第295話 生まれる時(DAY5-13)

 各務原かがみはら和也――享年20歳。


 18歳で志願入隊。二等兵として第11重装機械化歩兵師団――いわゆるパワードスーツ部隊に配属。大陸派遣軍として中国東北部へ出征。

 その後インド軍との共同作戦の際、所属していた第112連隊が壊滅。これに伴い第111連隊――軽装機動歩兵部隊――へ編入。第一大隊A中隊第117小隊のライフルマンとして新任の石動いするぎ士郎少尉(当時)と出会う。この時点で階級は陸軍伍長。

 第117小隊が不規則遭遇戦により壊滅の危機に陥った際、奇跡的にオメガたちに救出され、生還を果たす。以後、オメガ実験小隊付となり、しばらく同隊の戦闘実験に加わる。


 月見里やまなしかざりと各務原が親しくなったのはそれ以降だ。元来お調子者でムードメーカーだった彼は、快活な彼女と妙にウマが合った。

 石動士郎が神代未来みくに特別扱いされたのを筆頭に、大半のオメガ少女たちが士郎に目を向ける中、公私にわたり何かと各務原に相談を持ち掛けていた文。その理由は今となっては定かではないが、ひとつにはそんな相性の良さもあったのだろう。

 それに何より、彼は都市域ミッドガルドの外の暮らしを知っていた。彼自身16歳の頃、行き過ぎた正義感のせいで憲兵隊に捕まり、緩衝地帯UPZに流罪になっていたからである。もともと彼が軍に入ったのも、剥奪された市民権を再び得て、まっとうな人生をやり直すためであった。

 いっぽうオメガたちの大半は立入禁止区域PAZ出身で、とりわけ文の抱えていた深刻な悩みはそのPAZでの生活に由来するものであったから、都市域外の厳しい暮らしに理解を示す各務原の態度を彼女が憎からず思っていたのは間違いなかった。


 だが、結果的に彼に「死」という最悪の結末をもたらしたのは、そんな二人の相性の良さと、青臭い正義感のせいだ――当事者以外の、第三者の目線で見れば……だ。


 月見里文は、各務原和也の戦死を知らない。


 彼女が実の妹のように大切にしていた広瀬繭を救うため、彼が一命を賭してたった一人で多脚戦車に立ち向かったことを知る前に、彼女はその右眼を撃ち抜かれてしまったからである。

 いや、実のところ彼は多脚戦車に立ち向かう直前、既に致命傷を負っていた。

 陸軍最強――それどころか世界でも有数の戦闘力を誇る――とされていた特殊作戦群タケミカヅチ一個中隊が、文の生まれ故郷である某PAZの隠れ里を襲撃した際、その腹背に深刻な銃創を負ってしまったからだ。タケミカヅチ多脚戦車の、破滅的なガトリングガン掃射。文と各務原、そして行きがかり上結果的に彼らを手助けする羽目になった士郎を含めた3人のオメガ実験小隊員が、予想外に善戦したからだ。


 だから、各務原はどのみちあの戦闘で戦死していたのだろう。

 だが、彼は最後まで文の願いを叶えるべく、その命の炎がまさに燃え尽きるその瞬間まで、決して膝を屈することはなかった。

 恐らくあと5分――

 あと5分早く、オメガ実験小隊の残りのメンバーがあの戦場に駆けつけていたなら、文はあれほどの重傷を負うことはなかっただろうし、各務原は戦死せずに済んだのかもしれない。

 それに士郎自身、今やその身体の60パーセントを機械化してトランスヒューマン化している。やはりその時の戦いで、十数発の弾丸を全身至るところに喰らったせいだ。ほとんどすべての者が――あの四ノ宮でさえも――石動士郎は兵士としてもはや使い物にならない、と諦めかけたくらいなのだ。

 彼の場合はその超人的な使命感により、奇跡的に一命を取り留め、血反吐を吐く思いをしてようやくTH兵士として復活を果たしたのだ。だが、それがどれだけ士郎の心身を深く傷つけたことか。


 戦いにifはタブーだが、それでもオメガ小隊の面々は、今もなお重苦しくそのifを思わずにはいられない。


 だから、今回並行世界とはいえ、今まで昏睡状態だった文と再びこうして会話できる喜びを、元実験小隊の面々は心から噛み締めていたし、それは同時に、をいつ聞かれるか――心のどこかで、きっとビクビクしていたのだ。


