第279話 伝説(DAY4-3)
ある雨の日の早朝。陰鬱な空気に耐えかね、思わず家を出て妹の朝食の足しになるものを捜し歩いていた商店街の一角。璃子は中国人の武装警察官3名に因縁をつけられて、屈辱的な仕打ちを受ける寸前だった。
ところがその瞬間、自分をまるで犬のように扱おうとしていたその男たちは、一瞬にして両手首を切り落とされ、無様に泣き叫んだのである。
それどころか、男たちはその汚らわしく
いったい誰に――!?
だが、その答えはすぐに分かった。
璃子の周りを、いつの間にか複数の人影が取り囲んでいた。いや、“影”ではない。それは確かに漆黒の戦闘服に身を包み、肩や胸、そして腕や脚にまで、見たこともないような恐ろしい鎧のようなものを纏っている――人間……いや、兵士だ。
顔は――頭も同様に、漆黒の何か兜!? いや、なんだろう……頭部全体を覆うような、「面」のようなものを被っていて、顔の部分はガラスのような……虹色に光るツルツルした表面の何かを着けていて……表情はまったく分からない。
だが……たったひとつ分かることは、この謎の兵士たちが、ほんの一瞬前、乱暴な武装警察たちを目にも止まらぬ速さで切り刻んだ張本人たちであるということだ――
ガァァァ――ン!!
突然、目の前にいた漆黒の兵士の一人が、派手な火花を散らした。すると、その兵士はおもむろに後ろを振り返る。そこには、先ほど討ち漏らしたと思われる3人目の武装警察官が一人、両手に拳銃を構えて立っていた。
いや、立っていた……というのは良く言い過ぎだ。男は、両膝をガクガクと震わせながら、辛うじて直立しているに過ぎない。無様なことに、失禁してズボンの前を派手に濡らしている。
「――きッ……貴様ァァ!! なッ、何者だァァァァ!!」
警察官は、裏返りそうな悲鳴のような声で、漆黒の兵士たちを怒鳴りつける。
ガァァァン!! ガァァァァ――ン!!!
男は、立て続けに拳銃を兵士に撃ち込んだ。だが、先ほどと同じようにその恐ろしい鎧に派手な火花を散らしただけで、拳銃弾はまるでパチンコ玉のように撥ね飛ばされただけだ。
「なッ!? 何なんだよ貴様らよぅ……!?」
武装警察官は既に泣きじゃくっている。自分が到底かなわない相手だと本能的に察したのだ。漆黒の兵士は、そんな男に一歩、二歩と向かって間合いを詰める。
「――ひッ、ひぃぃッ!?」
兵士がついに男に詰め寄ろうとしたその瞬間だった。足許に何かが引っかかって思わず兵士が立ち止まる。見下ろすと、先ほど両手首と陰部を切り落とした男が一人、痛みに耐えかねてちょうど兵士の進行ルートに転がってきたところだった。
兵士は無言でソイツをしばらく見ると、おもむろに首根っこを掴んでそのまま左手一本でズルリと頭の上に持ち上げた。
「……うごごご……ぐぎぃぃ……」
まるで子猫のように持ち上げられた男が、苦しさに呻いたその瞬間だった。
サクッ――――
男の胸から、鋭い刃がいきなり数十センチほど突き出した。兵士が、右手で背中から突き刺したのだ。刃はそのままゆっくりと真っ直ぐ縦に振り下ろされ、それはつまり、男の胸から腹にかけて垂直に切り裂かれていくということで、ブビビビッ――とそのたびに鮮血を噴きこぼしながら、最後は股のところで胴体が左右に両断され、そのせいで、すべての内臓がドシャドシャと男の足許に零れ落ちた。
それは、今まで見たこともないようなおぞましい殺し方で、まさに「屠殺」と言っても過言ではない。
不思議だったのは、そんな残虐な殺され方を見ているのに、璃子はむしろ清々しい感情に包まれてしまったことである。今までの怨念や恨みつらみが、一気に氷解していくかのような、そんな気持ちよさ――
「――あはっ……」
ほら、思わず笑いが漏れてしまったじゃないか……
「――やッ、止めろッ!! 分かったッ! 分かったからッ!!」
気付くと、先ほどの兵士が再び歩みを戻し、拳銃を撃ったあの男に詰め寄るところだった。
その時だった。
「
突然、別の漆黒の兵士が言葉を発する。
日本語――!?
