第335話 ヒヒイロカネ(DAY7-9)

 岩――と言ったか!?

 現代日本最大の謎のひとつ――出雲大社のご神体は『岩』であったか――!


『ホレ、そこじゃ。開けてみるがよい』


 それは、縦横高さそれぞれおよそ1メートルほどの立方体――木製の神輿のようなものに入れられているようだった。見たところ、どうやら台座部分は六角形の畳で出来ているらしい。


「――そ、それでは……」


 士郎は、オオクニヌシ……正確には“神がかり状態の広美ちゃん”の脇をすり抜け、「田」の字の上右奥に安置されているご神体の前に辿り着く。

 本当に、こんなに簡単に開けていいものなのか――!?

 

 もう一度ヌシの方を振り返ると、うむ――と力強く頷かれた。ゴクリ――と唾を呑み込み、思い切ってその神輿の正面蓋を左右に開ける。そこにあったのは――


 漆黒の地に青い線刻がウネウネと刻まれた――いや、その線刻に沿って、中から青い光が眩くこぼれ出ているような――確かに岩のような塊だった。ただしその表面は全体的に、何故だかゆらゆら揺らめいて見える。


「これは――」

『ヒヒイロカネじゃ――』

「……ヒヒイロカネ……!?」


 その名には聞き覚えがあった。それは、太古の世界――それを神々の世界と呼ぶ者もいる――で普遍的に使われていたとされる、幻の金属の名だ。

 もちろん「ヒヒイロカネ」という名前自体は今に残っていても、それが具体的には何という元素によって構成されている金属だったのか、という学術的な知識は既に失われている。士郎が知っているのは、それが半ば偽書と呼ばれている古代文献に登場するものだったからだ。当然、そんなものは現存すらしていないというのが通説だ。

 実在したのか――!?


 ちなみに、巷間伝承として伝えられるその金属の特徴としては、次のような点が挙げられていた。

 まず一つ目は、それはゴールドよりも軽く、金剛石ダイヤモンドよりも硬い。そして、絶対に劣化しない――すなわち永遠に錆びない、という点。

 二つ目は、それは常温において極めて高い熱伝導率を誇り、よく伝えられる喩えとして「木の葉数枚燃やすだけで湯を沸かせる」とされている点。

 三つ目は、その見た目だ。まるで太陽のように光り輝く赤い金属とも、「青生生魂アポイタカラ」との別名もあるように、青白く光るとも呼ばれている点。見た目――という観点で言うと、それは表面が常に揺らめいて見える、とも伝えられている。

 そして四つ目の大きな特徴は、それが磁気を拒絶するという点だ。


 果たしてそんな金属が本当に存在するのだろうか。

 人類が現在認知している元素の数は118種だ。そのうち天然から見つけた元素は89種。要するに、鉱物資源として土中から掘り出したものとか、もちろん気体や液体として元々地球上に存在していた、いわゆる天然由来成分の元素ということだ。

 では残りの29種は何なのかというと、人工的に合成したものだ。要は、核分裂などの実験過程で発見された「加工品」だ。このうち5種は、合成した後、天然からも発見された。

 だが、最終的に24種については、自然の中からは一切発見されていない。もともと地球上に存在しなかったものを、人間が無理やり創り出したのだ。


 そういう意味では、もしかするとこの先、119個目の元素が発見、ないし生成されることがあるかもしれない。その時、先に示した特有の性質を持つ金属が生まれたとしたら、これを「ヒヒイロカネ」と呼ぶ日が来るのかもしれない。

 だが、そんなことは実際にはほぼあり得ないだろう。人間は、少なくとも化学的にはほぼ地球上の物質について探求し尽くしているのだ。あと考えられるとしたら、地球外の未知の物質が降ってくるしかない。


「――そんな物質、本当にこの地球上に存在したのですか……!?」

『おかしなことを言う……存在したも何も、現にここにあるではないか。実際、そちたちの現世(うつしよ)にもあるであろう?』

「え? そうなんですか!?」

「ヌシさま……現世では誰も見てはならぬことになっておりますゆえ――」


 憑依しているオオクニヌシの宿主、広美ちゃんの意識が、ぽぅと浮かんできて言葉を発する。


『――そ、そうであるか!? 神器は見てはならぬことにしておるのか……』

「じ、神器!? ということは、八咫鏡や天叢雲の――あ、いや草薙剣は、ヒヒイロカネで造られているんですかっ!?」

『それはそうじゃ、でなければ神威を発揮できぬからの……もともとこれは神の依代を創る際に使われるものじゃ。あとは――』


 途中まで言いかけて、オオクニヌシが突然言い淀んだ。再び広美ちゃんが浮かんでくる。


「――ヌシさま……この者どもは一度目にしております」

『う、うむ――では……このヒヒイロカネは、聖ひつにも用いられておる。ホレ、タタラの住まう世界では確か――』

「奈良の御陵です」

『おう、そうであったな……御陵の下に造っておるであろう? 見覚えはないか?』

「え――!?」


 士郎は、あらためて大社のご神体をまじまじと見る。黒地のゴツゴツとした岩。ただしその表面にはウネウネと曲線が刻まれていて、その線自体は、岩の中心の方から射しているとしか思えない青白い光が漏れ出ている。それはまるで、仁徳天皇陵の地下に据え付けられていた装置リアクターが納められていた石室の壁のようで――


 ――――!!


