第300話 海洋圧迫戦略(1)(DAY5-18)

 21世紀に入って急速にその海軍力を膨張させてきた中国の本当の狙いは、世界のパラダイムシフトだった――


 ここでいう価値観の転換パラダイムシフトとは、ズバリ「人民元を世界の基軸通貨にすること」である。

 基軸通貨を持つ国は、決して崩壊しない。お金が足りなくなれば、好きなだけ刷ればいいからだ。経済の原則で言えば、普通こんなことをすれば通貨の価値が下がってインフレが起きるものだが、基軸通貨国という地位を手に入れたその国は、既にその時点で世界最強の経済を持つ国であり、その通貨流通量も世界最大を誇るわけだから、ちょっとやそっとじゃ揺らぐことはない。


 この最強のカードを背景に、世界の覇権を握っていたのがまさしく米国だった。


 中国はその米国を覇権国の座から引きずりおろし、自らがそれに取って代わろうとしたのだ。

 そのために、中国はどんな手段を使ってでもその経済を強大化させようと試みた。そのせいで、周辺諸国どころか、不倶戴天の敵である米国との軋轢が生じても――だ。

 なぜなら中国という国家は、常に発展を続けていないと崩壊してしまうからだ。いや――正確に言うと、崩壊するのは中国共産党だ。易姓革命を旨とするこの歴史的な大国は、人民に見限られたが最後、執権者は粛清されてしまう運命なのだ。


 人民解放軍がいつまで経っても「国軍」ではなく「共産党が所有する私的軍事組織」であり続けるのもこれが原因だ。

 一般的に「国軍」とはに忠誠を尽くす公的軍事組織だ。それに対して人民解放軍が忠誠を誓っているのはあくまでだ。

 だからこそ、共産党政権は軍事クーデターの心配をしなくて済む。党の軍隊が、党に反逆してその権力を剥奪したら、途端に自分たちも破滅してしまうからだ。

 まぁ、中国の場合は一党独裁だから、事実上は共産党軍イコール中国軍と言っても差し支えないのだが、これを日本に当て嵌めると「自民党が軍隊を私的に所有している」のと同じことだ。人民解放軍が、世界の常識から見ていかに異常な存在であるか、よく分かるだろう。


 さて、話を元に戻す。

 中国の軍事的膨張は、すべてこの世界経済を支配するための、いわば軍事的存在感プレゼンスを世界中に示すためのものだ。

 なぜ世界経済を支配するために「自国の軍隊を外国に見せること」が必要なのか、日本人は軍事的センスが皆無の人も多いので、少しだけ説明しておこう。


 「砲艦外交」という言葉をご存じだろうか――これは、古来より人類が培ってきた、代表的な外交手法のひとつだ。

 今までも何度か言及してきたが、「世界」というのはいわば「無法者の街」と同じだ。

 今この地球上には、200ヵ国に近い独立国が存在するが、それらの国家を統一的に制御する上位組織は、いまだかつて存在したことはないし、今後も恐らく成立しないだろう。

 よくSFなどに出てくる「地球連邦政府」とか「世界政府」といったものは、ただの夢物語なのだ。ということはつまり、これら200に迫る諸国家はそれぞれの自由意志で存在しているに過ぎない。


 国連が解体されたのは2080年のことだが、もともとこの組織は第二次大戦の戦勝国が集まってお互いの友誼を深めるだけの「仲良しサロン」に過ぎなかった。別に何らかの特別な権能を持っていたわけではないし、そもそも何らかの客観的な選挙によって成立した行政機構というわけでもない。

 国連軍という名の軍事力がたまに行使されることもあったが、だからといってこの有形力は別に「どこの国家にも所属しない中立的な軍隊組織」だったわけでもない。サロンの会員がそれぞれ自国の軍隊を提供し、世界的にあまり影響力のない国家を懲罰したり、末端会員同士の小さな小競り合いの仲裁をしたりする時にのみ、その効果を発揮した。その逆に、安保理常任理事国――すなわちVIP会員――同士の揉め事が起きた時は、まったく機能せず、その無力さをさらけ出してきた。

 そんな国連が、やがて機能不全に陥って空中分解したのは偶然ではないのだ。


 つまり、今の世界は分かりやすく言うと「無政府状態」ということだ。


 もちろん、知性ある大半の国家は、傍若無人な振る舞いをすれば他国から嫌われることを知っているから、ある程度自制し、自らを律して国際社会というコミュニティの中で振る舞っている。だが、そんな価値観自体も実は、20世紀後半になってからようやく世界に共有され始めたにすぎないのである。


