第297話 リユニオン(DAY5-15)

 毎度のことながら話は脱線しがちなのだが、叶は何とか話題を元に戻す。

 かざりの意識が宿っていた並行世界の少女の身体が、突然オメガ化した件だ。


「――先ほどの幻肢痛の話もそうだけど、人間の思考はその身体にさまざまな変化をもたらす。もうひとつの例を挙げるとすれば……そうだな、プラセボ効果の話を知っているかい?」

「あっ! それ知ってる!! えっと……なんだっけ!?」

「偽薬効果の話なのです」


 割と何でも知ったかぶり気味のゆずりはを、亜紀乃が冷静にフォローする。


「――そのとおり。この話は実に端的に人間の計り知れない治癒能力を示す例として知っておくべきだろう」

「治癒能力……!?」

「あぁ、プラセボ効果というのは、本物の薬と偽物の薬を、それと知られないように二つの被験者グループに投与した際、実際には薬の効果がないにも関わらず、偽薬を服用した被験者グループにもその薬効が発生するという現象から導き出されたものだ」

「え? 偽物の薬なのに治っちゃったんですか? なんで?」

「――それがホンモノの薬だと被験者が信じてしまったからさ」

「だって……実際は薬じゃないんだから、そんな効果は出てこないんじゃ……」

「脳が……被験者の脳が、その偽薬には効果があると思い込んだことで、自分の身体を自分自身で治癒しはじめたんだ」

「そんなことが……」

「あるんだよ。だから人間の能力は計り知れない」

「ということは……人間には元々怪我や病気を治す能力がある、ということですか?」

「ありていに言えばそういうことになる。元々生物には、多かれ少なかれ自身の身体を再生する能力があるのではないかとされている。その程度は、種によってさまざまだけれど」

「――それって、プラナリアとかの話ですか?」


 士郎が割って入る。プラナリアは確か、何度切り刻んでもそこから新しい体が再生されるはずだ。


「そうそう、他にもクラゲとかイモリなんかも、そういった再生能力を普通に発揮する」

「あー、トカゲの尻尾を切ってもまた生えてきますもんね」


 くるみも同調する。


「――そうだね……そのような場合、その生物の体内で何が起こっているかと言うと……」

「DNA……ですか……?」

そのとおりイグザクトリー。これらの生物は、ゲノム内のタンパク質をコードしていない領域――すなわちノンコーディングDNA――の一部が、初期増殖応答転写因子EGRという傷の再生を制御する遺伝子の活性化を担っているんだ。要するに、必要に応じてこれらの生物は、再生能力を持つ遺伝子群のスイッチをオンにすることができる……」

「えっ? それって例のジャンクDNA……」

「気が付いたかい? つまり人間も、未だその働きが解明されていないジャンクDNAの中に、再生能力のスイッチボタンがあるんじゃないかと思われるんだ」

「――じゃあプラセボ効果も……」

「あぁ、ジャンクDNAのどこかが、その人間の『治るはずだ』という思考――この場合は単なるだが――を読み取って、実際に身体の機能を変化させて治癒を行い始めるわけだ」


 そこまで言うと叶は、文の方に向き直った。


「だからかざりちゃん。今君の身体は、本来在るべき自分の姿に自らのDNAを変化させているんだと思う」

「……そ、そうなんだ……!」


 文は、自分の身体に起こった変化の原因をおぼろげながらにも説明されたことで、すっかり安心した顔になる。


「あ、もちろんこれは仮説にしか過ぎないからね!? 本当のところはまだ分かっていないんだよ?」

「は、はい……でも、別にいいんです。今は……ようやく自分の思考、というか意思? に身体が付いてきてくれた、ってことだけで……」


 文は両手を胸の前で交差させると、その身体を愛おしむようにきゅっと目を瞑った。

 数か月間、意識不明の昏睡状態だったのである。少なくとも客観的に観察する限りは……

 ところが、実際は彼女の意識はキチンと覚醒していた。覚醒しているのに、身体は一切動かせない――口もきけないし、目も開けられない……それがどれほど恐ろしいことなのか、それは経験者でなければ決して分からないのだろう。

