第519話 時間切れ
何度も言うが、士郎たちのいる“小屋”の中と外では、時間の進み具合が完全に異なっている。アイシャの異能によって、時空が歪められているせいだ。
外での5秒間は、おおよそ中での5分間だ。つまり、外の世界は士郎たちの時間の六〇分の一。外を基準にすれば、外での1分間は中での1時間に相当するわけだ。
士郎の体感では、既にオメガチームは小一時間ほど中で
ということは、外で化け物どもの攻撃を防いでくれているミーシャと特戦群兵士は、僅か1分間ほどしか戦っていないことになる。だが――
彼らは既に殆ど壊滅しかけていた。
李軍が無理やり見せてくるビジョンは、相変わらず超スローモーションだった。『時間』の流れというのは、相対的なものだ。こちら側の時間の進みが早ければ、当然対岸の進みはゆっくりに見える。
その超スローモーション映像の中で、特戦群兵士たちが次々に化け物たちの毒牙に襲われていく様子を、士郎たちは無理やり見させられる。
兵士が一人、ライフルを構えて必死に化け物を撃っていた。
ガッコン……ガッコン……ガッコン……ガッコン……
銃の機関部にある排莢口から、空薬莢が次々に飛び出してくる。普段ならダラララララッという感じで殆ど目視できないほどのスピードなのだが、これだけスローモーションだと弾薬1個1個の動きが実にハッキリと見えた。
その兵士に向かって、化け物が一匹、猛然と鋭い爪を繰り出してきた。コイツはいったいどんな獣とのキメラだろうか!?
だが、それを考えている余裕は残念ながらなかった。その鋭くて凶悪な爪は、容赦なく兵士に向けて振り抜かれる。それは、全体的にスローモーション映像の中ではひときわ素早い挙動だった。恐らく実時間では、目にも止まらぬ速さで振り抜かれているのだろう。
ガバァッ――という感じで急速に兵士の首筋に伸びた爪は、まるで鍬の刃が稲を刈り取るように、兵士の首筋にゆっくりと食い込んでいく。直後、ズボボボボォッ――という擬音が聞こえるくらい、彼の首から鮮血がゆっくり迸った。あぁ……
まるでバレーボールのトスのように、兵士の首が空中にゆっくりと吹き飛んだのはその直後だ。
士郎たちは、思わず視線を逸らす。
そんな情景が、あちこちで繰り広げられていた。
士郎たちがここへ飛び込んだ時は、ミーシャが圧倒的な速さで化け物どもの海を突っ切り、先導してくれた。だが、いかんせん化け物どもの数が多すぎたのだ。
小屋の壁を背にしてミーシャと田渕たち特戦群兵士が迎え撃った時、既に化け物の群れは怒涛のように押し寄せていたから、あっという間に兵士たちが狩られたとしても、不思議ではない。
「――いかがです? このままでは、あと数分もすれば全滅ですよ? 戦友を、見捨てるのですか?」
李軍が勝ち誇ったように言い放った。
「――さぁ、早く降伏するのです。今ならまだ、何人か救うことができる」
くッ――
士郎は、再度外の映像を睨みつけた。田渕がいる。香坂がいる。ミーシャが、その異形の身体を精一杯広げ、仁王立ちになって化け物どもの容赦ない攻撃に立ち向かっている――
また一人、兵士の喉笛に槍のような銛のような鋭い棒状のものが突き刺さった。ドッパァ――ンという音が聞こえてきそうなほど、その傷口から鮮血が噴き出してくる。その時だった。
士郎は気付いたのだ――
誰一人、自分たちの窮状を悲観している者はいない。誰もが必死になって、この想像を絶する苦難に立ち向かっていた。
隣で戦友が惨殺されようが、背中で誰かがドゥと斃れようが、みな歯を食いしばって真っ直ぐ目の前の敵だけを見据え、鬼の形相でこれを迎え撃っている。
誰も怯んでいなかった。誰もビビっていなかった。それどころか、その腕が引き千切られようが、その脚がもがれようが、そこで諦めている様子はまったくと言っていいほど見られない。
みな信じているのだ――
士郎たちが、オメガたちが、必ずや李軍を討ち果たし、この戦争が終わることを――
そのためにこそ、今自分たちはここで盾になり、士郎たちの背中を守っているのだということを――
兵士たちは、今オメガたちを守り抜くことこそが、自分の命と引き換えにしても十分お釣りがくることだと信じているのだ。
それに気づいた瞬間、士郎の脳天を、電撃のような熱い感情が突き抜けた。
「……俺たちは……」