 たとえば19世紀から20世紀前半にかけて吹き荒れた「帝国主義」の嵐。当時世界の列強――欧州諸国のことだ――は、世界中の弱小国家、発展途上国を次々と侵略し、我がものとした。アフリカ然り、アジア然り。

 そうやって自らの版図を拡げ、それら侵略した国々を食い物にして自国の経済発展を実現しようとしたのだ。「植民地主義」――領土拡張競争時代と言ってもいい。


 もっと時代を遡ると、状況はさらに酷い。世界の国々はあちこちで割と簡単に戦争を起こしていたものだ。だが、それが当時の一般的な価値観だったのだ。

 それは「征服」「侵略」――いろいろな呼び方ができるが、要は他国を攻撃してその領土、資源を奪い、女を犯し、男たちを奴隷化して自国の興隆を図った、まさに欲望剥き出しの時代である。

 つまり「弱肉強食の時代」だ。歴史上、そうやって無数の国が滅亡し、また新しい国家が成立した。


 人類の歴史を俯瞰すると、この「弱肉強食」「切り取り御免」の時代こそが主流だ。人類は太古の昔から、争いばかり繰り返してきたのである。

 世界最古の文明とされるシュメール文明が約5,000年前に成立して以来、その約97パーセントはこうした争いの時代だ。


 そんな世界にあっては当然、問答無用で相手国をいきなり侵略する場合も多かったわけだが、少しだけ頭の廻る国家は、相手国を攻撃する前に一応「交渉」――というか「要求」を試みてきた。戦わずして相手に要求を呑ませることができれば、これほど効率的なことはないからだ。

 それに対し、相手国も自国の利益を守るために、あれこれと有利な条件を引き出そうとする。まぁ、ありていに言えばこれがすなわち「外交」というものだ。


 当然、お互いの要求が呑めずに話し合いが決裂すれば、戦争になるわけだ。「水を寄こせ」「やらん」「ならば戦争だ――」とか、「謝罪しろ」「いやだ」「ならば戦争だ――」といった具合に。

 そんな時、国家は常に交渉団の後ろに軍隊を控えさせていた。薬物売買を行うマフィア同士が、お互い武装させた子分を引き連れて、銃を向け合いながら交渉するのとまったく同じ構図だ。


 「砲艦外交」とはつまりこういうことだ。


 相手方に、自分たちの腕力を見せつけ、半ば恫喝しながら外交を行う手法。交渉が決裂すれば、ただちに有形力を行使できるようにして行う外交。

 「無法者の街」であるこの世界で、自分たちの尊厳を守りながら相手方に要求を呑ませるには、人類はこの方法が一番安全で、一番効果的だと考えたのである。


 1853年に米国が日本に開国を迫った時も、浦賀に来航したのは文民外交官ではなく、合衆国海軍のペリー提督だった。4隻の戦艦がその砲門を向けたまま、幕府に外交交渉を要求したこの出来事こそ「砲艦外交」そのものだ。


 だが、実のところそれから200年近く経った21世紀前半においても、この「砲艦外交」は相変わらず極めて有効だった。


 覇権国であった米国は、昔から「世界の警察官」を自任していた。お互いが節度を持って国際社会の中で生きていこうとしていたこの時代にあっても、やはり時折「ならず者国家」――この場合は、というクレジットが付くが――というのが生まれる。

 米国はそのたびに強大な戦闘力を誇る空母打撃群を該当国の沖合に展開したり、同盟国や友邦連合と一緒になって大規模な軍事演習を繰り広げたりした。

 それはまさしく「これ以上好き勝手すると実力行使に出るぞ」という圧力そのものに他ならない。


 米国は、その圧倒的軍事力で「世界のどこへでも24時間以内に緊急即応部隊を展開できる」と常日頃から豪語している。これもまた、米国の強みの一つだ。

 世界の国々は、この「実行力」を信頼して、自由主義陣営ブルーチームの盟主たる米国と友好関係を結んでいることも多い。自分の国が万が一どこかの国レッドチームに恫喝されたとしても、米国が助けに来てくれる――その安心感があるからこそ、米国は世界の多くの国々から信頼され、覇権国という地位をさらに強化してきたのだ。


 ということはつまり、中国が狙っている中華帝国秩序パックス・チャイナを実現するためには、当時の米国と同様、世界のあらゆる場所に人民解放軍の軍事的存在感プレゼンスを示せるようにしなければならなかったのだ。


 ――とはどういうことか!?


