第424話 エンタングルメント

<――アレは何……!?>


 未来みくが訝しむようにその穴を覗き込む。よくよく見るとその穴は相当深く、まるで雪原に掘られた井戸のようだ。いや――井戸というよりは……そう、露天掘りの採掘現場のように、それはすり鉢状というか、鋭角に穿たれた三角錐のようだった。

 その中心部に突き立つ、漆黒の棒――


 なんてことだ……本当にあった――!!


<未来っ!! アレだ! アレが……俺が探していたものなんだ!!>

<ホントっ!?>


 士郎には確信があった。

 その棒状のものの周囲に、綺麗に雪がないのは、きっとそこから何らかのエネルギーが放出されていて、雪や氷に閉ざされることがなかったからだろう。そしてその三角錐がかなり深いのは、それだけ周囲に雪が積もっているからだ。

 ということは、この辺り一帯がこんもりと丘状になっているのは、きっとこの雪の下に、かつて出雲大社と呼ばれていた建物が建っていたからに違いない。建物自体が今でも現存しているとは到底思えなかったが、もしかしたら柱の建っていた跡とか、何らかの痕跡が見つかるかもしれない。

 まぁ、実際は積雪のせいでそれを確かめる術はないのだが、そう言われてみればこの辺りの雪原の凹凸は、下に何かがあることを十分匂わせていた。


 じゃあ――まさにここが本殿跡なのか!?

 士郎たちは転移の際、全員が本殿の一角に集まっていた。その時、士郎を含めたオメガチームは全員がソレを持っていたのだ。


 ヒヒイロカネの長刀――


 それは黒よりも黒い漆黒の日本刀で、もともと近接戦闘を専門とするオメガチーム全員が持っていたものだ。

 だから、激戦が予想された出雲攻防戦の際、ウズメさまに「ヒヒイロカネ」というご神体の原料を練り込んでもらったのだ。お陰でそれ以来、士郎たちの軍刀は途轍もない切れ味を発揮し、そしてどんなに実戦で使っても、血や脂でぬめることも、刃毀れすることもなくなったのだ。


 そして、転移そのものが失敗していることは残念ながら間違いなく、そうだとしたらその軍刀をそのまま『幽世』に置いてきてしまった可能性が高いと、士郎は踏んでいたのだ。


 その軍刀が、残っていた。1万年の時を経てもなお、その場にあったのだ――


 ひとつだけ不思議だったのは、その軍刀が突き立っていたことである。士郎の記憶だと、転移のその瞬間は、それぞれがきちんと手に持っていたか、鞘に納めて脇に置いていたはずだ。だが今見る限りでは、その長刀はすべて抜身の状態で、切先を下に向けて屹立している。


<士郎くん、アレは……!?>

<俺たちが持っていた軍刀だ。さっきも言ったが、アレにはヒヒイロカネという未知の金属が練り込まれていてな……絶対に綻びないし、錆びもしないはずだったんだ。予想通り、見る限り当時のままだ……>

<……綺麗な刀……>


 未来の言う通り、それは近付くほどに輝いて見えた。

 気が付くと二人は既にヴィマナから地表に降り立っていて、足を一歩踏み出すごとにサクサクと小さな音を立てて雪原がへこむ。

 ずっぽりいかないのは、恐らく長年の堆積により、雪が押し固められて氷の床と化しているからだろう。地面の上に数百メートルの氷の層がある、南極大陸のようなものだ。


 そういえば、ヴィマナを降りたというのに寒さを一切感じないのはなぜだろう。

自分が身に纏っているのは、何やらぴったりと身体に貼り付いたウェットスーツのようなものだけだ。ただしその素材はいったい何で出来ているのか分からないし、ウェットスーツみたいにゴワゴワと厚くない。いずれにせよこの程度の服装で、普通なら寒さを感じないわけがないのだが、なぜだか体感は暑くもなく寒くもない。

 隣の未来をチラッと見ても同様だった。寒がっている素振りは一切ない。これも何らかのオーバーテクノロジーなのだろうか。


 そうこうしているうちに、二人はその三角錐の縁まで辿り着いていた。見下ろすと、ソレはやはり士郎たちが使っていた軍刀に間違いなさそうだ。突き刺さっている地面の方は、暗くてよく見えない。


<――未来、これ……引っ張り出せそうか!?>

<んー……どうかな……やっぱり下に降りて直接引き抜かないとダメだと思う>


 上空から見下ろしていた時は今ひとつスケール感が分からなかったのだが、目の前まで来てみると、三角錐の入口直径はそこそこあった。2メートル以上は優にあるだろうか。中に降りて行くのは十分可能そうだった。

