第320話 討死(DAY6-17)

 社殿――神社の境内に立つさまざまな建物の総称だ。

 この社殿にはいろいろな種類があって、一般的に馴染み深いのは「拝殿」と呼ばれる建物だ。正面に賽銭箱が置いてあって、その直上には「坪鈴」というのがぶら下がっている。お参りの時にガランガランと鳴らす、あの大きな鈴のことだ。

 他にも「社務所」というのがあって、ここは端的に言うと事務所――つまり、神社のオフィスだ。神職や巫女、事務職員は、何もなければ大抵ここに詰めている。小規模神社では、この社務所と神主の自宅が棟続きになっているところも多い。正月におみくじやお守りを売っているのもこのあたり。


 だが、神社という施設で一番大事なのは「本殿」と呼ばれる建物だ。

 ご想像通り、ここには「ご神体」が鎮座している。ご神体だから、普段は滅多に人目に付かないよう、その扉は固く閉じられているのが一般的だ。

 大抵の神社は、この本殿の前に「拝殿」を置く。拝殿とはそもそも、祭祀や拝礼をおこなったり、舞を奉納したりするためのスペースだからだ。つまり「本殿」と「拝殿」は、たいてい縦に連なっているわけだ。


 ところでこの本殿と拝殿の連なりは、神社によってさまざまな形状の違いがある。それこそ棟続きになって事実上一体化しているものもあれば、それぞれが完全に独立して造営され、両者を短い渡り廊下のようなもので繋いでいるものもある。

 少女の神社の造りは、後者の方だ。

 

 拝殿を追い出され、建物外の、それこそ高床式の床柱の脇に潜んでいた少女は、頭上の拝殿の床をドカドカと踏み鳴らす多数の靴音を聞き、すっかりすくんで動けなくなっていた。

 つい先ほども、社務所兼自宅の辺りから、ガシャーンとガラスの割れる大きな音と、キャアぁーという悲痛な叫び声が聞こえたばかりだ。悲鳴の主は、母親に違いなかった。酷いことをされていないだろうか――!? 少女の心臓が、ドクンっ――と大きな脈を打つ。

 気が付くと、怒号と銃声、何かを乱暴に叩き壊す破壊音……それらがあっという間に自分の方に押し寄せていた。騒ぎの最前線は、ついにこの拝殿にまで到達したのだ。

 奴らがここまで来たということは、鳥居から参道を通り抜け、手水舎、社務所の辺りに陣取っていた多くの氏子さんたちも、既に無事ではないだろう。


「――ここから先は、絶対に通さんぞッ!!」


 床板を通じて、父の決然とした怒声が頭上から響いてきた。父さんッ――


「XXXXXッ!! XXXXXXッ!!」


 相変わらず、中国兵が何か怒鳴っている。だが、それに言い返す暇もなく――


 パンッ! パンパンッ――!!


 父さんッ!? まさか……撃たれた――!?


 それを裏付けるように、ドサッ――という鈍い音が床下まで伝わってくる。

 い……いやッ……まさか……!?


 少女は、最初の威勢はどこへやら、激しい暴力の音に恐れをなして一歩も動けないでいる自分の意気地なさを、死ぬほど呪った。母親も、そして父親すらも酷い目に遭っているに違いないのに……!

 私が……私が助けに行かなきゃ……


 必死に自分を奮い立たせた少女は、震える手で持っていた長刀を、必死の思いで鞘からカチャリと抜き出す。闇夜の中でも、真剣の刃がギラリと光った。

 はぁッ……はぁッ……はぁッ……はぁッ……


 いつの間にか、少女の息は激しく乱れていた。

 ふぅーッ……ふぅーッ……ふぅーッ……ふぅーッ……


 よしっ――


 少女は、意を決してゆっくりと立ち上がる。そして、キッと本殿への渡り廊下を睨み上げた。そのささやかな廊下の長さは、僅か一間(1.8メートル)ほど。だが、拝殿の中に入るには、あそこから乗り込むしかない。

 さらに言えば、中国兵どもは間違いなくこのあと本殿に押し入ってくるはずだ。

 奴らの狙いは分かっている。あの中に安置しているご神体を放り捨て、替わりに気持ち悪い肖像画を置こうとしているに違いない。

 であればこそ、私があそこに立ち塞がるんだ――

 立ち塞がって、奴らの本殿への侵入を、身体を張って防ぐしかない――!