「――こ、これは……」

『うむ……これは元々現世にも幽世かくりよにも存在せぬものじゃ。じゃから、わざわざ高天原から持ち込んだのじゃ。そういう意味では、そちが憂えるのも道理かの……どれ、ひとつ大事に扱ってくれよ』


 なんということだ――

 この金属は、では神々の母星――シリウスから持ち込んだというのか!?

 仁徳天皇陵地下のあの装置は、異世界を繋ぐ事象の地平シュバルツシルト面を作り出す、いわばゲート発生装置だ。

 このヒヒイロカネは、その装置の素材、あるいはエネルギー源として用いられていたということなのか――

 そして、皇統の正統性を示すための『三種の神器』もまた、ヒヒイロカネで創られており、目の前の、この大国主命のご神体もまた、ヒヒイロカネで造られている――

 ということは、広美ちゃんがいつも肌身離さず身に着けているあの勾玉――神器『八尺瓊やさかにの勾玉』のレプリカ――も、当然ヒヒイロカネで創られているのだろう。


 道理で元素周期表に記されていないわけだ。もともとこの地球上に存在しないのだから、後世の人間たちがどれだけ探したって、見つかりっこない。

 そこまで考えた時、士郎はある恐るべき可能性に気付いてしまった――


「も……もしかして、中国軍が全国の神社のご神体を手当たり次第に漁っていたのは、ヒヒイロカネを探し出すため……!?」


 オオクニヌシは、士郎を真っ直ぐ見つめ返した。


『そちは実に頭の回転が速いのう……うむ、合格じゃ。タタラのこと、短い間ではあるがよろしく頼む』

「――は!?」


 唐突に投げかけられた謎の言葉に、士郎は困惑を隠せない。いったいこの神さまは何を言いたいのだ!?


「ちょ――ヌシさま、何を仰っているのです!? 今はそのようなこと――」

『お? おぉ……そうであったな……そうであった。うむ、そうじゃ、そのヒヒイロカネじゃが、安心せい、本物は今やこれしか残っておらぬ』


 そう言ってオオクニヌシは、自分のご神体を指差した。


「……そ、そうでしたか……」


 士郎は、先ほどどさくさに紛れてブッ込まれた爆弾発言があっけなくスルーされたことに安堵しながら、周囲を見回した。案の定、オメガたちが怒っていいのか安心していいのか分からない、といった複雑な表情で士郎をジト目で見ている。


「――た、ただ、やはりそういうことでしたら、このご神体の安全には万全を期さなければなりませんね! どうでしょうか、御本殿を含めて部隊を配置、また適切な防御措置を社殿全体に講じることのご許可を」

『うむ、あい分かった! そちの思うがままにするがよい』


 オオクニヌシは、この神聖なる大社全域の防御を、晴れて士郎たちオメガ特戦群に託すことを承諾した。「将来の婿殿の頼みとあらば……」などとブツブツ呟いている件については、取り敢えずガン無視だ。


  ***


 拝殿に戻った一行は、清瀬宮司に事の顛末を話す。

 大国主命に逢ったこと。それは、ここにいる広美が巫として自らの肉体に憑依させて顕現したものであること。

 ご神体を拝見したこと。さらにそれは、ヒヒイロカネという幻の金属で造られていたこと。

 そして、大社全域を士郎たちの部隊が要塞化することの許可を直接いただいたこと――


「――もはや、私が何か口出しすべきものでもございますまい。どうぞご随意にお取り計らいください。ただ――」


 そう言って宮司は穏やかに微笑んだ。


「――願わくば、私も生涯の中で一度で良い……主神にお逢いしてみとうございました……まだ私には見えないということは、もっと精進せよ、ということなのでしょうな――」


 遠くの方を見るような目で本殿の方角を眺める宮司を、複雑な表情で見つめるしかない士郎は、傍にいるウズメに小声で囁く。


(――ちょっとウズメさま、宮司さんにも少しはサービスショット提供したらいかがですか?)

(なぜじゃ!?)