 だから、五体満足で自由に動かせる身体をあらためて手に入れた彼女は、なによりもそのことに感謝しているのだ。

 当たり前のことを、当たり前のようにできることが、どれほど素晴らしいことなのか――


「――いずれにせよ」


 久遠が割って入った。


「いずれにせよ、これでようやく全員が勢揃いしたわけだ。いつ以来だろうな!?」


 そう言って彼女は、その場にいる全員を見回す。どの顔も、そのことに気付いて淡く紅潮しているのが分かった。


「そうだったな……各務原かがみはらがいないのは残念だが、そう考えるとこの面子は、オメガ実験小隊のほぼフルメンバーじゃないか!?」

「そうですね! なんだかすっごく久しぶりのような気がします」


 未来みくが珍しく興奮気味に言葉を継いだ。


「確かに……このメンバーなら、何でもやれそうな気がします! ねぇ?」


 くるみもパッと顔を明るくさせた。


「そうだよ! この勢いで、作戦成功させちゃおうよ!」

「同感なのです!」


 皆の視線が文に集まった。


「そ……そうだね! 私――かがみんの分まで頑張る! 中尉……それに曹長たちも……今こそオメガみんなの力を合わせよっ!!」

「「「「「おぉーーーッ!!!」」」」」


 およそ半年ぶりの、オメガフルメンバー再結成リユニオンの瞬間だった。


  ***


 その後、国防軍と自由日本軍の『列島打通作戦』は順調な推移を見せることになる。だが、そのことを誰よりも苦々しく思っていた男がひとり――


「――いったいどうなっているのです!? アイツらは、一体どこまで私のことを愚弄する気ですかッ!?」


 禿頭とくとうの小男――

 その腐敗したような肌色の顔は、彼の深刻な懸念を代弁するかのように、深い皺で醜く歪んでいた。


 元『華龍ファロン』科学部門総裁、李軍リージュン――


「いやはや……まさか連中がこちらの世界にまで攻め入ってくるとは、想定外でしたね先生!?」

「何を呑気なことを言っているのです! まったく冗談じゃありませんよ!?」


 相変わらずヒステリックな李軍の相手をしているのは、彼の長年の助手、ファン博文ブォエンだ。


 思い返せばこの二人、常に士郎たちオメガチームの行く手を阻む存在である。というか、一連の騒動の元凶とも言える存在だ。

 元々士郎が任官して初めて配属された大陸派遣軍において、彼の小隊を壊滅にまで追い込んだのは、李軍が密かに創り上げた規格外ともいえる獰猛なキメラ――獦狚ゴーダンたちによる襲撃のせいであった。

 また、未来が拉致されたのも、この男をはじめとする華龍軍団による仕業であった。

 さらには、その未来を奪還するためにハルビンに進攻したオメガ特戦群の前に立ち塞がったのもまた、李軍が呼び込んだ北京親衛隊の大部隊であった。その一連の過程において、この男はクリーという少女を『辟邪ビーシェ』として禁忌の遺伝子改造を施し、士郎たちを苦しめただけでなく、彼女自身にも想像を絶する試練を与えてその心を深く傷つけている。

 それまで曲がりなりにも同じ側にいた軍団長のヂャン秀英シゥインが奴と袂を分かったのも、秀英の実の妹、詩雨シーユーがその歪んだ科学探求の犠牲になっていたことが露見したからである。


 そしてまた、一連の次元回廊騒ぎ――宮内庁の咲田広美によれば、その現象は正しくは『次元通路』と呼ぶべきなのだそうだが――も、既に大半の関係者が勘づいている通り、この男の仕業なのだ。


「上海を落としたところまでは順調だったと思ったのですがねぇ……」


 ファンがまるで他人事のように遠い目をして低い天井を見上げる。

 コンクリート打ちっぱなしの陰鬱としたこの小部屋は、油断すると呼吸が止まってしまいそうな圧迫感に包まれている。

 二人がいるのは、ここ並行世界の中国人民解放軍日本自治区司令部地下壕だ。先日の大規模空爆のせいで、既に地上施設はほとんど使い物にならなくなっている。

 二人はいわば食客として現地軍司令部でも厚遇されていた。一応この部屋には、最低限の机と椅子がある。


「そんな、いかにも敗北したような言い方をするな! 今でも上海は我々の支配下にあるのだ!」

「我々……ねぇ……」


 黄はあらためてその表現に違和感を覚えていた。

 上海を落としたのは、あくまでこの並行世界から来た人民解放軍だ。確かにこっちの連中は、何というか遠慮がない。極めて好戦的で、平気で戦時国際法を破る。その様は、まるで中世の蛮族並みだ。コイツらに比べたら、華龍の兵士たちなど大人しい羊のようなものだ。少なくとも制圧した地域の民間人を、女子供お構いなく虐殺するような真似はしない。


