第23章 暁闇
第428話 艦砲射撃
その日の払暁――
東京湾沖合に、巨大な雷鳴が轟いた。
ただしそれは、明らかに水平線の向こうから聞こえたはずなのに、陸地にいる者たちは皆、自分の内臓を鷲掴みにされて思い切り地面に叩きつけられたかのような衝撃を受けた。
それどころか、一瞬にして耳がツーンと遠くなる。あまりのことに、その瞬間思わず息が吸えなくなった者も多い。
ドドドン――
ドドドン――ドドドン――
雷鳴は、明らかに規則的な間隔で轟いた。そしてしばらくすると、また同じような間隔で鳴り響く。
ドドドン――
ドドドン――ドドドン――
だが今度は、そのすぐ直後に別の音が空の上から降ってきた。
ひゅるるるる――
ひゅるるるるるるる――
その時だった。
グワァァァァン――!!
グヮアアアン――!
まるで100メートル上空から大型ダンプカーを100台一緒に叩き落したかのような、酷い衝突音が立て続けに辺りをつんざく。いや――これは衝突音ではなく、爆発音だ。
その瞬間、地面は激しく縦揺れし、近くにいた者はほぼ例外なく鼓膜に酷い圧迫を受ける。爆発は辺りの空気を瞬時に吹き飛ばし、その場にいた者たちは今度こそ本気で呼吸すべき空気を失った。
これが本当の艦砲射撃――!
現世日本の、少なくともこの巨大な雷鳴の正体を知っていた国防軍の兵士たちは、大半がそのあまりにも凶悪な威力に恐れをなす。
だが、あらかじめその攻撃を知っていた彼らはまだ幸運だった。
夜も完全に明け切らぬうちから、これほどの殺意に真正面から晒された者たちの悲惨さは、まさに想像を絶するものだったに違いない。中国軍陣地――
今や彼らはすべての戦力をここ、東京近郊に集結させていた。
その集結していた地域のひとつ――東京湾岸一帯に、艦砲射撃の砲弾がつるべ打ちのように撃ち込まれたのだ。世界最大を誇る46センチ主砲が放つ巨大な徹甲弾。その一発の着弾で、周囲数百メートルは爆炎に包まれる。そんな鉄の暴風が、十数分間は続いただろうか――
気がつくと、そこはまるで大空襲を受けたかのような、瓦礫と硝煙の渦巻く荒野と化していた。
本作戦の
『――こちらミミズク03、着弾を確認。全弾命中です! 初弾から全弾命中――』
おぉ――というどよめきが起こる。
FICの一角を占める黒の詰襟制服を着た海軍将校たちがホッとしたような仕草を見せたのを、四ノ宮は見逃さなかった。
「――さすがは帝国海軍、連合艦隊旗艦『大和』ですな。聞きしに勝る砲術の腕前であらせられる」
すかさず賛辞を送ったのは、坂本統幕議長だ。日本国防軍――制服組のトップ。旧軍風に言うならば、『元帥』といったところだろうか。こういうところの政治的センスは、さすがである。元々海軍出身なので、着ている制服も海軍軍装だ。空母作戦室にいても、何ら違和感はない。
「い、いえ……本作戦の火蓋を切る栄誉を賜ったのだ。下手なところを見せたら貴軍の将兵に笑われますからな……」
「貴軍などと――申しあげたではありませんか……我々は同じ日本軍です。ただ、生まれた時代が違うだけなのです。轡を並べ、共に戦いましょう」
坂本元帥が握手を求めたのは、連合艦隊司令長官、小沢治三郎中将だ。
映画や歴史書でしか見たことのない、隠しボタンに詰襟の黒い海軍軍装。右胸には金色の将官飾緒が吊り下げられている。頭に被っているのは、錨に桜の黒い戦闘略帽だ。将校を示す白の二本線が美しく映える。
まさに潮気の効いた、生粋の海軍軍人だった。
だが先ほどの坂本の一言で、室内にいた詰襟組は明らかに緊張をほぐしたようだった。
2090年の日本国防軍と、1945年の大日本帝国陸海軍。
異世界中国軍の半数が突如として姿を消したのと同時に現れた、150年前に実在したいわゆる「旧日本軍」。それはまさにところてんというか玉突きというか、いなくなった代わりを埋めるように現れたのだ。
最初彼らは大混乱に陥りかけていて、あわや同士討ちかという一触即発の事態になっていた。当然だ。彼らはガチンコで米英軍と戦争をしている真っ最中だったのだ。それを何とか冷静に事態を収拾したのは、他でもないこの小沢中将であり、坂本統幕議長だったのだ。
小沢は、突如として目の前に現れた国防軍の未来的な装備と、変わらぬ日本の海岸線を見て、即座にここが“未来の日本”であることを理解した。確かに信じられない事態ではあったが、合理的に判断すればそう解釈するしかなかったのである。海軍軍人特有の合理性と柔軟性が、彼らの窮地を救ったと言ってもいい。
