第338話 残留日本兵(DAY8-2)
「――敵は続々と増援部隊を集結させつつあります」
「どこからの情報だ!?」
「はッ――イズモ郊外の山中に潜ませた、我が偵察総局の工作分隊からの報告であります」
「棄民どもの部隊か……」
「――棄民……?」
「あぁ、李閣下はご存じなかったですかね。元の半島民たちですよ」
「というと、朝鮮人!?」
「えぇ、まぁ……近からず遠からず、といいますか……閣下の世界ではどうだか存じ上げませんが、こちらでは朝鮮戦争終結と同時にあそこは我が国の属州となりましてな……」
「――ほぅ、初耳ですな」
こちらの世界でも、半島国家は消滅していたのか――
それに関しては、両方の世界とも同じ結末だったというわけだ。
「――その際に、朝鮮軍に協力していた元日本軍兵士たちが行き場を失って、我々が引き取ったのです」
残留日本兵――
歴史の闇に消えていった、太平洋戦争のもうひとつの真実だ。
日本がポツダム宣言を受諾して無条件降伏した時、極限まで拡大していた戦線――すなわち中国大陸を始め東南アジア諸国、西太平洋各地――には、多くの兵士が取り残されたままであった。
もちろん、可能な限り武装解除と復員作業は進められたのだが、いかんせん敗戦の大混乱期である。兵士の中には、日本が敗れたことを受け入れられず、そのまま現地に残って徹底抗戦を続けた者や、東南アジア各地で同時多発的に起きた独立運動に、一緒になって身を投じた者などが多数存在した。これら各国の旧宗主国は、オランダやフランスなど連合軍諸国家であったから、“江戸の敵を長崎で討つ”ことにしたわけである。
また、終戦までの間に現地人と婚姻関係を結び、家族を作っていた者や、現地で才覚を発揮し、商売を始めた者も少なくなかった。日本国内の惨状を伝え聞いて、自分の血縁の生存を絶望視し、第二の人生を現地でやり直そうと考えた者も少なくなかったという。
一説によると、その総数は一万人を下らなかったともいわれている。
もちろん、自らの自由意思で残留した者ばかりではない。
中国大陸では、終戦直前にソ連軍が「日ソ不可侵条約」を一方的に破り、当時まだ“日本領”であった満州国に大軍が雪崩れ込んだ。そのせいで、帰国を待っていた多くの入植日本人が命を落としたし、それを必死で保護しようとした日本軍にも多くの犠牲が生じた。それだけでなく、刀折れ矢尽きて捕虜となった多くの陸軍兵たちは、何の根拠もなくそのままシベリアに送られ、酷寒の大地で抑留生活を余儀なくされたのである。もちろんそこで望郷の念を抱きながら死んでいった者も多数に上る。
いっぽう東南アジア各地で降伏した兵士たちも、過酷な運命を辿っていた。
法理的にまったく理不尽な事後法により、戦争犯罪人とされた多くの末端兵士たちが、簡易裁判の茶番の末処刑されていったし、武装解除されて丸腰のままだった元兵士たちが、現地の野盗山賊の類に襲われ惨殺されたケースも数知れない。
そんな中、朝鮮半島にも多くの日本兵が残留していた。朝鮮は当時日本が併合していたから、その環境はほぼ日本の内地と同様で、なおかつ日本本土のように連合軍から爆撃を受けるなどの直接攻撃を受けていなかったから、その国内状況は極めて秩序が保たれ、統制の取れたものであった。
もちろん日本の敗戦と同時に、北の国境からはソ連軍が進駐してきたし、逆に
いっぽう南側では、米軍の下請け部隊を作って統治を容易にするため、日本軍出身朝鮮人を中心として国防警備隊が編制されることになった。
つまり、朝鮮半島が分断国家の道を歩んでいった発端はここにある。それはひとえに、第二次大戦後の世界の覇権を奪い合う米ソ対立が直接の原因であるし、事実その対立抗争激化の果てに起きたのが朝鮮戦争というわけだ。
いずれにせよ、北も南も建軍当初は日本軍の影響を色濃く持っていた。第一にそれは、旧日本軍がそのまま半島に残置していった武装を流用していたからであり、第二に、人材としても旧軍出身将校が大半を占めていたからである。そのせいで、まだ韓国軍が存在していた頃は、その軍務のありとあらゆるところで21世紀に至るまで日本軍の習慣が息づいていた。彼らが使っていた「班長」とか「巡検」「内務班」などという言葉は、その意味も発音もそのまま、日本軍のそれと同じだったのが証拠だ。北朝鮮軍に至っては、初期の軍装は完全に帝国陸軍のそれだった。
