 確かに少し前までは、この男を生きたまま逮捕することに、キチンと意味があった。

 なぜこんな戦争を起こしたのか!? いったいどのような違法実験を繰り返してきたのか!? その結果、何が起こったのか……? 一連の騒動の結果、明確になったさまざまな現象や真相の価値は……? 

 そして、それらすべてから生み出され、あるいは導き出される成果とは――!?


 現代の戦争で勝者が手にするのは、領土でも資源でも、ましてや奴隷でもない。近代以前と異なり、現代戦では相手を征服することが目的ではないからだ。


 その最大の果実は、「知識」であり「情報」だ。

 たとえば、第二次世界大戦の結果、勝利した米国は、ドイツの最先端科学技術――それは主にはロケット技術だ――をすべて手にすることができ、その結果20世紀後半の宇宙開発を圧倒的にリードすることができた。

 大きな声では言えないが、日本軍の毒ガスや細菌戦技術なども――もちろんそれが人体にどのような影響を及ぼすかという医学知識を含めて――すべて米国に提供されている。

 その結果、敗戦国側で免責された者も数多い。一種の司法取引だ。


 そういう意味では、今次戦争だって、飛び抜けた天才級の情報や知識を多数持っているであろう李軍に対しては、たとえ日本の軍門に降りたとしても、同じような司法取引で大幅に免責になる可能性はあった。

 もちろん第一線で命の遣り取りをしていた士郎たちの立場からすれば、そんなことは赦しがたいことだ。本来なら、当然の償いをさせなければならない。でも――

それは同時に、末端の将校である士郎が決めることではなかったのだ。


 敵将の価値は、国家が決める――


 それが分かっていたからこそ、李軍も降伏する際、条約に基づいた取り扱いを要求したのだ。上手くいけば、罪一等減じられて、その命を永らえることができるかもしれない……

 もちろんそれと同じ確率で、李軍が最終的に処刑される可能性もあったわけだが、とにかく今ここでは、生きて捕まえられる限り、士郎たちは奴に手を出してはいけなかったのだ……


 そのせいでこちらのモチベーションが下がっていたとか、気が緩んでいたとは思えないが、逮捕した後ここまで好き勝手にやられれば、さすがに現場指揮官としても奴の扱いについて再考せざるを得なくなる。


 だって、あのオメガたちが、ここまで振り回されたのだ。いや――振り回されたどころか、その尊厳と存在すらいいように揺るがされてしまった。


 未来みく……


 士郎はついに決断した。この男は、現場指揮官である自分の責任において、今ここで断罪する――


「――ま……待て……」


 突然、李軍が普通の言葉を口走った。さっきまでの、あの支離滅裂な言葉とは、明らかに違う。

 え――!?

 コイツ……いきなり正気に戻ったのか……!?


 しかも、先ほどパックリと縦に割れた奴の頭部は、また元のように――人間の顔に――戻っていた。


 あぁ……そうか――

 今の李軍は、意識がまだら模様なのだ。おかしくなったり、また正気に戻ったり……

 だから、今士郎に刃を突き付けられたことでその殺気を敏感に感じ取り、その途端、生物としての生存本能が必死で奴の意識と姿形を正気に戻したのだろう。


「――待ってくれ……今、私を殺せばどういうことになるか……分かっているのか……!?」

「あぁ! 分かってるさ……少なくともこの戦争は終わる。俺たちは、家に帰れるな」


 士郎はあくまで冷静だった。もはやこれ以上、コイツの戯言に付き合うつもりはない。


「そそそそ……そういうことではなく! もっと大事なことがあるだろッ!?」


 李軍は、あからさまに取り乱していた。自分の命の価値が、少なくとも目の前の若い将校にとってはもはや「ない」のだということに、今さら焦っているのだろうか。


「もっと大事なことって……なんだ? 戦争が終わる以上に価値のあるものなどないだろう――」

「い、いいや! ある! あるぞッ!? だ……だって、か……神代未来は、ど……どうなってもいいのかッ!?」

「……ふぅーん……」


 その言葉を聞いた途端、士郎は途轍もなく冷徹な視線を李軍に送る。それは、今の士郎には絶対に言ってはいけない言葉だった。


「――ひっ……!?」

「……未来が……どうだって!? 貴様のせいで、この子はこんなことになってしまったんだ……今さら貴様に彼女のことをどうこう言われる筋合いは、ないッ!」


 その瞬間、士郎はバンッ――とその足を一歩前に踏み出した。その拍子に、手に持った長刀の切先が李軍の頬に触れる。途端、ツ――と赤い切創が音もなく付いた。恐ろしいほどの切れ味だった。


ッ――……ちょ、ちょっと待ってくれ! ほ……ほら、彼女は今、力を失っているんだろ!?」

「貴様ッ――この期に及んで――」


 その瞬間、士郎の頭の中で、何かがプツッと切れる音がした。長刀をいっきに振りかぶる。このままその頭を切り落としてやる――!


