第497話 アブソリュート

「――三番隊、四番隊、応答ありませんッ!」

「落ち着けぃ! これはいくさなのだ! 討死はやむを得んッ!」

「は……はいっ!」


 老将ヤン子墨ズーモーが仁王立ちになっているのは、皇居を真正面に見据える東京駅丸の内口だ。

 周辺一帯は既に無数の銃砲弾が飛び交う地獄と化している。あちこちから黒煙が噴き上がり、街路樹は焼かれ、様々な構造物が吹き飛び、足許には瓦礫が散乱していた。


 そんな場所に関わらず、平然と佇む彼の姿は、見る者にある種の畏怖さえ与えている。表情ひとつ変えない彼の様子を見た傍付連絡兵は、大きく深呼吸すると少しだけ冷静さを取り戻す。


「――ほ、他の隊を確認します!」


 連絡兵は、サッと敬礼すると、再び通信機にかじり付いた。

 ヤンはそんな若い兵士を無言で見つめると、満足そうに頷いて、再度真っ直ぐ前方を見据える。その先に広がるのは、この守備陣地の最終防衛ラインだ。

 

 よわい八十を超えるこの男は、まさに今世紀の大中華を担ってきた生き証人と言っていい。まだ十代の頃――そう、中国がまだ中華人民共和国と呼ばれ、中国大陸に君臨していた頃――人民解放軍の一歩兵としてあの米中戦争――当時中国では大祖国戦争とも呼ばれていた――に従軍していた経験を持つ。

 ナガサキ以来、約80年ぶりに実戦で炸裂した核爆弾を、その目で直に見た男だ。


 その後長く続いた中国内戦では『民主中国』を率いるいわゆる“上海派”と血で血を洗う闘争を続けたし、朝鮮半島崩壊後はパルチザンとして反政府活動にも従事してきた。さらに、今から約20年前に発生した通称『大暴動』の武装蜂起にも参加した、まさに筋金入りの武闘派だ。

 結局その時の縁で、当時大陸東北部にその勢力を伸長し始めていた軍閥『華龍ファロン』に合流、以来黒竜江省軍団の筆頭野戦将校としてその身命を軍団長たるヂャン秀英シゥインに捧げてきた。


 そして今は、秀英とともに日本亡命後、日本国防軍に鞍替え。日本軍唯一の外人部隊である第101独立混成旅団――通称『狼旅団』の大佐として、あろうことか異世界から侵略してきた中国軍とガチンコの野戦を戦っているところなのだ。


 楊は戦場にあって常に最前線に立ってきたから、もちろん今回も砲煙弾雨飛び交う剥き出しの戦場にいる。それは傍目から見たら、老人には少々過酷な環境に見えたかもしれない。


 ズズズゥゥゥゥゥン――

 ダァ――ンッ!!!!

 ガガガガガガガガガガッ――!!!!


「大佐ッ! ここはもはや危険です!! 後退しましょう!!」


 従兵が、背後の地下道への階段に楊を引き込もうと腕を取る。だが、楊はそれをプイと振り払った。


「た、大佐……!?」

「愚か者ッ! まだ前線に兵が残っているではないか!? あれが見えんのか!」


 そう言って楊があごで指し示した先には、未だ十数人の狼旅団兵士たちがいた。瓦礫の影に隠れながら、必死で敵前線に撃ち掛けている。


「……す、すみませんッ! ただ、大佐に何かあったら――」

「構わんさ。あぁ……だが、ワシを心配するのがお前の仕事だったな。ありがとう」


 従兵の心配を余所に、楊はここが気に入っていた。だって、昔から自分の居場所はここしかなかったのだ。その我儘をどうやら人生の最期の瞬間まで貫けそうだということで、今の楊はことさら機嫌が良いのだ。

 そう――どうやらワシは、ようやく死に場所を見つけたようだ……


 楊の信条は『指揮官先頭』である。

 これは、かつて日本帝国陸軍硫黄島守備隊長だった栗林忠道大将の信条「予ハ常ニ諸子ノ先頭ニ在リ」という言葉から戴いたものである。

 それは、一兵卒から叩き上げた楊にとって、まさに腹の底から共感できる言葉だった。指揮官たるもの、常に先頭に立って兵を率いるべし――


 初めて戦場に出た十代の頃、解放軍の将校たちはみな安全な場所にいて、犬死するのは常に最前線の一兵卒ばかりだった。それを理不尽だと若き楊は憤ったが、命令系統を維持するために将校が後方にいるのは当たり前だと相手にもされなかった。

 だが、最前線はとんでもない地獄だった。コイツらは、この惨状を本当に知ってて命令を下しているのか!?

