第374話 不死者の死に場所(DAY9-25)

「士郎さんッ! その子の話に耳を貸してはいけませんッ!」


 突然割り込んできたのは、未来みくの声だった。士郎と久遠、そしてガンダルヴァ――アイシャ――の三人が一斉に振り向く。

 そこには、銀髪を振り乱して珍しく慌てた様子の未来が、肩で息をしながら立ち尽くしていた。


「――未来ッ! 無事だったのか!?」

「みくちゃん!」


 思わず声を掛ける士郎と久遠。


「――えぇ……思わぬ不覚を取りましたが、もう大丈夫です」


 どうやら東戦線からそのまま追跡してきたような様子だった。本当に、何があったのだ――!?


『ほぅ……立ち直りが早いではないか』


 アイシャが挑発的に応じる。


「――あなた……何が目的なの!?」


 未来が負けじと言い返す。


『目的も何も――オマエたちのカルマを断ち切ってやろうと思ってな……』

「私たちのカルマ!? 言ってる意味が分からないわ」


 だが、実際のところ、アイシャにとっては大した話ではない。未来と士郎の時を越えた壮大な物語も、彼女にしてみればよくあるワンオブゼムだからだ。


「――此奴コイツは、俺たちが前世で殺し合った仲だと……」


 士郎が苦虫を噛み潰したような顔で声を絞り出す。

 だが、それを聞いた未来は、最初こそしばし驚いた様子を見せたが、やがて穏やかに微笑んだ。


「まぁ――なんて素敵なお話……」

「な――そんなわけあるか!? だって――」

「だって、私と士郎さんが憎しみ合って殺し合うわけないじゃないですか!? ということは、それってきっとロミオとジュリエット的な、悲恋の物語なんだわ」

『な――!』


 今度は、アイシャが顔を歪ませる番だった。


『オマエはいったいどこまで能天気な……』

「あら? 違うんですか!? だって、そのシチュエーションで考えられるのって、それしかないじゃないですか」


 未来はあくまで強気だった。それに、言ってしまえば未来のその妄想は、大半のところで正解だった。アイシャはそれを知っているがゆえに、次の言葉を返せない。


「――前世ですか……私、前からずっと、そんな気がしていたんです。だって、士郎さんとは初めて逢った時から、初めてじゃない気がしていたから……」

「そうなのか!?」


 未来の話は続く。「えぇ――」


「……だって、あの森で初めて出逢った時……私は貴方を見て、どこか懐かしさを感じたの。なぜ私はとしを取らないんだろうってずっと考えていたけど、あの時分かったんです。あぁ、今生こんじょうでは、ほんの少しだけ私の方が先に生まれてしまったから、神さまが私の時を止めて、士郎さんが生まれてくるのを待っていたんだって……」


 ほぇー……という顔で、久遠が未来を見つめていた。むしろ、少し頬を赤らめている。確かに今の話は、女の子的にとっても憧れるシチュエーションではある。


『――う……うるさいうるさいうるさいッ! 何なんだオマエらはッ!!』


 アイシャが苛立ちの頂点に達していた。


『――オマエたちの出逢いなどどうでもいい! というか、何度も何度も生まれ変わるたびに同じことを繰り返しやがって、まったく進歩がないにも程があるッ! 馬鹿なのか!?』

「へぇ!? 私たち、そんなに何度も出逢ってるんだ!?」


 未来はむしろ何だか嬉しそうだ。慌てて士郎が補足する。


「あぁ――何でも、少なくとも4、5回は生まれ変わっては出逢い……を繰り返しているらしい」

「そんなに!? どこでそれを……?」

「――お前の頭の中の潜在記憶らしいぞ?」

「へぇ! 私、自分ではまったくそんな記憶がないんだけど……そうなんだぁ……潜在記憶……へへ……」


 未来は、さっき無理やり頭の中のイメージをガンダルヴァに盗み見されたことを「不覚」だと思ったことを、この際撤回しようと本気で思った。

 だって前世記憶など、最新の精神医学でも取り出せないとされる、魂レベルの記憶だ。

 それをこのガンダルヴァと称する少女が、頼みもしないのにいとも簡単に引き出してくれたのだ。感謝こそすれ、恨む理由などこれっぽっちもない。


 いっぽうアイシャは、会心の一撃を与えたつもりが、コイツらにはまったく効かないどころか、むしろテンションを上げさせ、前より絆が深まったような素振りまで見せられ、限界に達していた。


『――いいだろう……おふざけはここまでだ……』


 明らかに空気が変わる。未来たちも、それに気づいてこれ以上の挑発は逆効果と悟る。場が、一気に緊迫していく――


『……オマエたちも、あの小娘のように蒸発させてやる……』


 ――――!!!!


