第455話 アウトブレイク

 追い詰められた李軍リージュンがとった、起死回生の反撃手段――

 それは、あまりにも想像を絶する、非人道的なやり方であった。


 皇居を包囲していた、数万とも十数万ともされる中国兵たちすべてに『三屍サンシィ』を寄生させたのである。それはつまり――彼ら全員を戦場の生贄にするという意味でもあった。

 なぜなら、この異形の寄生虫『三屍』に寄生された生物は例外なく、その脳神経系を支配され、肉体の制御を奪われるからだ。そうなると、その宿主の肉体は、どれだけダメージを受け破壊されたとしても、本人の意思に関係なく動き続ける。手脚が吹き飛ばされようが、はらわたが零れ落ちようが、いつまでもいつまでもゾンビのように蠢き続けるのだ。


 これは、とてつもない脅威だ。戦場において“死を恐れない兵士”ほど恐ろしいものはないからだ。

 彼らはどんなに激しい銃砲火を浴びせても怯まないし、吹き飛ばされても、焼かれても躊躇しない。そして、休むことなく攻め立ててくるのだ。

 だから日本軍は、そんなゾンビのような敵兵たちがその動きを完全に停止するまで、ただ殺して殺して、殺し尽くすまで戦わなければならなくなったのだ。


 おまけに李軍は、そんな寄生されたゾンビ兵士たちを一定区域内に閉じ込めた。督戦隊を配置し、仮にそのエリアから脱走しようとした個体がいた場合には、射殺も厭わない銃撃を加えて追い払い、外に出られないように仕向けたのである。


 だが、よく考えたらそれって――


「――士郎くん! さっきの聞いた!?」


 未来みくが慌てて振り返る。森崎が、冷静に回答する。


「――救命ジゥミン、という中国語は、日本語に訳すと“助けて”という意味になります」

「じゃ、じゃあ……あの兵士たちにはまだ人間の意識が――」

「あぁ……もしかしたら、身体の制御だけ奪われているのかもしれん……」


 もしそれが本当なら、あまりにも恐ろしい事態だった。

 ということはつまり――あれだけ人体が破壊されてもなお戦っているあの兵士たちは――本心では必死で助けを求めているということなのだろうか!? 腕や脚が吹き飛ばされ、胴体を引き千切られた彼らは、その痛みをちゃんと感じていて、でも外見にはそれを表すことが出来ず、自分の意思に反して戦い続けているというのだろうか――!?

 だから、あの数人の中国兵たちは、突如として前線から逃げ出したのだろうか。寄生虫の支配を一瞬だけ逃れて――!?


「――ど……どうするのだ!?」


 久遠がドン引きしている。

 あぁ……そうだ。オメガたちも無理やり戦っているのだ……

 もともと『幽世かくりよ』の住人であるこの中国兵たちに、オメガは本能的な殺戮衝動を抱いていない。だからいつものように、息をするように戦っているわけではないのだ。他の兵士と同様、戦う意味を求め、それを拠り所にしてこの地獄に向き合おうとしている。こんな話を聞いてしまったら、戦意を喪失するに決まっているではないか……

 だがそれでも――


 周囲にいる大半の中国兵たちは、先ほどと変わらず激しい銃撃をこちら側に加えてくる。

 一部の敵兵たちが見せた些細な反応に、やはり今はこだわっているわけにはいかないのだ。


「――やむを得ん……森崎大尉、オメガのみんなも……とにかく今は――」

「待って! アレ見て!」


 ゆずりはが、突然素っ頓狂な声を上げる。その視線の先には――


「な……あれは――!?」


 士郎は絶句する。

 気がつくと、瓦礫で見通しの悪くなった通りのあちこちから、民間人がふらふらと多数現れてくるところだった。

 それは、この戦場と化した街でつい今しがたまでジッと息を潜めていたと思われる、大勢の人々だった。男性、女性、子供を連れた母親、若者、老人……

 その数は優に数百人……いや、数千人はいるだろうか。あっという間にあちこちから湧き出てきたかと思うと、まるで目的地があるかのように、みな同じ方向に向かってとぼとぼと歩いていく。


「――いかん……そっちのほうは……!」


 先頭集団が、先ほど脱走を図ろうとした中国兵たちが撃たれた辺りに差し掛かる。その先には、敵の督戦隊が封鎖線を張っているのだ。そのまま進めば、間違いなく撃たれる――


 ――――!?


 だが……発砲音は一向に聞こえなかった。

 人々は、相変わらず通りをとぼとぼと歩いていて、そのまま何の攻撃も受けずに前進を続けている。次から次へと、その人波はますます大きくなって、続々と街から出ていくではないか!?


