第429話 駆逐艦乗り

 駆逐艦冬月は、大東亜戦争を生き抜いた歴戦の殊勲艦である。だが同時に、武運に見放された悲劇の艦でもあった。


 竣工は1944(昭和19)年5月。6月に行われた『マリアナ沖海戦』には間に合わず参戦していない。だが、この“帝国海軍が壊滅した”とされるマリアナ沖海戦の後に本格的に戦線に投入された冬月は、だから栄光の大日本帝国海軍の時代を知らない。


 本来なら、軍部はこの海戦で事実上大規模な作戦遂行能力を喪失したことをもって、連合軍との停戦工作を本格化させるべきだったのだろう。四方を海に囲まれた日本にとって、海軍力の喪失は事実上武装解除されたも同然だったからである。

 だが、時の大本営はどうしても敗戦を受け入れることが出来なかった。


 マリアナ諸島、パラオ諸島を日本軍が落としたことによって、連合軍はその後のフィリピン、沖縄侵攻の足掛かりを得ることが出来たし、米国はマリアナ基地の構築によって日本本土への大型機による本格的な空襲が実施できるようになった。もちろん、西太平洋から日本近海への潜水艦の遊弋も許してしまう。

 つまり、この海戦以降、日本は防戦一方となり、悪夢のような市街地への空襲を許すようになり、そして米軍の沖縄上陸という悲劇を生んでしまったのである。


 歴史にイフは禁物だが、もしこの時点で日本が降伏していれば、その後の悲劇は防げたかもしれないし、多くの人命も救うことが出来たかもしれない。そうしたら、戦後の日本のかたちはもっと変わっていたことだろう。

 マリアナ沖海戦は、大東亜戦争終盤における大きなターニングポイント――最後の降伏のチャンスだったのである。


 そして『冬月』は、空母機動部隊を完全に喪失した徒手空拳の帝国海軍の中にあって、就役直後は主に東京湾の防衛、次いで硫黄島や小笠原諸島への隠密輸送作戦に従事することになる。


 なぜ駆逐艦が輸送作戦!?

 当時の状況をよくご存じない方は、不思議に思われることだろう。実は、海軍力をほぼ喪失していた当時の日本は、『シーレーン』を確保することができなくなっていたのだ。


 シーレーンとはすなわち「海上交通路」のことである。

 現在でも日本という国は、多くの物資を輸入に頼っている。資源がないから原油や鉄鉱石はほぼ100パーセント輸入に頼っているし、食糧自給率も低いから、大半の食材はすべて輸入だ。もちろん完成した工業製品だってすべて海路で輸出している。海上交通路はいわば日本の大動脈、生命線なのだ。


 だが当時の日本は、このシーレーンに対する認識があまりにも希薄だった。

 だから連合軍潜水艦の遊弋を許し、結果、ほとんどすべての輸送船、民間船舶はこれら敵潜水艦の餌食になったのである。

 当然物資輸送は滞る。西太平洋の無数の島々に分散して守備隊を配置していた帝国は、戦争遂行のために当然ながらこれら島々に逐次兵員や武器弾薬などを補充輸送しなければならなかったのだが、そうした兵站線も海軍の敗北ととともに事実上喪失した。


 結果どうなったか!?

 兵士たちは飢え、敵を撃退しようにも武器弾薬が尽き、次々と玉砕していったのである。

 戦略上重要なソロモン諸島――有名なガダルカナル島の攻防戦でもシーレーンの喪失は大きな影響を及ぼした。大規模な米軍の攻勢に対して追加の守備隊を逆上陸させようにも、兵員を輸送していた輸送船団は悉く潜水艦に撃沈され、殆どの陸兵は海の藻屑と化したのである。


 そこで軍部が最後の手段として目を付けたのが、足の速い駆逐艦だ。

 もともと駆逐艦というのは、海戦においてその俊足を生かし、敵艦に肉薄して魚雷を放ったり、至近距離で砲撃したりして敵の陣形を崩し、戦線崩壊に導くいわば切り込み隊長だ。

 もちろん潜水艦キラーとしての役割も持っており、海面下に潜む敵潜を爆雷で炙り出し、これを無力化する。小回りの利く駆逐艦は、他のもっと大型の戦艦や空母などよりよほど、潜水艦の天敵として多くのサブマリナーを懼れさせたものだ。


 その潜水艦を、高速輸送艦として駆り出したのである。


 この作戦は存外上手くいった。鈍重な輸送船は、敵潜の大きな的に過ぎなかったが、駆逐艦はもともとハンターだ。

 多くの陸兵を積んだまま、時には敵潜と洋上の真ん中で一対一の決闘を繰り返しながら、それでも多くの兵員資機材を南方の激戦地に細々ながら届けることができるようになった。

