第368話 魂の牢獄(DAY9-19)

「はぁァァァァッ――!!!」


 裂帛の気合とともに、くるみはその存在に敢然と切り込んでいった。彼女の得意とする「脳神経の破壊」が通じないような気がしたからだ。

 咲田広美――いや、コノハナサクヤビメとオオクニヌシノミコトの実の娘、タタライススキヒメに直に鍛造してもらった戦闘用の長刀を、思いっきり突き出す。ヒヒイロカネが練り込まれた“神の剣”だ。

 だがその突貫は、いとも簡単に弾き返されてしまう。


 それは、たとえば鎧とか、同じような刀剣の類で受け止められ、弾き返されたのではない。金属的な跳ね返りではなかったからだ。

 敢えて言うなら磁石の反発のような、エネルギー体の塊による跳ね返り――とでも言おうか。


 なんだこれはッ――!?


 初撃を躱され、くるみはダンッ――と地面に着地するが、勝手の分からない敵の防御に困惑する。キッと上空を見上げると、ソレは無表情でくるみを見下ろしていた。


 褐色の肌に、白金プラチナの長髪。切れ長の瞳の下瞼には、隈取のようにオレンジ色のラインが引かれていた。半裸、と言ってもいいほど妖艶な衣装を身に纏い、二の腕には細かい意匠の黄金のバングルのようなものを嵌めている。

 やはり――


 この存在は、辟邪へきじゃに間違いなさそうだった。

 確か……栴檀乾闥婆せんだんけんだつばとか言ったか。インド神話に出てくる音楽神にして仏を守護するとされる「八部衆」のひとり。

 『ガンダルヴァ』との別名も持っていたはずだ。

 奈良の国立博物館で見たこの善神の絵には、たしか相当凄惨な光景が描かれていたはずだ。童子を苦しめる悪鬼を討ち払う存在――という解説であったが、その描写は憤怒の形相をして三叉の鉾を持ち、さらにその先端にはヒトの形、獣の形、そして鳥の形などをした種々十五の頭部が突き刺さっていて、足元の地面にはそれらの胴体が血を撒きながら散らばっている、というものだった。

 一言で言えば、それはとても「善神」には見えなかった。

 仮にそれが真実を描写したものだとすれば、この辟邪は相当危険な存在だ。オメガもたいがいだが、このガンダルヴァも殺戮には相当慣れていると見た方がよい。


 ふと足許を見やると、すぐ先に兵士が倒れていた。軍服は煤で薄汚れ、ところどころ黒っぽい茶色い染みが広がっている。出血の痕だろうか。もはやこと切れているのか――!?

 すると、兵士の腹が大きく上下した。まだ息があったのだ。ハッとして兵士に近寄ろうとしたくるみは、だが唐突に足を止める。突然、その兵士から何かが漏れ出してきたからだ。

 ――――ッ!?


 無意識に上空を見上げると、先ほどのガンダルヴァが両腕を斜め下方に広げ、なにやら瞑想を始めたかのように恍惚の表情を見せ始めていた。

 すると、兵士から漏れ出したその何かが、スッと煙が上空に立ち昇るように伸びていった。

 マズい――!


 だが、そうなってはもはやなす術がなかった。兵士から立ち昇ったその何かの気配は、そのまま彼女の周囲に展開されていた球体のような大気に吸い込まれていったのだ。次の瞬間――


 地上の兵士はまるで中身を出し切ったゼリーパウチのようにしぼみ切った。

 そんなッ――!?

 だがその代わり……上空には先ほどの兵士の残像が浮かび上がる。残像――!?

 そう、確かにそれは兵士の面影を宿した気体だった。霧のように霞んだその空気の塊には、時折兵士の顔のような影が浮かんでは……消える――


 それが人間の霊体、あるいは「魂」だというならば、きっとそうなのだろう――

 やはりこの辟邪は、何らかの人の生命エネルギーを吸い取って――いや、その雰囲気は「吸い取る」というより「喰らう」と言った方がより正確だ――いるに違いなかった。


 あぁ……そしてよく見ると、このガンダルヴァが纏う球体には、先ほどから多数の人の顔が浮かんでは消えている。

 それは、言ってしまえば「魂の牢獄」――にしか見えなかった。多数の魂が、この辟邪に捕らえられている……


 くるみは再度、ヒヒイロカネ製の長剣を振りかぶって直上に飛び上がった。なぜガンダルヴァが空中に静止していられるのか分からなかったが、少なくともくるみにはそんな異能は存在しない。彼女と切り結ぶには、こちらが飛び上がるしかない。


 ダンッ――と物凄い踏み込みをして、十数メートル上空に跳躍する。今度は下振りをして、斜め下方から反対側上方へ、その刀身を袈裟懸けに振り抜いた。


 ヴィン――!!!