 少女が渡り廊下の欄干に手を掛け、その長身を生かしてひらりと飛び乗ったのと、中国兵たちが拝殿から渡り廊下に躍り出てきたのは、ほとんど同時のことだった。


「うぉあぁァァァァ――!!」


 ガキィィィィン――


 裂帛れっぱくの気合を込めて上段の構えから振り下ろした少女の太刀を、中国兵たちがライフルを盾にすんでのところで受け止める。だが、先頭の兵士のライフルは、その衝撃でものの見事に明後日あさっての方向へ吹き飛ばされた。

 少女はあらためて、渡り廊下の中央に仁王立ちとなる。そしてまっすぐ太刀を構えると、中国兵たちの行く手に立ち塞がった。


 突然のことに、中国兵たちは一瞬怯む。だが――しかしすぐに我に返ると、兵士たちは慌てて銃口を少女に向けようとする。だが彼女はそれを許さない。ダンッ――と一歩踏み込んで一気に間合いを詰めると、瞬間的に敵の懐から斜め上に袈裟切りで太刀を振り抜いた。ビシュッ――!!


「ギャアッ――!!」


 兵士の上体から、血飛沫が飛び散った。

 数瞬違わず、別の兵士が別の角度から彼女に向かってライフルの銃口を突き出そうとしていた。少女は瞬時に身を屈めてそれを躱すと、先ほどの返す刀で半身を素早く回し、今度は背中越しに脇から後ろに突きを喰らわす。その切っ先は躊躇うことなく兵士の腹を突き破り、一気に背中まで刺し貫いた。

 ここまでで1、2秒――まさに瞬殺。


 あっという間に2人も薙ぎ倒され、残る兵士たちは驚愕の色を浮かべる。ここまで至近距離だと、ライフルはむしろ役に立たない。残る兵士たちは、たちまちパニックに陥った。

 その刀身は軽く1メートル以上はあろうかという長刀を、少女はまるで舞を踊るように振り回す。いっぽう銃弾を発射できない中国兵たちのライフルはただの棍棒で、しかも日本刀のように鍔があるわけでもない。激しく斬撃を繰り出す少女の前に、兵士たちは次々と指を刎ねられ、腕を切り裂かれ、あっという間に元いた拝殿の出入口まで押し戻された。


 その時、少女は見てしまったのだ。

 押し返され、拝殿に逃げ戻ろうとする中国兵たちの背中越しに、誰かが床に倒れ伏しているのを――

 血だまりの中に横たわっていたのは、神官装束に身を包んだ男性……紛れもない、彼女の父親の変わり果てた姿だった。


「――ッ! うぉのれーーッ!!!」


 瞬間、怒りで我を忘れた少女は、目の前で不様にも背中を見せた中国兵の一人を、迷うことなく袈裟懸けに切りつけた。


 ビシィィィィッ――!!!


 大量の返り血が、彼女に容赦なく降りかかる。白い巫女装束が、凄惨に赤く染まる。その姿はまさにいくさ巫女――西洋流に言うなら、戦乙女ヴァルキリーの姿そのものであった。


 ギンッ――――!!!!


 強烈な殺意が、少女を中心に拡散する。だが次の瞬間――


 ガガガガガッ――!!!!


