第21章 角逐
第389話 突撃体勢(DAY10-1)
バケモノどもが出雲市街地へと侵入してから、既に20時間以上が経過していた。あれから一昼夜が経ち、今はまた、夜が明ける寸前だ。
連中は、国防軍と守備隊兵士たちのそれまでの奮戦と犠牲を嘲笑うかのように、街の全域を占領している。
今や辻々にはステゴドンが小山のような巨体を見せつけ、その足元には漆黒の
それだけではない。よく見ると鳥のような、あるいは
気が付くと、出雲の街は見渡す限り異形の怪物が跋扈する、見たこともない異界と化していた。
「――くるみ、体調はどうだ?」
大社の拝殿に設けられた休憩所の隅っこで、くるみがぺたりと座り込んで毛布にくるまっていた。あれ以来、くるみは何度か顔を紅潮させ、小刻みに身体を痙攣させる発作を断続的に繰り返したということで、大事を取って安静にさせられている。
士郎は、束の間時間が空いた隙を狙って、そんな彼女を見舞ったというわけだ。
「……あの……士郎さん、私……体調が悪いわけじゃないんです……」
そう言うとくるみは、潤んだ瞳で士郎を見上げる。
「そうなのか? それにしてはずっと顔が赤いじゃないか。やっぱり微熱があるんじゃ――」
「ち、違うんです……これは、その……」
そう言うと、くるみはきゅっと士郎の袖をつまんだ。
もう――なんで分かってくれないの!?
くるみは心の中で叫ぶが、士郎はまるでピンと来ていないようだ。だが、それでも彼女は、密やかに彼との逢瀬を楽しむ。
こんなことでもなければ、士郎さんは私に振り向いてくれなかった。だから、少々朴念仁なところがあるけれど、それでも私はこうやって、彼が来てくれる今の状況を幸せだと思うのだ。
「――
向こうの方で、士郎を呼ぶ声が聞こえる。まったく、いつになったらこの戦闘は終わるのだ……
「――スマンくるみ……また来るからな、それまで大人しく横になってろ、な?」
「はぁーい……」
例のオドの交換以来、くるみは士郎との物理的、心理的距離が驚くほど近付いたことに、密かな幸せを感じていた。それは一般的な意味以上の感覚だ。一体感が半端ないのだ。もはや私は彼の一部であり、彼は私の一部なのだ――
***
「――ステゴドンはざっと100頭ほど確認できています。さらに
田渕の報告に、士郎は頭を抱える。
一体いつの間に、こんなことになったのだ。しかも、謎の怪鳥も飛び回っている。アレの脅威判定はまったく出来ていないが、どうせロクなもんじゃないだろう。
「こちらの状況はどうか?」
「はッ――我々は現在、3か所に分断されています。ひとつがここ、出雲大社です。ここには現在、南戦線守備隊の残存兵と、野戦病院を脱出した負傷兵が立て籠もっています。ついで旧市役所庁舎――ここは当初から作戦指揮所が設けられていたところです。当然、各種統制システムはここに集積されていますが、兵力としては司令部要員しかおりません。そして3か所目ですが……」
田渕は一同をぐるりと見回した。
「――小学校跡地に設けた避難所エリアです。ここには、住民約1万人が避難しており、それを守護する守備隊兵士を中心に、約一個中隊ほども合わせて缶詰めになっています」
問題はここだった。幸い、電磁防護壁は現在に至るまで完璧に作動している。バケモノどもも何度かここに突入を試みたようだが、その都度高圧電流に阻まれて不様に引き下がっている。
連中も学習能力はそれなりにあると見えて、昨日から現在に至るまで、避難エリアからは少し距離を保って様子見をしている状況だ。
だが、エリアのすぐ外で警戒していた守備隊兵士が一人、例の怪鳥に攫われたことから、一切予断は許さなかった。防護壁の損傷など不測の事態が起これば、間髪入れず襲ってくるのは間違いないだろう。
「――とりあえず現状は小康状態、ということか……」
「と、言うより、膠着状態――と言った方がより適切です。何かのきっかけがあれば、また狂ったように襲撃してくるかもしれません」
今のところ、ステゴドンは建物などの障害物があると途端に行き足を止め、それ以上は攻め寄せてこない。装甲車とはいくらでもガチンコでぶつかり合うというのに、動かない障害物には体当たりしてこないというのは、一体どういう習性なのかさっぱり分からない。だが、結果的にそれで作戦指揮所は持ち堪えているのだ。
いっぽうここ、出雲大社には、バケモノたちは最初から足を踏み入れようとしなかった。