「ど……どうなってるんだ!?」


 もしかして、中国兵はあれが非戦闘員であるとして攻撃を控えているのだろうか!?

 多くの一般市民が、危険な市街戦を避けて街から脱出しようとしているのを、慈悲の心で容認しているのだろうか――!?

 だとしたら、戦時国際法をキチンと遵守した、素晴らしい対応である。だが、そんなこと俄かには信じ難い。あの中国軍が――!?

 上海でも、そしてここ日本でも、彼らは残虐非道の限りを尽くしてきたではないか――

 女子供だろうが容赦なく、奴らは奪い、犯し、殺してきた。さっきだって、ビルの窓から助けを求める市民に向けて、平気で擲弾を撃ち込んでいたではないか!


 士郎は慌てて偵察ドローンの俯瞰映像を確認する。先ほどと同様、街の外周には敵の督戦隊が阻止線を張っている。だが――


 一般市民たちは、その阻止線を堂々とすり抜けていた。中国兵たちの構える機関銃陣地のそのすぐ傍を黙々と通り抜け、さらにその先へと逃れていく様子が、映像にはしっかりと映し出されていた。中国兵たちも、それを一切邪魔しようとはしていない。

 辺りには、奇妙な静寂が広がっていった。


『――中尉! 市民たちは、どうやら皇居に入っていくようです』


 田渕から無線が入る。そうか――この街のその先には、皇居があるのだ。東京駅から真っ直ぐ西北西に進むと、お堀を超えたところで皇居外苑が見えてくる。その先は桔梗門だ。そこから右手に進めば東御苑、左手に進めば宮内庁、そして皇居宮殿に至る。

 その皇居外苑には、何重にも土嚢を積み上げて立て籠もる、近衛連隊の陣地が構築されていた。士郎たちが辿り着こうとして、未だ果たせていないゴール地点だ。


 戦乱の城下を逃れ、城に逃げ込む人々――

 それはまるで、戦国時代のようでもあり、そしてそれを黙って見送る中国兵たちもまた、ようやく戦士としての矜持を身に着けたか……

 次々と近衛連隊陣地に辿り着いた市民たちは、兵士たちにねぎらわられながら迎え入れられる。


 そんな光景を見て、士郎がホッと一息つきかけた、まさにその瞬間だった。

 再び田渕から切迫した無線が入る。


『――中尉ッ! 見えますかッ!? あれ……! あぁ――なんてこった……』


 田渕のその悲痛な叫び声に、士郎は慌ててドローンの映像を確認する。すると――

 画面の端には、自分たちを迎え入れたはずの近衛連隊兵士たちに襲い掛かる、一般市民たちの様子がまざまざと映し出されていた。

 それは最初さざ波のように、次いで大きなうねりとなって保護された市民たちの中に伝染していく。戸惑う近衛兵たちが、次々と一般市民たちに殴打され、そして組み伏せられていく様子が、あっという間に画面全体に広がっていった。


  ***


「――いったいどうなっているッ!? 彼らに、何をしたッ!?」

「ひッ……!」


 東京湾沖合。空母赤城艦内の某所にある無機質な小部屋――

 そこにいるのは、情報本部から連絡将校リエゾンとしてオメガ特戦群に出向中の、茅場少佐だ。その向かい――灰暗色の薄暗い部屋の中央、小さな鉄製の椅子に、後ろ手に縛られて座らされているのは中肉中背の中国人、ファン博文ブォエンだった。

 『幽世』から次元転移する直前、オメガチームに捕らえられた、李軍の元助手である。士郎をはじめとするオメガたちが次元転移の狭間に迷い込み、この『現世うつしよ』世界に戻るために苦心惨憺していたにも関わらず、この男はすんなりと元の世界に戻っていたのだ。

 まぁ、むしろすんなりと帰還した者の方が多かったのは事実である。叶しかり、他の兵士たちしかり。だからこの男も別に普通に戻ってきていて不自然ではないのだが、なんとなく腹が立つのだ。

 大切なオメガたちがあれほど帰還に苦労したのに、なぜコイツはあっさりとここにいるのだ!? いや――むしろコイツが無事こちらの世界に帰還できたのは、オメガたちのおこぼれに預かっただけなのに!