 ただし、縦穴の高さもそれなりにある。二人が縦に立って、ちょうど雪面に届くかどうか――

 つまり、一度降りてしまえば次に這い上がれる保証はない。


<……どうするかな……>


 士郎が思案した、その時だった。


<きゃッ!?>


 突然素っ頓狂な声を上げたかと思うと、未来が穴の縁から足を滑らす。人工的に掘られた穴ではないから、縁の部分はなだらかに丸みを帯びていて、未来はそのままお尻を滑らせると穴の中に転がり落ちていく。だが――


<……た、たすけて……!>


 すんでのところで、未来の片手が穴の縁を何とか捉えていた。見ると、指二本くらいを辛うじて雪面に突き立て、ぶら下がっている。


<未来ッ!!>


 士郎は慌てて彼女の元に駆け寄った。いや、そのまま落ちてもせいぜい穴の底に尻餅をつくくらいで、命に別条はなさそうだったが、とにかく一度落ちてしまったら引き揚げる術がないのだ。

 ボロボロッと氷の塊が彼女の横を転げ落ちていった。


<――未来……焦るなよ……今ゆっくり引き揚げてやる……>


 そう言いながら、士郎は未来の拳を上から包み込むように握り締めた。下から未来が不安そうに士郎を見上げる。大丈夫だ――という視線を送ると、未来がけなげにこくりと頷いた。

 だが――


<おわっ!?>

<きゃッ!!>


 ツルンッ――と滑って、結局二人は三角錐の穴の下にそのまま滑り落ちていた。多分一秒もかからなかっただろう。


<――ってててて……>

<……っ!>


 ちょうど未来を座布団にして、士郎が頭から落ちたような格好だ。大きく両脚を左右に広げて腰を「く」の字にした彼女の胸の谷間に、士郎が覆いかぶさって顔が埋まるような体勢。

 これが何でもない時なら、いわゆるラッキーなんとかということなのだろうが、今はそんなことを言っている場合ではない。士郎は慌てて飛び退いた。


<すすすすスマンっ!! 大丈夫か!?>

<……う……うん////>


 未来が少しだけ照れていた。考えてみれば少し前、空の上で彼女に出逢ってから、初めてようやく生身の人間らしいリアクションを見たような気がした。つまり――途端に距離が縮まったような気がしたのだ。

 だが、未来はそれっきり言葉を発しなくなった。あれ――!?

 もしかして、怒ったかな……!? 彼女は、士郎と向き合っているように見えて、実は目の焦点を士郎に合わせていない。女の子が相手を軽蔑する時に、たまに使うやり方だった。

 だが、どうやらそれは杞憂だったらしい。未来が口を開く。


<……士郎くん、あれ……>


 未来の視線は、ちょうど士郎の背中越しに位置する、ヒヒイロカネの長刀に向けられていたのだ。

 それに気づいた瞬間、士郎はハッとして後ろを振り向く。すると――


<――こ……これは……>


 漆黒の長刀は、二人の目の前でいつの間にか青白色の輝きを纏っていたのである。


 その輪郭にフレアのようにゆらゆらと立ち昇る青白光。そして、その光が射していたのはそこだけではなかった。

 日本刀の刀身部分。敵を切りつける「刃」の部分と、反対側の「棟」部分。ちょうどその両者の中間に、刀身に沿って筋が一本通っているのをご存じだろうか。これを称して「しのぎ」と言う。その鎬部分に沿って、細い筋状の光が青白く輝いていた。

 それはまるで、刀の内側から光っているようにも見え、漆黒の刀身に美しく映える。


<――これって……もしかして私たちに反応した……!?>


 ――!

 未来の何気ない一言に、士郎はハッとなった。そうだ! これはきっと……


<未来、自分の刀が分かるか!?>


 士郎は思わず訊ねる。いや――そもそも目の前に突き刺さっている軍刀は、どれも似たような形に見えたし、もともとの記憶だって殆ど失っている今の未来にそんなことを聞いたって、分かるわけないとも思うのだが、なぜだか彼女には、その見分けがつく気がしたのだ。


 すると、未来はおもむろに立ち上がって、軍刀の前にふらりと佇んだ。そのまま、まるで品定めするかのように、じっくりと幾振りもの軍刀を見つめる。士郎は、思わず息を潜めた。


<……これ……だと思う……>


 それほど間を置かずにぽそりと呟くと、未来はおもむろに一本の軍刀に手を伸ばした。

 その瞬間、彼女が手を差し伸べた軍刀の鎬部分が、さらに輝きを増す。まさか――!?


 柄を握った瞬間、軍刀は当たり前のように強烈な青白のフレアを撒き散らした。と同時に、別のもう一本が同じように強烈な光を放つ。

 そうか――! 未来は二刀流だったのだ!