 とてもそうは思えない不合理な命令ばかりで、当時は「将校」という存在に失望したものだ。


 そんな時に出逢ったのが日本軍だった。

 もちろん敵軍のことを「出逢った」などと表現するのも変な話だが、抜刀して果敢に突撃してくる彼らの先頭に、明らかに将校と思われる者がいるのを自分の目でハッキリと目撃した楊は、その事実に途轍もない衝撃を受けたのだ。

 もちろん、たまたま、偶然そうだったのかもと最初は思ったが、何度も日本軍と戦闘するなかで、常に彼らの部隊の先頭には将校が立っていることが当たり前なのだと徐々に分かってきたことで、楊は更なるカルチャーショックを受けたのである。


 正直、これだ――と思った。

 これが、本来の軍隊の在り方なのだ。楊は、なぜ日本軍が強いのか、その秘密を図らずも知ってしまった気がしたものだ。


 正直に言うと、楊は元々自分が所属していた人民解放軍が早々に崩壊したため、一匹狼で各地の戦場を転々としてきた方が長い。だから、歳だけは食っているが、まともに先輩兵士たちの薫陶を受けたことがないのだ。

 だから、楊が主に学んできたのは、実は敵である日本軍の戦い方だ。


 なぜ彼らは死を恐れないのか?

 なぜ彼らは自己犠牲を厭わないのか?


 そこに、自らの命を賭して兵を導く将校の存在があるからだと楊が気付くのに、そう時間はかからなかった。


 以来、楊は暇さえあれば日本軍の戦史研究を積み重ねた。記録を読み漁り、元日本兵たちの戦争体験記を繰り返し読んだ。そんな中で出会ったのが、硫黄島守備隊の記録――栗林将軍のことだったのである。


 もちろん、実戦でも何度か現役日本兵たちと直接話をする機会があった。ただ、大抵の日本兵は降伏を拒んだから、彼らを捕虜にする機会は意外なほど少なかったのだが――


 それでも、数少ないそういった機会を逃さず、楊は可能な限り日本兵たちと対話し、彼らのメンタリティや戦場における死生観を学んできたつもりだ。


 だからこそ、この老将はここ数十年、その強大な軍事力を誇る戦闘国家・日本と互角に戦ってこられたのだ。

 張秀英を首領とする『華龍』黒竜江省軍団の強さの秘密は、まさにここにあったと言ってよい。


 他の軍団と違い、楊の率いる部隊は、常に将校が先頭に立って日本軍と対峙してきた。だから彼の軍隊は、他の中国人部隊と違って形勢が悪くなった途端に末端の兵士たちが逃げ出すこともなかったし、兵士たちがそれぞれ与えられた責任をキチンと最後まで果たそうとしたのだ。


 そして今――


 集う旗の色こそ変わったが、楊の薫陶を受けた多くの旅団兵士たちが、最後まで自分の持ち場に噛り付き、必死で敵の攻撃を押し留めている。これなら――


 兵士としての在り方を教えてくれた日本軍に、ようやく恩を返すことができそうだった。


 その時だ。


 ズズズズズゥゥゥゥ――ン!!!!


 突然、地響きのような衝撃が周囲一帯を襲う。

 刹那――途轍もない爆風が、ありとあらゆるものを根こそぎ吹き飛ばした。途端、ナパームの鼻を突く臭いが周囲に充満する。


「――大佐ッ!!」

「うぉッ――!?」


 ガッ――と覆いかぶさってきたのは、先ほどの従兵だ。

 気がつくと、とんでもない勢いでどこかに吹き飛ばされていた。一瞬、身体全体がギュッ――と締め上げられる。着用している防爆スーツが、衝撃吸収のために一瞬変化したのだろう。

 おかげで、しこたま地面に叩きつけられた割には、どこも痛くなかった。


 ふと顔を上げると、従兵が自分に覆いかぶさったまま動かない。


「――おいっ! 大丈夫か?」


 言いかけて、彼の首がなくなっているのをすぐに見つける。爆発の破片か何かが、運悪く彼の首筋に当たったのだろう。その切断面はやたら綺麗で、彼の胴体はまだ普通に温かかった。


 ――くそッ


 楊は彼の遺体をキチンと抱き上げながら脇へそっとどかし、その場に立ち上がる。

 辺り一面は、火の海だった。火達磨のまま地面に横たわる、複数の兵士の姿もあった。みな熱さに耐えかねたのか、ボクサーのように腕を身体の前に構えるようにして死んでいた。

 しぶとく抵抗する楊の部隊に業を煮やし、敵が焼夷砲弾の雨を降らせたのだろうか――


 ――相変わらずえげつない攻撃をするものだ……


 ここも、もはやこれまでか――

 普通なら、そう思って覚悟を決めたことだろう。だが、今回だけは駄目だ。ここを通すわけにはいかないのだ。

 自分が守るこの場所のさらに背後には、今や石動いするぎ士郎率いるオメガ特戦群の一隊が、敵の地下司令部めがけて決死の突入作戦を決行中だ。彼もまた、他の日本軍将校の例に漏れず、“指揮官先頭”で兵たちを率いているのだ。