士郎は無意識に呟いた。
「――え? 何です!?」
李軍が能天気に訊き返す。すると士郎は、あらためて腹の底にフンッ――と力を込め、自分の言いたいことをハッキリと言葉にしようと決意した。
「――俺たちは、屈しない!」
李軍がその眉をひそめたのは、士郎の言葉の意味がすぐには理解できなかったからだろう。だからもう一度、士郎は真っ直ぐ李軍を見据え、言い放った。
「俺たちは、決して屈しない――! どんなにやられようが、どんなに斃されようが、俺たちは絶対に負けない!」
その言葉に、オメガたちが一斉にハッとなって士郎を見つめ返す。ただ一人、ドロリとした視線を向けてきたのは、李軍だ。
「はぁ……あなたはもっと利口な人かと思っていましたよ……このままではじきに外のお仲間は全滅しますよ? そしてあなた方も、私にはどうやったって勝てない……ふふふ……これがかの有名な日本人の玉砕精神ですか!? 笑えますね。そして実に愚かだ――」
「はははっ……」
士郎の唐突な笑いが、李軍の言葉を遮った。
「……へ?」
なぜこんな極限状況で笑える!? 突然李軍の自信が揺らぎ始める。その理解不能な反応のせいで、逆に李軍の背中にはゾッと寒気が走った。動揺が、声に滲む。
「――な、何がおかしい!? あなた、とうとう気が触れましたか……?」
「あはははは……だって、おかしいじゃないか。貴様はさっき、この戦いは“人間の意思と意思とのぶつかり合い”だと言った」
「え……えぇ……だからこそこうして私は量子
「ほぅ……そうなんだ……俺は最初、その話を聞いた時に、なんて時代遅れの根性論なんだと思ったが、今ようやくわかったよ」
「な……なにがです?」
李軍はすっかり怯えていた。思いがけない士郎の反論に、彼の脳は混乱を来し始めていた。
「――いや、貴様もやはり只者じゃなかったんだと思って、少しだけ感心したんだよ。確かに貴様の言う通り、この世は意思の力で出来ている。だがな、貴様は少しだけ勘違いをしている」
そう言うと、士郎はオメガたちを見回した。
「――貴様の言う“意思の力”というのは、単なるエゴだ。自分がこうしたいという、ただの欲望なんだ。だが――俺たちは違う」
未来が、久遠が、
士郎をじっと見つめた。
「――俺たちの考える“意思の力”っていうのはな――」
士郎は、ギリッと李軍を睨みつけた。
「――信じる力だ」
その言葉を聞いた瞬間、オメガたちの瞳にボゥッ――と青白い光が灯った。それは淡く白く、だが決して弱々しいものではない。
まるで、永遠にその火を絶やさないよう戒められた宮中三殿の灯火のように、それは確かに煌々と、そして密やかに揺らめいて灯り続ける
すると、あり得ないことが起こった。
オメガたちがその場で次々に、スゥっと立ち上がり始めたのだ――
それまで李軍の重力場干渉によって、地面に
「――な! なんだオマエたちッ!! どうなってるッ!?」
慌てふためいた李軍の顔は、赤くなったり青くなったり、そしてまた真っ赤になった。だってそれは、奴の量子エンハンスメントが無効化されたということだからだ。
やがてオメガたちは、士郎を中心として真っ直ぐ李軍と正対する。その7人の姿は、遥か昔の名作映画に出てくる、
あの映画もまた、決して屈しない者たちの物語だ。そして最後には、圧倒的不利な状況の中、逆転勝利を果たす――
「――や……やめろッ! はぁーッ! はぁーッ!!」
奇妙な叫び声を上げて、いったい何をやっているのかと思えば、李軍が必死で念を送っているのだった。何せこの世界では、“意思の力”で物理事象を引き起こし、空間を捻じ曲げるのだから……
だが、信じる力を信じているオメガたちには、もうとっくにその重力場干渉は通用していなかった。いや、実際にはキチンと作用しているのであろう。だが、それを上回るオメガたちの意思の力が、そのエネルギーを
これこそがまさに、本当の意味での“意思と意思とのぶつかり合い”だった。そして今の士郎たちは、そのことで李軍に負けるつもりは、絶対にない。
ミーシャ、田渕曹長、そして香坂を始めとした兵士のみんな……
俺は、みんなの命を助けることができないかもしれない。だが、犬死だけは絶対にさせないからな……
みんなが俺たちを信じて、必死で背中を守ってくれていること、絶対に忘れない――!