 だが、やはりその斬撃は、何か目に見えないエネルギー体にぶち当たって明後日の方向に弾き飛ばされてしまった。その反動のせいで、くるみは空中で姿勢を崩してしまう。

 着地まで僅か1秒もないなかで、彼女はそのまま体勢を立て直すこともできず、肩口から地面に叩きつけられた。


「――ぐっ……!」


 腹部に鈍い衝撃が走る。先ほど止血してもらっていたはずなのに、防爆スーツの中が再びにゅるっとしてきた。傷口が開いたか――


 すると、それまで大してくるみに興味を示していなかったガンダルヴァが、突如としてギンッ――と彼女を睨みつけた。

 しまっ――!?


「がはぁッ――!!!」


 思わずくるみが嘔吐したのは、彼女の脳にガンダルヴァが無理やり押し入ってきたからである。それはとても不快な感覚で、まるで脳ミソを何かで掻き回されるような、身体は直立しているのに脳は逆立ちしているような――つまり三半規管が滅茶苦茶にシェイクされたような――そんな嫌な感覚だったのだ。


 すると、突如として父親の顔が浮かんできた。予想外のことに、くるみは生理的な嫌悪感に包まれる。思わず後ずさるが、そう何歩も下がらないうちに、今度は背中が何かにぶち当たる。ハッとして振り向くと、二人の兄が彼女の背中に並んで立っていた。

 い、いやッ――!!


 慌ててそこから逃げ出そうとするが、すんでのところで両手首をガシッと掴まれた。兄たちだった。慌てて首を左右に振り、鬼畜たちから逃れようとする。いやだ――! やめてっ!!


 だが、鬼の形相をした兄たちは、くるみの両手首をそのまま後方に引き倒すと、煽りを食って仰け反った彼女の上半身をそのまま受け止め、今度は両太腿を残った腕で掬い上げた。

 くるみを中心にして、両側から彼女を抱き上げたのだ。両腕は兄たちの肩に回され、両脚は無理矢理左右に大きく開かれた。彼女の股間は無防備に曝け出され、両手両脚はもはやビクともしない。

 お願いッ! こんな格好させないでっ……


 気が付くと、今度は真正面に父親が仁王立ちしていた。あられもないくるみの卑猥な格好をねめまわすように視姦すると、下卑た表情のままその太腿の前に一歩踏み出してくる。

 そして、その武骨で容赦のない指で、くるみの防爆スーツを首の部分から真っ直ぐ股間まで、ビリビリビリと引き裂いた。そのはずみで、彼女の豊かな双丘がぽぅんッと弾けた。白くてきめ細かい、豊かな膨らみが剥き出しになる。

 そして何より、両太腿の中心部、柔らかそうで薄い体毛に隠された大切な部分が、またもや無理矢理露わにされる。

 いやぁァァ――!!


 その時、くるみは辛うじて気が付いた。これは幻だ――!!


 鬼畜たちは、とっくの昔に自分自身が死に追いやったのだ。実の娘を何度も穢した父。そして、実の妹を単なる慰み者、捌け口としか見ていなかった二人の兄は、あの日、自らの陰茎を切り落とし絶命して果てたのだ。

 これは、ガンダルヴァの仕掛けてきた心理戦だ――!!


 くるみは、必死になって自分を取り囲む幻を打ち消そうと意識を集中する。オマエたちは、もうこの世にはいないぞッ!!!


 だが、ガンダルヴァの精神攻撃は、ますます苛烈さを増す。頭の中に、直接声が話しかけてきた。


『――我は童子を苦しめる悪鬼を討ち滅ぼす者なり。そなたは実の父と兄に非道を強いられし憐れな童子なり……』


 声は、確かにくるみの酷い子供時代を良く知っているようだった。なぜ――!?


『――そなたの父と兄は、決して滅ぼされておらぬぞ……悪鬼に身をやつし、未だそなたを喰らわんと欲す……』


 そんなッ! そんなはずはない――!!

 くるみは激しく動揺する。


「……う……嘘だッ! アイツらは、間違いなく死んだ! 私が! 死ねと念じたんだ! そしたら――」

『――では今そなたを慰み者にしようとしておるのは何者ぞ?』


 声があざけるようにくるみを責める。すると、違う声が周りから聞こえてきた。


『……くるみ……くるみ……久しぶりじゃないか……どれ、今夜もたっぷり可愛がってやる……』

『……くるみよぅ……冷たいじゃねぇか……俺、もう我慢できねぇ……早く股開けよ……』

『……兄貴、何言ってんだ……もう全開にしてあるぜぇ……ほれ、くるみももう準備完了だって……』


 い――いやッ!! お願いッ……もぅ駄目なのっ……!!


