第422話 真・不都合な真実(1)

 高高度から見た地球は、士郎の知っている地球と微妙に異なっていた。


 女神イシスが神代未来みくの1万年後の姿と確信した士郎は、彼女を“終わりのない生命”という無間地獄から救い出すべく、ある計画を実行しようとしていた。


 もちろんそのための第一歩は、士郎の意識が飛ばされてきたこの未来みらい世界からの脱出――元の世界『現世うつしよ』への帰還――である。しかも、その帰還には必ず目の前の女神イシス――すなわち神代未来を伴っていなければならない。

 それが今の士郎のように“意識体”だけの帰還なのか、それとも永遠の肉体もろともなのかは今の士郎にもまだ分からない。

 ただいずれにせよ、彼女をこのままにしておけないことだけは明らかだった。


 今士郎が救い出さなければ、未来はこのまま永遠の時間を、引き続きたった独りで過ごすことになってしまうのである。

 既に1万年という永遠に近い時間を、彼女は独りで過ごしてきた。もう十分じゃないか――


 そのために士郎が目の前のイシス――未来に打ち明けた作戦というのがこれだ。

“出雲への降臨”――

 なぜならそこには、奇跡の帰還を実現する唯一の可能性があったからだ――


  ***


<――随分雰囲気が変わっているけど、ここ、本当に地球なんだよな……>

<そうよ。それは間違いない。だって、エノシュとアカーは地球という天体に棲む生命体なんだもの。私は彼らを見守る役割を持って、ずっとこの星にいたのだから……>

<ならいいんだ……>


 士郎は、少しだけ心配になって未来に確かめる。だがその口ぶりから察するに、彼女が過去1万年に亘ってこの星を見つめ続けていたのは、どうやら間違いなさそうだった。


 それにしても、眼下の地球は明らかに様相が異なっている。

 士郎は、再度自分の足元をジッと見つめた。青く輝く星の姿は、やはり地球に間違いないのだろう。


 もともと士郎がこの世界で乗っていたのは、黄金に輝く謎の飛翔体である。その飛翔体は、全周が見渡せるようになっていて、まるで空にぽっかり浮かんでいるような独特の感覚だ。

 恐らくそれは、F-38パイロットが装着しているHMDSのような、拡張現実機能を使った疑似映像投影装置か何かなのだろう。

 その操縦方法も独特で、基本的には搭乗者の“思念”を使って挙動を制御する。


 この時点で既に士郎の知らないテクノロジーが使われているわけだが、先ほどイシス――未来は、この乗り物のことを『ヴィマナ』と呼んでいた。

 今はそのヴィマナの操縦殻に、士郎と未来が一緒に乗り込んでいる状態だ。二人はまるで恋人のように寄り添い、お互いの身体にそっと手を触れてその存在を確かめ合っている。


 その部分だけを切り取れば、その様はまるで、恋人たちが夢の中で大空を駆けているようでもあった。それは二人にとって、思いがけない素敵な時間だった。できることならこのままずっと、この空を自由に飛び回っていたいとも思ったのだが、眼下の光景は容赦なく士郎を現実に引き戻す。


<……あれはヨーロッパかな……その下は……中東!? でも、紅海が――>

<士郎くんは物知りなんだね……私、いつもこの大地を空から見ているけれど、どこが何という名前の大陸なのかとか、全然分からない……というか、覚えてない……>


 未来は、キラキラした瞳で士郎と同じように眼下の光景を眺めていた。きっと、同じ光景でも士郎と一緒ならまた違って見えるのだろう。その表情は、あくまで楽しそうだ。


<――どれくらい違っているの? その……士郎くんがいた時代の地球と……>

<そうだなぁ……全体的に陸地が……前よりも広がっているみたいだ>


 そうなのだ。

 この高さから見下ろしていると、例えばヨーロッパ大陸とか北アフリカ、中東あたりまでは一望できる。ということは恐らく、今は宇宙ステーションなどが周回する、高度2,000メートルに満たない程度の低軌道LEO高度だと思われるのだが、そこから見る陸地は、士郎の知っているこの地域の地形とは明らかに異なっているのだ。


 例えば、地中海が異常に小さい。

 紅海が、“海”ではなくまるで川のように幅が狭くなっている。

 その逆に、海岸線は全体的になんだかざっくりしていて、それは例えるなら、クッキーで無理矢理世界地図を作ってみました、という感じなのだ。細部のディティールが、完全にアバウトだ。



<イズモっていうのは、どこにあるの?>

<もっと東の方だ――あっちの方へ行ってみよう>


 二人を乗せたヴィマナは、恐らく物凄い速度でユーラシアを東進していく。しばらく飛んでいると、真っ白な大地が飛び込んできた。雪――!?