それが「神域」であることのご利益なのかどうかは分からなかったが、何らかの目に見えない要因が奴らの侵入を阻んでいるのは間違いなさそうだった。
そういう意味では、現状もっとも安全なのはやはり、この大社の境内なのかもしれない。
「なんとか避難エリアの住民だけでもこちらに移し替えることができればいいんだが……」
「それは無理な相談だ」
叶が諦め声で応じる。確かに避難所から大社までは、直線距離だけでもおよそ1.5キロはある。その距離を、道のりに沿って1万人先導してくるなんて、どだい無理な話だった。通りには、バケモノどもがウヨウヨしているのだ。
士郎は、叶に質問を重ねる。
「――ところで少佐、あのゾウの化物みたいな奴の正体は分かりましたか?」
「……いや、残念ながら詳細は相変わらず不明だ。何せ1頭たりともサンプルを捕獲していないんだ。DNAなんかも詳しく調べようがない」
「ステゴドンの亜種……というのは間違いないんですね?」
「まぁ……外見と骨格が酷似しているから、というに過ぎないがね……ただし、酸を撒き散らすゾウなど、聞いたことがない。当然、何か別の生物と結合させたキメラだろうね」
「やはりあの、
「うむ――分からないのは、なぜ今から一千万年以上前の古代生物が、現代に現れたかということだ。もしかすると、例の
例の辟邪――すなわち、あの偽神ガンダルヴァのことだ。量子を操り、時空を歪める異能を持った彼女が、でたらめな時代からデタラメな生物を呼び寄せたのかもしれない。
あんなにボロボロの重傷を負っているというのに、まだ抗うつもりなのか――
「……ま、そんなとこじゃろうな」
「ウズメさま……」
途中で割り込んできたのは、本物の神――ウズメさまだ。
「ただし、侮ってはいかんぞ。あの鼻から噴き出す毒矢のような攻撃は、かなりめんどくさい」
そうなのだ。奴らはただ単に巨大で凶暴なだけではない。その長い鼻からは、酸を吐き散らかすし、それを上空に向けると、まるで地対空ミサイル――いや、レーザーのように航空機を狙い撃ちにする。
そのせいで、またもやF-38が機能不全に陥っているのだ。圧倒的な航空優勢のもとで初期の劣勢を跳ね返した国防軍は、またもやその翼をもがれたのだ。
「今こうして分散している状況が、果たして吉と出るか凶と出るか……なるべく早い段階で結論を出した方がいいかもしれないね……」
叶が呟く。確かに、このまま膠着状態が続けば、果てのない消耗戦に引きずり込まれるだけだ。そうなれば、街を包囲している中国軍の方に分がある。この場合、時間は我々の味方にはならないのだ。
特に避難民を大量に抱えている状況は、相当のハンデだった。
そのうち食糧も尽きてくるだろうし、何よりメンタルが心配だ。兵士のように訓練を受けていないから、24時間常に命の危険に晒される状況で、住民たちが平常心を保って日常生活を送ることなど不可能に近い。
ましてや今のように孤立していると、何かあった時に助けきれないし、
「――やはり、民間人だけでも脱出させたほうがいいかもしれません」
士郎は、慎重に考えながらそれでも敢えて口にする。避難民の処遇問題は、恐らく誰もが懸念していて、しかし誰もが言い淀む問題なのだ。邪魔にするわけではないが、そのうち間違いなく足枷になる。
「脱出!? どうやって!?」
「そうですよ中尉。そのために蒙る兵士の損害は、馬鹿になりません」
叶と田渕が、異口同音に反対意見を表明する。
現状、仮に避難民たちを脱出させるとすれば、熱核反応で敵味方ほとんどの兵士が蒸発した東戦線へ抜けるのが一番だろう。そこは今や焦土と化し、無人地帯だからだ。
だが、そこに至るまでのルートは最も長く、怪物たちの襲撃から避難民たちを守るため、護衛の兵士を大量に付けなければならない。
だがそんなことをしたら、今度はその護衛兵士のリスクがあまりにも大きい。人々が市街地を無事脱出するまでに、兵士は半減しているかもしれないのだ。いや、下手したら全滅かもしれない。
民間人を逃がすためだけに、今の貴重な戦力を削ることはできないのだ。
「しかし――」
「中尉、冷静になるんだ。確かに今は手詰まり状態だが、北戦線の状況も見極めた方がいい。もしかざりちゃんやゆずちゃんたち山岳部隊が敵を蹴散らしていれば、一時的に山に避難させるという手もある」
――!