 父親と兄たちの声が、くるみの頭の中でグルグルと反響する。そしてついに、誰かの太い指が、くるみの中に入り込んでくる感触が、彼女の敏感な神経を通じて伝わってきた。


 くちゅくちゅ……くちゅくちゅ……


 あぁ……もう許してっ……


 くるみの中の深いところで、何かがジュン――と熱くなっていく。


『――ほれ……悪鬼を討ち滅ぼしたくば、我に縋るがよい。我は童子を苛む悪鬼を滅する存在……そなたの苦しみを、今すぐ救ってみせようぞ……』


 くるみは、自分が壊れそうになっていくのを自覚する。これは幻覚だ。だから、ガンダルヴァの言うことは聞く必要がないはずなのだ。

 だが、自分は現に兄たちに抱え上げられ、一番敏感なところをさっきから父に悪戯されている。その感触はあまりにもリアルで、実際にここから逃げ出すには、ガンダルヴァの言うことを聞かなければならないのかもしれないのだ。

 なんでっ!? なんでこんなにリアルな感覚が伝わってくるのっ――!?


 その時だった。


 ズキン――!!


 突如として、彼女の腹部に鋭い痛みが走る。それは、先ほど受けた腹部の銃創だった。へその辺りから臀部に向かって、焼け火箸を突き刺されたような耐え難い痛み――


 だが、その痛みを自覚した瞬間、くるみの幻覚はあっという間に雲散霧消する。気が付くと、彼女は地面に仰向けに倒れていただけだ。もちろん両腕は大きく左右に広げていたし、その両脚は――はしたないほど左右に広げていて、股間を前に突き出していた。

 だが、防爆スーツは別に破れていないし、その豊かな胸も、そして下腹部も……露わになっていない。


 慌てて周囲を見回すが、先ほどまで彼女を取り囲んで抑えつけていたはずの兄たちや父の姿は、一切どこにも見えなかった。


 痛みが――ガンダルヴァの精神攻撃を止めたのか!?


 だが、それは痛覚遮断という処置が機能を喪失したということでもあった。今度は耐え難い傷の痛みが、くるみを襲う。さらに――


『……おいおいくるみ……こっちの方が気持ちいいだろ? 痛いのは嫌だろ?』


 先ほど消えた筈の兄たちの残像が、またフワッと浮かんでは消える。痛くて嫌だな――と思った瞬間、ガンダルヴァの精神攻撃が隙あらばとばかりに頭をもたげる。

 まだ、せめぎ合いは続いているのだ――


 くるみは、腹部の猛烈な痛みに耐えながら、それでも必死で立ち上がろうとする。この痛みこそが、私が正気で居続けるための、いわば安全装置なのだ。痛みがあることに感謝しなければ……つまり、痛みを忘れようとしては駄目なのだ。


 くるみは、意を決してガンダルヴァの脳に――そんなものがあればだが――手を突っ込むことにした。私はオメガだ。対象の脳神経に干渉して、その神経伝達を阻害するのが私の異能だ。


 あなたは何者……!?

 ここで――何をしているの……!?

 あなたは神なんかじゃない……悪鬼を滅ぼす!? 悪鬼はあなた自身じゃないの――!?

 だったら、あなたはあなた自身を滅ぼさなきゃ――


 くるみは、まるでバースト通信のように一気に思考を叩き込む。そしてその瞬間、ガンダルヴァの神経伝達を断ち切った。これで彼女は、ネガティブな思考から抜け出せなくなるはずだ――

 それはやがて、自分自身の否定――そして思考のループ、感情のショートに繋がるのだ。


 それはある意味、ガンダルヴァの精神攻撃に近い反撃かもしれない。

 ガンダルヴァのそれは、先ほどの手口を見る限り、対象の過去やトラウマを掘り返して、そのネガティブな記憶をほじくり出し、悪夢を再現させるものだと言っていいだろう。

 だから、くるみが持っていたトラウマに火がついたに違いないのだ。

 それにしても、あのことがトラウマになっていただなんて、くるみ自身も吃驚だった。あの人たちは「死ね」という感情に呼応して、くるみの望み通り惨めに死んでくれた。彼女の憎しみや悲しみは、その時点で解決したはずだったのに――


 いっぽうで今回くるみが仕掛けたのは、寧ろ何でもいいから対象の存在を否定する思念を送り込み、そのまま心の牢獄に閉じ込めることだ。普通はそんな面倒くさいことはせず、ただ単に相手の思考を断ち切る。どんな人間でも大抵ひとつやふたつはネガティブな感情を持っているものだから、思考が停止すればほとんどの人間が物事を悪く考え、その思考から抜け出せなくなる。まぁ、覚醒剤をヤった時の悪夢のようなものだ。

 だが、ガンダルヴァの場合は、それだけでは心配だったのだ。もしかしたらそういった人間的な負の感情すら持ち合わせていないかもしれないから――


 そして案の定、この似非エセ神はまんまと変調を来したようだ。


「ウガァぁアアアッ――!!!!」


 この世のものとは思えない、凄まじい絶叫が戦場に響き渡った。

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