ただ、歴史の表舞台に辛うじて見え隠れするのはここまでだ。
実際のところ、北も南も、朝鮮人だけで軍が成立したわけではない。その多くの場面、多くの部署で本物の日本人が残留し、韓国兵あるいは北朝鮮兵として軍事指導を行っていたのである。何せ両軍で軍務についていた将校のほぼ100パーセントが、旧日本軍でも将校をやっていたのだ。日本語は喋れるし、彼らにしてみれば日本人たちは未だ「戦友」「同期の桜」だったのだ。そんな彼らに請われるかたちで、多くの元日本兵が韓国人として、あるいは北朝鮮人として建軍に参加したのだ。
そんな彼らが、第二の人生として選んだはずの朝鮮という国家が、朝鮮戦争という同族争いの結果消滅し、再び行き場を失ったのである。
朝鮮半島を丸ごと併合し、属州として支配下に置いた中国は、そんな元日本人たちを優秀な兵士としてスカウトしたわけだ。もちろん日本人という立場からしたら、中国は元敵国だ。大家が替わったからといってそう簡単に新しい主人のところに行くものか、と考えるのは当時を知らない者の早計である。
実際終戦時においても、少なくない数の元日本兵が国民党軍に加わって国共内戦に身を投じているし、一部の兵士は逆に共産党軍に加わっていたという記録すらある。
要するに、“解体された軍”の元兵士というのは、自分の兵士としてのキャリアを買ってくれるところであれば、比較的どこへでも転向してしまうものなのだ。忠誠心にかけては世界一とまで呼ばれた旧日本軍兵士ですらそうなのだ。
この世界の共産中国は、そうやって優秀な元日本人を今でも多数雇っているのであろう。
だが、どこまで行っても彼らは所詮日本人だ。人一倍猜疑心の強い中国が、そんな彼らのことを「棄民」と呼ぶのは、ごく自然なことなのかもしれない――
「――!? ということは、元日本人……!?」
「そうです。ですから彼らは主に日本に対する潜入工作、情報収集、世論工作、破壊活動その他、諜報活動に従事しています」
「なるほど、確かに元々日本人だから、在野に紛れても見分けはまったくつかない……」
「えぇ、それに連中であればイズモのような得体のしれない地域で行方不明になろうが、さして気にはならない」
「――うまく考えましたな……」
「まぁ、少なくとも彼らから上がってくる情報は、過去の実績から言っても極めて正確です。場合によっては敵の増援火力への破壊工作も行います。敵陣の混乱は避けられないでしょう」
戦争とは、どの時代のどこで行われるものであっても、すべからく事前の情報収集がモノを言う。李軍は、朱上将の用意周到さに舌を巻いた。元の世界でも、我々が彼のように緻密であったなら、もう少し有利に戦いを進められたのかもしれないと、今さらながら思ってしまうのだ。
***
「こんにちはなのです」
突然頭の上から声を掛けられ、男は心臓が飛び出るくらいに驚いた。
思わず鉛筆を取りこぼす。
恐る恐る上を見上げると、そこには人形のような顔立ちの少女が、無表情でこちらを見下ろしていた。
「……あ……どうも……」
辛うじて口を開いた男は、その少女の風貌にさらに驚愕の表情を浮かべる。それに気づいたのか、少女が再度口を開いた。
「――とてもお上手なのですね?」
男は、そこに腹這いになって、目の前の情景をスケッチしていたのだ。
浜山公園外縁部――
そこからは、旧運動場跡地に展開している、国防軍の航空機部隊や多脚戦車群が一望できる。男が描いていたのは、まさにその配置図であった。
「……え、えぇ、まぁ……す……すみません、あまりに恰好が良かったので……つい……」
「――そうですか。無理もないのです……こちらではご覧になったことのないものばかりでしょうから」
少女は、少しだけ笑みを浮かべたように――見えた。
男は慌てて起き上がり、そこに胡坐を組む。国民服にゲートル。腰には、弾薬嚢だろうか……茶色の革製ポーチが二つ。年齢は、見たところ30代後半から40代といったところか。