 二本目の刀に気付いた未来は、反対の手でそちらも握り締めた。その瞬間、今度は未来の身体そのものに変化が起こった。

 その瞳が、刀と同じように青白く光ったのである。


 まさか……共鳴した――!?


 気が付くと、光が彼女を無遠慮に浸食していた。それはまるで、虹色のリボンが彼女の身体に巻きついて、そしてそのまま染み込んでいくような、そんな情景――そして……


「……士郎くん!?」


 未来が、驚いたように士郎を見つめ返した。


「――士郎くんなのっ!?」


 その言い方は、明らかに先ほどまでの未来と異なっていた。

 もちろんさっきまでの未来も、士郎に言わせれば未来本人に間違いないのだが、今目の前にいる彼女はそれとはほんの少し違う――そう……士郎がよく知っている、いつもの未来なのだ。


<……み……未来なのかっ!? いや――未来なのはわかってるけど……その……>

「――士郎くんっ! 何でしゃべってくれないのっ!? ここは……ここはどこっ!? ちゃんと『現世』に戻れたッ!?」


 え――!!

 言葉が……コミュニケーションが精神感応じゃ……ない!? そうだ! 確かに今、未来は――

 士郎も慌てて声を出す。


「――み……未来っ!? お前……」

「――!? 良かった……何で喋ってくれないのかって、ビックリしちゃった……」


 士郎は、さっきとは違う感動に襲われる。鼻の奥がツンっとなった。


「――未来っ! お前……未来なのかっ!? 記憶、全部元に戻ったのかっ!?」


 気が付くと士郎は、未来の両肩をガシッと鷲掴んでいた。だがその瞬間、今度は未来のほうがビクッと怯む。


「……え……えっと……私……」


 未来が困惑して後ずさった。


「――ごめんなさい……なんだかよく知っている人に……雰囲気が似ていた気がしたから――」


 ハッとして、士郎は自分の身体をキョロキョロと見下ろした。


「――違うんだ未来ッ! これは……俺は士郎だ! この身体は別人なんだが……とにかく中身は石動いするぎ士郎なんだっ! さっき言ったじゃないか!?」


 誰だって突然そんなことを言われたら、ビックリする――というより疑惑の目を向けるだろう。だって、まったく見ず知らずの男が、自分のよく知っている――どころか憎からず想っている人の名を騙っているのだから。


「待って! 近付かないで――」


 未来は、両手に持った長刀をスチャッと士郎に向け、距離を取った。怯む士郎が、一歩二歩と後ずさる。


「――いやッ! 落ち着いて未来っ……俺だ! これは俺なんだよっ!」

「そんな……ウソだ……士郎くんの名前をどこで聞いた!?」

「だからッ――」


 だが次の瞬間、未来は思わずたじろいだ。「うっ……」と呻くと、両手の刀を思わず取りこぼしそうになる。


「――え……やっぱり……士郎……くん……!?」


 さっきまでの、かたくなな態度が急に揺らいだ。もしかして――!?


「――未来……? もしかして記憶が……」


 彼女の様子を見る限り、それは記憶が交じり合って、彼女の人格の中でまだら模様になっているのではないかと思われたのだ。

 1万年前に実在した、士郎のよく知るオリジナル神代未来と、その1万年後に出逢った――人々から神格化され女神イシスとなっていた――神代未来。


 この二人は、もしかしたら別人格なのかもしれない。だって、士郎は先ほどヴィマナの中で、自らの見た目が別人のものであることを確かに彼女に伝えていたはずだからだ。

 なのに今彼女は、士郎の見た目に困惑している――

 恐らく先ほどヒヒイロカネの長刀に触れたことで何らかの共鳴が起こり、1万年前のオリジナルの記憶を呼び覚ましたのだ。


 じゃあなぜ――イシスだった未来は、先ほど士郎のことを「士郎くん」と呼んだのだ!?

 オリジナル未来とイシス未来がまったくの別人格だったなら、オリジナルの記憶をイシスが思い出すわけないではないか……


 まさか――

 そしてもうひとつ。たった今気づいたこと。

 ヒヒイロカネの長刀が予想通りの場所で見つかったことの意味だ――

 つまり、今いるこの世界は『幽世』の一万年後なのだ――


 もしかして未来は、どの次元においても意識を共有している――!?


 つまり、神代未来に関しては『現世』の未来も、『幽世』の未来も、どちらも同一人物……

 あるいは……彼女はどの世界にも、同時に存在しているのか――!?


 それじゃあまるで、重ね合わせ……「量子もつれエンタングルメント」じゃないか――

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