 まったく予期せぬ方角から、猛然と銃撃が繰り出された。火箭をまともに喰らった少女の巫女装束が、ボロボロに引き千切れる。


「がはッ――」


 もんどりうって倒れ込んだ少女の口から、大量の血がブシャァ――ッと噴き零れた。敵がいたのは、ちょうど先ほどまで少女が潜んでいたあたりだった。渡り廊下の側方下部――拝殿外の床柱あたりに回り込んだ別の班の中国兵たちが、そこから彼女を銃撃したのだ。


「……ひ……卑怯者ッ……」


 武人ならば、正々堂々と正面から切り結べ……

 いや……コイツらは所詮……武人などではない!

 それが証拠に、丸腰の父を容赦なく撃ったではないか――! 母と、そして氏子のみんなは……!?


 少女は、今度は欄干をまたぎ、地面に飛び降りようと試みる。飛び降りて、そこにいる卑怯者たちを成敗するためだ。

 だが不思議なことに、その身体はまったく言うことを聞かなかった。渡り廊下のちょうど真ん中に、大の字で仰向けに倒れ込んだ少女は、そのままの姿勢で首だけ起こし、自らの胴体を確認する。

 すると、胸の辺りと腹のあたりから、何か赤黒いものがピュッ、ピュッと規則的に小さく噴き出していた。そのたびに彼女の装束は真っ赤に染まっていく。


「……あ…………」


 よく見ると、長刀も見当たらない。先ほどまで右手で握り締めていたはずだが――

 そう思ってなにげなく顔を右側に向けると、すぐ目の前に、刀を握り締めた自分の腕が転がっていた。


 腕が……私の腕が、吹き飛ばされた――!?


 そのことを自覚した途端、猛烈な痛みが彼女の全身を襲う。

 撃たれたのは胸と腹と、そして右腕と……太腿も……そういえば、ふくらはぎの感覚も……ない――


 恐らく渡り廊下に立ち塞がって、拝殿から突っ込んでくる中国兵たちを一人ずつ相手していたなら、少女が後れを取ることは決してなかったであろう。剣術に関して、彼女は相当の手練れであった。

 だが、それが戦場の常とはいえ、敵が来るのは正面からだけとは限らない。父の仇と必死で切り結んでいた彼女は、側面下方からいきなり撃ちかけられた重機関銃の餌食となった。


 ドカドカドカッ――


 ようやく脅威が排除され、新手の中国兵がさっそく拝殿から飛び出してくる。罰当たりな兵士たちは、渡り廊下の真ん中にボロ雑巾のように横たわる彼女を飛び越え、あるいは時々容赦なく軍靴でその華奢な身体を踏みつけながら、次々と本殿に押し入っていく。

 討ち倒された少女は、もはやその様子をうすぼんやりと見上げるしかない。


 あぁ……ご神体が――!


 次第に意識が混濁してくる。彼女の脳裏には、様々な思い出が去来する。

 幼い頃の彼女が、父や母と一緒に社殿のあちこちを一生懸命雑巾がけしていた様子とか、在りし日に巫女舞を母と一緒に何度も何度も練習していた様子とか、お正月に地域の人たちが初詣に来て、みんなで笑い合いながら甘酒を振る舞っていた様子とか――


 そんな大切な思い出が、どこかの訳の分からない連中に、無残にも踏みにじられていく――

 横たわる彼女の目尻から、涙が一筋、血だまりに濡れた床に零れ落ちた。


 その時、無意識に動かした左手に、何かがコツンと当たるのが分かった。

 ゆっくりと指を動かして、それが何かを確かめる。


 手榴弾……


 どうやらそれは、手榴弾だった。

 先ほどの乱戦で、きっと中国兵が落としたに違いない。太平洋戦争の頃から、日本人は女子供でも手榴弾を扱える。自決用にと豊富に渡されていたからだ。だから少女も、この小さな爆弾の扱いは十分に心得ていた。


 ――これぞ、神の託宣……


 少女は最後の力を振り絞って、その手榴弾を握り締めた。投げる気力はもはやなかったが、コロコロと転がせばなんとか本殿に届きそうだった。

 親指でピンを抜く。


 ふぅー……


 お父さん、お母さん……力及ばず、ごめんなさい……

 でも、お父さんが言ったんだよ……いざとなったら、社もろとも焼き払う……って……

 これで……いいんだよね……


 少女の瞳から、光が失せる。

 全身から力が抜け、握り締めていた手榴弾がコロコロと床を転がって行った――


 …………


 ダァァァァァ――――ン!!!!!!!!