 これを当時の米海軍は『東京トーキョー急行エクスプレス』と揶揄したという。大型輸送船すら守り切れなくなった落日の海軍が、なりふり構わず繰り広げた大輸送作戦だったからだ。


 だがこんな使われ方をして、当時の駆逐艦乗りは果たしてどんな心境だったのだろうか。


 当時帝国海軍では、「軍艦」とそうでないものを厳密に区別していた。

 一番分かりやすい見分け方は、艦首に「菊の御紋」をつけていたかどうかである。


 大和などの『戦艦』、赤城・加賀などの『空母』、それから『巡洋艦』『砲艦』などは、いわゆる「軍艦」である。これらの艦首には、菊の御紋がついている。艦の責任者は“艦長”そして階級は基本的に大佐だ。

 いっぽう駆逐艦は、軍艦ではなくあくまで「艦艇」。潜水艦もこの「艦艇」カテゴリーに含まれる。菊の御紋はついていない。艦の責任者は「艦長」ではなく「駆逐艦長」「潜水艦長」と呼ばれ、階級は中佐まで。


 要するに、ある程度以上の規模や格式を持った船舶のことを「軍艦」、それ以下の小型船舶のことを「艦艇」と呼んだのである。駆逐艦は軍艦扱いされていなかった。


 当然、海兵たちにもこうした差別意識はひっそりと蔓延していた。

 巡洋艦以上に乗り組む海兵たちは、自分たちが海の戦争の主役だと思っていた。敵艦隊とガチンコで戦うのは自分たちで、駆逐艦は露払い、交通整理くらいにしか思っていなかったのだ。


 だが、駆逐艦乗りたちは逆に、自分たちこそが敵の懐に飛び込んでいって匕首を敵の喉元に突き付ける、命知らずの存在だと自負していた。

 事実、夜戦を得意としていた帝国海軍が、駆逐艦によって大戦果を上げた海戦は数多い。戦艦のような分厚い装甲などない、敵機の機銃で簡単に撃ち抜かれるようなペラペラの装甲だったとしても、だからこそ自分たちは誰よりも勇猛果敢だと信じていたのである。


 そんな誇り高き駆逐艦乗りたちが、今度は輸送船の代わり――荷駄隊の真似事をさせられたのである。

 その心境いかばかりか――


 そして、ますます劣勢に立たされていった帝国海軍は、やがて本土沿岸ですら、敵潜に狙われるようになる。多くの駆逐艦もあちこちで雷撃を受け、得意とする高速夜戦や雷撃戦などを披露する機会のないまま、次々とその餌食となって沈んでいったのである。


 冬月も、就役したその年の10月、日本沿岸で米潜の襲撃を受ける。この時艦首に損傷を受け、作戦参加を予定されていた「レイテ沖海戦」にも結果的に参加できなかった。ようやく駆逐艦の本領を発揮しようとしたのに、またしても名誉を逃したのである。

 結局その後、修理を完了した冬月は、再び今度はフィリピン戦線への『東京急行』に投入されることとなる。

 この時も、護衛していた空母『隼鷹』を結果的に守り切れず、被雷損傷させてしまう。


 赫たる戦果を上げることもできず、冬月は結局1945(昭和20)年4月、大和の随伴として沖縄水上特攻に加わることなった――


 これが坂本の知る歴史である。もちろん、冬月が殊勲艦と呼ばれるのは、その大和が撃沈された坊ノ岬沖海戦において、あの凄まじい戦闘を生き残ったからである。

 だが、今この2090年の日本に現れた冬月は、まだその最後の決戦に参加する前の存在だ――


 甲板こうはん員の山口大輔は、左右の舷側に鈴なりに吊り下げられている異様な形をした舟艇を、驚きの目でじっと見つめていた。

 この春ようやく17になったばかりである。当時の日本人は、食糧事情もあって小柄な者も多い。身長160にも満たない彼は、幼い顔立ちも相まって、まるで中学生のようだった。


「――気になるかい坊主?」


 舟艇から、陽気な声が掛けられた。大輔は驚いてそちらを振り向く。まるで空想雑誌に描かれていたような、見たこともない厳めしい機械の軍服を着こんだ兵士が、舷側の少し下から大輔を見上げていた。その兵士は舟艇に跨って――というより、完全に組み込まれている。

 胸の鎧のような装甲に、兵曹の階級章が彫られていた。


「――いっ……いえっ! 気になりませんッ!」


 大輔の言葉に、その兵士は意外そうな顔をして、それから縦一列に乗り組んでいる他の兵士に振り向いて目を合わせると、がははと笑った。

 もう一人の兵士も、肩を竦めてニヤリと笑っている。舟艇には、全部で3人乗り込んでいた。そんなのが駆逐艦の片側に約50、両舷合わせると、一隻当たり100機の舟艇が吊り下げられていたのだ。他の駆逐艦も同様だ。