 ここはかつて、士郎が知っている限りでは砂漠地帯だったはずだ。『現世うつしよ』に当て嵌めると、東トルキスタンの、日本軍の楼蘭基地があった辺りだ。


<あれは……>

<――このあたりはもうすっかり氷河に覆われているわ。この星は結構寒いから――>


 あぁ……やはりそうだったか。

 かつて士郎が生きていた21世紀後半の時代も、既に『氷河期』への突入が複数の科学者から警告されていた。

 先ほどから見ていた“陸地が広がっている”という光景と、眼下に広がる真っ白な大地は、すべて地球の寒冷化が引き起こした現象だったのだ。

 恐らく南北両極地に近い海洋が凍結し、世界の海水量を激減させたのであろう。海水面が下がれば当然海岸線が後退し、その分陸地が広がっていく。


 もともと士郎たちが暮らしていた時代は、地球の長い歴史の中ではむしろ例外に近い、いわゆる『間氷期』と呼ばれる温暖な時代だった。

 いっぽう地球は、今まで何度も本格的な氷河期に襲われている。


 もちろん、例えば恐竜たちが繁栄した数億年前から6,500万年前あたりまでは、イメージ通りの極めて温暖な時代だった。『ジュラ紀』とか、『白亜紀』と呼ばれた時代だ。

 だが、すぐにその後地球は氷河期に覆われる。有名な『マンモス』などが繁栄していた、氷の時代アイスエイジだ。


 それこそ現生人類ホモ・サピエンスが現れたり、ネアンデルターレンシスが活動していた時代は、まさにその氷河期の末期だ。それから徐々に地球は温かくなり、次第に人類種が快適に過ごせる時代がやってくる。


 恐らく、その後何度か氷河期と間氷期を繰り返した地球。

 最後に一番温暖だった時代は、士郎がかつて住んでいた時代から遡ることおよそ1万2千年ほど前――日本で言えば縄文時代だ。

 この時代は『旧石器時代』とも呼ばれ、食糧源となる大森林が繁茂し、獲物となる動物が多数生息していた、生命に満ち溢れた豊かな時代だ。人間たちはその温暖な気候の中で、ますます繁栄を重ねていったことだろう。

 その傾向が明らかにベクトルを変えたのは、実は近代に入ってからだ。


 17世紀から18世紀にかけて、地球環境は明らかに寒冷化の様相を呈した。『小氷期』と呼ばれるものだ。もちろんこれは、来るべき次の本格的な氷河期に向けての、いわば前哨戦だ。

 まるで海水が浜辺に打ち寄せるように、その波は断続的に押し寄せ、そしてそのたびに徐々に大きくなっていった。

 もちろん波だから、『小氷期』のあとはその反動として、少しだけまた温暖な時代がやってきた。だが、次の波がやってくるのに、この時はそれほどの時間はかからなかった。

 それから数百年後――20世紀後半から21世紀初頭にかけて、ついに次の氷河期の本格的な予兆がやってきたのである。


 この時に騙された者は多い。氷河期の到来に伴う寒冷化とは真逆の、『地球温暖化』という似非神話だ。


 当時、世界は機械文明の当然の副産物として、多くの化石燃料を使っていた。当然化石燃料は大量の二酸化炭素を大気に放出する。はその現象に着目した。


 二酸化炭素――CO2が地表の熱放散を阻害し、地球全体の温度が上がる、という説を提唱したのだ。


 この説は『温室効果』という、もっともらしい理論をベースに、次第に宗教化していった。生活にゆとりのある先進国を中心に多くの活動家が生まれ、人類の産業活動そのものを否定し始めたのである。


 だが今になって考えると、それはある特定の政治思想を背景にした、ある種の終末思想運動だったのだ。

 活動家の多くは、既得権益の枠組みから外れた者たちだった。米国を中心とした自由経済活動を“新帝国主義”として敵視していた彼らは、これら主要工業国の存立基盤であるエネルギー政策を攻撃することで、その反射利益を得ようとしたのである。


