第539話 傷痕の意味

 士郎は、敢然と立ち上がった。

 背中にし掛かっていた、そのグロテスクな半機械体の李軍リージュンを力任せに跳ね飛ばすと、四肢を踏ん張ってダンッ――とその場に仁王立ちになったのだ。

 それは、先ほどまでのボロボロの士郎ではない。その体躯からは、無限の力が迸っているのが分かる。周囲を圧倒するように、途轍もないエネルギーの奔流が噴き出ているのだ。


 驚いたのは李軍だ。


「――お……オマエ……どうして……」


 ゴリ……とその壷のような胴体が後ずさった。このまま無様に力尽きると思い込んでいた士郎が、いきなり立ち上がったのだから当然だ。一体どこにそんな力が残っていたのだ……と言わんばかりに李軍はその目をひん剥く。

 だが、すぐに思い直したようだ。ややぎこちなさを残しながら、それでも再びその傲岸不遜な顔つきが戻ってくる。


「……は……はぁーん? さては、この期に及んでオメガたちと同期シンクロナイズを再開したのですな!? まったく……往生際が悪すぎますよ……でも、それはそれで好都合! オマエと同調したということは、彼女たちにもすぐにアポトーシスの症状が伝播するハズ……いいでしょう! オマエと心中するつもりなら――」

「同期などしてないぞ!?」


 士郎は、躊躇なく話の腰を折った。ついさっきまで瀕死の状態だったせいか、その声はまだ若干震えていて心許ない。だがそれでも、コイツの大きな勘違いはハッキリ正さねばならない――という決意を秘めた声だ。

 そんな士郎の態度に、李軍は困惑する。


「はぁ? だってそれ、明らかに彼女たちと同期したことによる、依代よりしろ現象でしょう!? その腕や脚は、さしずめあの爆弾娘の異能で無理矢理細胞を増殖させたものでしょう!? それとも、神代未来みくの癒しの異能を応用したのでしょうか……!? いずれにしても、そんな現象は彼女たちと同期しなければ成し得ないことだ。それくらい、見抜けないとでも思いましたか!?」


 喋っているうちに、李軍は自説に確信を抱いたのだろうか。お喋りが、止まらない。


「――いやはや、驚きました。いえ……オマエたちの涙ぐましい努力には頭が下がりますよ。そこまでして私を惑わし、なんとかこの場を凌ごうとしたのでしょうが……」


 李軍は、これがどうやらオメガと士郎の同期に伴う現象だと完全に思い込んでいるようだった。ギリギリの状態で対峙している士郎には、そんな李軍の言葉の意味をいちいち掘り下げる余裕などなかったのだが、要するに彼が言いたかったのはこういうことだ――


 李軍の理解しているオメガたちの『同期』現象とはすなわち、量子共鳴現象だ。同じ現象を『量子テレポーテーション』と呼ぶ者もいる。

 知っての通り、量子とは人間の思念でいかようにでもその態様を変えることができる不可思議な物質だ。

 だから李軍は、基本的に『精神感応』のたぐいは、すべてこの量子を媒介として行われるものという認識なのだ。


 特に、離れた場所同士で引き起こされる現象には、多分にこのテレポーテーション概念が関わっている。何せ「量子」というものは、同じ粒子が二つに分割されると、片方で引き起こされた現象は、それがどんなに物理的に離れた場所にあっても、まったく同じ現象を引き起こすことが分かっているからだ。まぁ、これが『量子テレポーテーション』と呼ばれる所以でもある。

 だから当然、オメガたちが使う『同期シンクロナイズ』という現象にも、この概念が深く関わっているのだろうと李軍は推測していたわけだ。

 だが、それがあてずっぽうとは言えないことは、士郎とオメガたちが「体液交換」という儀式を行うことで同期できるようになったという事実が物語っている。もちろん、オメガチームがそんな奇妙な実験をしていたことなど、李軍は知る由もなかったのだが――


 当然、いわゆる“第6感”をはじめとしたこのような現象は、未だ科学的に解明されたわけではない。だが李軍は、自分自身『辟邪ビーシェ』を研究していた経験上、こうした現象が実在し、具体的にさまざまな物理現象を引き起こしているというまさにその“事実”を、知っていた。


 そもそも野生動物たちの“超能力”からしてそうだ。世の中には、SF小説などに出てくる「超能力」のイメージからか、それが何やら途轍もない精神力や意思の力で発動するスーパーパワーか何かだと思っている人が多すぎる。

 だが、カリブーや渡り鳥が遠く離れた仲間に危険を知らせるときに、そんな凄まじい精神力や意思をいちいち発動させていると思うだろうか!?