 だから自然と茅場にも熱が入る。

 帰りの駄賃の元を取るべく、現在の想定外の事態について、キッチリと情報を引き出さなければならない。


「――で……ですから私はその……よく分かりませ――」


 カチャリ――と茅場が拳銃の撃鉄を引き起こした。この時代には珍しい、リボルバー式の拳銃だ。


「……ななな……何の真似ですか!? こんなことして――」

「いいんだよ。だって、君がこちらの世界に戻ってきたことは、だぁれも知らないことなんだから。今ここで君がその薄汚い命を落としたところで、誰も気に留めないし、そもそも露見することもない」


 茅場は椅子の座面に片足を掛ける。つまり、博文ブォエンが座っているその両腿の中心部に、ドカリと足を置いたのだ。股間まであと数センチ。蹴り上げようと思えばいつでも蹴り上げられる位置。その状態で、茅場は銃口を博文の額のど真ん中に押し付ける。


「ひィぃッ!! わッ――分かりましたッ!! 私の分かることなら、何だってお答えしますッ!!」

「ふむ――」


 茅場は、脂汗をダラダラ流す博文ブォエンの顔を上から覗き込んだ。


「ではまず、あの『三屍』とかいう寄生虫について訊きたいのだが――」

「は! はいッ! あれは、宿主の脳を乗っ取り――」

「そんなことはもう分かっている。私が訊きたいのは、その時宿主の自我はどうなっているのかということだ」

「――自我……といいますと?」

「意識だよ――自分の意識! 身体が乗っ取られて、意図しない行動を強いられている時、宿主自身の意識はどうなっているんだ?」

「そ……それはもちろん、脳が支配されているわけですから、その時点で自分の意識などありません」


 博文ブォエンは、当たり前のように答える。嘘をついているようには見えなかったし、この男が今さら嘘をついたところで本人には何のメリットもない。だが、茅場が聞いている情報と違う――


「……おかしいな……報告によると、その『三屍』に寄生されたと思われる中国兵たちの一部に、助けを求める素振りが見られたということなのだが」

「そ……そんなわけありません! アレはそんなナイーブな生き物ではない! その躯体から伸びる神経叢は宿主の神経線維に浸潤し、その意識さえ乗っ取ってしまうのだ。でなければ、宿主が生物学的に死んだ後までその身体を操れるわけがない。というか……」

「ん? 何だね?」

リー先生は……その……友軍兵士にアレを……『三屍』を埋め込んだのですか……?」


 博文は、蒼ざめた顔つきで茅場を見つめ返した。


「――なんだ……君たちは、幽世でも前科があるらしいじゃないか!? 今さら罪悪感に目覚めたのかね?」

「……い……いえ……」


 博文は口ごもる。あの時だって、私は反対したのだ。先生は、あの辟邪を奪い返すためだけに、兵士たちを犠牲にしたのだ。

 まぁ、あの時の兵士たちは元々特殊部隊員で、先生の「無敵になれる」という甘言にまんまと騙されたのだから、自ら志願した――と先生が言った時、自分はそれ以上反論できなかったのだ。

 だが、同じ理屈でまた友軍兵士たちを騙したのかと思うと……


 茅場が尋問を再開する。


「――まぁいい。それよりあの寄生虫、どうやって人に伝染うつしたんだ? 今、一般市民が大量にあの蟲に寄生されているんだ。戦場のあちこちに身を隠していた人たちに、どうやって寄生させた!?」


 そこだった。地獄のような市街戦のさなかに、突如としてあちこちから這い出てきた市民たち。その彼らが中国軍督戦隊の阻止線を難なく通り抜け、友軍陣地である皇居に辿り着いた途端、兵士たちに襲い掛かったのだ。『三屍』に寄生されていることは間違いない。


「――あぁ……それならきっと、媒介者がいたはずです。赤目の子供たちは戦場にいませんでしたか?」


 博文が当たり前のような顔で言い放つ。


「赤目の子供!?」

「そうです。あれは通称『神虫』という異形で、特別な遺伝子を組み込んだ変異体です。まぁ、時間が経つと形象崩壊してドロドロに溶けて消えるのですが、奴らなら『三屍』を街の隅々まで拡散させることが可能です」

「それは……ドブネズミが菌を媒介するようなものか」

「まぁそうですね。恐らく咬みついたかなんかして……今ごろは街のあちこちに『神虫』の溶けた痕跡だけが残っているでしょう」


 確かにそれなら、街中の人間が突如『三屍』に寄生されたのも説明がつく。それにしてもあの灼眼の子供たちは、そんなことまでやっていたのか――


「――じゃあ……中国軍は初めからそれを知っていて、市民たちを皇居にわざと逃がしたのか……」

「は? 皇居? それは――」

「いや……そこから先は知らなくていい。あとひとつ、訊きたいことがある。その三屍に寄生された者を、正気に戻してやる方法は?」


 博文は肩を竦めた。


「そんなものはありませんよ。一旦寄生されたら、殺すしかありません――」

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