 それはたとえば、自然エネルギーというベンチャービジネスだ。


 石炭・石油などに代表される地下資源を大量消費する社会では、エネルギー産業は大きな権益だ。それは資源の採掘、運搬、精製、そして都市基盤のインフラ整備、それに伴う土木、建設、流通、そして資本投資――つまり金融に至るまで、社会産業のあらゆる分野にまたがり、近代産業社会をまるごと支配する。

 当然政治の世界も、彼ら既得権益の利益に乗っかり、その築き上げた帝国の元での自身の権力拡大を指向する。21世紀初頭に至るまで、それは国家間の主な利害の衝突原因にさえなった。ただそれは、資源の獲得のための領土拡張という、一面的な問題に留まらない。


 所詮自由主義経済下においては、資源の分配は商業活動の結果に過ぎないからだ。

 資源を持つ国が資源のない国にそれを売り、当然の対価としてその代金あるいは同等の品目を受け取る。そこまでは取り立てて問題視すべき話ではない。単なる貿易だ。

 葛藤が起きたのは、その遣り取りの中で相手側勢力の経済・金融をも牛耳ろうという、熾烈な国家間競争が生まれたせいだ。


 資源の売買に限らず、国家間の決済はすべて『国際決済通貨』で行われる。

 それはいわゆる『ハードカレンシー』と呼ばれていて、米国ドルやユーロ、そして日本円などが代表的通貨とされた。当然ながらそれらはみな、国際的信用が高い国々である。つまり経済大国――工業先進国だ。


 だが、これら特定の強大国の通貨だけが貿易決済に使われるということは、それ以外の国家はそれら強大国に経済的支配を受けるということに他ならない。


 通貨というのは、その流通量が限られたものである。だから米ドルや日本円を手に入れようと思えば、その国は米国や日本に何かを売って、その代金としてそれら通貨を手に入れなければならない。

 だが、今度はそうした国々が資源を買う時に、せっかく手に入れたその外貨を使わなければ決済できないという現象が発生する。そうなると、当然ながらそれら稼いだ外貨は目減りしてしまうわけだ。

 せっかくモノを売って稼いでも、すぐに羽が生えたように飛んでいく。いつまで経っても豊かになれない。


 いっぽう、それらハードカレンシーを自国で発行している米国や日本は、まるで打出の小槌を持っているようなものだ。代金が足りなければ自国で自由に通貨を増刷できるし、仮に外国からお金を借りていても、最後に返すのは自国の通貨建てだから、この時も足りなければ新たに通貨を発行するだけで事足りる。

 通常、必要以上に通貨を発行すると、インフレという現象が発生し、その通貨の価値が暴落するものなのだが、これら強大国はそれさえも吸収してしまうほどの強大な経済力を有している。つまりこれらの国々は構造上、国家が破綻することがあり得ないのだ。


 そんなの不公平だ――という声が当然上がる。だが、仕方がないのだ。米国や日本はそれだけの経済力を身に着けていたし、その結果として、米ドルや日本円は、やはり国際的信用力が途轍もなく高い。


 そして世界中の国々は、不安定な通貨で支払われることを嫌う。踏み倒されたり、価値が暴落したりするかもしれない通貨では、どんなに稼いだとしても翌日には紙屑になってしまうかもしれないからだ。

 そうなるとやはり信用力の高いハードカレンシーで決済するのが一番、ということになる。


 この時代、世界を支配する方法は、軍事力というよりも経済力だ。当然軍事の裏付けがなければ自由な経済活動は行えないわけだが、米国は当時世界最強の軍事力を誇っていたし、日本はその米国の安全保障の傘に入って彼の国の尖兵役を務めていた。富める国はますます富み、そうでない国は永遠に支配される世界。

 そして、この構図はいつの間にか、もはや誰にも崩せない世界の仕組みとなってしまったのである。


 温暖化信者は、そんな時代に生まれた。

 ガチガチに固定化され、もはや誰にも崩せない社会全体の構造。それを既得権益と呼ぶのなら、彼らはそれを破壊することで自らの居場所を必死で得ようと抗ったのだ。


 脱炭素エネルギーベンチャービジネスは、そんな時代に生まれた、一種のカウンターインダストリーだ――

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