すると、先ほど武装警察官を屠殺したその兵士は動きを止め、それからおもむろに一歩下がって明らかに殺意を霧散させた。
それを見て、数瞬前まで殺されかかっていた中国人の男が、へなへなとその場に座り込む。
すかさずその男の傍に、先ほど兵士を制した指揮官と思われる別の兵士が駆け寄った。
「――おい、立て!」
無様に泣きじゃくる武装警察の男を容赦なく蹴り飛ばし、その場に再度立たせる。
その時、向こうから別の兵士が駆け寄ってきて敬礼した。
「――周囲に他の敵兵はおりません!」
「よし、民間人を保護しろ。この男は連行だ」
「はッ! もう一人はどうしますか?」
見ると、両手首と陰部を切断された男がもう一人、相変わらず泣きながら地面をのたうち回っていた。
指揮官と思しき兵士はチラリとそちらに目をやると、何のためらいもなく指示を下す。
「楽にしてやれ――」
「はッ!」
直後、命令を受けた兵士が持っていたライフルで、躊躇なく男を撃ち殺した。ようやく男が静かになる。
あまりにも手際のよい――つまり、よく訓練された兵士たちであることは間違いようがなかった。
だが、璃子が本当に驚いたのはその次だ。
先ほど男を惨殺した漆黒の兵士が、その兜をおもむろに脱ぎ始めたのだ。
――――!!
それは、あまりにも美しい少女だった。
兜を脱いだ瞬間、明るい銀色の長髪が、サラリと風に舞った。その顔立ちは……白く透き通った肌にうっすらと頬は桜色に染まっている。鼻筋は高く、唇は薄過ぎず厚過ぎず、だがぽってりと艶やかな恋肌色をしていた。
瞳は――あぁ……なんということだろう。その大きな瞳は青白く輝き、二重瞼はくっきりと目尻まで続いている。睫毛は長く、眉は少し困ったような線を表情に加えている。どこまでも優しげな顔立ち。
とても、先ほど悪魔のように男を惨殺した張本人とは思えなかった。本当にこの女の子が、あのようなことを――!?
だって、見た目からしてこの子は自分と同じくらいの歳では……!? いや、その落ち着いた雰囲気と、余裕のある態度から、少しだけ――といってもせいぜい一つか二つ――年上なのかもしれない、と彼女は思った。
すると、今度は少女に命令した指揮官と思しき兵士が兜を抜いた。
こちらは男性だ――
精悍な顔立ち。太くはないが意志の強そうな眉。何度も死線をくぐり抜けてきたような鋭い目つき。肌は少し浅黒いが、これは恐らく日焼けだ。本来は色白なのかもしれない。髪は短く刈り揃えられ、全体から受ける印象は、歴戦の兵士そのものだった。
いつも目にする、下卑た中国兵たちとは雲泥の差だ。
璃子がボウッとその顔に見惚れていると、ふいに彼がこちらを向いた。途端に目が合い、そしてこの美青年はニコッと笑顔を向ける。
予想通り、こちらに歩いてきた。どきんッ――璃子は急にドギマギして思わず俯いてしまう。
「――君、大丈夫かい?」
その瞬間、ふぁさっ――と何かが掛けられた。思わず顔を上げると、彼の傍に控えていた別の兵士が、いつの間にか毛布を掛けてくれたようだった。
璃子は必死で声を出そうとする。
「――あっ……あの……」
「もう大丈夫だ。怖かっただろう……無理にしゃべらなくていい」
「――そうだぞ。今は少し休め……落ち着いたら、私たちと一緒に来るのだ」
女の人の声だ――!
その途端、その兵士も兜を脱いだ。
――!!
この人も、さっきの銀髪の美少女に勝るとも劣らない美しい女性だった。こちらの方は、どちらかというとキリっとした顔立ちをしていて、真っ直ぐに整えられた前髪と、腰まで伸びた艶やかな黒髪が少しだけ古風な印象を与える。
その瞳は切れ長で、そして彼女のそれもまた――青白く淡い光を放っていた。銀髪の子より、少しだけ色っぽい気がするから、彼女よりも年上なのだろうと単純に思った。
思わずハッとして、ようやく璃子は周囲をぐるりと見回した。いつの間にか、辺り一帯はこの漆黒の兵士たちで埋め尽くされていた。といっても、小さな商店街だから、せいぜい数十人といったところだろうが……
そして――
その時璃子は、ようやく気付いたのだ。彼らの左肩に旭日旗の刺繍が縫い付けられていることを――
それは、色こそモノクロで、漆黒の戦闘服に馴染んでいたが、間違いなく日本軍の旗――旭日旗だった。
ということは、この人たちは日本軍!? うん――当たり前じゃないか! だってさっきからみんな日本語喋ってるし……何より中国人の武装警察官を何のためらいもなく殺してくれて、私を助けてくれた――!