 それは……つまり――


「やっぱりあなたは! くるみちゃんを……!?」

「くるみ……!? あぁ、あの忌々しい小娘の名前か……さて、そのような瑣末な存在がどうなったかなど、いちいち覚えておらん……だが、先程の戦場におった者は皆、蒸発したからなぁ」

「――くッ! きっさまぁあああッ!!!」


 久遠が、堪えきれずに斬りかかった。

 ダンっ――!! とその場で跳躍し、ガンダルヴァに肉薄するが、鼻であしらうようにスッと躱される。

 久遠の渾身の斬撃は宙を切り、再び虚しく着地する。


 だが、それが切っ掛けとなったか、ガンダルヴァは再びその全身に悪魔の光を帯びていった。


「――ま、マズいッ!」


 まさか……またここで熱核爆発を引き起こすつもりなのか――!?

 爆風はさておき、少なくとも数百万度の灼熱大火球がここで発生したら、出雲大社は今度こそ蒸発してしまう。


「――久遠ちゃんッ! 士郎くんを連れて逃げてッ!!」

「は!? 何言ってるのだ! 未来ちゃんも――」

「駄目よッ! 私はこの子の相手を――」

「そんな――」

「早くッ!! 急いで!!」


 未来は言うが早いか、中空のガンダルヴァにバッと飛びかかっていった。


「未来ッ――!?」

「士郎ッ――すまん!!」


 士郎も叫ぶが、久遠が問答無用で抱き抱え、一気に跳躍する。

 核爆発から逃れるには、一にも二にも爆心地から遠く離れなければならないのだ。


「未来ぅぅぅーーーッ!!!!」


 遠ざかる士郎の絶叫を聞きながら、未来は改めて抱きついた少女の顔をまじまじと見つめる。


「……これで……あなたと私……二人だけになったわ……」


 うがぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!


 ガンダルヴァは、またもや先程の東戦線の時のように前後不覚に陥っているようだった。もはや人の言葉は理解しないか――!?


 でも良かった……

 少なくとも士郎くんにはもう手出しできないはずだ。何があっても、あの人は私が守るもの――


 未来は既に、ここでガンダルヴァと刺し違える覚悟をしていた。

 自分がオメガとして「不老不死」の異能を授かった理由が、今ようやく分かったからだ。

 さっきも言った通り、それは士郎と再び出逢い、そして彼を守るためだ。彼にとって最大のピンチである今この時さえ切り抜ければ、石動士郎はきっとこの先、為すべきことを成し遂げるに違いない。そのためには、今目の前のこの最大の敵をどうしても滅ぼさなければならないのだ。

 私はそのために、この身を捧げるために今まで存在したのだ――


 案の定、ガンダルヴァは未来の腕の中で次第に白熱していった。

 熱い――


 いかな未来が不老不死の異能を持っていたとしても、数百万度の高熱で焼かれたら、塵も残らず蒸発して果てるだろう。

 だが、それでいい。

 所詮永遠の命など、未来には必要ないのだ。愛する人がやがて老い、天寿を全うしてもなお、自分だけ歳を取らずにずっと生きていくなんて、考えただけで

 こう見えても、既に百年近く生きているのだ。それは、少しだけ時間差で早く生まれてしまった私のうっかりミスを、神さまが「しょうがねぇなぁ」とばかりに少しだけ融通を効かせてくれたものなのだ。


 だから私の命はここまで――


 ただし、もうひとつの私の能力で、この子をここで一緒に滅ぼす。

 上手く行けば、出雲大社は熱核大火球の煉獄に飲み込まれずに済むかもしれない。


 そう――私は全ての存在を、本来あるべき姿に戻すことができる。

 この世の存在を、量子レベルにまで分解し、そして再構成する。ハルビンで人外のバケモノと化していたヂャン詩雨シーユーを期せずして元の身体に戻した時、初めてその能力に気がつき、その後のハルビン攻防戦の決戦場で、クリーちゃんが暴走した際も発動した。

 つまり、私は何か行き過ぎたことが起きた時、覚醒してリセッターの役割を果たす存在なのだ。そして、今がまさにその時だ――


 それにしても熱いな――

 抱きすくめているガンダルヴァの身体が、耐え切れないほどの熱を帯びてきた。このままあと少ししたら、恐らくその熱で私の身体は自然発火するのだろう。


 ジリッ――


 防爆スーツに覆われていない、露出している手の甲が、熱で焼け爛れていくのが分かった。


 ピシっ――


 頬が、熱で裂けたのが分かった。

 未来の脳裏に、たくさんの想い出が一気に走り抜けた。


 瞳の青い光が、眩いばかりに閃光を放つ。士郎くんッ――!!


 辺りが、白熱した。すべての視界が消え失せる。


 ――――!!!!