少女は、胡坐をかいた男の目線から見ても、明らかに小柄であった。小学生――? まさか……なぜなら、この人形のように無表情で恐ろしいほどに顔立ちの整った少女は、かっちりと戦闘服を着こんでいたからである。しかもそれは、自由日本軍や出雲守備隊のものではない――例の、異世界から来たという恐るべき日本軍のそれだった。こんな可愛らしい見た目なのに、あの日本軍の一員なのか――
「――絵が、お好きなんですか?」
少女がまた訊いてきた。あぁそうか……この子は警戒しているのだ。もしかしたら、パトロールの最中だったのかもしれない。それにしては、周りに他の仲間がいる様子もない。単独行動なんて、あり得るのだろうか――? あるいはこれが、異世界流なのだろうか……
「……え、えっと、そう……ですね、昔から結構好きだったんです。下手の横好きって奴ですけど……」
「ふぅーん……」
そう言うと、少女はスケッチブックを覗き込むような仕草をしてくる。マズい――これ以上詮索されると、そのうちボロが出るかもしれない……
男の本能が警告を発していた。思わず、上衣に隠した小型拳銃を上から確かめる。すると――
「……あっ、そうか、すみませんなのです。もしかして貴方もパトロール中だったのです?」
「え?」
「……え? 守備隊の方ですよね? でも、大丈夫なのです。告げ口なんてしませんから」
男はサーっと血の気が下がるのを実感した。この子は、自分が隠し持っている拳銃に気付いたのか!?
「――あーっと……そ、そうなんです。あんまり油売ってると、班長に怒られちまいますね」
そう言って、男は服の上から拳銃をパンパンと叩いた。
すると、今度こそ少女の相好が崩れる。
「うふふ……そうですね。私のところの隊長は、そんなこといちいち気にしないみたいですけど」
そう言って少女は、男の隣にちょこんと座ってしまった。え――!?
「――私は、久瀬亜紀乃と言うのです。こんな子供が兵士をやっていて、ビックリしたのです?」
ん――? という顔つきで、少女が男の顔を覗き込んだ。あ、そうか――
「あ……ええと、私は黒岩重吾と言います」
はっ――! なんで俺は、本名を名乗ってしまったんだ!? 黒岩は、信じられない思いで少女を再度見据える。それもこれも、この子がそっくりなせいだ……数十年前、生き別れた妹に――
「――黒岩さんですか。軍務、ご苦労様なのです」
「あ、あの――久瀬さん……は……一人でパトロールしているんですか?」
「――亜紀乃、でいいのです。えぇ、一人でパトロールなのです」
栗色の髪、まるで白磁のように白い肌。大きな瞳――ただし、なぜだかぼんやり青白く光って見えるのは気のせいだろうか……
ちっちゃな顔だな……黒岩は思わずその横顔を凝視する。まったく――横顔まで妹にそっくりじゃないか……
「――私の顔に何かついているのです?」
「あ! い、いえ……ただ、ちょっと知り合いの顔によく似ていたものだから……」
「へぇ、そうなのですね! それって昔の彼女さんとか……あ、もうご結婚されてる……!?」
「え、いえいえ、そんなんじゃありません。それより――」
黒岩は、本来の自分の任務のことを必死で思い出そうとしていた。
「じゃあ、亜紀乃……ちゃん、その……亜紀乃ちゃんの部隊について……いろいろ興味があるんだけど……」
それを聞いた亜紀乃は、横顔をこちらに向けて、穏やかに微笑んでいた。これは、上手くいけばいろいろと聞き出せるかもしれない。黒岩は、あらためて向き直った。
「――えっと、その……増援部隊は、まだまだここに来るのかな!?」
「……どうしてそんなことを知りたいのです?」
「え!? いや……ホラ、凄いカッコイイから、もっといろいろ見られるといいなぁと思って……俺たちも心強いし――」
すると彼女は、納得したように立ち上がり、そして黒岩の方を再度振り返った。
「――部隊の展開状況は、軍機によりお話できないのですが……よければもう少し近くに寄ってみますか?」
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