「――ところで、かがみんはいないの?」


 だから文の――正確には、文の意識が乗り移った彼女そっくりの並行世界の少女の――何気ない一言は、その場にいた誰もの心に、ズシンと鈍い衝撃を与えていた。


 何気なく呟いた一言に、あからさまに硬直する皆の態度を見て、少女は引きったように眉根を寄せる。


「……えと…………もしかして……」


 士郎はようやく彼女を見据える。


「――かざり……各務原は……二階級特進して……曹長だ……」

「…………」


 最初彼女は、それが何を意味するのか分かりかねている様子だった。

 だがやがて――ゆっくりとその言葉の意味を噛み締める。


「……それって……まさか……」


 田渕が、何かを言いかけて、しかし思い留まった。こういうことはやはり直属の上官だった士郎の役割だ、と思い至ったのだろう。

 そんな曹長の態度を横目で見ていた士郎が、意を決して彼女に語り掛ける。


「――かざり……各務原は……あの時の戦いで……名誉の……戦死を遂げた」

「……う……うそ……」


 文は、引き攣った眉根を先ほど以上に歪ませて、喘ぐように言葉を絞り出す。

 やがて、その大きな瞳に大粒の液体が見る間に溢れてきた。

 他のオメガたちが文にそっと近づくと、その肩に手を置き、美しい青髪に触れる。


「――各務原曹長は……最後まで繭ちゃんを守ってくださったのです……」


 亜紀乃が――あの戦いで、やはり心に大きな傷を負った亜紀乃が、その見た目とは裏腹に、誰よりも大人びた声で彼女に知って欲しかった事実をようやく伝える。

 文は、そんな亜紀乃をまるで見上げるように見つめると、やがて士郎に黙って向き直った。


「士郎きゅ……いえ、石動中尉。かがみんに……逢いに行ってもいいでしょうか……!?」

「――え? 何言って――」

「いや、いいんだ未来。そういう意味じゃない」


 困惑する未来や他のメンバーをしり目に、士郎は文の目を見据える。


「――あぁ、いいとも……その方が奴も喜ぶだろう。てことは、かざり……」

「はい――」

「え? え!? どういうことなのだ?」


 久遠が困惑した様子で士郎と文を交互に見つめる。


「――あ……そういうことなんですね……」


 くるみが、ようやく理解したという顔で相槌を打つ。


「え?」「ん?」「……!?」


 他のメンバーは、相変わらず分かっていないようだ。


「――要するに、彼女は俺たちの世界に来てくれると言ってるんだ」


 つまりは、そのうえで各務原の墓参りがしたいと言っているのだ。決して世を儚んで――という意味ではない。


「――な……なーんだ……お、脅かさないでくださいよぅ」

「ま……まったくなのです」

「じゃ、じゃあ……とうとう決意してくれた――ってことでいいんですね!?」


 ようやく彼女の真意を理解し、溜飲する一同。先ほど来、叶が提案していたことだ。

 異なる世界に行くことに躊躇していた彼女だが、他でもない――士郎が元々こちらの世界の血を引いていることが判明したうえに、親しかった各務原の墓前に花を手向けたい、という思いが、遂に彼女を決意させたということなのであろう。

 もとより、長期に亘り昏睡状態のままである元の世界の彼女の容態を鑑みれば、その意識をサルベージすることはもはやほとんど不可能なのだ。この際、彼女の意識が顕在化しているこちらの個体がオリジナル化したほうが、誰にとっても幸せなことのように思える。

 そうなった場合、元の身体はどうなるのかとか、元々この個体に存在したはずの意識は考慮しなくていいのかとか、いろいろとリスクは予測できるのだが、思案したところでどうせ誰にも予測はできないのだ。だったら今、思うがままに一歩踏み出した方がいい……


 その時だった――


 突如として文――の意識が乗り移った少女――の身体がボゥッ――と青白い光に包まれる。

 それはまるで、青白いロウソクの炎が彼女の全身を包んでいるかのようで……


「し、少佐――!?」


 士郎は思わず声を上げる。他のオメガたちも、突如として起きたその不可思議な光景に息を呑んだ。


「――これは……」


 叶は微かに呟くと、まるで目の前に突然降臨した神を見つめるかのようにその姿を凝視する。

 すると、今度はさらに強烈な光が彼女の頭部付近から発せられた。


「……あぁ……なんてこった……」


 士郎は、呻くように声を絞り出す。その発光源は――


 彼女の両眼だった。


「……オメガ……なのか……!?」


 もはや疑いようがなかった。現代の分子生物学、そして遺伝子医療の知見では到底その謎を解くことが叶わないオメガという存在――

 常識では考えられないDNA変異特性を持ち、人体の限界を超えたさまざまな規格外の異能を発揮する未知の存在――

 そんな彼女たちが持つ唯一の外見的特徴と、まったく同じ現象が、今彼女に現れているのだ。


「――まさか……」


 叶が再び呻くように呟いた。


「少佐!? どういうことなのです?」

「……どうもこうも……見ての通りさ……」


 叶は、なんとか言葉を繋いだ。その表情は、いつもの“新しいことを発見した”際に見せる子供のような無邪気さと、何か見てはいけないものを見てしまった時のような後ろめたさがないまぜになったような、複雑なものだった。