その直後、士郎に信じられない変化が起こった。
「――え……!?」
「……士郎……くん……」
オメガたちが、それを見て声を失ったのも無理はない。士郎の瞳が、青白光に輝いていたからだ。それはまるで、オメガのようだった。今まで少女たちの瞳にしか灯っていなかった、あの碧く透き通るような……どこまでも深く、どこまでも濃く眩い光――
それを見た叶が、掠れた声を上げた。
「――ついに……覚醒した……のか……!」
***
『照準目標座標に膨大なエネルギー放出を検知ッ!』
作戦室のオペレーターが絶叫した。
空母赤城に構えられた、全軍の総司令部。そこにいるのは、本作戦の総指揮官、四ノ宮東子だ。
「――何ッ!?」
四ノ宮が弾かれたように反応する。幕僚たちも、俄かに騒然となった。
「
「オメガたちが、最期の力を振り絞っているぞッ!」
「大和急げッ! 時間切れになるッ!!」
エヴァンス隊を通じて、地下60メートルの位置に構えられた敵司令部中枢への艦砲射撃を要請してきたオメガチーム。
それはもはや、通常戦力では敵を無力化することが不可能であり、自分たちもろとも敵中枢と化け物どもを地下深く封印して欲しいという、決意の要請だった。
だが、士郎とオメガたちを人柱になどできない四ノ宮は彼らの要請に逡巡、ほんの10分間ほどの時間の猶予を貰っていたのだが――
もはや限界だった。
「地上班はどうなっているッ!?」
『はッ――先ほど横空の『月光』飛行隊が敵陸上戦力を掃討し戦果多数! たった今転進して石動隊への支援に向かったところです』
「中佐! もう間に合わんッ! なんとか石動の頑張りを無駄にしないでやってくれッ!」
幕僚たちの必死の言葉も、決して功を焦ってのことでないことは、四ノ宮にも十分伝わってきた。
「中佐、戦は時の運だ。もう少し早ければ、という話は幾らだって転がっている。もう十分、君は指揮官としての責務を果たした……そろそろ決断の時だ」
坂本幕僚長が静かに四ノ宮を諭した。
石動……オメガたち……
四ノ宮は、唇をギリッと噛み締める。いつの間にかその拳も、固く握られていた。その脳裏に浮かぶのは、彼と彼女たちの笑顔――
なぜだか、戦闘の時の険しい表情ではなく、彼らが笑っている時の様子ばかり浮かんでは消えていった。
しばし瞑目し……そしてゆっくりとその瞼を開ける――
「――大和へ通達……指定照準座標に対し、主砲による艦砲射撃をただちに実施せよ」
その命令は、いつも通りの四ノ宮の、凛と張りのある声だった。ただひとつだけ普段と違うとすれば……
彼女の肩が少しだけ、小刻みに震えていたことだ。
それに気づいたのは、坂本だけだった。彼もまた、その痛みを共有していたからだ。洋介……スマン……俺は貴様の息子を……守ってやれなかった……
『――大和より入電ッ! 艦砲射撃準備ヨシ! 全主砲計9門、五式弾装填完了とのことッ!』
オペレーターから報告が入る。まったく――帝国海軍の連中が優秀過ぎるのも困ったものだ……こんなに早く、射撃準備を完了するなんて――
大和の主砲弾には三種類ある。通常の『徹甲弾』、対航空機用の『三式弾』――これは多数の子爆弾が空中で炸裂するもの、そして、艦砲射撃用の『五式弾』だ。
最後のそれは、今でいうところの地中貫通爆弾――いわゆるバンカーバスターと同等の性能を誇るものだ。地表に着弾しても、すぐには信管が作動しない遅延信管。だから、ある程度地中まで砲弾がめり込んだところで爆発するよう調定されている。今回は地下60メートルだから、火力を一点に集中させることで、恐らく第一射でその深度まで到達するだろう。
着弾すれば、ひとたまりもなく目標は破壊されるに違いない。
四ノ宮は、キッとその目を虚空に見据えた。
「――撃ち方、始めッ」
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