普通の大人だったら、中国人がどんなに街中で酷い嫌がらせをしていても、誰も見て見ぬふりをする。さっきだって、実際は近所の家の中に誰か必ずいて、私の悲鳴と中国人たちとの遣り取りを聞いていたはずなのだ。女の子が辱められようとしていても、誰も助けてくれない……
それが今の日本――
璃子は、その現実を思い出して、思わずまた泣きそうになった。だが、本当は嬉しくて泣きそうになったのだと、すぐに気付いた。
そう――ようやく私を助けてくれる兵隊さんたちが現れたからだ。ようやく「助けて」と呼べる人たちが現れたのだ。
その途端、璃子の瞳にビックリするくらいの涙が溢れてきた。
「う……うわぁぁぁぁぁん――」
突然の泣き声を聞いて、先ほどの銀髪の少女と、黒髪の少女が慌てて近寄ってきた。そして二人して璃子をギュッと抱き締め、そのまましばらくじっといてくれた。一人は背中をぽんぽんと優しく叩いてくれ、もう一人は璃子の頭をゆっくりと撫で続けてくれた。
璃子は、まるで赤ん坊のようにその場でしばらくわんわんと泣き続けた。
***
「――落ち着いたかい……?」
美青年が、ホットミルクを差し出してくれた。
璃子が座っているのは、何やら戦車のような……でもトラックのような……鉄でできた自動車の中だ。壁にはいろいろな見たこともない機械が据え付けられている。
キョロキョロと車内を見回す璃子を見て、美青年が教えてくれた。
「……これはね、装甲車、っていうんだよ。正確には指揮通信車っていうんだが、まぁベースは似たような造りだから……」
「……は、はい……あり……ありがとうございます……」
「大丈夫、この車はね、ちょっとやそっとじゃ壊れないから! 敵が現れたって、へっちゃらなんだよ?」
恐らく璃子に気を遣っているのだろう。さっきから、とっても優しい人だ。
璃子は、貰ったホットミルクをコクリと一口飲み込んだ。胃がきゅぅっとなるのは、しばらくまともな食事をしていなかったせいか……
「――僕はね、
「……いするぎ……中尉……!?」
「そう、この子たちはたいてい下の名前で呼ぶけどね」
そう言いながら、隣に座る黒髪美人に視線をやった。
「あぁ、私は『士郎』と呼んでるぞ――ちなみに私は久遠。蒼流久遠だ。階級は一等兵曹だな」
「……くおん……軍曹……」
「あぁ、普通に呼び捨てでも構わんぞ。『軍曹』なんて呼ぶ奴は誰もいない」
そう言って彼女は朗らかに笑った。そんな様子を、中尉は楽しそうに眺めている。この二人が、とても仲が良いのは、見ていてすぐ判る。
「あ、あのっ……」
「なんだい?」
「みなさんは……その……軍人さん……なんですよね……!?」
「あぁ、見ての通りだ」
「……でも今、日本には軍隊がなくて……あの、自由……日本軍……? 私、見たことがなくて……」
「あー、そう……じゃない、かな!?」
「えっ? どっち……」
士郎は、久遠と目配せし合う。やはり、本当のことを言った方が、後々辻褄が合わなくなるよりはいいか――
「うん、自由日本軍……じゃない」
「え――? じゃあ……」
「うむ。私たちはな、別の世界から来た日本軍だ」
久遠が単刀直入に言った。あちゃー、という顔を士郎がしているのは、もう少し言い方があるだろう、と言ったところか。確かに、いきなりそんなことを言ったら荒唐無稽な絵空事と受け止められ、警戒される恐れがあった。だが――
「――やっぱり! 私、そうじゃないかと思ってました……やっぱり助けに来てくれたんですね!!」
「えっ!? 君、僕らのこと……信じてくれるの!?」
今度は士郎たちが面食らう番だ。いきなりそんなことを言って、あっさり受け入れられるとは、これっぽっちも思っていなかったのだ。
「もちろんです! そっか……やっぱり伝説は本当だったんだ……」
「――えと……伝説って……!?」
「こっちの日本人たちは、もうずっと何十年も言い伝えみたいにして密かに話していたんです。いつかきっと、別の世界から強い日本軍が現れて、私たちの日本を助けてくれる……って」
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