「――ったく!! 頼むからそういうのは止めてくれッ!!」


 突然、声だけが未来の脳内に響き渡ったかと思うと、グイッと身体が引き寄せられた。

 この声は――!?


「大丈夫かッ! 未来ッ!!!!」


 士郎の顔が、すぐ目の前にあった。かと思うと、突然ぶわぁぁッ――と何かが頭からぶっかけられる。


「ひゃっ!?」

「ひゃじゃねぇよ! ったく、無茶しやがって!!」


 士郎が未来の頭からぶっかけたのは、消火剤だった。氷のようにひんやりとしたジェル気泡が、未来の全身を包む。火照った、というより完全に彼女の身体が、漫画のようにジュウゥゥと音を立てて鎮火する。


「――え? 私、空――飛んでる!?」


 未来はようやく気付いた。自分が今、空中にいることを。風切り音がびゅうびゅうと耳許を掠める。


「――あぁ、まさに間一髪ってやつだ!」

「こ……これは……!?」

「遅くなってスマンかったの! よう頑張った――大儀であるぞ!」


 この声は――ウズメさま!?

 と、言うことは……


 空を覆い尽くさんばかりに、その太い胴体は威圧感たっぷりに中空に浮かんでいた。それはまるで、巨大な潜水艦ほどもあり、長さは――そう、まさしく人知の及ばぬほどの長大さで、そして――

 その頭は幾つも幾つもあちこちを睨みつけていた。


 八岐大蛇ヤマタノオロチ――!!!!


 それはまさしく大蛇の頭であった。ただし、ひとつひとつはまるでダンプカーのような大きさで、その目は赤く爛々と輝き、その顎は無数の鋭い牙が恐ろしげにそそり立ち、左右に大きく裂けていた。


 割れ鐘のような大音声だいおんじょうが、夜空一杯に轟いた。


『――また来おったか、娘よ!』


 それは、オロチの声だった。

 士郎と未来をその背に乗せたままのオロチは、別の首で何かを締め上げていた。ガンダルヴァだった。ウズメさまはといえば、そのすぐ傍の虚空にふわりと浮かんでいる。


 ガンダルヴァは、先ほどまでの前後不覚の凶戦士バーサーカーぶりはすっかり鳴りを潜め、今やヘビに締め上げられたニワトリの如く恐れおののいた真っ青な顔をして為すがままにされている。

 これが……神の力――


 あれほど猛り狂い、手の付けられなかったガンダルヴァが、もはや木偶でく人形の如く絡めとられ、無力な赤子のように蹴散らされている様は、もはや滑稽を通り越して憐れでもあった。


『――所詮貴様は偽神ぞ――かような卑しき分際で神域に入り込むとは何たる罰当たりか――』


 オロチの言葉は容赦なかった。

 ガンダルヴァは完全に怯え切っていた。先ほどの威勢は、もはや欠片のひとつも残っていない。声も発せず、人喰い巨人に捕らえられたヒト族のような有様だ。


 そのガンダルヴァの頭部に、オロチの巨大な口がシュルシュルと近づいていく。あぁ――このまま頭を噛み砕き、丸飲みにするのか――

 すると突然、ウズメが口を開いた。


「あーーっと! オロチよ、しばし待つのじゃ」

『ん――!? いかがした!? 神敵滅ぶべし』

「お、おぉ! もっともじゃ! じゃが、少しだけ待つのじゃ……この者は少々使い道があるでの……」


 ウズメは、あわあわとオロチを宥める。まぁ、加勢を頼んだ手前、いわゆる切り取り御免、討ち取った獲物は好きにしていい――というのが古今東西神の世界の掟ではある。だからあくまでウズメはオロチに頼み込んだ。


「――用が済んだら好きにしてよいからの……ホレ、手付きの印を刻んでおこうぞ!?」


 手付き印というのは、この者は誰それの獲物である、ということを刻印した、神の世界のいわば所有物を示す名札だ。それがあれば、他の神は手を出せない。


『ふむ――そこまで言うなら、少しだけ待っておるわ』


 そう言うとオロチは、締め上げを緩め、憐れな獲物をドチャッと地面に落下させた。


「――ぬし共も、そろそろ降りて参れ」


 ウズメが士郎たちに呼び掛けると、オロチはわざわざ地表近くにまで降りて行って、二人がトンっ――と飛び降りられる程度まで高度を下げてくれた。

 それにしても、デカい――


 地面に降り立った士郎と未来は、上を仰ぎ見ながらあらためて人間と神の格の違いを思い知らされる。


「――さてと、こやつのことじゃが……」


 ウズメはそう言って、二人にガンダルヴァを指し示した。地面に転がる彼女は既に、恐らく全身の骨が砕かれていて瀕死の状態であった。

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