「そうなんだ!? 俺はてっきり、俺たちがこれからどうなるのか、心配してくれているのかと思ったよ」

「あ……いえ、皆さんならきっと……敵前上陸を見事に果たされると信じております」

「そうかい、そりゃあんがとよ――でも、そのためには坊主たちの駆逐艦が気合い入れて突入してくんなきゃいけねぇからな! 頼りにしてるぜ!?」

「もっ! もちろんでありますッ!」


 国防軍と帝国海軍は、俊足の駆逐艦に精鋭部隊である水陸機動団の兵士たちを運ばせて、東京湾岸への敵前強行上陸を企図していたのである。

 参加艦艇は、帝国海軍第一遊撃部隊の大和を除く軽巡1と駆逐艦8の計9隻。これらの舷側に水陸機動団の上陸用舟艇を括りつけ、沿岸ギリギリまで肉薄したところでリリース。そのまま最短距離の海上を航走して一気に上陸を果たす作戦だった。

 そのために先ほど大和から恐るべき艦砲射撃を繰り出したのだ。敵前上陸の前に、可能な限り敵の守備兵力を削っておく。

 だが、先ほどの損害評価では、それほど敵兵を減らすことができなかったらしい。あれほどの凄まじい艦砲射撃を浴びせかけても、まだ相当数が湾岸沿いに展開しているとの推測だった。


 こうなったら、刺し違える覚悟で駆逐艦にはギリギリまで突っ込んで貰うしかない。南の島々と違い、ここには浜辺ビーチがないのだ。上陸の際は、コンクリートの岸壁をよじ登る必要がある。そして敵兵は、まさにそのコンクリートの護岸に貼り付いてこちらを迎撃してくるのだ。上陸する兵士たちの露曝時間は、可能な限り短くしたい。それが出来なければ、兵士たちは単なるマトだった。

 まさに駆逐艦の機動力がモノをいう、乾坤一擲の決死作戦――


 だが大輔は、意外にも胸が高鳴っていた。

 今まで自分は、地味な輸送作戦にしか従事していないのである。もちろん、南方の島嶼守備隊に必要な物資を届けることが重要なのは理解している。自分たちが運んだ油の一滴、コメの一粒、そして弾丸の一発が、御国のために尽くす皇軍兵士たちの力になることは重々承知しているのだ。だが――


 自分はやはり船乗りだ。水兵なのだ。徴兵制限年齢が下げられて、15歳から軍に入れることになった途端、大輔は一番近くの横須賀海兵団に入営し、軍艦乗りになろうと血涙を流してきたのだ。

 結果的に駆逐艦勤務となったが、追浜で漁師をやっていた父親は、大輔の水兵姿に涙を流して喜んだ。「漁師の息子が、立派な水兵になったなぁ」と喜ぶ父の顔と、心配そうに黙って微笑む母親の顔が今でも忘れられない。


 だから大輔は、とにかく武勲を立てて両親を喜ばせてやろうと幼いながらに決意していたのだ。だから輸送作戦は、大事なことだとは分かっているけどほんの少しだけ悔しいのだ。自分だって、敵の戦艦を沈めたい――

 まぁ、そうはいっても自分は甲板員だから、雷撃や砲術に直接加わるわけではないのだけれど、それでも激しい砲弾が飛び交う海戦に於いて、怯まず艦を操るのは自分たちの仕事だ。大輔は、ついに自分が作戦の中で重要な役割を与えられたことに、心から感謝していたのだ。


 この人たちを、艦から切り離すのはまさに、大輔たち甲板員の仕事だったからだ。


 その時、艦内拡声が鳴った。


『――全乗組員に告げる。本艦はまもなくお台場付近を通過する。陸上からの攻撃に備えよ』


 その瞬間、舷側の兵士たちは談笑を止める。

 まるで宇宙人のような、奇天烈な鉄帽を降ろす直前、先ほどの兵曹が大輔に声を掛けた。


「坊主、名前は!?」

「はッ! 山口二等水兵であります」

「そうか――俺は国防軍水陸機動団、安達兵曹だ。いいか、絶対に無理すんな!? 危ないと思ったら、お前はひとまず物陰に隠れるんだ。いいなっ!?」

「……は……はぁ……」

「返事はっ!?」

「は、ハイっ! しかし、私の役目は軍曹たちを無事に切り離すことで――」

「アホか!? 死んだら元も子もねぇだろうが!」

「し……死んでも役割を果たしますッ! それが命令ですからっ」


 安達兵曹は、かたくなな大輔の返事に、少しだけ困ったような素振りを見せると、小さく溜息をついて穏やかな笑顔を向けた。


「――そうか……では俺の方が階級が上だから、命令するぞ……山口二等水兵、今から死ぬことを禁止する――いいな!?」

「え……あ、ちょっ――」


 その瞬間、ドーンという大きな音が、陸地の方から轟いた。

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