(なぜじゃ――って……なんか申し訳ないじゃないですか)

(なにがじゃ?)

(……だって、俺たち別に、神さまに会えるほどの徳を積んできたわけじゃないんですよ!? 宮司さんのほうがよっぽど――)

(そんなこと言ったら、そちだって現世におる時はわらわのこと見えておらんかったじゃろうが!?)

(……まぁ、それはそうですけど――って、え!?)

(なんじゃ?)

(――てことは……ウズメさまは現世にいた時の俺たちを知っているのですか!?)

(……ったく、何を今さら……当たり前じゃろうが。わらわは現世と幽世をしょっちゅう行き来しておるからの。まぁ、理由の大半は蒼流の娘っこを見守るためじゃったが)

(久遠ですか?)

(あぁ、あやつを見守っておれば、否応なしにそちも目に入ってくるわい。なにせ、いつも仲良く一緒におったからの。かっかっか!)


 途端に、士郎は赤面した。マジか――!?

 まさかあの時も……


(ん? どうしたのだ士郎!?)


 久遠が、士郎の顔色が変わっていることに気付いてヒソヒソと訊ねてくる。


(……い、いや……何でもない……)

(――そうか……無理したら駄目だぞ?)


 まったく――////


「――そ、そうだ! そう言えば俺、咲田さんにお聞きしたいことがあったんですけど!」


 唐突に、士郎は話題を変える。まぁあからさま過ぎるのは否めないが、自分で蒔いた地雷は自分で無効化しなければならない。


「え? あ……はい……?」


 神憑りの解けた広美が、きょとんとした顔で士郎を見つめる。


「――あ……えーと、そ、そう! さっき王さまが咲田さんを呼ぶときに、確か『タタラ』って言ってませんでしたっけ!? あれってどういう……」

「あ! それ、私も気になってた! タタラちゃんって名前、かわいーよねっ」


 ゆずりはの感想は何かどうでもいい気がするが、やはり他の連中も気になっていたか――


「あ、はい……タタラというのは、私の真名から取った愛称? のようなものです。本来の名前は多多良伊須須岐比売タタライススキヒメですので……」

「あ……へぇー、そうなんだ……って、え? それってもしかして、あのタタラ製鉄の……!?」

「そうですね。もともと我が国の製鉄技術を司るのが私の本分でしたから――」


 そうだったのか――!

 やはり広美は、このヒヒイロカネという幻の金属に、深く関わっていたということなのだ。


 タタラ製鉄――それは、太古の昔より日本の製鉄技術の中核を担ってきたテクノロジーだ。


 我が国には、ほとんど地下資源がないという印象があるが、実はそれほど悲観するものでもない。実際、金や銀の産出量においては、特に17世紀頃までは世界的にもトップクラスであり、『黄金の国』ジパングとして欧州でその名を知らぬ者はいなかったくらいである。

 かの有名な『東方見聞録』を著したマルコ・ポーロも、もともとは金銀の一大産出国である日本を目指すためにはるばる地球を半周してやってきたのであり、佐渡金山や石見いわみ銀山という名を聞いたことのある者も多いであろう。ちなみに石見銀山はここ、出雲から目と鼻の先にある。


 まぁそういった希少金属レアメタルだけでなく、もともと日本では良質の砂鉄がよく獲れた。タタラ製鉄というのは、それらを精錬して鉄に加工するための製法の一種である。

 ちなみにこの名前の由来は、これら鉄の原材料を燃やす炉に空気を送り込むために用いる大きな踏板のことを「たたら」と称したことから来ている。一般的にこうした送風装置は『ふいご』と呼ばれるが、「たたら」は大きな踏板をシーソーのようにして、何人がかりかで交互に踏み合う仕組みだ。


 さて、その大きな特徴……そして世界に例を見ない、我が国独自の極めて優れた技術と言えるのが、タタラ製鉄の神髄――低温還元法だ。

 具体的には、粘土製の炉を用い、燃料に木炭を使うことで比較的低温で鉄鉱石や砂鉄を還元しつつ炭素と結合させるという手法だ。燃料そのものが木炭だから短時間で吸炭還元が進むとともに、低温加熱のためリンや硫黄などの有害不純物が混入することを防ぐ。これにより、結果的に非常に純度の高い鉄が精錬されるのだ。

 こうやって生産された鋼や銑鉄は『和鉄』『和鋼』などと呼ばれ、西欧諸国のそれよりも遥かに優れた性能を発揮した。和鋼を用いた日本刀が世界一の切れ味を持つのも、このタタラ製鉄というテクノロジーがあったからだ。


「――もしかしてこのヒヒイロカネも、タタラ製鉄で精錬されたものなんですか――!?」

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