 それはすなわち「海軍力」だ。


 大英帝国秩序パックスブリタニカにせよ、米国秩序パックスアメリカーナにせよ、覇権国になれる条件とはズバリ『シーパワー国家』であることだ。

 ランドパワー国家は、そのエリアにおける「地域大国」にはなれるが、決して世界の覇権国にはなれない。陸軍だけでは、地球の反対側に軍隊を送り込むことができないからだ。


 だから中国は、21世紀になって急速にその海軍力を膨張させていったのだ。彼らはついに、その野望を隠さなくなった。そして、何が何でも外洋に進出しようと試みた。


 その中国の野望を阻止するために、日米シーパワーが決戦場と定めた場所こそが「第一列島線」――


 中国海軍を、東シナ海と南シナ海に閉じ込めて完全に殲滅する――


 それが、この『海洋圧迫戦略MPS』の究極の戦略目標だ。


 そのための具体的な戦術として編み出されたのが「エアシーバトルASB」戦法だ。

 この戦法は読んで字のごとく「エア」と「シー」から徹底的に相手を攻撃するというものだ。ただし、ここでいう「空」とは、別に航空戦力だけのことを言っているのではないし、大気圏内のいわゆる「空」だけのことを指しているのではない。そこには「宇宙空間」も含まれるし、何なら「電脳空間」も含まれる。同様に「海」は「海面上」――すなわち水上部隊のことだけを指すわけでもない。「海中」――そう、外洋海軍ブルーウォーターネイヴィたる日米海軍が、最も得意とする潜水艦戦も、この戦いの鍵を握る。


 そして最も注目すべきは、「陸軍」が主役に躍り出てくるという点だ。


 「空」と「海」での戦いに、なぜ「陸軍」が出てくるのか――!?


 ここに、米国の恐るべき決意が秘められている。

 中国は、弾道弾や巡航ミサイルの飽和攻撃で、米海軍の誇る空母打撃群を粉砕し、第一列島線を越える戦略を完成させていた。当初米国はそれに恐れをなし、小笠原からマリアナ諸島を結ぶ第二列島線の東側まで後退することを余儀なくされていた。これがオバマの時代である。

 つまり、西太平洋の制海権を放棄しようとしていたのである。


 もしこのデッドラインを越えて無理やり米海軍が中国本土に近付こうものなら、虎の子の空母打撃群は全滅を免れないし、中国は米国本土への核攻撃も辞さないと拳を振り上げたのである。愚かなオバマは、米本土が核攻撃の脅威に晒されるくらいなら、西太平洋くらいくれてやれ、という決断に至ったのだ。

 だが、トランプの時代になって米国は、再び「世界最強」であり続けることを選択した。


 中国が飽和攻撃で米空母打撃群を殲滅しようとするならば、我々はさらにそれを上回る膨大な火力で敵を返り討ちにしよう――そう決意したのだ。

 それは、米国の力の源泉が「基軸通貨を持つ」ことにあると理解していた、ビジネスマン出身のトランプらしい、実に鮮やかな方針転換であった。


 さてそうなると、緒戦においてわざわざ最初に空母が中国近海まで近寄って、むざむざ標的になりに行くのはあまりにも馬鹿げている。

 そこで着目したのがまさに「第一列島線」だったのだ。


 この第一列島線というのは、何もない洋上が続く第二列島線とは違って、非常に多くの陸地、島嶼群が断続的に連なっている。日本列島、沖縄諸島、台湾、フィリピン、そしてインドネシア――

 ASBの第一段階は、これら第一列島線の陸地プラットフォームに無数に配置した発射基地ミサイルサイトから、膨大な長射程ロングレンジ地対艦ミサイルを一斉に飽和攻撃するというものだ。

 米軍は、そのミサイル攻撃の役割を担わせるために、陸軍の大部隊をわざわざ欧州から地球を半周して極東に配置転換させたのだ。それはまるで槍衾のごとく、第一列島線を南北に貫いた。これを『島の砦アイランドフォート』構想という。

 もちろん、当時の陸上自衛隊もその一翼を担ったのは言うまでもない。

 自由主義陣営海軍部隊の一大演習である環太平洋軍事演習リムパックに、トランプの時代になってから陸自の地対艦ミサイル部隊が参加するようになったのはその一例だ。


 もちろん、陸軍の対艦ミサイル部隊だけではない。


 ASBの第一撃ファーストストライクには、大きく3つのポイントがあるのだ――

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