 一瞬のち、大音響が辺りに響き渡った。と同時に、本殿が爆炎とともに吹き飛ぶ。それはきっと、彼女の父親があらかじめ本殿内部に仕掛けていた、いくつかの爆薬が誘爆したのだろう。

 直後、本殿は激しい火炎に包まれた。すぐ隣に建つ拝殿に燃え広がったのは、言うまでもない。


 多数の中国兵が、火達磨になりながら外に飛び出してきた。数秒もだえ苦しんでいたが、じきに地面に倒れ込み、ピクリとも動かなくなった――


  ***


「♪ららららーんらっ、らんらんっ、らららららー……」


 ウズメが、指揮通信車の天蓋部分に陣取って鼻歌を歌っていた。士郎の座乗するこの車輛を先頭に、機動戦闘車の長い隊列が延々と奥出雲の山道を疾走している。


「――ウズメさまっ、ご機嫌ですね!」


 士郎がハッチから頭を出し、ウズメに話しかける。


「おー? そうかのぉ!? ま、この鉄馬は確かに悪くない乗り心地じゃ」

「それで、いったい我々はどこに向かっているんですかね?」

「あー、もうすぐじゃ! ホレ、その先に脇道があるじゃろう? そこを曲がるがよい」

「あ、はいっ!」


 士郎が慌てて運転する兵士に指示を下す。車輛は慌ててブレーキを掛けると、すんでのところで側道に折れていく。後続車輛も、濛々と土埃を上げながら続々と続いていった。


 ウズメが「ちょっと皆を連れて行きたいところがあるのじゃ」と言い出したのが約1時間前。本来なら、まっすぐ出雲大社に向かうつもりだったのだが、国道54号線を途中で山道に分け入ったせいで、今いったいどの辺を走っているのか、今ひとつ誰も分かっていない。

 おまけに目的地すら教えてくれないのだ。とはいえ、神さまの指示である。断れるはずもなく、士郎たちは困惑しながら進軍を続けていた。


「――士郎ぉ? ここは一体どこなのだ? そろそろ腹も減ってきたのだが」


 副官として、常に士郎と行動を共にしている久遠が、隣でぼやく。とはいえ、気のせいか彼女の横顔は少しだけ紅潮していた。


「ん? どうした久遠。やけに嬉しそうじゃないか」

「む? いや……この辺りの風景、なぜだか少し懐かしい気がしてな。それに、ちょっとドライブみたいで楽しいじゃないか」

「――まぁ、どこにでもある田舎の風景、ってとこだしな……しょうがないか」

「ははっ、たまにはいいではないか。私は好きだぞっ」


 すると、ウズメがゴンゴン、と天蓋を叩く。士郎は慌ててハッチから頭を出した。これではまるで御用聞きだ。


「ここじゃ、着いたぞ」

「――え……?」


 キッ――と車輛が停止する。改めて周囲を見回すと、数十メートル先に朽ち果てた鳥居が建っていた。さらにその奥には、そう広くもないが確かに空間が広がっている。


「――これは……もしかして神社の跡……ですか……?」

「そうじゃ」


 ウズメは、ぴょこんと車輛から飛び降りると、すたすたと奥の方へ歩いて行った。


「――あっ! ちょっと!? 待ってくださいよぉ!」


 士郎は、慌ててウズメを追いかける。久遠も士郎に続いた。そして――


「……こ……これは――」


 目の前に広がっていたのは、焼け爛れて朽ち果てた、社殿の残骸だった。ウズメが口を開く。


「――かつて蒼流神社と呼ばれた、鎮守の跡じゃ――」

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