確かにその通りだった。住民たちの避難場所から北方の山に逃げ込むルートならば、東戦線目指して戦場を横断するのに比べ、その踏破距離は約五分の一にまで短縮される。戦術的には圧倒的にそちらの方が良いに決まっているのだ。
士郎は、自分が追い詰められていることを自覚せざるを得ない。冷静に物事を俯瞰する力が、徐々に失われている――
その時だった。
『――こ、こちら第一梯団……高松小避難所!』
それはまさに、住民たちが避難している小学校跡地だ。何かあったのか――!?
一同に、嫌な予感が走る。
『……で……で……電磁防壁が――』
まさか――!?
『――電磁防壁が……電源喪失……ッ!』
『なんだとッ!?』
それは、現在考え得る限り最悪な事態だった。よりにもよって、避難民たちの生命線――電磁防壁がなくなるなんて――!
もしかして、電源装置を食い破られたか!?
「――少佐!」
士郎は、クワッと叶を見やる。
防壁がなくなっていることを周囲のバケモノどもに知られたら、一気に敷地内に雪崩れ込んでくるであろう。そうなったら、避難民たちは十中八九皆殺しにされる。
幸い、ステゴドンや
そのうちあの怪鳥が、何も支障なく避難所上空を飛び回るようになれば、他のバケモノたちもじきに“鍵が開いた”ことに気付くであろう。そうなったら終わりだ。
叶が口を開く。
「……やむを得ん……突破作戦を決行するしかないだろう」
「……こうなったら、白
田渕も応じた。士郎が頷く。
「すぐに準備してくれ! 兵の選定は任せるッ!」
「了解しましたっ」
田渕は士郎に敬礼する。こりゃあ、今度こそ年貢の納め時かもしれんな――田渕は密かに覚悟を決めた。
***
ドロドロドロドロ……
ドロドロドロドロドロドロドロドロ……
今や市街地全体は、何やら地鳴りのような、あるいは獣たちの唸り声のような、荒れ果てた物音で満ち満ちていた。それはどこか、亡者たちの叫び声のようにも聞こえて、ますます人々の不安を掻き立てる。
「――全員、聞いてくれ」
士郎の前にいるのは、
「状況は先ほど説明した通りだ。オメガチームは先陣を切り、血路を開く」
未来がスッと手を挙げる。
「――避難誘導中、何らかの陽動作戦は行われるのかな?」
「……ステゴドンからの対空レーザーを無力化しない限り、航空支援は受けられない」
史上最強の戦闘機動を誇るF-38をもってしても、連中が繰り出す攻撃からは逃れられないということだ。もしかしたら1万メートルを超える高高度なら射程外となる可能性もあるが、それも保証の限りではない。さらに言えば、そんな高さから地表の怪物たちを衛星誘導なしで精密爆撃するのは至難の業だ。攻撃対象の目と鼻の先に避難民がいる状況で、そんなリスクは冒せない。
久遠が真剣な眼差しで言葉を継いだ。
「ふむ……ではすべて、私たちに懸かっているということだな」
「やるしかないのです……」
亜紀乃が珍しく闘志を露わにした。くるみもこくりと頷く。覚悟はとっくに出来ている――という意思表示だった。
「――じゃあ、久々にオメガチームの実力を見せてやろうじゃないか!」
士郎が全員の手を取った。皆と視線を交わす。
「それでは作戦名を告げる……ヴァルキリー・アタックだ――」
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