第436話 螺旋の街

 なんだかんだ言って、やはり日本の中心は東京であり、その東京の中心は皇居だ。これは概念的な話ではない。物理的にそうなのだ。


 結局のところ、江戸時代にこの地を切り拓いた徳川幕府の都市政策が優れていたということなのだろう。現代の東京は、数百年前に基本設計されたこの巨大都市メガロポリスの骨格をそのまま引き継いでいる。


 一言でいうと、東京のすべての道は江戸城――つまり皇居に通じているのだ。


 そりゃあ道があるんだから通じているに違いないじゃないか、という屁理屈を聞きたいわけではない。ネット地図などで全体を俯瞰すれば、あなたもぼんやりと気付くかもしれない。


 東京という都市は『螺旋らせんの街』なのだ――

 その螺旋の中心にあるのが、まさに皇居。


 端的に説明しよう。

 江戸の発展が始まったのは1590年、徳川家康がこの地に入封じゅふうされてからのことだ。


 当時秀吉の重臣として豊臣家の隆盛に尽力していた家康が、このような関東の片田舎に領地替えを言い渡されたのは、ひとえに秀吉が有能な家康の力を削ごうとしたからだと言われている。

 それが秀吉の本当の意図だったかどうかはともかく、事実この当時の江戸城周辺は湿地だらけで、城と言っても石垣もなく、竹林が生い茂る荒れ果てた地だったという。

 だから家康は、手始めにその城の周りにキチンとした堀を造り、浚渫しゅんせつした土を掘の周りに積み上げて湿地を固め、家を建てて人が住める乾いた地面を作ったのだそうだ。これが江戸開発のいわばくわ入れ――最初の出来事。


 で、結局それから10年後、かの有名な『関ケ原の合戦』が行われるわけだが、それによって東軍総大将――すなわち徳川家康が名実ともに日本の最高権力を握ると、その僅か3年後の1603年、ついに徳川幕府が開かれる。

 その際、家康はあらためてこの場所が果たして幕府を開くのに相応しい地なのかどうか、徹底的に調べたのだそうだ。


 その時に活躍したのが天台宗の僧侶『天海』。

 何だお坊さんかというなかれ。この人物は極めて謎に包まれていて、若い頃は武田信玄に仕えたとか、一説にはあの明智光秀が姿を変えた人物なのではないかとか、134歳まで生きたとか――実際3代将軍家光にも仕えているので、その時点で100歳を超える長命であったのは紛れもない事実だ――とにかく得体の知れないというか、およそ常人とは次元の違う人物であったことがさまざまな文献に書き記されている。


 そんな天海は、天台密教の権威であり、関東一円の天台宗を束ねる実力者であった。当然ながら陰陽道、天文、遁甲、方術などにも通じており、自らの幕府をこの地で開こうとしていた家康が彼を有識者として頼ったのもある意味必然だったのかもしれない。


 ともあれ、家康から相談を受けたこの天海僧正、陰陽道の知識を駆使して、江戸の町のみならず、西は伊豆から東は下総しもうさ――現在の千葉県だ――までの広大な地相をくまなく調べたのだそうだ。


 結果、実はこの江戸城こそが幕府を開くのに最も相応しいという結論に達する。


 陰陽五行説によると、風水的に“大吉”――すなわち最も栄える土地の条件というのがある。実際、唐の長安や平安京はこの理屈に基づいて造営された都だ。

 まず東に「青龍の宿る川」、西に「白虎の通る道」、南に「朱雀の宿る水」、そして北には「玄武の宿る山」――これを称して『四神相応』という。

 

 江戸はこれらの条件をすべて満たせると天海は判断したのだ。

 東には『平川』が流れ――よく間違えるが「隅田川」ではない――西は『東海道』、南は『江戸湾』というわけだ。唯一北に位置する「山」がなかったので、天海は北の方角から112度も西にズレた『富士山』をこれに見立てたという。

 だから今でも皇居の『大手門』は東南東を向いているのだ(通常「大手門」というのは南に向かって造られるものだ)。これは富士山の方角を無理やり「北」と見做したことによるズレだ。


 もうひとつ、風水的に見逃せないロケーションが江戸にはあった。

 もともと湿地帯だったこの土地は、ちょうど中心部分に台地があって、江戸城はその台地の上に建っている。これを称して「本丸台地」と呼ぶのだが、実はその本丸台地の周囲をぐるりと、放射状にいくつもの台地が取り囲んでいるのだ。