 いな――彼らは当たり前のようにそれを使いこなしている。「量子」という、この世界のどこにでもある存在を媒介にする術を知っているからだ。そうした生物たちにとっては、だから息をするようにそれらの能力を使いこなすことができる。


 この仮説を、そんな馬鹿な……と頭ごなしに否定してしまう人は、あまりにも人間至上主義――つまり、この世界では「人間の持つ感覚がすべて」と思い込んでいる、傲慢な輩だ。


 だって、例えば「色覚」ひとつとってもそうだ。

 人間の目は、基本的に『三原色』――つまり、赤、緑、青――しか認識することができない。それ以外のすべての色は、その三つの色が混じり合っているから識別できているに過ぎないのだ。

 ところが、鳥や昆虫は『四原色』を見分けることができる。人間が見える三原色に加えて、「紫外線」という「色」を識別できるのだ。

 つまり鳥や昆虫は、人間が見たこともないような色を日常的に見ているわけだ。それがどんな色なのかさえ、人間は永遠に知ることができないというのに――


 要するに、生物によっては、人間を遥かに上回る知覚能力を当たり前に持っているものが、現にこの世界には存在するのだ。


 そう考えると、「量子」というものをいとも簡単に、自在に操ることができる生物がいても、何の不思議もない。

 だから、人間からすればそれが「超能力」だと思っていることでも、それらの生物にとっては極めて当たり前の、日常のことなのだ。現生人類ホモ・サピエンスが使えないからといって、そうした現象の存在を頭ごなしに否定するのは、だからただの傲慢だ。

 

 さて、話を元に戻そう。

 オメガたちの精神感応は、渡り鳥やカリブーと同じものだ。つまりそれらを説明する際に最も合理的な存在が「量子」であることに、李軍はもはや疑いを抱いていない。そもそも、その前提で作ったものこそ、この量子増幅装置エンハンサーなのだから。

 そして李軍は、このグロテスクな装置と一体化してしまうほどに、その効力を実感しているのだ。


 だから今、目の前で起こっているこの想定外の事態――士郎の復活――についても、李軍はそこに量子が介在していると瞬時に結論づけたのだ。


 まぁ、その点は実に科学者らしいと言っていいだろう。凡人なら、それが“なぜ”引き起こされたかということよりも、“どのように”目の前の事態収拾を図るかという点に目が行きがちだからだ。だからたいてい、それは対症療法になってしまう。

 その点、その現象を引き起こす“原因”をすぐに考察するという奴の科学者らしい思考は、問題を根本から解決するためには、最も効率的で合理的なアプローチだ。


 実際、それが「量子」に基づくと結論づけたからこそ、李軍にはこの先が読めるのだ。


 目の前の士郎が突如復活した原因が、オメガとの『同期』――すなわち「量子」を介在したものである以上、今士郎の身体に起こっているアポトーシス現象が、彼とその彼女たちにも間違いなく瞬時に広がっていくだろうと――


 だったら、李軍は今この瞬間だけを凌げばいい。今、士郎に力を与えているオメガたちがアポトーシスによって自己破壊を引き起こせば、李軍にとってはむしろ願ってもない結末となる。だって、一時は取り逃がしたと思っていた彼女たちが、自ら進んで手にかかってくれるのだ。


 李軍は思う。それにしても――

 最後まで仲間を助けようとした彼女たちは、実に称賛に値する。この一瞬を突いて、なんとかこの私に一矢報いようとしたのだろう。

 だが残念だったな……私はこの程度では、揺らがないのだよ――

 そしてオマエたちは、自らが仕掛けたメチル化解除攻撃の揺り戻しブーメランによって、自滅するのだ……


 それに……

 李軍は、目の前の士郎の身体をまじまじと見た。あることに、気が付いたからだ。


「……おやおや……オマエの身体、よく見るとつぎはぎだらけじゃないですか……オメガたちとの同期も、もはやギリギリのようですね!?」


 確かに李軍の言う通りだった。

 先ほど完全復活したと思われた士郎の四肢は、新しく生えた腕や脚も、その他欠損したところや傷や怪我が癒えたところも、どことなくその色や質感が異なっている。それどころか、その接続部分は取ってつけたような傷跡が生々しい。