 まったく――

 自分の信条など、日本軍にいれば別に当たり前のことだな……楊はひとりごちる。

 誰も彼も、将校たちは当然のように先頭に立つし、兵たちはそんな将校を絶対的に信頼している。彼らにとって「階級」とは単なる役割分担なのだ。軍隊という、人間社会において最も効率的で合理的な組織を円滑に機能させるために、彼らは喜んでその歯車を演じているのだ。

 だが、だからこそ民主主義国家の軍隊では、余計に将校の人間性というか、人となりが重要になってくるのだろう。一旦軍を離れてしまえば、元将校だろうが元一兵卒だろうが、人間としては対等なのだから。

 だから彼らの組織の中では、階級を理由に将校がリスペクトされることは、まずあり得ない。新任の小隊長は、小隊員に必ず値踏みされるのだそうだ。そこで「馬鹿」の烙印を押された新任少尉は、面従腹背の憂き目に遭うのだそうだ。


(いやー、将校なんてなるもんじゃないですよ――)


 かつて石動士郎と雑談した時に交わした、彼の言葉がふと甦った。


 ふふ……ワシが若い頃、君のような将校の下にいたなら、きっと今でも中国軍に忠誠を誓っていたのだろうな……


 楊は、思わず顔をほころばせた。よし――約束通り、君たちの背中は、ワシたちが守ってやろうじゃないか。


 なればこそ――!


 ワシはこの場所で、弁慶の立ち往生が如く、死してなお敵を通すわけにはいかんのだ――

 絶対にだ――!!


  ***


 いっぽう地下街――


 期せずして仲間割れのような事態に陥ったオメガたちは、相変わらず息詰まる睨み合いを続けていた。

 灼眼と化した久遠とゆずりは。そしてその二人を返り討ちにしようと容赦のない牙を剥いたかざり――


 だが、そんな両者の激突にすんでのところで待ったをかけたのは未来みくだ。まるで凶戦士バーサーカーのように襲い掛かろうとする文の首筋にヒヒイロカネの長刀を突き付け、その動きを問答無用で封じる。


 そして、そんな未来の気迫に気圧されたのは、文だけではなかった。

 彼女にあい対していた楪もまた、未来のその鬼気迫る眼力にたじろいで数歩後ずさった。


 今のところ中立で、もともとこの諍いを止めようと間に入っていた亜紀乃とくるみまで、一緒に怒られた子供のように小さくなっている。

 久遠だけは不可視化していて姿が見えないが――きっと今、同じように怯んでいるに違いない。


「――未来……」


 士郎は、思わず未来に声を掛けた。すると彼女は、チラリとその視線を士郎に返す。

 その目は、何か言いたそうだった。もしかして――先ほどの文との同期シンクロナイズで、俺が未来と文との間の秘密に気付いてしまったことを、察したのか……


 だが、彼女はだからといって慌てふためくわけでも、取り乱すわけでもなかった。ただ――少しだけ戸惑うような顔をしてみせただけだ。


 やがて未来は、敵味方に分かれて対峙する文と楪を、あらためて真っ直ぐ見据える。


「――殺したいなら、まずは私をどうぞ」


 まるでそれは“今日はいい天気ですね”くらいの気楽な言い方だった。


 え――未来は、何を言ってるんだ……!?

 さっき少佐が言ったじゃないか!? みんなの代わりに自分が犠牲になればいい、という理屈は通用しないって……

 だからこそ自分は、さっき必死で文を止めようとしたのに――


 その言葉に先に反応したのは文だ。

 フゥッ――と猫のように大きく唸ったかと思うと、険しい視線で未来を睨み上げる。だが、その喉元には相変わらず未来の長刀がピシリとあてがわれている。そのせいで1ミリも動くことはできないのだが、少しでも隙があれば今にも飛び掛かりそうな、剣呑な雰囲気だ。


「――かざりちゃん……ゆずちゃんを殺すためには、まず私を斃さなきゃだよ……さぁ……」


 その超然とした言葉には、揺るぎない信念のようなものが滲んでいた。そこには「斃せるものなら斃してみろ」といった、上から目線の雰囲気はない。ただ未来は問うているだけなのだ。本当にそれが必要ならば、そうすればいいと――


 文は、そんな未来の放つ絶対的オーラにたじろいだのか、それ以上動けないでいる。

 やがて……未来の目力に競り負けたかのように、今度は向かい合う楪の方へその視線を泳がせた。


「……くッ……」


 次は楪の番だった。久遠もそうだが、今の彼女は抗いがたい殺戮衝動に突き動かされ、その本能が勝手に告げてくる攻撃対象――つまり士郎――を手にかけなければ気が済まなくなっている。


 そんな楪にも、未来は慈母のような視線を向けた。


「――ゆずちゃん……さぁ、私を攻撃しなさい。士郎くんを斃すのなら、まずはそこからだよ……」


 ――ぐぬぬぬぬぬぬ……

 楪の葛藤が、目に見えるようだった。その小柄な身体が、カタカタと震えていた。


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