 具体的にはそれは南から時計回りに「白金台地」「麻布台地」「麹町台地」「牛込台地」「小石川台地」「本郷台地」、そして「上野台地」の計七つ。


 この地名を見てピンとくる人もいるだろう。これらの土地は今でもいわゆる高級住宅街だったり、重要な施設が建っていたりする。もともと一面湿地帯だった関東平野にあって「台地」というのはそれだけで価値が高いのだ。逆に「渋谷」とか「四谷」とか「世田谷」とか“谷”の地名が付く土地は、その名の通り昔は谷あいの低地だったわけだ。「川」とか「江」と付く地名も、もともとすぐ傍に川が流れていた低湿地であったことを示している。

 ともあれ、それら「台地」の突端の指し示す方向がすべて、「本丸台地」に向かって伸びていたわけだ。風水的には、こうしたすべての地の流れが集中する中心地は、まわりの「地の気」が集まり、繁栄するとされる。

 まさに江戸城の位置は、地理的にもこの関東平野の真の中心地だったということがあらためて確認されたのである。


 さて、天海僧正の本当に凄いのはここからだ。

 家康の命を受け、江戸の街を一から創ることになった天海は、この地を長安や平安京のように「方形」の街――つまり碁盤目状の四角い街ではなく、江戸城を起点として「の」の字――つまり螺旋状に土地を拓いていくことにしたのだ。ちなみに江戸城自体の構造も渦郭式といって「の」の字型に造られている。


 これがどういう意味を持つか――

 第一に、先ほどの7つの台地が指し示す中央部分にある江戸城に流れていく“気”を、まるで台風の目のようにさらに渦を巻いて中心に集めることができるようになった。

 第二に、螺旋状に街を切り拓いていくことで、この街は無限に増殖していくことができる構造になった。人が集まれば螺旋の渦を拡げて行けばいいだけだから、江戸の街は外縁がどんどん拡がっていき、無限に成長していくこととなったわけである。


 それ以外にも、例えば要塞都市という性格を帯びるようになり、非常に守りの固い土地となった。

 敵が郊外から江戸城に近付こうとしても、螺旋状に何重にも切られた堀が繰り返し現れるから、敵の侵入も容易ではないし、逆に水運が城の中心まで繋がっているから、この水路をしっかりハンドリングできさえすれば、江戸湾からの物資を内陸の必要なところまで簡単に運び込むことができるようになったわけである。

 ちなみに江戸の華とまで呼ばれた「火事」の延焼を防ぐという意味でも、この螺旋状の堀は大いに役立つことになった。

 もとよりこの時代の火消しは、炎を水で鎮火させるのではなく、建物を打ち壊して延焼範囲が広がらないようにするという消火方法だ。だから「め組」をはじめとする江戸の町火消しは、建物を取り壊すための鳶口や刺又、飛んでくる火の粉を払う大団扇などを携えているわけだが、市中が堀や川であらかじめ仕切られていれば、それ自体が延焼防止の阻止線として機能する。


 あとはそう――堀を切れば当然大量の土砂が出る。これを湿地帯だった江戸の地固めにすべて使ったのだ。これによって江戸の街は湿地帯でなくなり、日本で一番広い平野がどこまでも続く、まさに都に相応しい広々とした土地に改良されていったわけだ。


 ここまでが地理的な話。

 残るは、少し超自然的なお話だ。


 陰陽道では、北東は「鬼門」といって邪気が入ってくる忌まわしい方角だ。もちろんその真反対――すなわち南西の方角も「裏鬼門」といって邪気の通り道だとされている。

 江戸城を中心として「鬼門」の位置に鎮座しているのが上野の寛永寺であり、神田神社であり、浅草寺だ。そしてその反対側――「裏鬼門」には増上寺と日枝神社が建っている。ちなみに寛永寺は京の都で言うところの「比叡山」に当たるものだ。山号が「東叡山」なのは、無論“東の比叡山”であることを示している。

 さて、これらの寺社仏閣はいわゆる「鬼門封じ」として建てられたものだ。ついでに言えば遠く日光東照宮も、これら鬼門の延長線上に位置しており、家光が造立し家康が東照大権現として祀られるこのお宮の役割は、ひとえに江戸の街を守護するものに他ならない。


 あとは江戸の街に入ってくる「東海道」や「甲州道」「中山道」「奥州道」など六つの街道筋にはすべて、地鎮の意味で将門公の塚が造られているのも有名な話だ。ご承知の通り平将門は日本史上最強の怨霊として知られている存在だ。江戸の町は、敢えてその将門公を守護神として祀ったわけだ。ちなみに一番有名なのは「首塚」だが、これは江戸城の正面入り口、大手門のすぐ傍にある。