 やがて――


 少女は徐々にその青光を淡く鎮静化させ……そして再び普通の姿に戻っていった。


「……かざりちゃん……なのかい……!?」


 叶が恐る恐る彼女に呼び掛ける。すると、少女はそれまでの神々しいまでの恍惚の表情から、やがてあどけない子供のような顔つきになった。

 少女が叶に呼び掛ける。


「……えと……先生……!?」


 叶と、そして士郎をはじめとした周囲の面々は、目の前の彼女を食い入るように見つめ……そしてその変化を必死で読み取ろうとした。だが、その外見は先ほどと寸分違わないものだ。あからさまな変化など到底――


 バンッ――!!


 すると突然、少女はその場で跳躍してみせた。それは『跳躍』というよりも『発射』と言った方が良いくらいの――


「――すっ……すっごーいっ!!」


 声を発したのはゆずりはだった。

 彼女は遥か上空を見上げ……


 ダンッ――――!!!


 土埃が周囲に濛々と舞う。そこだけ、まるでクレーターのように地面が円状に凹んだ。数瞬前、まるで砲弾のようにされた彼女の身体が、自由落下で再び同じ位置に戻ってきたのだ。

 正確無比の、垂直跳躍――


「――わぉ……いつもの感じだ!」


 文は、まるでお腹いっぱいに大好物を食べた時のような、無邪気で満足そうな笑顔を周囲に向ける。


「……フリューゲル……」


 叶がようやく口にする。

 そう……彼女の跳躍は、まるで大空を自由に飛び回る『翼を持つ者フリューゲル』のようであった。


「――もしかして……オメガの身体能力を……持っているのか……!?」


 士郎は、信じられないといった表情で彼女を見つめる。


「……う、うん……そうみたい……」


 彼女は、少しだけ戸惑うような表情を見せながらも、自分の能力を喜びの方が勝っているように見えた。


「――しょ、少佐! 説明してくださいっ!」


 士郎は叶の方に顔を向ける。

 だが、叶はそれを無視して彼女に質問した。


「――かざりちゃん、もしかして硬化も!?」

「……えと、ちょっと待ってくださいね」


 文は、自分の両手を胸の前にかざすと、その掌を何度か握っては開き、さらにその両手で自分自身を抱き締めた。


「――うんっ……いい感じ……」


 それを聞いた叶は、おもむろに彼女の二の腕を鷲掴んだ。そして――

 やにわに腰のホルスターから拳銃を引き抜いたかと思うとバンッ――!! といきなり彼女の腕を銃撃する。


「きゃッ――!!」


 チィ――ン!!


 周囲のオメガたちが悲鳴を上げるのと、彼の銃弾を文が弾き飛ばすのがほぼ同時だった。

 士郎は、あまりのことに呆気に取られ、声も出ない。


「――やっぱり……間違いないようだ……」


 叶は満足そうにその拳銃を再び腰にしまう。


「そ、それはつまり……例の硬化も実現している……ということですか……?」

「あぁ――間違いないだろう」


 思わず訊いた士郎に、叶はニヤリと笑ってみせた。


 彼女のDNA変異特性は大きく二つだ。

 ひとつは、その尋常ならざる身体能力。もともとオメガは全般的に極めて身体能力が高いのだが、文のそれは別格だ。ミオスタチン遺伝子が欠損しているため、筋肉の発達に限界がないのだ。今、元の世界で昏睡しているオリジナル文の場合は、その筋肥大を防ぐため、わざわざ薬物注射を常用していたほどだ。

 もうひとつは、その皮膚組織を異常に硬化させる能力。その固さは、以前叶が測定した時に、132モース硬度を記録した。分かりやすく言うと、ダイヤモンドの硬さの十数倍という強度だ。

 彼女はこの二つの異能を組み合わせることにより、どんなに頑健な装甲であろうが構造物であろうが、殴りつけるだけでまるでガラス細工を打ち砕くかのように粉々にしてしまう。同時に、大抵の銃砲火はすべて弾き飛ばす。

 彼女が重傷を負ってしまったのは、人体の中で唯一皮膚に覆われていない「眼球」を多脚戦車のレールガン発砲により槍状弾体で偶然刺し貫かれたせいだ。それは、戦場においてほぼ無敵と思われた彼女の、唯一の弱点だった。


「……で、でも……さっきまで彼女は……普通の……」

「――あぁ……どうやら彼女は、正真正銘のオメガになったらしい……」

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