その後紆余曲折を経たものの、短期間にこの両軍は味方同士であることを理解し合った。2090年の日本が、外国軍から侵略を受けている真っ最中だったという事実も、帝国陸海軍の理解を早めたことだろう。
いずれにせよ、両軍が共同戦線を張るのは自然な流れであった。
そして今、侵略軍を追い落とす最終決戦が始まったところだ。
「――長官、連合艦隊は東京湾内に進入を開始します」
「よろしい」
参謀飾緒を付けた詰襟の一人が、小沢中将に報告する。小沢は、帝国海軍最期の連合艦隊司令長官なのだ。
FIC付の国防軍
「連合艦隊は旗艦大和を先頭に単縦陣でポイントアルファを通過。軽巡矢矧、駆逐艦冬月、涼月、磯風、浜風、雪風、朝霜、初霜、霞の計9隻が追走します」
それを聞いた坂本は、感慨深そうに瞑目した。この陣容は、まさに大和が沖縄水上特攻『天一号作戦』を決行した時に参加した艦艇そのままである。
史実では、1945(昭和20)年4月7日、この帝国海軍最期の連合艦隊――いわゆる『第一遊撃部隊』は、鹿児島県沖の九州南方海域、坊ノ岬沖で米軍機の執拗な攻撃を受け、4,000名近い将兵とともに散ることとなっていたのだ。
もしかしたらこの『天一号作戦』発動中に、出撃艦隊ごと転移してきたのかもしれないな――と坂本は思った。それにしては、史実だとこの時期連合艦隊司令長官は豊田副武大将である。それに、大和に座乗していた天一号作戦の最高指揮官は、本来なら伊藤整一中将だ。
少しずつ、史実と異なっているのかもしれない――と坂本は思った。密かに心のメモに書き留める。
***
ここで現状を整理する。
ほんの数週間前、突如としてこの世界に現れ、日本本土全域に対して躊躇なく侵攻を開始した中国軍は、初期兵力としておよそ100万からの大兵力を日本全国に出現させていた。
その後全国各地の国防軍と激しい戦闘に突入し、一進一退の攻防戦を繰り広げてきたのだ。だが、いかんせん戦力差は大きく、予期せぬ奇襲攻撃だったことも相まって、国防軍は各地で苦戦を余儀なくされていく。
ところがつい先日、突如としてその6割にも及ぶ兵力が、忽然とその姿を消したのである。現れた時と同じように、それは何の前触れもなく消失した。
これはもちろん、彼ら中国軍の出現元である『幽世』世界に逆侵攻した、士郎たち国防軍派遣部隊の活躍によるものだ。強制的な転移現象により、彼ら中国軍を異なる世界に送り返したのだ。
その結果、日本国内の中国軍勢力は一気に30万強程度にまでその数を減らしたのだ。これなら何とか、国防軍の防衛戦力と拮抗する。戦局は一気に好転するかに思われた。
普通なら、この時点で残存していた中国軍は、降伏してもおかしくないはずだった。ここまで戦力が低下した部隊がもはや継戦能力を維持できないのは、軍事の世界の常識だからだ。
だが中国軍は降伏しなかった。
残った30万の兵力で、なおも執拗に日本本土侵攻を継続したのである。
多くの残存中国軍は、全国に散らばっていた部隊を、すべて東京近郊に集結させるという、それまでとはまったく異なる動きを見せた。
それまでの、数にあかせてゴリ押ししようという戦法をアッサリ放棄し、戦力の集中運用に切り替えてきたのだ。
もしかしたら、敵の最高指揮官が交替したのかもしれない。
いずれにせよ、日本はそのせいでいきなり王手をかけられることとなった。日本の心臓部である、首都圏の防御が思いのほか手薄になっていたからだ。
東京
それはここが、日本最大の都市域であり、日本国の政治、経済、金融、その他の心臓部が集中しているという重要性に比例した分厚い防衛態勢を取っていたからだ。
だが、最大にして本当の理由は、そこに皇居があったためだ。皇室は昔も今も、日本国の象徴であり日本国民統合の旗印だ。それが敵の手に掛かるということは、日本国の滅亡を意味する。だからこそ、日本人たちは必死でこの地を守り続けてきたわけだ。
そこに突如として窮鼠猫を噛むが如く、退路を断たれた決死の中国軍が雪崩れ込んできたのである。
侵略当初の緒戦を守り抜いた首都圏は、その後全国各地で並行して激戦が繰り広げられている様子を見て、徐々にその首都防衛戦力を各地に割り振っていた。
それが一夜にして、ほぼすべての中国軍が秀吉の中国大返しのごとく首都圏に集結したのだ。
まさに虚を突かれたと言っていい。
複雑に入り組んだ都市域のあちこちに、中国軍はまるでガン細胞のごとく浸潤し、重要施設付近を悉く占拠、あるいは圧迫する位置に戦線を展開されてしまった。