 それはまるで、一昔前の不格好な生体移植痕のようだ。もっと意地悪な言い方をすれば、それはまさしくフランケンシュタインそのものだ。

 もともと万全じゃないところに、彼女たちは無理をおして同期を図ったのだろう。そのせいで、さまざまなところに粗が見える――


 だが、そんな風に前のめりに畳みかけてくる李軍に対し、士郎はあくまで冷静に言葉を返した。


「――まぁ、貴様がどう思うかは勝手だ。だが、俺は本当にオメガたちとは同期していないし、だから貴様の心配は無用だ。彼女たちはアポトーシスにならないよ。それに――」


 士郎は、あらためて李軍の前に一歩踏み出す。


「――この身体は、オメガたちが俺のことを想って作り上げてくれた実体だ。俺は、彼女たちの想いで自分の身体を取り戻したんだ。だからどんなにつぎはぎだらけの身体でも、俺はこれが誇らしいよ」

「な……」


 李軍は、どんなに挑発しても士郎が動じないことに苛立ったのか、ぐぬぬぬぬ……と真っ赤な顔で士郎を睨み返した。


「――知ってるか?」


 士郎はあらためて李軍に語り掛ける。


「な……なにがだ?」

「日本にはな、『金継ぎ』という修復方法があるんだ――」

「は? なんだそれは……知らないですよ。それがどうしたというのです!?」


 唐突な話に、李軍は虚を突かれて戸惑う。


「これは……割れてしまった椀を元通りに直す、日本の伝統的な工芸手法だ。割れた部分に漆を塗って接着し、そこに金粉をまぶすんだ。そうすると、どうなると思う?」

「そんなことをしたら、割れたところが却って目立つじゃないか。修復した後が丸わかりだ。馬鹿馬鹿しい! それに、そもそも壊れた椀にわざわざ金を使うなど、もったいないでしょう? そんなことに財力を使うくらいなら、その金で新しい椀を買った方が手っ取り早い」

「ホントにそう思うか? その割れ目が作る模様は、人間が意図せずにできた痕だから、実に美しい。確かに椀としては一度壊れてしまったが、その傷痕はとても不思議な味を醸し出すんだ……そこを金で敢えて目立たせることで、割れる前にはなかった新しい美がそこに生まれる……」

「な……何が言いたいんです? それとオマエの出鱈目なその身体と、何の関係が……あっ――」


 李軍は、士郎が何を言わんとしているかになんとなく気付いてしまった。要するに、自分はその椀と同じだと言いたいのだろう? その傷痕には、意味があるのだと――

 だが、そんなのはただの言い訳、負け惜しみだ。いや、屁理屈というものだ――


「何を悔しそうな顔をしているんだ!?」

「べ……別に……」


 士郎は、あらためて李軍を見据える。


「――いいか? 『金継ぎ』は、傷痕というものの意味を、俺たちに教えてくれる。その椀にとって、その傷は歴史の一部なんだ。一度ついた傷は、決して完全には隠せないし、そもそも隠す必要なんてない。日本人はそう考える。これは、人間にも言えることなんだ」

「…………」


 李軍は無言のままだ。士郎は構わず続ける。


「――人間だって同じだ。誰しもが大なり小なり傷を持っている。それは、後悔かもしれないし、憎しみかも、あるいは悲しみかもしれない。人というのは、いろんな傷を持っているからな……いずれにせよ、傷というのは本来、その人にとって消し去りたいものだろう。だが、同時にそれは、既に自分にとっての一部なんだ。その傷があったからこそ、今の自分がいる。そして、その傷を醜いままにしておくか、美しいものに変えていくかは、自分次第なんだ」

「今のオマエは……醜いフランケンシュタインじゃないか……」


 李軍が悔しそうに呟く。


「いいや――俺はこれっぽっちもそうは思わない。だってこの傷は、俺が……俺たちが必死で戦ってきた証だからだ。その結果としてこの酷い傷痕ができたのなら、それはむしろ俺の誇りだ。オメガたちが、俺のために必死でこしらえてくれた新しい腕であり、脚なんだ。だから俺は今、何だってできると思えるんだ。なぁ李軍よ、貴様だってそうじゃないのか!?」


 士郎は、あらためて李軍を見つめ返した。

 傷痕――と言う意味では、むしろ李軍のほうが酷い有様だ。その身体は既に人間のものではなく、何度も何度も再生を繰り返したその身体は、もはや原型を留めないほど満身創痍なのだ。

 でもそれは、李軍なりに今まで戦ってきた証でもある。


「なぁ……もう終わりにしないか!? 貴様はよく戦ったよ。でも、もういいだろう……戦争を、終わらせよう……」

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