 要するに何が言いたいかというと、東京という街はそれ自体、江戸時代から綿密な計算によって緻密に造り上げられてきた、超巨大パワースポットであるということだ。


 その日本最大のパワースポットである東京の街に現れた異国の神、辟邪――


 だから、彼女アイシャが東京の「鬼門」に当たる方角――秋葉原付近に現れた時点で、もしかしたら最初からその運命は決まっていたのかもしれない。

 アイシャは紛れもなく、この街にとって「異物」だったのだ――


 作戦室FICの観測員から報告が入る。


『――皇居守備の近衛連隊から至急報ですッ!』

「送れッ!」

『はッ――敵飛翔体は神田明神から17号線を伝って秋葉原駅方面へ侵攻中とのこと』

「導線上の民間人はどうなっているッ!?」

『逃げ惑っていますが、間に中国軍がいて皇居からは手出しできないと……』

「くそッ! 何たることだ!」

『現在ソードフィッシュの残存部隊が水路を伝ってなんとか現地へのアプローチを試みています!』


 気休めかもしれないが、小型熱核反応で次々と数万度の灼熱火球を繰り出し、周囲一帯を焼き尽くすアイシャの容赦ない攻撃を、上陸部隊である水陸機動団の兵士たちは水中に避難することで辛うじてやり過ごしていたのだ。

 水中とはもちろん、江戸の時代から東京に螺旋状に造られた、お堀を始めとする水路のことだ。結局のところ、この水路を辿っていけば自然、皇居に辿り着ける。


 だが、状況は予断を許さなかった。むしろ上陸部隊は、突如として出現したアイシャとその眷属――異形の子供たち――によって、既に守勢に立たされていたのである。

 旅団規模だった上陸部隊は、既にその半数が蒸発もしくは行動不能に陥っている。だが――


 精強無比を誇る兵士たちは、なんとか民間人の大量虐殺を食い止めようと必死になっていた。


  ***


「――軍曹ッ! 地上の様子が見えます」


 そう言って、電脳担当の兵士が田浦一曹にドローンの映像を送ってきた。ちなみに8名ほどのチーム全員にもその映像は共有されている。先ほどから川面に首まで浸かって敵に見つからないように移動しているから、地上の様子がよく分からないのだ。

 皇居を取り囲むように中国軍が展開しているが、その密度は思ったよりも高くない。本来であれば上陸後、この中国軍の後背を突いて一気に殲滅する予定だったのだが、思いがけず敵オメガ――いや、辟邪と言ったか――が出現して、現在上陸部隊は大混乱に陥っている。


 田浦はそんな中でもいち早く東京の水路に緊急避難してこの辟邪の火球攻撃を躱し、こうして神田付近にまで肉薄していたのだった。


「――軍曹、ここからなら誘導弾を撃ち込めます! 一気に片を付けましょう!」

「ばーか、さっき司令部から、通常攻撃は効かないって通達があったじゃねぇか。下手にこっちの位置を晒しても、返り討ちにあうのが関の山だ」

「じゃ、じゃあどうすんですか!?」

「うーん……とりあえず、民間人の避難誘導だけでも……」


 チーム全員が、田浦の提案に同意した。実際のところ、通常攻撃が効かない相手に対していくら攻撃を仕掛けたところで、せいぜい牽制の意味にしかならない。我々の第一の攻撃目標はあくまで皇居を取り囲む中国軍なのだ。

 上陸第一波は現在あの異形の怪物のせいで戦力半減だ。これを「失敗」と見做して作戦を中止し撤退するか、あるいはその逆に上陸第二波、第三波をすかさず後詰として送り込んでくるかは作戦本部の判断だろう。ただ、今の状況で自分たち第一波の残存兵力がキチンと回収されるとは思えなかった。

 良くて見殺し……下手したら、後続部隊の上陸成功のための囮にされてしまうかもしれない。まぁ、そんな時でもとにかく自分たちの持てる力を最大限発揮してサバイバルせよ、というのが我ら水陸機動団の隊員たちに課せられた義務なのであるが――


「――軍曹ッ! あそこっ! 見てくださいッ!!」


 ドローンからの映像に映っていたのは、比較的小さな建物だ。それほど大きくはないが、建物前の広場には遊具のようなものも認められる。


「――保育園……か!?」


 そうだ。十数人の小さな子供たちと、その周囲を取り囲むように大人が外側を向いて何人も立っている。子供の母親たちだろうか……保育士も何人かいるようだ。


 この人たちが絶体絶命のピンチに陥っているのは明らかだった。あの怪物が、彼らを見下ろすように園庭の上空数メートルに浮かんでいたからだ――

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