「――なんだ!? 何か不満でもあるのか!? ここの連中は、私の作戦計画に賛同してその指揮下に入ることを自ら選択したのだ。それはつまり……ここの兵士たちは私の兵士ということでもある」

「も、もちろん仰る通りです先生! 今上海の街を制しているのは、間違いなく先生の軍隊です」


 李軍がバヤンカラ山脈に超古代の転送装置らしきものを発見したのは、今から数年ほど前のことだ。それは最初、旧ソ連で発行されていた科学雑誌『Sputnikスプートニク』で見かけた古い記事とイラストがきっかけだった。

 それによると、中国西方、青海省にあるバヤンカラ山脈の中で、700枚以上におよぶ石で作られた円盤状のディスクが発見されたらしい。しかもそのディスクにはさまざまな文字が刻まれており、それはあたかも聖刻文字ヒエログリフのようであったという。

 しかもその文字を、既に解読している者がいたというのだ。解読者の名前はTsumスン Umウン Nuiノイ。彼によるとそこにはこう書かれていたという。


<……1万年前にバヤンカラ山脈の洞窟のある地域に宇宙船が墜落した。乗っていたドロパ人たちは、その船を修理することが出来ず、そのまま地上に残った……>


 いくら李軍でも、そんな話を真に受けるほど暇ではない。だが、なぜだか当時の中国政府はこの話を隠蔽しようとしていた形跡があった。結果的にスン氏はソ連の研究者にこのディスクを送り、雑誌に掲載されるに至るのだが、李軍は政府がこれを隠そうとしたという事実そのものに興味を持った。

 隠すということは、隠さなければならない理由が必ずあるということだ。

 そこで彼は、自分の立場を利用して当時の記録を――国家機密に指定されていたものも含めて――すべて閲覧できるよう暗躍したのだ。結果――


 李軍はこの石でできたディスクドロパストーンに恐るべき秘密が隠されていることを確信したのである。


 当然の帰結として、彼は現地に調査隊を派遣した。

 その調査隊が発見したものこそ、無数の聖刻文字が刻まれた洞窟内の石室だったのだ――


 調査隊は、さらに興味深い報告を上げてきた。この地域に住む民族はみな、小人族だというのだ。しかもその頭は大きく、瞳は青く光っているという。

 ちょうど辟邪を研究していた李軍は、それら小人族の青く光る眼に大きな関心を示した。彼が初めて現地入りしたのはこの時だ。実際にこの小人族に出会い、本人たちの承諾を得ずに勝手にDNA検査をしたところ、彼らは漢族でもなければチベット族でもないことが判明した。要するに、このドロパ族は出自が不明だったのである。

 そうなると俄然、雑誌『Sputnik』の記述に信憑性が出てくる。つまり――


 ドロパ族は、もしかして本当に宇宙人の末裔なのではないか――


 だとすれば、遥か古代、この地に墜落したとされる宇宙船の残骸も残っているかもしれない。それに、山脈の洞窟内で発見したあの石室……

 スン氏がどのようにあの聖刻文字を解読したのか、肝心なところはさっぱり分からなかったが、もしやこれは何らかの未知のテクノロジーのプログラム言語か、あるいは回路なのか――

 李軍の好奇心は留まるところを知らなかった。


 その後何度も現地に足を運び……出した結論はズバリ、――


 現地のドロパ族を伴って石室内に入った時だけ、ヒエログリフは青く光り、なんらかの反応を示した。であれば、同じ青い瞳を持つ辟邪を入室させたら果たしてどうなるのか――


 結局のところ、李軍という男は、その性格こそ人格破綻しているといっても差し支えないほどエキセントリックではあるが、科学者としては超一流だった。

 何度も何度もトライアンドエラーを繰り返し、この石室が何らかの物質転送を実現するオーバーテクノロジーであること、辟邪がそのテクノロジーを起動させる何らかの触媒になり得ること――を解明するまでに至ったのである。


ファンよ……私は思うのだ……この世界とはいったい何なのだろうとな……」


 突然、リーが何かに思いを馳せるような顔をして自分の方を見つめて来て、黄はドン引きする。


「あ……はは……仰る通りですね……確かに、私たちの世界とは別の次元に、そっくりな世界が存在していたなんて……」

「――そっくりではないぞ!? こちらの世界の中国の方が、遥かにマシな世界を創っておる」


 そう言うと李軍は、初めてこちらの並行世界に来た時のことを思い出していた――

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