「うぉあァァァッ――」

「待てッ!! 違うんだッ! そう! 私は……私なら、彼女の能力を、元に戻すことができるかもしれないッ――」


 チャキッ――!!!

 すんでのところで、士郎は刀を止める。なんだと――!?


「……おい、貴様……今、何と言った……」

「だ……だから――」


 李軍は震えていた。つい数瞬前、士郎が本気で刀を振り下ろそうとしていたことを、李軍は明確に理解したのだろう。


「――か……神代未来は、不老不死を失ったのだろう……? み……見れば分かるからな……」


 確かに李軍の言う通り、未来のその肌は、先ほどより明らかに張りを失っていた。それどころか、部分的にくすんだり、カサカサになりつつある。それは恐らくウズメさまの力によって、彼女の能力の源である何らかのジャンクDNAに、再びメチル化を施されたからであろう。

 そう――それは明らかに「老化」だ。


 とはいえ、ホラー映画でもあるまいし、その変化は秒単位で進行しているわけではない。でも明らかに今の未来は、それまでの10代後半のそれではなく、よく言えば少し大人びて見えた。

 そんな姿は今まで見たことがなかったから、士郎は余計にその変化に敏感に気付いてしまう。


 しかも、この調子で老化を重ねていけば、三日後、あるいは一週間後には、どこまでその外見が変化しているか分からない。今日一日の変化は大したことなくても、一か月後にはしわくちゃのおばあちゃんのようになっている可能性だって、なくはないのだ。

 そしてその先に確実に訪れるのは――死……


 だから士郎は、思わずその刀を止めてしまったのだ。それは、悔しいが殆ど無意識の反応だった。


「――そういう貴様だって、今や何の力も発動できないだろう!? なのにどうやって彼女を元に戻せるんだ!? デタラメ言って、少しでも時間稼ぎをしようとしてるんじゃないか!?」


 そう――今の李軍には何の力もない。ドロイドたちの構築した『ラプラスの悪魔』によって、その量子増幅が完全に中和されてしまったからだ。

 先ほどのウズメさまのブーストによって、ドロイドたちは完全に李軍のエネルギーを抑え込むことに成功したのだ。

 こうなってしまったら、もともとニセモノの李軍には、もはや未来をどうこうできる力は――


 だが、李軍は必死にまくしたてた。


「違うんだ。このドロイドたちを私から引き剥がしてくれたら、もしかしたらもう一度、量子増幅が使えるかもしれない……」

「さ……最期の罪滅ぼしだ! 私はもう――どうなってもいいと思っている。た……確かに今回は、ちょっとやり過ぎた……だから――」

「だ……大丈夫だ。それ以外のことに、力を使うつもりはない……でも……この機械は私と一体化している。私を殺せば、この装置も完全にシャットダウンされるぞ……そうしたら、もう二度と神代未来を救うことはできないんだぞ――」


 確かにそれは、ただの時間稼ぎかもしれなかった。でも……

 もしここで奴の言うことに耳を貸さず、奴を処断してしまったら、もしかしたら本当は助けられたはずの未来を、みすみす見捨てることになってしまうかもしれない――


 士郎のココロは、その時確かに揺れ動いた。

 思わず、叶の方を見る。


「……可能性は……無きにしも非ずだ……」


 叶は、苦渋の表情で士郎を見つめ返した。ここで奴の口車に乗るのは極めて遺憾だが、いっぽうで老化の始まった未来を助ける手立ては、他に見つからない――ということだ。

 

 また決断しなければならないのか――!?

 士郎は、血反吐を吐く思いで叶の言葉を受け止める。


 正直……すべてを諦めて、ここで終わりにしよう、という気持ちが強かったのは事実だ。この男には、今まで何度も騙された。何より、中途半端な対応を繰り返したせいで、無用な犠牲を払ってしまった。

 いま未来が陥っている窮地だって、李軍が最初に投降した時にあのままあっさり斃しておけば、起きなかったアクシデントだ。

 そう……あの時、すぐにでも決断していれば――


 ――!!