それはまさに独ソ戦におけるスターリングラードのように、ビル一棟、家屋一軒を奪い合う、泥沼の市街戦の様相を呈し始めたのだ。
現状は近衛連隊が辛うじて皇居周辺を防備し、都内各所に寸断された国防軍の各部隊が、何とか細い線を繋いで組織的な防衛戦闘を行っているという状況だ。
だが、逃げ遅れた市民があちこちに点在する中で、市街地に入り込んで無差別に攻撃を仕掛けてくる敵軍を排除するのは容易なことではない。このままでは恐らく戦線は膠着し、政府はその機能を次第に麻痺させていくことだろう。そうなったら日本はお終いだ――
今作戦は、そんな泥沼にはまりかけた戦場を一掃し、一気に侵略軍を追い詰めるために急遽立案されたものである。
そのために日本軍――それには、国防軍と帝国軍、両方含まれる――は、東京湾から逆上陸を果たし、まさに家屋一軒、ビル一棟をしらみつぶしに潰していって、すべての中国兵を撃退しようという作戦に打って出たのだ。
街そのものは、破壊できない。空爆して更地にするわけにはいかないのだ。そこには市民が無数に逃げ遅れていて、恐らく我々兵士が助けに来るのを、歯を食いしばって待ってくれている――
***
「――ところで、陸軍の方はどうなっている?」
坂本が国防軍幕僚に問いかける。
「はッ――帝国陸軍第12方面軍が、我が海軍部隊の上陸に呼応して作戦行動を開始する手はずになっております」
第12方面軍――
太平洋戦争末期、首都圏防衛の任に就いていた帝国陸軍の精鋭である。その兵力は全部で20個歩兵師団以上および複数の戦車旅団等を擁する大軍であるが、実際には連合軍の本土上陸を警戒して千葉県、神奈川県等に広く布陣していた関係で、本当に東京の中心部の防衛任務に就いていたのは3個旅団程度である。
もちろん彼らも今回の転移で2090年の日本に出現したクチだ。転移してきたのは、帝国海軍だけではなかったのだ。当然ながら、こちらの勢力と話を纏めたのも坂本統幕議長である。もともと外交武官として活躍していた人物だから、こうした渉外能力には長けていたのだろう。
いずれにせよ、お互い犬猿の仲として後世に知られる帝国陸海軍は、150年の時を経て、ほとんど初めての本当の意味での共同作戦を展開するところだった。
「――幕僚長、先ほどの艦砲射撃、損害評価が出ました」
観測員の一人が声を上げる。
「幕僚長」というのは、“統合幕僚会議議長”という長ったらしい坂本の肩書を、兵士たちが略して呼ぶときの名称だ。決して『元帥』などとは呼ばない。そもそも国防軍には元帥なる階級は存在しないのだ。
「続けよ」
「はッ――無人機のスキャンによると、敵軍の人的損害はおよそ3.000と推定されます。我が方の民間人の死傷者数は、おそらくゼロです」
あの湾岸地域一帯には、もっと多くの中国兵がいたはずだ。もしかして地下に逃げ込んだのか!?
もともと大気汚染を想定していた首都圏都市域には、各所に地下壕が張り巡らされてある。その出入口を奴らが掌握したとしたら、相当厄介なことになったと見るべきだろう。
いずれにしても、民間人の損害がないのは不幸中の幸いだ。
「坂本さん、人的損害評価まで分かるのですか!?」
隣に立つ小沢が驚いた顔で訊く。
「えぇ――もともと艦砲射撃の前に、無人機を飛ばしてこの地域一帯の生体反応をスキャンしてあったのです。これは地下数十メートルまで透過スキャンできます。砲撃の後で再度スキャンすれば、人数の差が一目で分かる。それがすなわち敵の人的損害ということになります」
「なんと……では民間人の死傷者数とは……」
「もともとこの時代は、市民一人ひとりがIDを持ち歩くよう義務付けられています。大東亜戦争中も、国民はみな服に名札を付けていたでしょう? あれと一緒です」
坂本は敢えて「大東亜戦争」という名前を使う。
「――確かに……それで」
「無人機で、そのIDの信号を拾うことができるのです。あの地域一帯はもともと工業地帯で、居住区ではありませんでした。なので、仮に民間人がいたとしても工業関係者だけだという確信もあったのですが、やはり民間人はいなかったようです。ホッとしました」
小沢は、あまりにも価値観が異なっていることに内心驚いた。
この時代の軍隊は、民間人の命をここまで尊重するのか――
「ではいよいよ、我が水陸機動団の出番ですな――」
精悍な顔つきの高級将校が、力強く周囲を見回した。
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