 クソっ……それじゃあやっぱり、自分のせいでこんなことになっているんじゃないか――

 だったら、未来を元通りにしてやるところまで、俺が責任を持たなきゃいけないじゃないか――


 士郎は、ゆっくりと頭を上げ、そして周囲を見回した。そこには、ドロイドたちを統括する森崎大尉の姿もあった。

 森崎は……彼女も他のドロイドたちと同様、身体のあちこちが煤けていた。それは恐らく、李軍との力比べの中で負った傷だ。彼女たちは、強制的に同期シンクロナイズさせられた未来を一刻も早く救出するため、その身を挺して李軍に貼り付き、凄まじいエネルギーの遣り取りの中でボロボロになったのだ。

 だが――


石動いするぎ中尉……ご指示ください」


 森崎が口を開いた。その声は、いつもの涼やかな声ではなく、半分機械的な音声が混じっている。それ一つとっても、既に彼女が相当ダメージを負っていることは明らかだった。彼女だけではない。多くのドロイドたちが、あちこちで黒焦げになっていた。

 そこまでして、彼女たちは未来を救おうとしてくれていたのだ。なのに森崎は、あくまで合理的だった。


「――私の計算によると、この男の提案が成功する確率は46パーセントです。試してみる価値は十分にあると判断します」


 大尉――!


「……でも……そんなことをしたらドロイドたちの今までの犠牲が――」

「無駄にはなりません。もともとの作戦目的は神代兵曹の救出です。これは、想定外の戦術プランに移行するだけのことです」


 くッ――……


 士郎は決断した。ここまで来て、敵を信頼しなければならないとは……

 だが、やらずに後悔するよりは、やって後悔した方がいくらかマシだ……


「――よし……では森崎大尉……李軍からドロイドたちをパージしていただけますか……」

「了解しました」


 すると、またもや森崎の眼球に小さな赤い点滅が無数に現れた。ほどなく、それまでギチギチに李軍を締め付けていたドロイドたちが、バラバラと離れていく。離れると同時に、既に不具合を起こしていたドロイドたちは、そのままズルっと地面に滑り落ちて……そして動かなくなった。まともに直立して稼働しているユニットは、全体の三分の一にも満たなかった。

 これほどに犠牲を払っていたのか……

 士郎はあらためて、ドロイドたちに心から感謝の念を送る。すると、一斉にドロイドたちの眼球に、チカチカっと赤い光が一瞬だけ点滅した。


 ――?


 森崎が、フッと微かに微笑んだ。この時、それまで量子の海に巻き込まれていたドロイドたちに、残像のように士郎の思念が一瞬だけ送られていたことを、彼は知らない。


 士郎は、あらためて李軍を見据える。

 ドロイドたちの圧迫からようやく解放された李軍は、元のグロテスクな半人半機械生命体の姿を晒していた。確かにその見た目は、それほどダメージを負っているようには見えなかった。

 まぁ、確かにドロイドたちが『ラプラスの悪魔』を構成して行っていた先ほどの中和作業も、奴の身体を物理的に攻撃するというより、目に見えない量子発動に対して行っていたものであるから、さほど物理的に破壊されていないのも頷ける。


「――さぁ李軍……これでいいんだろ……!?」

「はッ――はいィィ! じゃあ早速……おっとその前に……」


 李軍は、媚びるように上目遣いで士郎を見つめながら、少しだけ舌なめずりするような素振りを見せた。それを見た士郎は、敏感に警戒心を叩き起こす。


「なんだッ!?」


 チャキン――とその長刀を李軍の鼻ツラに突き付けると、李軍は大袈裟に驚いてみせた。


「ひえっ!? だだだ大丈夫ですッ……何も変なことは考えていませんよ……ただ、これで神代未来を無事助けることが出来たら、なんとかその……」


 もじもじする李軍を、士郎は不機嫌そうに追い詰める。


「なんだッ!? ハッキリしろッ!」

「は! はいッ――ですから……その……私の命も……」


 命乞いか――

 士郎は、心の底から嫌悪感を膨らませたが、それでも何とか冷静を装った。今は、私怨で行動してはならない……

 さまざまな想いをクッと噛み締めると、士郎は口を開く。


「――あぁ……そうだな……約束しよう。未来の命の価値は、これだけのことをしでかした貴様を助命するのに、十分見合うだろう……」


 すると李軍はニヤリと笑った。


「あぁ! ありがとうございます!! それではさっそく始めましょう――」

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